しまった。

すっかり忘れてた。


今日から冬服から夏服に替えたんだった。


どうしよう…定期、冬服のポケットの中だ。参ったな。




仕方がない。


今日は、バスで行くことにするか。

そっちの方が安いし。



たまには違う方法で行くのも、いいんじゃない?











  * 新体制移行期間 *












駅の改札付近まで来ていた足を反対方向へ戻して、
私は駅前にあるバス停へ向かった。

そこにはサラリーマン風の人が数人、
煙草をふかしていたり新聞を読んでいたり。
私と同じく高校生…もしくは中学生と思われる人が一人、
ケータイの画面を見ながらせわしなく親指を動かしている。

私はその列の一番後ろについて、
そこの人と同じくケータイを取り出した。
同じ部類だと思われるのがなんだか悔しかったけれど、
傍から見ればそうとしか見えないんだろうし、
それ以前にそもそも同じ部類なんだろう、と諦めた。


今朝の私のマヌケな失態について、
友人にメールを送ってみることにした。

> ねぇ、聞いてっ(>_<;;
> 冬服のポケットの中にテーキ入れっぱなしにしちった!
> 電車ヤメタ。今バス停にいる。マジ参るし(+_+)


数分も経たぬうちに返事は返ってきた。
着信を告げてケータイが光って震えるのと、
バスが到着してプシューと音を立てるのとが同時だった。

> ぁははっマヂ?やってくれるジャン!*爆笑*
> そっか〜もぅ夏服の時期か〜。今日からだっけ。
> そぅぃぇば先生が説明してた…カモ?(聞きなさい)
> 温かくなってきたしネ。ま、ガンバ(大阪)!*笑*


の特有の(つまらない)ギャグを流し、
画面を見ながら、私はバスに乗り込んだ。

料金は100円単位できっかりだったので、
お釣りも来ることもなく面倒じゃなくて良かった。
もしかして電車よりバスの方がいいんじゃ…とか思った。


辺りを見回すと、席は大体埋まっている。
だけど、お手ごろなところに一つ空いていた。
二人席の、通路側。

そこで一人座っていたのは、恐らく高校生と思われる青年。
「いいですか」と訊いたら爽やかに「どうぞ」
と言われたので隣に腰を下ろした。
スポーツやってそうだな…髪型からして野球部?
とか考えながらもメールの返事を打ち続けた。


そんなやりとりを続けている間に、バスはどんどん進んでいく。
赤信号で止まり、青信号で速まり。
バス停に一つ一つ停まりつつ、
人を下ろしたり拾い上げたりしつつ。

少しずつ車内は混み合って来た。
座ることが出来たのは私が乗った駅の人が最後だったようだ。
降りていく人が少ないし。ラッキー。


思っていた傍から、私の横の青年が立ち上がった。
どうやら降りるらしい。
立ち上がっただけでまた座ったら面白いなぁとは思っていたけど、
「ちょっと」と声を掛けるとそのままその席を立った。

次で降りるのかな。
だけどブザーを鳴らしてなかったし。
まあ、朝の通勤の時間だから大抵の場合は全ての停留所で止まるのだけれど。

ぼんやり考えつつ、私は席を横に移した。
通路側より、窓際の方が好きだから。
すると、私が今まで座っていた場所に、
大きな体をした男の人が座った。

自分が降りる駅まで、あと3つ。



「…あ」


え?


振り返ると、そこにはさっきの青年。
横には、杖をついたお婆さんが。


…もしかして。
立っているお婆さんが視界に入って、
席を譲ろうと思って立ち上がったのかしら…?


しかし、その場所には、私が座っているときた。
さっきまで私が居た場所には、また別の人が。

…しょーがないな。



腕を伸ばす。
窓と窓の間にあるブザーを、押した。


「私、どうせ次で降りますので、どうぞ」

「あっ、ありがとうございます…」
「ありがとうございます」


青年は驚いた様子でこっちを見た。
お婆さんは可愛さの感じられる笑顔をして頭を下げた。

そういえば…席を譲るなんて、
生まれて初めてかもしれない、と気付いた。

柄じゃないのに、とも思ったけど、
悪くないな、とも思った。


ただ、そのまま譲るのはなんだか気恥ずかしくて。
だから、次で降りるなんていう言い訳を使った。

時間には余裕がある。
一台乗り過ごして次のバスに乗ればいい。
バス代、電車賃より少し高くつくことになるけど、まあいいや。


お婆さんは皺を寄せた笑顔で、
「君たちぐらいの孫がいるんだけどね。なんだか嬉しくなったよ」
と話した。

勿論、今時の若者の全てが
優先席で寝たふりをするような人ではありません。
だからといって席を譲ることができるかといったら、
これまた極少数な気もしたけれど。


久しぶりに達成感を感じた。
それと同時に恥ずかしかったので、
バスが止まるとさっさと降りた。

「ありがとうね」という声が聞こえたので振り返った。
肩越しに、お婆さんの嬉しそうな顔が見えた…が。

私と同じようにバスを降りてきた青年も見えた。


このままでは作戦がバレてしまう。
冷静に考えれば、「今時の若者が老人に席を譲った」
という事実は気恥ずかしいけれど羞恥ではない。
しかし、降りる必要もないのにバスを降り、
わざわざ次のバスに乗り込んだ…なんて赤っ恥もいいところ。

仕方がない。
後ろに視線を感じつつ、私はとりあえず学校へ向けて歩き始めた。
そのうちに居なくなるはずだろうから。
少なくとも、次のバス停に着くまでには完全に居なくなる。



しかし……居た。


次のバス停に着いて振り返った私は、
その青年とばっちり視線を合わせる羽目を喰らったのである。


「………」
「………」


何も言わずにやり過ごしてしまえばいいのだろうけど。
ここまでバッチリと視線が合うとそうもいかない。

まさか私、つけられてる?
今時流行りのストーカーってやつかしら。
でも、こんな朝からこんな好青年が…。

とにかく、居辛いことに相違ない。


選択肢1:走って逃げる
怪しい。もし追われたら一瞬にして掴まる。

選択肢2:話し掛けてみる
どうやって? 「いい天気ですね」…丸っきり変な人だ。

選択肢3:何事もなかったかのように歩き続ける
妥当だ。しかし、それでは状況は変わらない

選択肢4:相手が何か言うのを待つ
……これに決めた。



「………」
「……あの」


作戦は成功だ。


「どこ、行くんですか」
「…学校」


手身近に答えた。

しかし、向こうも何故それを訊くのか。
姿格好から時間帯まで、それしか考えられないだろうに。


よし、逆襲だ。


「どうしてついてくるんですか」


青年は、目を点にした。
そして…笑った。


「なっ!?」
「ははっ、…おかしいこと言いますね」


失敬な…。
確かに、今日の私は、いつもとどこか違うけれど。
だけどおかしいとは…。


「向かってる場所は、同じだと思うんですけど」


……。

つまり、なんだ。



「それ…青学高等部の制服、ですよね」



…同じ学校かっ!?


やられた…そうだったのか。
黒の学ランなんてどこにでもあるから意識してなかったけど。
しかも口振りからしてこの人高等部じゃないわね。
大学生…まさか。
もしかして中学生だったりしないですか…。


「…青春学園高等部1年生デス」
「僕は中等部3年の大石といいます」


本当に中学生だし…参りました。
おねぃさんはヒジョーに参りましたョ、とそれはいい。

大石クンは訊ねてきた。

「いつもバスで通ってるんですか?」
「いや…今日は偶然」
「やっぱり。普段は見ない顔だから…」

いつの間にか横に並んでいて、
会話をしながら私たちは歩いていた。
こういうのも、悪くないなと思った。


「でも…」
「?」


首を傾ける。
少し高い位置から、大石クンはまた訊いてくる。


「2つも手前のバス停で降りたのは間違えたから、ってわけじゃないですよね」


……ついに訊かれてしまった。
一番触れられたくないポイントだったのに。

ここで、「間違えた」と言うわけにはいかない。
何故なら、バスは学校の目の前で止まる。
それで間違えられるはずがない。


ああ、生き恥さらしてるわ、私。



「…なんか気恥ずかしくって」


仕方がないので正直に答えた。
大石クンはきょとんとしていたようだったけど、
すぐに声を出して笑った。

さっきから笑われてばかりだという事実に気付く。
だけど腹は立ったりしなかった。
恥ずかしいといえばそうだけれど、嫌な感じではない。
それだけ、大石クンの笑みが柔らかいものだったからだと思った。


「席を譲ったこと…が?」

私はコクンと頷いた。
すると向こうは「照れるようなことじゃないのに」と言った。


大石クンは、ああいうことに慣れてるのかな。
だから、平然としていられるのかな。

どちらにしろ、優しい人だということは変わらない。


「要は慣れですよね」
「なのかな、やっぱり」


確かに、悪いことではないしな、と思う。
お婆さんの嬉しそうな顔も思い出した。
これからは私も世の中のために頑張ってみましょうか。


…今時の若者も捨てたモンじゃないね。



「おっと」
「ん、どうしたの?」

腕時計を見て、大石くんは眉を顰めた。


「このまま行くと始業のベルにギリギリだな」
「あー、そっか」


何しろ、バスで行けば数分のところを十何分も掛けて歩いているのだから。
元々は時間に余裕があったものの、
確かに遅刻しておかしくない。

このままゆっくり歩いていくのもいいけど。


「どうする?」
「俺は走っていきますけど…」
「じゃあ、私もそうしよう」


邪魔になる気がしたから、
ポケットに入ってたケータイは鞄に入れた。

大石くんは「大丈夫ですか?」と訊いてきたので、
「これでもバド部で鍛えられてます」と答えた。
そしたら、向こうはまた柔らかく笑った。
「俺も、テニス部でグラウンド走らされっぱなしだよ」と言って。

テニス部で何故グラウンド?
っていうかテニス部だったんだ…。

そんなことを考えつつ、私たちは走り出した。



始業のベルまで、あと10分。

学校までは、あと停留所1つ分弱。




陽光が肩に当たる。春風が心地好い。

温かい。夏服に替えてきて正解だったな、と思った。


ついでに、これからは電車の代わりにバスを使おう、と決めた。

少し早く出て、二人で喋ったり歩いたり出来たら、それは幸せ。



あと少し。

冬服のポケットの中にある定期の期限が切れるまで。

その頃までにはキミもきっと夏服に変わってるだろうから。


そういえばまだ教えていないけれど。

私の名前を告げるのも、そのときでいい。




門の前で、手を振って。

中等部を通り越して高等部に向かって。

今日はどれくらいの人が夏服で来ているのだろうか考えつつ玄関へ入った。


その時にチャイムが鳴り始めたので、

私は踵を踏んづけたまま階段を駆け上がった。





今時の若者も、捨てたものではありません。

素敵に健全な青春生活過ごしてます。






















大石が爽やかに席を譲る姿が目に浮かぶ…。
でもね、遠くの人に譲る人いるじゃん。
その間に席取られちゃったらどうするんだろう…と気になって。
(実はそんなネタだったんです)(ごめんよ)

中等部と高等部はどういう位置関係にあるのだろう…。
違う敷地なんだよね?恐らくきっと多分。
でも、そこまでは遠くないだろ…すぐ横だろ。多分。
そして制服って同じなのかな?ああもう、知るか。

しかし、これを書くこととなった切っ掛けを見ると、
泣きたくなってくるよ…。(ゴメン英二)(日記参照)


2004/03/27