* There ain't no Red Rose without a Thorn -13- *












 行くな。
 行くな。
 呪文のように赤澤の言葉は耳元で繰り返され続けた。あまりに切実な声色でそう言ってくるものだから観月は情を動かされていた。一度は決断したがやはり行かないべきなのかもしれない、この想いに応えたい、と。
 鼻を啜る音も聞こえる。赤澤がそこまで自分を想ってくれていることは正直に嬉しく感じた。しかしその状況があまりに長く続くものだからだんだんと腹が立ってきた。
 コイツは、何もわかっていない。
「そこまで言うんだったらアナタはボクに何かをしてくれるんですか。この体質を治すことができるわけでもないのに」
「……観月?」
 観月の様子がおかしいと気付き赤澤は体を放した。観月は目一杯に涙を溜め込んでいた。瞬きするとそれが溢れた。
「お前には、わかるわけがないんだ……」
 涙を零すその様子を見て赤澤が慰めようとするより先、観月は怒りをぶちまけるように大声を張り上げた。
「大切な人を目の前にしても昂ぶる気持ちを抑えることばかりを考えなければいけない!相手を守るために自分の気持ちを犠牲にし続けなければならない!その気持ちがお前にわかるのか!?」
 吐き出しきってから、またボロボロと涙を溢れさせて俯いた。
 なんて格好悪い。こんなつもりはなかった。赤澤といるといつも感情が乱れる。お前のせいだ。
 言いたいことは山ほどあるのに胸がつかえて言えずにいると、「待てよ観月」と赤澤は観月の手首を掴んできた。「だからやめろと言っているだろ!」と声を荒げながら腕を振りほどこうとする観月であったが、力では敵わなかった。赤澤の手はしっかりと観月の手首を掴んで放さなかった。
「待てって。お前がそう考えるようになったのって俺のせいなんじゃねぇのか」
「……だったらどうなんです」
「その俺が今のままで良いって言ってるんだけど?」
 ピクリと、全身が疼いた。
「お前は俺のことが好きなんじゃねぇのか?」
「好きだよ!相変わらず苦手でもあるけどな!」
「んだと…?」
 子犬同士の小競り合いのように、キャンキャンとした言い合いを始める二人。ああ言えばこう言う。売り言葉に買い言葉。しかし暫し続いたそのやりとりは、「いって!」の言葉と共に赤澤が観月の手首を掴んでいた手を引っ込めたことで中断した。とびきり大きな棘が赤澤の手のひらを貫いていた。
 しまった、つい興奮した。観月はヒヤッと肝が冷えるのを感じた。棘は一瞬で引っ込んだ。代わりに嫌な汗が滲んで不快な心拍が頭から足の端まで響く。何か言いたいのに言葉が何も出ない。喉が詰まったみたいだ。
 だから嫌なんだ人と触れ合うのは。なんなら関わり合いになることですら。
 まただ。またこうしてボクは、自分の一番近くに居てくれる人を傷つけ―――。
「やりやがったな」
 赤澤は怒ったように目を吊り上げて笑った。でも本当に怒っているわけではない。楽しんでいる。それくらい観月にもわかった。
 嬉しいだなんて。幸せだなんて。思ってしまってはいけないのに。自分によって傷つけられても尚笑ってくれる人がいるだなんて。何故、お前は。
「なあ観月」
 唐突なことでも何でもないのに、名前を呼ばれて肩がビクンと撥ねた。
「俺はお前と軽口叩いてるときが一番楽しいよ。痛くっても、触れ合ってるときが一番幸せだよ」
「…………」
「ドイツに行って研究に協力して、いつか治ったらそりゃ最高だけどよ……そのままのお前で良い。一緒に居られることの方が嬉しいよ」
 赤澤は笑った。それだけで未来が明るく見えてくる。本当に未来が明るいとは限らないとわかりつつも。
「なんの保証をしてくれるわけでも…責任を取ってくれるわけでもないくせに…」
 悪態を吐きながらも、顔は熱く棘は引っ込まない。悔しいかな赤澤は笑っている。
「責任?取るぜ」
 赤澤はベッドから腰を上げると観月の前に跪き、両手を取った。
「一生一緒に居よう」
 もう既に棘が大量に浮かんでいるその手を丸ごと握り込んできた。嬉しさと、どこか申し訳なさ。観月はどのような顔をしていいかわからなかった。しかし何より幸せで。
「一生なんて言葉、あまり軽率に使うものじゃありませんよ」
 そう言い返したが、
「棘だらけで説教されたところで、説得力ねぇな」
 と言って赤澤が目の前であまりに嬉しそうに笑うものだから、釣られた。仕方がない。幸せなのだ。一緒に居られることが。
「なあ観月、今夜部屋に泊めてくれねぇか」
「どうしてですか」
「離れたくねぇんだよ」
 肩を引き寄せられ、よろけた観月も赤澤の胸に飛び込むように床に降りた。顔を見上げると、先ほどとは打って変わって不安そうな表情をした赤澤がいた。
「お前を一人にしたくねぇ」
 その言い方で、ただのワガママではない、自分が心配をされているとわかった。だからといって「良いですよ」と簡単に許可を出すわけにもいかない。
「寮の決まりを知らないわけではありませんよね」
「おー。寮生以外は宿泊禁止。女連れ込んだやつ停学になってたな」
「いいんですか、テニス部の部長たるアナタがそのような違反をして」
「今日で引退したよ」
「そういう問題ですか」
 観月は眉を潜めたが赤澤は豪快に笑って受け流した。
「話逸らすなよ。で、良いの悪いの?」
「良いとは思っていませんが、駄目だとは言い切るつもりもありません。アナタの判断に任せますよ」
 ふーん、と赤澤は意味深に首を頷かせた。そして観月の肩に手を掛け、目をじっと見つめた。今までもあったようにキスをされるのかと瞼を半分下ろす観月であったが、予想に反して赤澤の口は、首元に降りてきた。押し当てられた唇はチュッと音を立てて離れ、同時に観月の体は震えるようにピクッと跳ねた。
「泊めてくれるんだったら、この続きもしていいのか?」
 ネクタイを緩めながら赤澤は観月に問い掛けた。観月は良いとも悪いとも言わずにただ口を噤んだ。
「ダメだとは言わないんだな」
「……」
「俺の判断に任せるって解釈でいいんだな」
「……好きにしてください」
 その言葉を聞き届けるや否や、今度こそ唇同士が合わさった。そして角度を変えるようにしながら空いた口の隙間から赤澤の舌が侵入し観月の舌を絡め取った。観月は喉の奥から甲高い声が出そうになるのを必死に堪えた。その分呼吸が荒くなった。次第に体は軟体動物になったかのようにふにゃりと崩れ、抵抗する力を奪われた。そもそも全力を尽くしたところで力で勝てる相手ではない。何より、抵抗は試みたくとも本気で制したいわけではないのだ。
 骨抜きになった観月の体を軽々と持ち上げ、ベッドにドサリと落とすと赤澤はその上に覆い被さった。
「好きにさせてもらうわ」
 天井の明かりの逆光になって表情が見えづらい。だけど声色から強気な笑みが想像できる。こうなった赤澤を止められるはずがない。そして、認めてしまえば自分も本心では続きを期待していた。最後のプライドで「仕方がないですね」と発しつつも、観月はそっと目を閉じ抱き締めてくる赤澤の体を受け入れた。


  

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