部活後、作戦会議のために赤澤が観月の部屋に訪れることは珍しいことではなかった。しかし今日「観月、練習のあとお前の部屋に行っていいか」と声を掛けた赤澤には作戦会議以外の意図があった。観月もそれを間違いなく察しているであろうがいつもと変わらず「いいですよ」と返した。 寮の廊下を歩く間、赤澤はなんとも言えない気持ちになった。今までだって何度も訪れてきたのに。まったく下心というのは怖いものだ。心当たりがあるだけでこの廊下を歩くのも悪いことをしている気持ちになる。 途中で柳沢と木更津とすれ違い、 「また作戦会議だーね?」 「おう。邪魔すんなよ」 「別にしないだーね」 「くすくす」 などと会話を交わしたが、まさか本当に邪魔をされたくないという意味でその言葉を発したとは二人は想像していないであろう……されていては困る。 観月の部屋はいつ訪れても清潔に整っていた。少しでも散らかそうものなら怒られる。過去に「ここに置きなさい」と指定されたその場所にテニスバッグを下ろす。観月もまたいつもの決まった動きでテニスバッグを下ろし、洗濯物を籠に移し替えて制服をハンガーに掛けた。その一連の流れを終えて赤澤を振り返る。 「で、作戦会議っていうのは?」 「ねーよ。わかってるだろ」 「………」 予想は付いていたが、わかっていたと認めると用もなく赤澤を寮の自室に連れ込んだことになる。観月が返答に困り黙り込んでいると「座ろうぜ」と言って赤澤は観月のベッドに腰掛けた。どこか腑に落ちないという顔をしながらも、観月も赤澤の右隣に腰を下ろした。 「今日も疲れたな」 「これくらいで疲れていてどうするんですか。そのうち新入部員も入ってくるでしょうし、大会に向けて練習を本格化していきますよ」 「お前は疲れてねぇのか?」 「それとこれとは話が別です」 「ホント素直じゃねぇな」 赤澤は極自然に観月の肩に手を乗せた。その様子を見、観月は暫し考え込んだ末に「場所を変わってくれませんか」と提案をした。赤澤の返事を待つことなく観月はもう立ち上がったため、赤澤は不思議に思いながらも空いたスペースに腰をずらした。 「どうしてだ?」 「アナタは右利きでしょう。ラケットを持つ手に怪我をさせるわけにはいきませんよ」 そう答えるとそれまで赤澤が座っていた左手側にストンと腰を下ろした。なるほど、先ほど赤澤は右手を観月の肩に置いた。もしも棘が出ていた場合…もしくは出てしまった場合、棘が赤澤の手のひらを貫くことになりかねない。 あくまでもテニスなんだな、という一方で。 「こういうことするのは許してくれるってことか?」 赤澤は左手で観月の左肩を引き寄せた。 「…やめろと言ってもアナタはやるでしょう」 「まあそうだな」 あくまで左右の配置を換えただけであって、距離を離せだとか触るなだとか命令をしてくるわけではなかった。そのことを赤澤は嬉しく思いながらも、口に出したら観月は必要のない言い訳をあれやこれやし出して不機嫌になってしまうことが想像できたので言葉にはしなかった。もっとも、赤澤にしてみれば照れ隠しで不機嫌になってしまう観月は愛しいとさえ思えていたのだが。 「そういえば今日、血出てて金田に気づかれたわ」 「血が出ていた?」 「ああ、部活前の部室でのアレだわ」 部活前の部室というと二人で暫し抱き合っていた一幕のことであった。そのシーンを思い出し観月の顔は一気に赤く染まった。 「だからやめてくださいって言ったんですよ」 「言われなくてもさすがにやめるよ」 赤澤は苦笑いをしている頃、観月は赤澤の腕に目を落としていた。金田に不審に思われたというその腕には、無数の斑点状の痕があった。 「傷痕、よく見るとすごいですね。……痛いでしょう」 「大したことねぇしすぐ慣れるよ。ただ……」 「ただ?」 赤澤が肩に回した手に力を込めて引き寄せると二人の体の密着度は増した。途端、シャツの薄い布地を貫き鋭い棘たちが赤澤の手と腕を襲う。痛みを顔に出すことなく赤澤はニヤリと笑みを見せつけた。 「お前も早く慣れてくれると俺は楽なんだけどな」 赤澤はつまり、観月が抱き寄せられる行為を嬉しく思っているであろうことを暗に示した。本人は涼しい顔をしているのに、だ。その言葉を聞いた観月は「こっ、これは決してアナタに抱き締められるのが嬉しいのではなくてっ!」と真っ赤に染まった顔で慌てふためいた。あーだのこーだの観月は何やら言い訳をしていたが、赤澤は全て笑って聞き流した。焦って言い訳をすればするほど墓穴を掘る一方な観月はただひたすらに愛おしかった。 すぐ横に見える顔の整った形のその唇に、自分の唇を重ねて、すぐに離した。不意を突かれた観月は状況を理解するのに時間を要したが、たった今キスをしたのだと認識するとその顔はみるみる赤く染まった。 「唇には棘ないんだな」 「ふっ、不潔ですよ」 「そう言いながら、棘増えてっけど?」 「!!!」 棘だらけで真っ赤になった顔で、それ以上何も反論できずに観月は唇をワナワナと震わせた。そんな観月の頬に手を添え、赤澤は目を細めて観月の目を覗き込んだ。 「なあもう一回。いいだろ?」 返事を待たず、二人の唇は再び重なった。口では悪態を吐いていた観月も赤澤を拒絶することはなかった。長いこと合わさっていたその唇を離して至近距離で目が合い、赤澤は笑い、観月は眉を顰めて顔を俯いた。 反応こそ真反対ではあったものの、二人は同じ幸せを分かち合っていた。 |