* 片側空けておきました。 *












小降りだったから傘を持って出なかった。

たったそれだけのことだった。



「うぉー到着!」



すごい勢いで教室に飛び込んだアタシは、
髪から水を滴らせている。

ドアの周りで喋っていた友人たちが声を上げて笑う。


「あ、あんた傘差してこなかったね?」
「びしょ濡れなんだけど!」
「いやーあははあはは」


要約するとこんな感じ。

朝、家を出ようとしたら雨はしとしとって感じで、
それほど降っていなかった。
全くってわけでもないんだけど。

傘のために片手を塞がれてしまうのって、なんか癪。
歩いてる間は何をするってわけでもないんだけど、
ずっと持っていなきゃいけないってのが、イヤ。

だから、敢えて傘を差さないで家を出た。
これぐらいだったら学校に歩いてくぐらいどうってことない、って。


そうしたら。

一瞬だったらちょっとの雨も
長時間触れていれば染みてくるわけで、
更に心なしか雨脚が強まってくれるわ、


気付いてみればこんな様。


「だって、雨大したことないと思って」
「バカだねーあんた」
「む。いいの!放っとけば乾くし。帰りには雨も止むでしょ」


そんな教室の隅での話。

どうってことない日常。

特別なこともなく、いつも通り流れる。



そう、いつも通り。


何も変わることなく。


朝から、午後まで。



・・・・・・。




「…おや?」



気付けば放課後。


窓の外、雨。

not 小降り。kind of 大降り。



「…オーマイガッ!」


窓の桟を掴んだアタシの手はぷるぷる震えるそんな勢い。
そうすると決まって反応してくる我が友人たち。

「こここ、こんなはずは…!」

「ダッセー!」
「差してくればよかったのに…傘」

代わる代わるに色々なことを背中で言う。
ああもう、過ぎたことはしょうがないじゃん!


「あ、ちなみに頼まれても入れてやんねーよ」
「いいの!置き傘持ってるんだからぁ…」


これは本当。
強がりも混じった発言とはいえ、
ロッカーの中に折り畳み傘が常備されているのも事実。


「あーぁ。ヤッバイウケる…ネタだわアンタ。ネタ。ネタ」
「もー繰り返さなくていいから!」


怒り。
まあ、こんなメンバーだから好きなんだけどね。


「それじゃあ、帰りますか?」


うん、と、言いかけたけど、
窓の外を見て、首を振った。


「ん、アタシ宿題やってから帰る」
「そお、なんで?」
「あー…傘差すのメンドクサイ」


事実。

嫌いなんだって。
傘を差さなきゃいけないがために片手を塞がれるってのは。
別に、単語帳を持ちながら歩くわけでもないし、
アイスクリームを食べながら歩くわけでもないし。
そうだとしてもどちらにしろ片手は空いているから用は足りる。

だけどなんか、煩わしくて。
雨が降ること自体は嫌いじゃないけど、
傘を差すのが嫌いだ、アタシは。
だけどびしょ濡れになるのも嫌いだ。
そんな中途半端でわがままな人間。


「本当は持ってないのに引き下がれなくなっちゃったんじゃなくて?」
ちゃん、本当のこと言えば入れてあげるよ?」
「いや、持ってる!持ってるってば!!」


ほら、とアタシはロッカーの中から傘を一本取り出して見せて
またすぐに元に戻した。
邪魔なんだって、そもそも。


深い意味はない。
ただ単に、傘を差すのが面倒だと思った。
だから学校に残ることにした。

宿題を家に持って帰らずに済むし。一石二鳥だ。


「本当に残るの?」
「うん。女に二言はない」
「それじゃあ、また明日ね」
「バイバイ」


我ながらなんでそんなことしてるのか分からないけど、
そうして、何故かアタシは学校に残ることになった。




掃除が終わった教室は、後ろから順々に机が並べられていく。

アタシの席は一番後ろの列だ。
すぐに定位置にやってきた。

さっさとそこに腰を下ろす。
まだ掃除を続けている人々は無視。
今週は何も当番がないんだって、アタシ。



宿題開始。
どれくらいで終わるかな。
終わる頃には雨は弱まってくれるかな。

止まなくてもいいけど、せめて傘を差さなくても帰れるぐらいに。





それから数分もしたら、掃除も終わった。
「どうして帰らないの?」と繰り返される質問に対して
何度も「雨が降ってるから」と答えた。
だけどそうすると「駅までで良いなら入れてってあげる」とかの返事がくるため、
「傘を差すのが面倒くさいだけ」と答えるようになった。

そんな応答も5回目ぐらいになると、教室からは誰からも居なくなった。
帰宅する人、部活へ向かう人、それぞれの行く先へ見送って。
担任が、教室から出るときは電気を消すように、と言っていなくなったのが最後。



放課後、一人きりの教室。

…なんだか突然不気味になってきた。


やっぱり、帰ろうかな。
だけど傘面倒くさいな。
んー…。


と、思っていると。



「ん、あれ?じゃないか」

「あー、大石」



学級委員の大石だった。

こっそりあだ名は真面目君。
マジメな人なんだって。
いや、本当に。きっとA型だわ。


「帰らないのか?」

「うん。宿題終わらせてから帰ろうと思って」



今まで繰り返された質問とは違う返事を返した。
なんでだろう。たまに自分の発言が自分で謎だ。
自分の言動には責任を持とう、と道徳の時間に何度言われたことか。


「へぇ、偉いんだな」
「そんなことないよ!そういう大石は?」
「俺は委員会の仕事だよ」
「へー」


そっちこそ、偉いよ。
アタシなんて委員会やってないもん。
立候補もしなければ推薦もされない、そういう人種。

と、口に出しては言わないけど。


「…大変?学級委員」
「んー…まあ、それなりにってところかな」
「へー。やらなくて良かった」


と。
そこまで言ってすごく無責任なことを言ったことに気付く。

あわわ。気を悪くされたかしら。
だからといって何か言ってくるとかはないだろうけど、
それだからこそちょっと心配になる。真面目君だから。


だけど大石は笑った。
「素直なんだな」って。

皮肉も混じってたのかもしれないけど、
アタシはその言葉になんとなく照れて、
そこはかとなく嬉しかった。

なんでだろう。



大石の席は、アタシの隣の隣の隣だ。

微妙な空間での会話が続く。


「あれ、そういえば部活は?」
「今日は雨だから中止だよ」
「あ、なるほどねー…」


と、会話が一段落つくと手を再び動かし始める。

アタシ、話しながら文字を書くことって、できないんだけど。
ついつい手が止まってしまうよ。


大石はどうなんだろう。
アタシと話してるともしかしてすっごく妨害?



ちらっと横を見た。
目が合った。

「なんだい?」とか聞かれた。

爽やかな野郎め。



「大石って話しながら他のことできる人間?」
「うーん…苦手かもな」


なるほど。
アタシと話しながら、手を止めるどころか顔までこっちに向けて、
更に質問に対して視線を天井に泳がせるほどまでしている。
これは不器用だ。二つのことなんか同時にできそうにない。

だから、人の話を聞くときはそのことだけをちゃんと聞いてくれる。
それも真面目君と呼ばれる由縁の一つかな。
一つのことに、本当に熱心な感じなんだ。いつでも。

わき道にそれることとか、あるのかな。
前じゃなくて横を気にすることなんて、あるのかな。

そういう自分はどうなんだろ。
…これも良く分からないや。


会話に戻る。


「そうなんだ。じゃあアタシと同じだ」
も苦手なのか?」

カラカラと笑いながら。

「うん。話してたらさっきから宿題が進まないよ」
「あ、ごめんな」


うぁ。


まずった。
会話終了だ。

しかも大石すっごく申し訳なさげに自分の仕事に戻ったし。


…本当に。
自分の発言に責任を持つべきですね、アタシという人間は。



だけどこれ以上話したら大石も被害被るし。
ペンでぺしぺしと頭を叩いて、宿題に戻った。


不思議な奴だな、大石は。
今まであんまり喋ったことなかったけど、
実は結構いい奴じゃん。意外な発見。
たまには普段とは違うこともしてみるもんだね。




教室の中は静か。
鉛筆が机に当たる音と、
雨が降り注ぐ音だけが聞こえてる。
途中から、時計の秒針が動いていることにも気付いた。



「…あれ?」



ふと時計を見た。
気付けば夕方の結構いい時間。

よくそんだけ集中していられたな、と自分に関心するのも束の間、
紙を見れみれば分かるとおり実はそんなに進んでおらず、
実際は鉛筆を掴んだまま考え事をしていた事実。

だからー。
二つ以上のことは同時にできないんだって。


「結構遅いな。そろそろ帰るか?」
「うん、そうだなー。帰ろっかな」
「俺も丁度区切りがいいし、帰ろうかな」


うおごぇあ。
これって一緒に帰るって流れ?
いやんなんかトキメキじゃん。

真面目君と一緒に帰ったところで何もなさそうな気もするが。
ん、でも、男子と二人で帰るなんてさ、なんか。なんとなく。


てか、あれか。
誰も一緒に帰るとか言ってないか。
ただ同時に帰るってだけでね。
玄関辺りでさようならでしょ。どうせ。



荷物をまとめて教室を出る。
結局宿題は終わらなかったけど、机の中に放置。


最後に、大石は教室の電気を消した。
あ、そういえば担任に言われていたことを思いだした。
一人だったら憶えてたかな。危うい。
一度意識してしまったからこの答えはもう分からない。


階段を下りながらそれとなく会話。


「で、終わったのか、宿題?」
「実は全然」
「ははっ。俺も、半分ぐらいしか終わってないんだ」


そっかー。
大変なのかな、委員会の仕事は。

それともアタシと同じで考え事してたりして、なんてね。


「「それじゃ…っ」」

「え」
「あ」


・・・・・・。



「お先どうぞ」
「そっちこそ」



…。
なんだこの展開。

まあいいや。
ここはレディーズファースト精神を快く受け入れることにする。


「じゃあ訊くけど」
「うん」
「えっと…学級委員ってそんなに大変なの?負担じゃない?」


大石はちょっと困った風な顔をした。

…大変なのかな。



「仕事が大変だったわけじゃなくて…」
「わけじゃなくて?」
「……ちょっと考え事してて」
「あら、そう」



マジですかビンゴかよ。
……。

意外と気が合うな、アタシたち。



「で、大石が聞きたかったことは?」
「え?いや…宿題そんなに大変なのか、って訊きたかったんだけど…」


んが。
質問まで被りやがった。
なんだこれ…!

っていうか、まさか応答まで同じっていう展開?


「宿題自体が大変だった、っていうかぁ…」
「ん、どうしたんだ」
「……考え事」
「あ、そうか」


・・・・・・。

正直、参った。


微妙に気まずい状態で下駄箱に着く。
向こうに先に行ってもらおうそうしよう。
必要以上にゆっくり靴を履く。

いつもだったら踵を半分潰し気味に無理矢理履くスニーカーも、
わざわざ靴紐解いてしまったりして。
そうしたらきっと、大石が「また明日な」って言う、
アタシは顔だけを上げて「うん、バイバイ」って答えて。
まあつまり右の靴だけは綺麗に靴紐が結ばれて演技終了。
左の靴はまた踵を踏みつけつつ爪先トントンすりゃいいよ。


大石は靴を履き終えたらしく玄関を出た。
真面目君にしてみては珍しく、挨拶もなしにスルーだ。
おいおい、君、そんなに無礼な人だったかね?
さてはまた考え事だな、なるほど。
真面目君は悩みに対しても誠実に対応しているわけだ。

靴紐を結びながら、大石の様子を観察。
空を見上げた。雨降ってます。
お、傘を開いた。紺色の大きめの傘。


ちょっと。早く出発してよ。
このままじゃあ左足の靴紐に突入だよ。



…まさかとは思うけど、
待ってくれてるとか。

…ないよね?



まさか。


思いつつ、アタシは左足の爪先をコンコンと地面に当て、立ち上がる。
さあて、どう出たものか。


…あっ!
しまった、傘を教室のロッカーに忘れてきた!

こうなったら濡れて帰るか?
でもさすがにこれは傘無しで帰れる降りじゃないぞ…。


と。

大石は、振り返って。





「何やってるんだ、入っていかないのか?」




・・・へ?



いや、あの。

なんだか、目が点と書いてメガテンな気分なんですが。
ちなみに所さんより先に思いついたのはアタシよ。
って別に所さんが考えたわけじゃないですかそうですか。


マジで?




「アタシ、傘…」

教室にあるんだけど、と言おうとしたら


「忘れちゃったんだろ。ほら、構わないから」


そう言って傘を軽く持ち上げる。





……え。

何これ、ヤバイ。




「トキメいちゃった…」

「ん、なんか言ったか?」




小さな声での呟きは、雨に掻き消された。

だからアタシは、横に駆け寄って、少し大きな声で。



「なんでもないっ!」

「それじゃあ、行くか」

「うん」



二人歩調を合わせて歩き出す。
自然と同じペースになっていた。でも実際は、
絶対に向こうが合わせてくれてるんだろうって気付いた。

大石は背が高いから、傘もすごく高い位置にあって、
大石もぎりぎりまでは下げてくれてるつもりなんだろうけど
20cmほどある差は埋めきれるわけではないみたいで、
結局濡れているアタシの肩を気にしてこっちに多めに傘をくれたりして。


真面目君だ。
だけどそれ以上に。

…やさしい、ね。


それに気配りさんだ。
きっと、アタシが傘を忘れた事実は、
今日の学校の窓際でのあの会話を耳にしたのだろう。


自分が中心に来るように掲げられた傘を見上げて、
私は大石に言う。


「大石が濡れちゃうよ」
「え?俺は平…」
「ほらこうすれば!」


大石の体側に自分の体をぴったりと当てた。


ずるいアタシ。

それは別に本当にそれが雨に濡れない最善の策だと思ったからではない。
大石に純粋に寄り添いたかったわけでもない。
ちょっと、気を惹いたりできないかな、なんて考えてた。

そんなずるいアタシ。


少し近くなった距離から見上げた大石の顔を見て、
アタシはさっきみたいに、ちょっと照れて、
本当はとても嬉しかった。


「えーと…これはの家に向かってるんだよな?」
「え?あ、ごめん!アタシ当然のごとくそっちに歩いてた」
「いや、俺もそのつもりだったからいいんだ」


そうだよ!
何我が物顔になってふわふわしてるんだアタシ!!

理解不能ー。
この人言動が意味プですぅー。


はた。


「そういえば大石の家ってどこ?」
「ん、そんなに遠くじゃないよ」
「あそ」


とはいえその言葉はすごく曖昧で、
本当は別方向なんだけどアタシに気を遣わせまいと
そういったんじゃないかって。
やさしい気配りな真面目君だからさ。いやホントに。



暫く歩いて、アタシの家まで曲がり角3つというところに来た。
うん、アタシも、この辺でいいだろう。


「大石、アタシの家もうすぐそこだから」
「本当か?」
「うん。ここまでわざわざありがとう」


また明日ね。
そう言って手を振った。
そして傘の下から出る。
後ろ歩きしながら、手だけは振り続けていた。


なんか、その手を振り終えて背を向けたら、
終わってしまう気がした。
今日一日で近づけたその距離が、
教室の中での会話や、階段や、玄関や、帰り道が。


だけど他にすることもなくて、アタシは手を下ろして背を向けた。



ら。




「あ、そうだ。!」

「へ?」




名前を呼ばれたようで振り返った。
雨の音がザーザー、アタシたちの会話を消し去ろうとする。

大石は声を張り上げた。


「今度・・傘…・…!」

「え、聞こえなーい!」


傘が何か、といったのは聞こえたけど、
はっきりとはなんといったか聞き取れなかった。

多分、「今度は傘忘れるなよ」とかそういったところだ。
そうしたら、アタシは「ラジャ!」とでも言って額に手を持っていけばいいだろう。

それで頭の上で大きく手を振って、家に向けて走り出そう。それでどうだ。


と、思っていたら。




「今度また傘忘れた時は、ここ空いてるからな!」




は?

ここ、って、

そこ。



は???






「…………」


「ほら、早く帰らないと濡れるぞ」


「あー、あ…ぉぉ。っありがと!」



そう叫んだ。

大石は、傘を少し持ち上げた。


そう。
さっき玄関で、入っていくか?って聞いたときみたいに。




アタシはくるんと背を向けて走り出した。
一刻も早くその場を駆け出すために。




なんだこれ。



なんだこれ。






なんだこれ。







顔に当たる雫は冷たい。
だけど嫌な感じはまったくしない。
火照っているアタシの顔を適度に冷やしてくれて心地よいほどだった。




「反則でしょうが…」


トキメいちゃった、よ。



………。






「わぁぁぁぁぁぁっ!!!」






思いっきり声を張り上げた。

それは、雨に掻き消されて遠くにまでは伝わっていなかったに違いない。
アタシの中に生じたこの発散しがたい衝動は体内に留まった。




雨は好き。
傘を差すのは嫌い。
傘は好き。
傘を差してもらうのは好き。
両手を塞がれずに済むから。


いつもは前ばかりを気にして横には気を留めない印象の貴方が、
横にいるアタシを見て、傘を掴んで、困った顔をして、話して。




玄関の一歩手前で両手を広げて立つアタシ。
気付けば朝のようにびしょびしょ。
傘に入って帰ってきたのに。



両手広げて何が手に入るって降り注いでくる幸せなんじゃないかって。


騒音を掻き消し静寂を作り出す雨の中、そう思った。






















さらっと終わらすつもりが予想外に長くなってしまった…。
雨の日に歩きながら生じた妄想というなのストーリー。
こういう風に恋ってできあがっていくのかなぁ…とか。
詳しいことは今日付けの日記をどうぞ。笑。

たくさんメタファーを入れました。隠喩ってやつね。
曖昧とはいえシンボル化しているもの多々。
楽しく書けたよ。裏の意味を隠すの大好き。

大石が好きすぎてどうようもないですがどうすれば。ぁ
大石の性格がありえないとかそういう突っ込みは禁止。
承知でやってることなのでそっとしておいてやってください。


2005/04/19