彼女を初めて見たのは、日差しの強い浜辺だった。

何処の誰かも分からない。



分かるのは、


おぼろげに浮かぶ顔。

高い位置で括った長い髪。

比較的高めの身長。


そして、黄色い水着が似合う浅黒い肌。











  * 夏小麦 *












「大石、今日暇?」


部活の休憩時間、ぴょこんと飛び跳ねつつ
眼前に近寄ってきた英二がそう訊いてきた。

あまりに唐突だったので俺は一瞬焦ったけど、
瞬きを繰り返すうちに英二の顔にも話の内容にも焦点が合ってきた。

頭の中、素早く思考をめぐらす。


今日の部活は午前のみだ。
午後は特に予定もない。
暇ができたら海に行って一泳ぎしてこようかと思っていたのだけれど、
他に用事が入るのだったら、それはそれで構わない。

「特に予定はないけど…何かあるのか?」
「ホント!?」

俺の言葉の後半部分は無視した英二は嬉しそうな顔を見せた。
問いに対しての答えは、どちらにしろ返してくれたけど。


「海、行こうよ。海!」



―――海。


「ああ、それはいいな」と。
平静を装って答えたけれど。

誘われた今となっては、適当な言い訳を付けて
「やっぱりいくの止めよう」などということはできない。


行くんだ。海へ。

この前あの人を見かけた、その場所へ。





  **





「海だぁー!」


浜に着くなり、英二は大声でそう叫んだ。
靴も即行で脱ぎ、両手に一つずつ掴んでいる。
そして全速力で駆け出すと、「あちっあちっ」と、
熱を吸った白い砂の上で跳ねていた。

そのまま止まらずに波打ち際まで走っていくと、
「大石も早く来いよー!」と叫ぶ。


俺はビーチサンダルを履いたまま、ゆっくりと歩いた。
キョロキョロと、辺りを見回しながら。

「荷物どこ置こっか」

一度戻ってきた英二。
俺は適当に空いている辺りを指差して「あそこにしよう」と言った。
英二は濡れた足で跡を残しながらその場所へ飛び跳ねていく。

俺は歩いてそこへ向かう。
やはり、まだ辺りを見回しながら。

そんな俺を不審に思ったのか、
英二は俺の元へ走ってくると眉を潜めた。


「大石、元気ない?」


俺は涼しい顔で「そんなことないぞ」と答えた。
それでも不満なのか、英二はう〜んと唸ると、
眉間に皺を寄せつつ「大石の言うことだからな」と呟いた。

「おいおい、それって俺の言うことは信用ならないってことか?」
「そういうわけじゃないけど!」

じゃあどういう意味だ。
問うと、英二は「何しろ持病が胃痛のような奴だからな」と。

そういう発言に俺は胃を痛めているんだ、という言葉は呑み込んでおいた。


「とにかく…とにかく今日の大石ヘン!キョドーフシンっ!!」


変。
挙動不審。

…そこまで言われてしまった。


「なんでかしんないけどさ、あんまりオドオドすんなよ!パーっと忘れて泳ごーぜ!」


英二は両手を広げながらそう言った。

オドオド。
…そう来たか。


俺はフッと笑みを洩らした。

そして「泳ごうか」と。
英二は嬉しそうに「うん!」と答えた。


上に重ねてきていた服を脱ぎつつ、思う。


そうだ。
何故、こんなに肩透かしを食らったような気分になっているのか。

海に来る人は沢山居る。
誰とどのように出会っても不思議はない。

海に通う人はそう多くない。
前回会ったからといって今日会える保証はない。


そもそも、宛違いだったんだ。

期待を抱きすぎていた―――。



……アレ?

あそこに、見えるのは―――…。




「よっしゃ大石、行くぞー!」


英二は海を目掛けて走り出した。
俺も走る。
視線は別方向に固定されたまま。

「ひゃー!キモチイー!」

頭まで飛び込んだ英二は、そう嬉しそうに。
俺も頭を一度沈めて、浮き上がる。

そしてちらりと振り返る。


間違いない。

あそこに居るのは。



「あっ!」


視線を向けていたその人。
弾いてしまったボールを取りに来る。

ビーチボール。
それは、俺のところへ流れ着いた。


「あーお兄さん!パスパス!」


言われるがままに。
バレーボールのオーバーハンドの要領で、返した。

「おっ、いい手つきだねぇ」
「そんな…」

軽く謙遜をする。

表面では冷静に対応しているつもりだけど。
心の中の波は、今日の海とは違って大荒れだ。

「良かったら一緒にやってかない?」
「え、いいの!?」

戸惑う俺の代わり、
横を犬掻きで泳いでいた英二が飛び上がるようにした。
お姉さんは、「勿論!人数不足で困ってたんだ」と言った。


英二は張り切って水から上がった。
俺も信じられないような気持ちで、砂浜へ。

まさか。
見ることが出来ただけで驚きだったのに。
話すことが出来て。
こんなに近付くことが出来て。


夏のこの日差しの所為だろうか。
溶けそうなほどに、肌がちりちりとした。



、遅い!」
「そう言わないでよ。助っ人捕まえてきたからさ」
「え、マジ?」

どうやらこのお姉さんの名前はというらしい。
情報は自動的に頭の中にインプットされていく。

「やっぱりビーチバレーは2対2じゃなきゃね」
「じゃ、チーム分けね」

そっちはそっちでヨロシク、と言われたので、
てっきり俺と英二でチームを組め、という意味だと思った。

英二なら気心も知れているし。
プレイスタイルもよく分かっているし。
文句や不平は全くないのだけれど。

安心したけど気抜けしたような、そんな感じがした。


すると。


「パーの人ー!」
「どっちがグーゥ?」

「「……え?」」


これには、さすがの英二もたまげたみたいだった。


そっちはそっちでヨロシク、その意味は、
“そっちはそっちでチーム分けをしてくれ”という意味だったらしく。

俺と英二は焦ってグーパーをした。


結果。

俺はさんと組むことになって、
英二はもう一人の方、さんと組むことになった。

信じられなかった。


「それじゃあ、一発頼むわよ」
「は、はい。頑張ります…」
「あー…そういえば自己紹介してない!」


あたしは、キミは?

手早く済ますさん。
俺は微笑(苦笑に近かったかもしれない)で、
大石秀一郎です、宜しく。と言った。


その時交わした握手は、とても熱いもので。
それはこの燃え滾るような気温がそうさせるのか、
それとも自分の気持ちがそうさせたのかは、分からない。

ぎゅっと強く握られた時の感触は、暫く忘れられそうにない。


「そーれっ」

「オーライ!」


初めは、俺も英二も少しは相手に合わせていたのだけれど。
(あの気分屋の英二もだ。俺だけじゃない)

ネットと線を境に行き交うボールを見ていて、
闘志が燃えてこないなんてことは、勿論なく。

「おりゃ!菊丸ビーム!!」
「まだまだっ」
「おっ、ナイスレシーブ!」

気付けば相当本気になっていた。

気温や動きの激しさや、気持ちの昂ぶりによって。
汗をだくだくに流すまで、試合をしていた。



「あーあ!疲れたー」
「ホントホントっ。二人とも凄く上手ー」
「いや〜それほどでも。にゃははっ!」

言いながら、英二はとても楽しそうだった。

俺もとても楽しませてもらった。
だけど、どこか一歩引いていて。


どうして?

近付こうとすると、拒まれるのが怖いから?



なんなのだろう。
胸の奥にたぎる、この感情は。


「ナイスゲーム」
「こちらこそ」
「大石クンって、スポーツ得意なんだね」
「いや、全然そんなことないですよ」


やはり、一歩引いていて。


だけど、引いた分近付いてきてくれるんじゃないかなんて。

そんな期待もあって。


「ううん、ホントウだよ。カッコ良かった」


その期待は、裏切られることはなくて。


「からかって遊んでるんですか」
「ちーがうって」


否定したさんは、強気な目線を上手く使って。



「ホント。彼氏に欲しいくらいだし」



下から見上げるその角度で。

時には甘えに使われて、
時には挑発気味に取られる、その視線。



別に言葉を本気にしたわけではないけれど。


近付きたいと、そう思ってしまう。

普段なら有りえない。
少し、熱さにやられているかな。






いつの間にか太陽は沈みかけていて。
どれだけ長く遊んでいたのだろう。


そろそろ帰ろうと歩き始めた俺たち。
さんとさんには別れを告げた。



 夕日に照らされた肌の色は

 昼間のそれより茶味を帯びていて

 果たしてそれは橙の光のせいか

 それとも日焼けしたからなのか

 どちらにしろ後ろには大きな太陽



後ろは振り返らずに去ろうと思った。
英二と笑い話を交わしながら、正面を向いたまま。

だけど声を掛けられてしまったら、
勿論応えないわけにはいかなくて。

「大石クン」
「はい?」
「今日は楽しかった。またやろーねー」

少しの受け答えをしている間に、
英二は少し先まで行ったが止まった。
さんと喋っているようだった。

そんな様子を横目に、俺はさんと会話をしている。

この脈打つ鼓動は何の所為?


「大石クン、ホントカッコ良かったし」
「おだてたって何も出ませんよ」
「んもぅ、そんなんじゃないしー!」


本気で相手にされていないような感じはしたけれど。

それでも夕日をバックにした彼女に、
微かな期待を抱いてしまうのは何故だろう。


「さっきさーぁ」

「ん?」

「アンナコト、言ったけど」


あんなこと。
勿論、何のことかはすぐに分かった。


 『ホント。彼氏に欲しいくらいだし』


何しろ、そのことで頭が一杯だったほどだから。





さんは、小指を口の端に当てて。




「結構本気だった、って言ったら?」




え……。

本気だった。
それはつまり、さんは俺のことを…。


いやいや、ちょっと待て。
そう言ったら?と訊かれたんだ。
そうだとは誰も言っていない。

それでも、微かな期待を抱いてしまう。


「あっ、ごーめん。そんな答えにくいこと訊いて何やってんだろあたし」


気にしないでっ!

後れ毛を耳に掛けつつ言った。



…全て、この夏の陽気の所為なのだろうか。


期待を抱いてしまうのも。

必要以上に熱く感じられるのも。



もし、また海に来たら。

ここへ来たら、アナタに会えるでしょうか、なんて。

普段なら考えもしないのに。




また会えるといーねっ!

そう大きく手を振りながら前をゆくアナタに。

俺は顔の横で小さく手を振って。


見えた背中の色を目に焼き付けながら、
俺もまた英二が待っているであろう場所へ急いで走った。



この想いは、やはり、恋というものなのか。

はっきりとは、分からない。


そうさせたのは、きっと全て夏の陽気だから。




まるで小麦色の肌のように。


それは、ジリジリと焦げる、夏の情緒。






















誘惑したっていーじょんっ!(ぁ
動揺しちゃう大石も悪くなかろう。にししっ。
こういうタイプの子、大石は好きになりそうにないけど。
でも、たまにはオネーサンに翻弄されるのも…。(何)
我がサイトで年上設定は珍しいです。貴重!

題名は、『春日影』より。対応してます。
春夏秋冬、シリーズにするのだ。
別の設定なんだけど、一つのシリーズ。


2004/04/21