* 一番幸せになるはずだった景色 *












12月24日。

今日はきっと、忘れられない一日になる。



「お待たせ」

「全然待ってないよ」



待ち合わせ時間丁度に着いても、
5分前に着いても間違えて30分前に着いても、
いつも同じ笑顔でそう返事をする秀。

10分前に着いた今日も、その笑顔だ。


「早かったな」

「それはこっちのセリフだよ。秀っていつも何分前に着いてるの?」

に先に来られたら困るから、内緒」

「えー」


話しながら、どちらともなく歩き出す。
付き合い始めてすぐの頃は待ち合わせだけでくすぐったかったのに、
随分こなれたもんだな、なんてね。

だけど


「(あ、)」


言葉もなく手を取られて、
ドキッとしてしまって、
横顔を盗み見たら、
秀の頬もほんのり赤かったりして。

くすぐったくってあったかくって、
手に力を込め直した。


今日はきっと、忘れられない一日になるから。



腕を引かれて駅から続く遊歩道を歩く。
今日は、遊園地デート。


「たくさん思い出作ろうな」


顔を覗き込んできて、秀が柔らかな微笑みを見せる。
私もなるたけの笑顔を返す。


「……うん」


秀の言葉にも、
私が返事をするのに間を空けてしまったのにも、意味がある。


来週、私は引っ越しが決まっている。海外に。


だから、今日はたくさん思い出を作るんだ。なるたけたくさん。



初っ端からジェットコースターに並んで、
私は絶叫して、秀が顔面蒼白になるのを見て。
ティーカップを高速で回して爆笑して。
恥ずかしいなんて言う秀も無理矢理メリーゴーランドに乗せて。
たこ焼きとフライドポテトとからあげ食べて。
アイスを半分こして。

あまりに楽しくって、明日からが不安になりかけて…思考をかき消す。
今はそんなことは考えない。

色んなアトラクションに乗って、
並んでる間は色んな話をして、
ショーを見て、
楽しい時間が過ぎていく。

この時間が一生続いたらいいのに。
なんてね。そんなの無理だけど。



閉園間近になって、観覧車に乗ることになった。
遠くの空が見えて、いつの間にか夕日が沈みかけていることに気付いた。


「もう一日も終わりか…あっという間だな」

「そうだね」

「あの太陽が沈んだ先なんだな、が引っ越すのは」


今日初めて、引っ越しに関する話題が上がった。
心臓がズクンと鳴った。


「パリってオシャレなんだろうな、俺もいずれ行ってみたいよ」。
「時差が8時間だったら、おやすみとおはようの電話ができるな」。
「手紙って何日くらいで届くんだろう」。
「これからはどれくらいで会えるんだろう。連絡を楽しみに待ってるよ」

それまで我慢していたかのように、観覧車の中で秀は未来の話ばかりをした。
私は曖昧なあいづちだけを繰り返す。

心が、チクチクする。


観覧車の中の時間は、ゆっくり過ぎる。
一周するのに、10分?もっと??
どれくらい経ったかな、
降りたときには夕日はすっかり沈んで、世界は夜になっていた。


出口に向かって歩き始めて、
半歩先を歩いていた秀は速度を緩めて、
私の横に並んで笑顔を見せた。


「楽しかったな」

「…うん!」


楽しかった時間が、終わっちゃう。
喉が詰まりそうだったけど、声を振り絞った。


遊園地の門をくぐる。

ありがとう、楽しかった場所、幸せだった時間。



そのまま駅に着いて家に帰るんだ、と思ったら、
秀が足を止めた。

私も釣られて足を止めて、秀の顔を見上げると。


、後ろ見て」

「え?」


首を反らせた秀と同じように後ろを振り向いて、
その光景に思わず息を呑んだ。


ゲート。
アトラクション。
ショップの看板。

光の群れがゆらゆら揺れる。
星が瞬いているみたい。
綺麗で綺麗で、別の世界みたいに遠くに感じる。

あの中に、さっきまで居たんだ、私たちは。


「綺麗だな」


私の気持ちなんて何も知らないであろう秀が、
私の隣で同じようにイルミネーションを見つめながらうっとりした声で呟く。
目線をこちらに移すと、私の指を絡め取ってきた。


「来年…は難しいのかな。でもまた、
 とこうしてこの光を見に来たいな。ずっとずっと」


なんて嬉しい言葉だろう。

彼氏と過ごす初めてのクリスマスイブ。
大好きな場所に連れてきてもらって
美味しい物を分けて食べて
夜まで一緒に居て
こんなに綺麗な景色を用意してもらって。
本当は、何よりも幸せなひとときになるはずだった。

どうしてこんな気持ちでこのときを迎えなきゃいけなかったんだ。


「秀」


居心地悪く指をうごめかせる。
力が緩んだ拍子に手を抜き取る。
こっちを見てきているのがわかったけど、
私はそっちを見られない。



「別れてほしい」



時間だけが経つ。
秀からは言葉がない。

間が持たなくなったみたいに、私は謝るしかない。



「ごめん…ごめんね……!」



次々と零れる涙を指で掬っていく。
指が足りないくらい溢れてきて、最後は手の甲、腕で、
全部拭おうとして、でも拭いきれなくて、
私の顔はぐちゃぐちゃだ。
顔だけじゃないか、ぐちゃぐちゃなのは。


本当は別れたいわけない。
こんなに大好きなのに。

だけどイヤなんだ。
遠距離になって会わない時間に
秀は私に飽きちゃってないかなとか
他に好きな子できてないかなとか
そんなことを心配しなきゃいけなかったり、とか
別れたくなっても真面目な秀のこと、
電話やメールで別れるのは良くないとかいって別れることもためらって
やりとりすらないのに名目だけ付き合った状態が続いていく、とか、
次はいつ会えるかわからないのに淋しいだけの時間が続く、とか、
きっと耐えられない。


ごめん…秀。



「俺も…ごめん」



え?

鼻水をすすっていた私は、聞き間違えたんじゃないかと耳を疑った。

でも顔を上げて目が合うと、
秀は申し訳なさそうな顔で「ごめん」と言った。
今度は間違いなく。


「わざと、が苦しくなるようなことを言った」


秀は額に手のひらを当てて言う。

どういう、こと?


「本当は、気付いていたんだ。が別れを考えていることに」


気付いて、たんだ…。
それなのに、あんな話を、笑顔で。


「引っ越した後はどうしようとか…わざと言ったりして。
 少しでも楽しみに思ってもらえたら…ていうのは後付けだ、
 本音を言えば………罪悪感を覚えてくれれば、
 別れようって思いがなくなってくれたりしないかなって…」


まさか、秀がそんなことを考えるなんて。
いつでも人が傷つかないことばかり考えて
自分を犠牲にしているような秀が。


「ごめん」


秀は頭を下げた。

でも、そんな、なんで。
秀は謝ることなんてないのに。
勝手言ってるのは、私の方なのに。



「…なんで?な…んで、秀が謝る?」



驚きで引っ込んだ涙がまたボロボロと溢れ出す。
濡れた頬が冷たい。



「怒ったって、いいくらい…だよ。勝手言うなって。
 私が言い出して、付き合うことになって、私が引っ越すことになって、
 私から一方的に、別れようって言ってるのに…」



そうだよ。
思い返せば、先に好きになったのは私の方だった。
クラスメイトなのに憧れで、まさか付き合えるなんて思ってなかった。
告白してオーケーしてもらえて、ぎこちないながらも付き合いが始まってからは
会うたびに近付いていく距離が嬉しくって。
毎日が楽しくって。

だけどこんな形でこの恋を諦めなきゃいけなくなるなんて。


「…もちろんあるよ、そういう気持ちも」


遠くを見つめる横顔に胸がチクンと痛む。
でもその直後の痛みは、そんなじゃすまなかった。



「それ以上に……ただただ辛い」



秀は首をうな垂れた。


キッツイ。



「秀のこと、好きじゃなくなったわけじゃないんだ、ただ、」

「わかってる」



私の声を遮るように秀が声を張り上げて。

と思ったら今度は掠れたような弱々しい声で。


「わかってるから……それ以上何も言わないでくれ」


そう言って、秀は背中を向けて歩き始めた。
その斜め後ろを私は歩いた。

駅に着いて、
電車に乗って、
電車を降りても、
会話は何一つなかった。

会話はなかったけど、いつも通り秀は私を家まで送ってくれた。


「どっちが悪いわけでもないよ」


マンションの前に着いて足を止めて、
ようやく久しぶりに声が聞こえた。


「ただ、仕方ないと思う」


呟くように、秀はぽつりとそう言った。

仕方ない、か。
仕方ないよね。


秀はゆっくりと私の両手を取る。
あったかくて大きな手。
涙が滲んだ、けど、瞬きでかき消した。


「今まで楽しかった。ずっと。今日も」

「…私もだよ」


手が、離れた。


「今までありがとう」

「こっちこそありがとう。元気でね」


何も言わずに頷いて去っていく秀の後ろ姿を最後まで見送ることも出来ずに、
階段を駆け上がって部屋に入ってベッドに顔を埋めてわんわんと泣いた。


サヨナラ……秀。





  **





秀と別れて3日が経った。


段ボールだらけで殺風景になった部屋に一人いると、
気持ちまで空っぽになってしまったみたいだ。

その空っぽの中に、ぽつんと、秀の顔が浮かぶ。


最後に会ってから3日しか経ってないのに。
自分から別れを告げたのに。


また、その優しい声で名前を呼んでほしい。
温かい視線で見つめてほしい。
力強い腕で抱き寄せてほしい。


秀。秀。


淋しくって淋しくって涙が止まらない。
私には泣く権利なんてないのに。
私から突き放したんだから。


服の袖で涙を拭う。
そうだ、私に悲しむ権利はない。


早く、この場所を去りたい。
貴方が居るこの国を。
遠く離れてしまえば、きっと、いつの間にか忘れていける。
この気持ち。


引っ越しまで、あと3日。




  **




いよいよ引っ越し。

今日は家の引き払い、
明日には飛行機で海外へ飛ぶ。


玄関でチャイムの鳴る音がして、もう大家さん来た?予定よりだいぶ早くないか?
と思っていたらお母さんがパタパタと廊下を歩いてくる音がして、
ノックの後に耳を疑うようなことを言う。


、大石くん来たわよ」

「………えっ?」


心臓がドキンと鳴った。

どうしよう。
嬉しい、けど、困る。

どうしよう、やっぱり別れないでくれとか言われたら。
せっかく断ち切れたと思ったのに。
本当は別れたくないのに、無理をして、さよならをしたのに…。


足がふわふわ地に着かないような感覚のまま廊下を歩いて、
靴をつっかけて玄関を出ると、本当に秀が居た。


「秀……」


この数日間、毎日「会いたい」と考えて。
だけど「会っちゃいけない」が真実で。
でも本当の現実は「会えない」で、もう、
一生会うことはないんじゃないかくらいに思ってたのに。

そんな秀が、目の前にいる。

何か思いがあって来たはずだ。
何を言うつもりなのか…。


「俺、考えたんだ」


身構える私に対し、秀はゆっくりと喋り出す。


「遠距離恋愛は辛いし、続けられる自信もない。
 だから、別れる決心をしてくれたことに感謝してる。
 …俺には出来なかった辛い決断を、代わりにさせてしまってごめん」

「っ……」


そうだ。
本当は、本当に辛かった。
こんな決断なんてしたくなかった。


「だから、続けようなんて言えないし、言わない……だけど!」


顔はまっすぐこっちを見て、はっきりとした口調で言った。


「もしも、今度日本に帰ってきたときに、
 俺と会いたいと思ってくれて、俺も会いたいと思えたら、また会おう!
 海外に居る間に他に好きな人ができるかもしれない、
 俺だってそうかもしれない…だから、もしも、あくまでももしもなんだけど」


張り詰めた表情で大きな声で喋り続けていた秀が、
ふっと顔を緩めて、優しい声色で言う。



「そのときは、またあの光を見に行こう」



それは、一週間前に見た、今までの人生で一番幸せになるはずだった景色。


なるはずだった?

……実際そうだったんじゃないの?



思い返す。

別世界みたいに遠く揺らめく光の群れ。
楽しいことで一杯だった一日。
隣で微笑む君。


二回頷いた。


「わかった。いつになるかわからないけど、一生ないかもしれないけど、
 もしもそのときがきたら、連絡する」


そのときが来るのか来ないのか。
私にはわからないし、秀にもわかるわけがない。

どちらも縛られない、だけど心強くて優しい約束だ。



「今までありがとう。お元気で」

「ありがとう。秀も、元気でね」



これで、最後の挨拶だ、と思ったのに。





柔らかに呼んでくると同時に少し腕を伸ばした秀に一歩歩み寄ると、
わずかに潤んだ気がする瞳と目が合って、
直後、私はその胸の中に居た。


背中に伝わる熱が苦しい。

私はわんわん泣いた。



別れがこんなに苦しいだなんて知らなかった。

だけどこれが今の私たちにできる精一杯だ。



「サヨナラ」の四文字だけを交わして、私たちは離れた。


幸せだったあの日あの景色を胸に抱きながら。























現実込みの大石夢を書くこととはアラサーの現実を中学3年生レベルに落とし込む作業(←)

自分の気持ちを整理するために書いたけどされたんかコレ笑
失恋すると失恋ソング聞きたくなるアレだ笑
いや別に失恋したわけじゃないんだけどね!

伝えたかったポイントはタイトルの通りです。
未来に笑ってこの話を読み返せるといいんだけどなぁ、
とか意味深なことを書いてみるテスト。(…)


2018/12/27