* 夏休み末の課題 *












この世…いや、この時期には、二種類の人間が存在する。

電話を掛ける人間と、掛けられる人間。



理由は簡単。

夏休みが終わるから、だ。





ー!!」





電話越しの神尾も、俺に泣きついてきた。


「助けてくれよ〜オレ部活ばっかで全っ然宿題終わってねんだ!」

「ああ、凄かったもんな、テニス部。惜しかったよな」

「そうなんだよ!もう少しってところだったんだけどよー」


来年は全体的にチームの実力を底上げしなくちゃなー。
うちの部は2年が多いからその点では有利だけど。
あーでも橘さんが居なくなるのは打撃だなー。

そんなことを、凄い勢いで捲し立てていた。
相変わらず、神尾と話していると楽しい。



「…で、なんの用件だったんだ?」

「そうだ!マジ頼む!夏休みの宿題っ!!」



このとーりっ!

神尾はそんなこと言ってるけど、
受話器越しじゃあどんなことしてるんだか分からないっつーの。
多分、顔の前に垂直に手を出して、深くお辞儀でもしてるに違いない。


仕方がないなぁ、ホント。




「分かったよ。見せてやるから、明後日あたりうちこいよ」

「え、明後日?」



ん?

なんだ今の反応は。



「なんか用事あるのか?」

「いや、そういうわけじゃない。それじゃ、適当な時間に行くから」

「おぅ。じゃ、またな」



そう言って、通話を切った。
少しでも世間話になると、
神尾は話しつづけるから大変なんだ。
それはそれで楽しいんだけど、電話代が心配ってもんだ。
(とか、気にしすぎかな。相手のことなのに)



8月24日。
夏休みも、あと一週間。






  **






『ピンポーン』


インターホンが鳴ったのは、
電話から二日後の2時のことだった。


「あ、きっと神尾だ。俺出るよ」


母ちゃんと姉ちゃんがそうめん食ってるのを置いて、
俺は立ち上がると玄関へ向かった。

予想的中。
ドアを開けると、少し生ぬるい空気が入ってきて、
そこにはキャップを被った神尾が立っていた。


「いやー、今日はあっちぃな」

「みたいだな。部屋はクーラーついてるから」

「それじゃあ、お邪魔しまーす」


そういうと、神尾は靴を脱ぐ。
両足を器用に使って脱ぎ捨てたけど、
「あ」とか言って振り返って一歩戻って、
結局手で丁寧に揃えなおしてる。

やっぱウケる、コイツ。


「ごちそうさま」

「お邪魔します」


一言声を掛けるだけで、
居間の横をそのまま通過した俺たちは
階段を上って俺の部屋へ向かった。


ドアを開ける。
冷房をつけっぱなしにしていた部屋は、
適度に涼しくて心地好い。



「あー生き返る!」

「これぐらいじゃなきゃ、勉強する気にならないだろ」

「その通り」


そのままなんとなく談笑していたけど、
10分ぐらい経つ頃に
「違ぇ!オレこんなことしにきたんじゃねぇ!」
とか焦りながら、神尾はテーブルに向かった。

鞄の中から数々のノートや教科書やプリントを出しながら、
神尾は「数学だろ、社会だろ、理科だろ、あー英語もあった!」
とかなんとか嘆いていた。


「お前、これ全部もう終わらせたわけ?」

「おう。帰宅部の強みってやつだ」


活動日数ゼロだからな。
俺がそう言うと、神尾は「でもおかしいんだよ」と言い始めた。


「テニス部は、何もオレだけじゃないんだよ。
 深司も内村も石田も森も桜井も、みーんなテニス部なんだよ」

「まあ、そりゃそうだよな」

「だけど、内村と石田と森のやつ全部終わってやがんだ!
 桜井も「あと社会だけ。得意だから後回しにしといたんだ」とか言うし」

「あー、テニス部は真面目な努力家が多いからな…」


そうなんだよ!と神尾は叫んだけど、
直後に、あ、と固まった。


「だけど深司、アイツは最悪だ。夏休みが終わってから始める気満々だぜ」

「それも作戦の一つだよな」

「でも間に合っちまうのがアイツなんだよなー。
 オレが新学期になってから始めたら10月になっても終わんねー」


そういうと頭を抱えていた。
俺はそれを見てケラケラと笑った。
「笑うな!」って怒ってたけど、あまりに面白かった。



「それじゃあ、始めるぞ!まず数学からやる」

「ああ、頑張れや」

「おぅ。ガンバルぜ!!」



Tシャツを肩まで捲り上げると、
シャーペンを握って神尾は紙と向かいあった。


さて。俺はどうしようか。
何もしないのも暇だしな。
神尾には悪いけど、漫画でも読むことにした。
そこら辺に転がってる単行本を掴んで座り直した俺は、
ちら、とそっちを見たけど、神尾は黙々と取り組んでいて
こっちの行動は気になっていないようなのでそのまま読み続けた。

20分ぐらい経っただろうか。
そろそろ数学は終わる頃じゃないか?

そう思って、机を覗き込んだ。ら。



「……まだ一枚目なのか!?」

「え、どうかしたか?」



俺は、開いた口が塞がらない。


だってこんなの、1分もあれば一ページ終わるだろ!
だって、文章代が2問あるだけだぜ?
プリント4枚全部合わせてもたったの8問だし。
どうして写すのにこんなに時間が掛かるんだ…?!



「神尾、お前…」

「あー丁度いいや。ここからこの式にどういったのか教えてくれ」



……なるほど。


神尾は、元々写しちゃいなかった。
純粋に、勉強を教わりに来たんだ。

この時期になると、宿題を写そうと思って、
連絡網を電話が行き交うんだ。
真面目に宿題をやってそうで、
それでいて怒り出すほど生真面目でもなくて、
適度に仲が良い、そんな人を探して。


だけど神尾は、宿題の助けを求めていた、だけで。



「本当に…真面目な努力家が多いよなぁ、テニス部は」

「あ、なんのことだ?」

「お前のことだ」

「……?」



まあ気にすんなよ。
そう言って、俺は教えるべく神尾の隣りに回った。
それにしても、こんな基本の問題で引っ掛かってて
コイツ大丈夫なのかよ…ちょっと心配だ。


「いいか、切片が3って書いてあるだろ」

「うん」

「それはつまり、座標(0,3)ってことは分かるか?」

「……ごめん、もう一回」

「…あのな」


繰り返し説明すること、3回。
その度に言葉や表現を簡単なものに変えて、
漸く神尾は理解してくれた。

だ、大丈夫なのか、本当に…。

だけど、なんだかとても嬉しそうだ。
「サンキューな!」とか言われちゃうし。
全く。律儀なやつだよな。



「それじゃあ…」

「うん、次の問題に…」

「お前の説明がなくてもできるかもう一回試してみる!」

「……え?」


俺が引き止めるまもなく、
神尾はもう一度同じ問題を解き始めた。


…分かったよ。
神尾、お前が宿題が終わらないの、
部活で時間がなかったとか、
別に頭が悪いとかそれだけの問題だけじゃねぇ。

要領が悪すぎるんだ、お前。


先が思いやられる…。
だけど、こういうタイプは遅咲きだけど
最後には成功するんだろうな…なんてな。



「あー、出来た。よっしゃ2問目」

「頑張れよ。何でも聞いていいから」

「ああ。サンキュ」



勉強開始から40分後のことだ。
頑張れ、頑張れ神尾…!

こうやって、応援したくなるんだよな、不思議だ。



「それにしてもよー…」

「ん?」


問題を解きながらも、神尾は話し始めた。
口と手を同時に動かすとか、
そういうことは意外と器用にこなすんだな。
一度集中すると他のことは見えなくなるくせに。


「今日で14歳になるっていうのに、とんだプレゼントだよな。
 一日中引きこもって勉強かよ、つってもオレんちじゃねぇけど」

「……今なんつった?」

「? オレんちじゃねぇけど…」

「それじゃない、ずっと前!!」


今、確かに言ったよな。
“今日で14歳”って。

もしや、もしかして…。



「今日、誕生日だったのか?!」

「知らなかったっけか?」

「普通に知らねぇよ!お前そんなこと教えたことないだろ」



あー…かもな。

そんな風に興味なさげに、神尾はプリントに戻った。


なんだよそれ。
知らねぇー…。

何も準備してないし。
……。



「神尾…俺ちょっと出かけてくる」

「は?えどういうことだよ」

「すぐ戻るから!」



財布を掴んで立ち上がったオレは、
神尾の返事を聞く前に扉を閉じて階段を駆け下りた。

裸足でビーチサンダルを履くとドアから飛び出す。
もわっと蒸した空気が全身を包む。

それでも俺は、走った。


神尾ほどは速くないかもしれないけど。
それでも、できるだけ早く。



―――……。




5分程度で帰宅。


「お、どこ行ってたんだ」

「ん」


何も言わずに、俺はビニール袋を差し出した。



「…なんだよこれ」

「差し入れ。そろそろ休憩したら?」

「おぉ…サンキュ」



袋から出てきたのは…。



「ガリガリ君じゃねーか!」

「お前、好きだろ」

「うわー嬉しいサンキュー。でも、お前要らねぇのか?」

「………」



今更こんなこというのも、
なんかずるいし、気恥ずかしい感じがしたけど。



「その…今日、お前の誕生日だって知らなかったから」

「…プレゼント?」

「こんぐらいしか出来ないけどよ」



まさか、誕生日プレゼントがガリガリ君なんて。
神尾、笑うかな、って思ってたのに。

「スッゲー嬉しい!」とか言って笑ってるから、
だからこいつ、学校でも人気者なんだろうな、って思った。
走るの速くてスポーツ万能な割に女子にモテないとか、
そういうところはあるけどさ。

何しろ要領悪いんだよな。
それに、素直すぎて寧ろマヌケ。
クールさなんて持ち合わせちゃいない。



「食べ終わったら、ちゃんと続きやれよ」

「当たり前だろ!分かってるって」



とは言ってたけど、結局そのまま喋っちまったりしてな。

最終的に終わった宿題は、
数学が半分と、英語は半分の半分、
ってなところだった。


夏は日が長いけれど、そろそろ帰る時間。
夏至が過ぎたからには、日は着実に縮んできている。



「あーやっべ間に合うのかなー」

「来たかったら明日も来て良いけど?」

「ホントか?スッゲ助かる」


そう言って笑う。
…本当に、神尾って。

……。



「あ、そうだ」

「どうした?」


問うと、神尾はニッと笑った。



「誕生日プレゼント、サンキュ」



さっきも礼を言われたのにまた言うのか、
と思ったら、神尾はポケットから棒を出した。

当たり棒だった。


偶然…だけどな。

「当たりの選んでやったんだよ」

とか言ってやったりして。






また明日な!


そう大きくてを振って、神尾は帰って行った。

夏休み終了まで、あと5日。


暑い日は、もう少し続きそうだ。






















絶対、神尾は自分のBDは宿題三昧だろうな、と。
非常に要領悪いから終わってるはずないな、と。
他の人はマメにやってそうだな、と。(深司除く)
不動峰って楽しいですよね。

実はこれ『きっと忘れない』の前にくる話で、
神尾なりのお礼だった、とかそういうことになると
尚更辻褄が通る気がしてきますなぁ。

ガリガリ君でしょうが!笑。何はともあれ神尾ハピバ!


2005/08/26