* 肴の涕 *












 …元気無いな。

 水槽を覗く度に、最近ずっと思っていた。




沢山の魚が泳いでいるアクアリウム。
その管理を欠かしたことは一度もない。
前は違いが全く分からなかった同じ種類の魚たちも、
一匹一匹個性があることも分かり出して。

お腹に他とは違う斑点のあるコイツは、泳ぐのが速い。
餌をあげると一番に吸い付いてきて、
少し食べるとすぐさまその場から居なくなる。

他より少し体の大きいコイツは、やはりよく食べる。
匂いを嗅ぎ付けるのは遅いけど、食べ始めると動かなくて、
水面に浮かぶ餌がなくなった後もまだ暫く待ってる。

前なら分からなかった、違い。
だけど毎日観察しているうちに、色々と分かるようになった。

その中で一匹、目を引くヤツが居た。
いつでもくるくると動き回ってる、グッピー。
茶色味掛かっていて、ヒレに少し傷があるのが特徴的で。

なんとなく英二に似てるな、と思って、
半分冗談で本人にそう伝えたら、
予想外に喜んでいて、楽しそうだった。

じゃあコイツ、エージって名前にしようぜ!
そう言い出したのは、英二の方だった。

こうして、唯一名前の付いた“エージ”は、
水槽の中で元気に泳ぎ回っていた、のだけれど。

なんだろう。様子がおかしい。
いつもはあんなにちょこまかと動いていたのに。
水面に近い位置で、ふらふら、ふらふらと。

どうしても気になってペットショップで聞いてみると、
病気を持っている可能性が高いから、
他とは移して別の水槽で飼うように、と。


こうしてエージは、小さい水槽に移された。
まだ、俺が金魚を2,3匹しか飼っていなかった頃の、
丸い、オーソドックスな形をした金魚ばちだ。
その中に水草と石を少しだけ入れて、
随分とあっさりとした、殺風景となってしまった。

思えば、俺が魚を飼い出したのは、
いつだったかお祭りの金魚掬いで手に入れたのが
始めだったな、と思い出した。随分前のことだけれど。
すっきりしすぎた水槽を見て、ふと昔のことを思い出した。



英二は遊びに来ると、俺の部屋に入るなり即行で水槽を覗き込んだ。
楽しそうに、ねっ、オレの子分は!?、と急き立てる英二に、
その横に置いてある小さなはちをを見せた。

少しの石と、一本の水草と、一匹のグッピー。

英二は俺の顔を見上げたけど、
俺は苦笑を見せるしか出来なかった。

どうしちゃったの、コイツ。
ギリギリまで顔を近付けながら、英二は小さく呟いた。

肩の後ろから覗きこむと、朝には気付かなかったけど、
体の表面に白い膜のようなものが張っているのが見えた。
どうやら、本当に病気みたいだった。

寂しそうな顔をした英二は、
元気になってくれ、頼むよー…と。
暫く、そこから視線を剥がしそうにはなかった。




薬を買ってきて、あげることになった。
直接与えるわけじゃなくて、水の消毒というような物だけれど。

それは、つまり、エージが弱っていると。
薬のお蔭で少し元気になったその様子を見て、
余計に、辛くなった。

大きな水槽では、今日も、
餌取り合戦が開かれたり、
石の隙間でかくれんぼをしていたり、
鬼ごっこのように追いかけあっていたり。

エージは、今日も、独りで。
結局、ちょこまかとした動きは、もう見せなかった。





余りに容態が悪いようで、
俺はエージをまた一度医者へ連れて行った。
だけど、前に貰った薬をあげるしかないらしくて、
もう寿命ということもあるらしくて、
見守るしか出来ない、って。






いつ死んでもおかしくない。
そう言われてから、どれぐらい経っただろう。
もしかしたら、ずっと生きてるんじゃないだろうか、
そんな錯覚をするぐらい、エージは生きた。

何度も、今度こそダメか、と思った。
だけどその度に、持ち直してきた。

遊びにきた英二は、帰り際にいつも、
何度も何度もエージに手を振った。
いつが最後になるか分からないから、そう言って。

心が痛んだ。








その日は、いつも通りの日。
ただ、餌をあげても食べなかったってだけで。
それしか違わなかったのに。
それが違いだったのか。
後から気付く。

その場で気付いてどうこうできたものではないとはいえ。
どうしても、後悔することを否めない。


いつも通りに英二は部屋に入るなり小さい方の水槽に張り付いて。
じーっと眺めていたけれど、エージは動かなくて。
ふらふらと、水面近くに上がってきたり潜ったり。

やっぱり元気無いね、と英二は言う。
俺は、そうだな、とは言ったけれど、
それほど重い意味は篭めていなかった。


英二はもう一度鉢に視界を戻して。
俺はその後ろからなんとなく視線をやって。

その時だったんだ。

ずっと奥のほうでふら付いていたエージが
ふとこっちの方向を向いたかと思うと
ゆっくりとだけど、ついとヒレをなびかせて。



そのまま水面に浮き上がった。



英二がこっちを振り返ってきたけど、
俺は何も出来なかった。






















大石が魚をエージって名付けてたらキモイなって話。(ぇ
あまりにキモイので、本人に付けさせたけど。
しかし、英二にとって縁起の悪い話だな。すまん。

長めの話の割に台詞が一つもない。
こんなの初めてじゃないかなぁと思う。

きっと、ふわりと浮いたとおもうんだ。


2004/12/12