* There ain't no Red Rose without a Thorn -6- *












 観月が赤澤を「要注意人物」として認識したまま月日が流れた。
 しかし赤澤は非常に優秀な選手であり、何より頼りがいのある部長であり、テニス部にとって必要不可欠な存在であった。それは観月にとっても例外ではなかった。とはいえ、会話が始まるのは赤澤が観月に話し掛けたときであることは初日から変わっていない。
「おい観月」
「なんですか赤澤」
 観月は掛けられた声に対し顔をそちらに向けないまま答えた。視線は目の前のモニターに注がれている。
 休憩の間、観月は日陰でベンチに腰掛けると組んだ足の上でノートパソコンを開き部員の現在と過去のデータを見比べているのが常である。ほんの数日でも選手の状態は変わる。それを常に把握し最善の練習を行っていくことで初めてパフォーマンスを最大化することができる。休憩時間だからといって休んでいる暇はない。練習中に得たデータを更新することに目と手は忙しい。赤澤の話になど耳だけを貸せば良い。
「OB会からドリンクの差し入れがあったんだよ。色んな種類があるから取りに来いよ」
「結構です」
「余り物になるぞ」
「構いませんよ」
 普段からなかなか他の部員と戯れたがらない観月だが、物があれば釣れるかと期待していた赤澤はある意味予想通りの反応に大きくため息を吐いた。
「お前いい加減に他の部員とも交流しろよ」
「ボクは別段求めていません。それに最低限必要な会話はしているつもりですよ」
「そうかもしれねぇけどよ、お前だってうちのテニス部の一員だって忘れんなよ」
 観月自身、他の部員と交流を深められていない自覚はあった。一緒にスクールに通っている補強組こそ会話はするものの、世間話のような雑談をしたことがあるのは、それこそ赤澤だけであった。しかし必要ないと思っているのもまた真実であった。
「あと、お前と話したがってるやつは意外と多いぞ」
「ボクとですか?」
 まさかそんなことがあるわけがないという風に観月は聞き直したが、赤澤はウンと頷いた。事実、観月と会話の機会を伺っている部員は少なくなかった。
「自分に関するデータとか、それに合わせた練習法とか知りたがってる奴らは多いよ」
「彼らは自分のことを知りたいのであって、ボクとの会話を求めているいるわけではないでしょう」
「まったく、仲介させられてる俺の身にもなってみろよ」
 赤澤はそう言って呆れたように肩を落とした。言われてみれば確かに、アイツはもっとここを練習した方がいい、アイツにはここを鍛えさせろ、全て赤澤を経由して伝えてきた。自ら本人に伝えてきたことは一度もない。それを文句一つ言わずにこなすのもまた赤澤らしいというべきか。
「必要に応じてデータの提供はしています。それで充分でしょう」
「ホント、素直じゃねぇな」
 赤澤は柔らかく笑った。基本的にはがさつなくせに、ふとした拍子にそんな表情をする。
 心拍数が、わずかに上がった。
(……なんだ)
 観月はジャージの胸元をぎゅっと掴んだ。
(今、胸が…)
「なんだ、体調悪いのか?」
「!」
 一歩近づかれ、肩に手を置かれそうになった観月は反射的に後ずさりをした。
「だから、近付かないでくださいと言ったでしょう!?」
「でも苦しそうにしてるからよ」
 本来ならば有り難いばかりの気遣いかもしれない。しかしまさに有り難迷惑。有り難くないだけではなく、迷惑なのである。近付いてほしくないのに赤澤は距離を詰めてくる。
「ちょっと息切れがしただけです…ほっといてください」
「顔も赤いぞ?熱あるんじゃねーか」
「…っ!」
 バチーン!!
 と、小気味よい音が空間に響いた。
「触らないでと言ったでしょう!?」
 痛みの理由を理解できないまま赤澤は患部である右手の甲に左手を当てた。観月は触れようとしてくる赤澤めがけて力一杯の平手を食らわせていたのだ。そして吐き捨てるような大声を張り上げる。
「気分が優れません。今日は帰らせてもらいます」
 ズンズン、という擬態語で表すのが適切な大きな歩幅で歩き去って行った。怒り肩で大きく見えていた細身の体は間もなく見えなくなるほど遠ざかった。


「ってぇー…手を払うんじゃなくて平手食らわしてくるとはな」
 しかも手加減なしである。これだけ力一杯はたける元気があるんだったら、体調が悪いというわけではなさそうだな。棘が刺さるよりもよほど痛いのではないかというほどジンジンと響く痛みは引く気配がなく眉を顰めた赤澤であったが、去り際に見た観月の顔を思い起こしたら痛みの分だけ笑えてきた。
(可愛いとこあんじゃねぇか)
 嫌味な奴だと思ったけど、素直になれないだけみたいだ。そう思うと観月の捻くれた態度もどこか親しみの要素に思えてくる赤澤であった。
「部長、手どうかしましたか?」
 手を押さえながら歩いている様子を気付かれ声を掛けられた。赤澤は苦笑いで返す。
「ああ…観月にはたかれた」
「えっ」
 しまった。観月はただでさえ近寄りがたいと思われてるのに余計なこと言ったか?と後悔していると前の二人は目を見合わせてから聞いてきた。
「赤澤部長、観月さんってどんな人ですか?」
「ああ、別に普通だぞ。変なやつだけど」
「普通なんですか変なんですか」
 鋭い突っ込みを受け、ホントだな、と笑うしかなかった。誤解を解きたいがうまくいかない。
「とにかく悪いやつではねーよ」
「そうですか…」
 しかし目の前に見えるのは不安そうな顔である。観月は他の部員を敬遠しているかのように関わりたがらない。他の部員もそれを感じていることは間違いない。しかし今後の聖ルドルフのことを考えるとこのままで良いはずはない。何かお互いの交流のきっかけになれば、という思いで赤澤は目の前の二人に問い掛けた。
「なんか気になることあんのか?」
「いや、その……僕らなんかが話しかけたら観月さんに迷惑かなって」
「!」
 意外な回答であった。そっちの心配か、と。てっきり「怖いから近付きたくない」とかそういう話かと思ったら意外とそうでもなさそうだ。あれだけ身勝手な態度を取っているのに寧ろ気遣われている。
 しかし赤澤もその気持ちはなんだかわかる気がした。観月には人を惹き付ける不思議な魅力がある。
「大丈夫だって。しょっちゅう怒ってっけど、素直になれないだけだから。適度な距離を保ちながら話しかければ平気だ、と思う……たぶん」
「たぶん、ですか……」
 正直に言うと、赤澤自身も掴み切れていなかった。あやふやな返答になったことを不甲斐なく思ったが、少しずつではあるがチームはまとまってきているのかもしれない、と小さな手応えを感じた赤澤であった。


  

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