* There ain't no Red Rose without a Thorn -8- *












 観月がスクールで見掛けて勧誘してから一ヶ月程、裕太は正式に聖ルドルフ学院の生徒となりテニス部に入部した。確かなテニスの実力、そして左利き。テニスに対する熱い情熱もありすぐにその頭角を現した。補強組の中でも更に他から遅れて入部した裕太であったが、真面目過ぎるくらい素直な少年である彼はすぐに周囲と溶け込んだ。……「弟君」と弄られて先輩である野村に殴りかかっていたが。
「新しい部員、かなり動けるな。不二裕太つったか?木更津に続いてよくスカウトしてきたな観月」
「んふっ。でしょう?ボクの交渉力を舐めないでください」
 赤澤に褒められ観月は得意げに髪をくるくると弄った。
 観月は以前よりも周りと交流するようになった。時の流れと共に少しずつ気心が知れて来たこと、不用意に近付いてくる者はおらず適度な距離感を保てていたこと。聖ルドルフは観月にとって“居心地の良い場所”になりつつあったのだ。その中でも特に会話をすることが多い赤澤には他よりも気を許した状態で接するようになっていた。眉を吊り上げて笑みを浮かべながら観月は話を続ける。
「しかも彼、あの青学の天才不二周助の弟なんですよ」
「となると心理戦とかで青学を揺さぶれるってことか?」
「んふっ、任せてください」
「本当にお前は頼りになるな」
 赤澤はそう言って笑いかけ、観月も笑みを返した。
 が、即座にその表情が霞んだ。その瞬間を赤澤は見逃さず「どうかしたか?」と聞いたが観月は「なんでもありません」と背を向けるばかりだった。さり気なく距離を取った。
 不思議に思いながら観月の姿を凝視した赤澤は、首元に何かゴミが付いているような気がして気になった。目を凝らして、わかった。それが棘であると。
「ほー…」
 顎をさする赤澤の視線は、観月の首筋を見ていた。髪と襟の狭間、数センチ露出したその肌を。赤澤が無意識に上げていた声で観月は見られていたことに気付いた。
「ッ!!」
「初めて見たぜ。本当に薔薇みたいなんだな」
 観月は首のうなじ側に手を当てるようになるべく露出している面積を隠した。とはいえ隠し切れてはいなかったし、仮に首が隠せたところで手の甲にも棘は出ている。
 観月が薔薇肌を他人に晒すのは久しぶりのことであった。年を重ねるごとに感情のコントロールがうまくなっていたからだ。嬉しい気持ちは穏やかに受け流す。楽しくなりすぎないようにすぐ悲しくなれるエピソードの準備がいくつかある。今は完全に、油断をしていたのだ。このような状況は久しかった。
 もうとっくに棘は引っ込んでいた。しかしそのことに気付く余裕もないほどに観月は焦っていた。顔を向けることもできず、背中を見せたまま声だけを張り上げる。
「見世物ではありません!」
「ワリワリ」
 降参のポーズにように両腕を上げた赤澤は顔を横に向けて視線を逸らしていた。あまり見られたいものではないだろうという気持ちは想像ができた。観月もまた、背中越しに聞こえた赤澤の声が少し遠かったことから、気遣いを感じることができた。ようやく少しは落ち着けた。観月は首からそっと手を離してその手のひらを目視して、もう棘がなくなっていることを確認してゆっくりと赤澤に向き直った。顔を上げないまま上目遣いに見上げた赤澤は、晴れない顔をしていた。
「ちょっと落ち込むわ」
「……落ち込む?」
 落ち込みたいのはこちらの方だ、と言いたかった。これまで隠し通してきた薔薇肌をついに見られてしまったのだ。何故赤澤が落ち込むのか。というか、何故落ち込むのか。気分が悪くなるという方がまだ理解できる。期待外れだったとでもいうのか?訝しんで薄目でその表情を伺っていると「今日、初めて見たから」などと言うから耳を伺った。理解できないと言いたい風に「はい?」と聞き返してから赤澤から聞こえた返事には、更に驚かされることになった。
「出会ってから今日まで、お前は一度も心から楽しいという気持ちになってなかったってことだな」
「…………」
 知っている。自分の体質に関して不審に思われていることを。「お前見たことある?」「ねーな」「薔薇肌ってホントなのかよ」そんな会話が聞こえてしまったこともあった。疑われる理由もわかる、何故なら一度も見せていないから。しかし例え不審に思われても、見られるよりはマシだった。だから今まで隠してきた、のに。
 それで落ち込むだなんて。おかしな奴だ、と思った。
「気に病む必要はありませんよ。楽しい気持ちを抑えるのはボクの癖です」
 でかい図体をして肩を落として小さくなっている赤澤に声を掛けた。伝えた言葉は真実であった。
「励ましてくれてるのか?」
「っ、アナタが柄にもなく気落ちしたような素振りを見せるから…!」
「否定しなくていいって」
 突き放そうとする観月の言葉を赤澤は全て受け止めた。押し返すでも受け流すでもなく。
「少しでも気を許してくれてるんだったら俺は嬉しいからよ」
 初めての経験だった。自分の全てを受け入れられるような感覚は。
 この前から、赤澤と話していると胸が苦しい。呼吸が僅かに弾む。高揚する気持ちを抑えたいのにいつものように抑えられない。
 そして、温かい。
「……気持ち悪くはなかったでしたか」
「いや?こんななんだなーと思っただけだぞ」
「……そうですか」
「おう。お前気にしすぎだよ」
 それはお前が知らないからだ、これまでどんな目に遭ってきたかを。まずそう浮かんだ。しかし直後に考えが上書きされた。もしかしたら本当に気にしすぎだったのかもしれない、と。
 何故だろう。この男の言葉には説得力があるのは。過去にそう思おうとして裏切られた経験がいくらでもあるのに尚、信じてみたいと思えてしまうのは。
「ボクに近付かない方がいいっていう警告は憶えていますよね」
「上等だ。別に棘くらい俺は怖かねぇよ」
「…言いましたね」
 観月は赤澤の両腕をがっしりと握った。初めての観月からのアプローチに心を躍らす赤澤であったが、直後に反射で腕を引っ込めることになる。観月の手のひらの棘が赤澤の肌を貫いたのだ。
「いって!!」
「大丈夫だと言ったのは君の方ですからね。フフ、フフフフフ……」
「オイわざとか観月!」
 影を落としたような笑顔で黒く笑う観月であった。黒い笑い方ではあったが、楽しんでいる表情であった。赤澤は観月の顔や腕や全ての肌を覆う棘と、斑点状に鮮血が滲んだ自身の腕とを見比べ、笑った。それが観月との仲が深まった証拠であり、勲章のように思えたのだった。
 赤澤がそんなことを思っているとまでは知らない観月であったが、久しぶりに思い切り笑うのは、正直に、楽しかった。


  

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16