時間的に、日本はもう明日になったころ。


わざわざそんな時間帯に掛けてくるなんておかしい。

相当急な用事に違いない。


悪いことがあったんじゃないかって、ドキッとした。



それとも、もしかしたら学校が終わる時間を見計らってくれたのかもしれない。

日本は深夜だというのに、それまでわざわざ待ち構えて。



それにそもそも、突然電話してくるなんてオカシイ。

普段は電話は休日が多くて、それもメールとかで約束してあって。



今日は一体、なんなのだろう。

心なしか不安になった。


昼前にあんなことがあったから

余計そう思えてしまったのかもしれないけど。




いずれしろ、良い報告がやってくる感じはしなかったのは確かである。











  * −遠近符号恋愛− *












 『分からなくなった』



電話の中で、シュウが「もしもし」の他で初めて発した言葉が、それだった。



――突然電話するなんて珍しいね、どうしたの?

そんな私の言葉なんてなかったかのように。
あっさりと流されて、それとも、答えだったのかな。



「…シュウ?」



呼び掛けても、向こうは黙ったまま。



どうしたの。

どうしたんだろ。


なんか言ってよ、シュウ。




「分からなくなったって…何が?」

「…分からないんだ。何もかも」




――何が分からないのか分からないってヤツ?あははっ。

いつもだったら、そう笑って返していたかもしれない。
だけど、それすら出来ないような、圧迫。



もしかして。

もしかしたら。


なんか言いなよ、アタシ。




シュウが何か言っちゃう前にさ。




「…俺たち、何で付き合い始めたんだっけ」

「え…それは……」



アタシが、呼び出して。

シュウが、告白してきた。


私たち、両想いだったから、でしょ?



違うの?




何故だか口が動かない。

早く動け、口。
シュウが何かを言い出してしまう前に。



「…ごめん。今日の俺、おかしいな。ごめん、切るよ」

「あっ、ちょっと待っ……!」



プチ。 ツー。ツー。



相当動揺していたのか、
謝罪の言葉を二度繰り返すと、
私の言葉を聞き入れる余裕もなく電話は切られた。


…シュウ?

どうしたの―――?




分からなくなった。


なんで付き合っていたのか、分からなくなった。




なんで?

答えは簡単じゃないの?

私たち、お互いがスキだったからじゃないの?




 ――― キョリ が離れて アイジョウ もまた 薄れていって しまったの?









 「……シュウ」




口癖のように、呟いて。

涙を必死に堪えようとしたとき、ふと浮かんだ顔があった。






  **






3月9日、火曜日。
朝、人がいない階段の踊場。


「え、本当に?」
「うん。とりあえずデートからね」「うん」


あっさり答える私。
は、随分驚いた顔をしていた。

「マジで…やった!普通に断られると思った」「マジで…やった!本当にオーケーもらえるなんて思ってなかった」

明るい、笑顔。
私はそれを見て、自然と微笑を零した。


いいな、この笑顔。
私、本当にのこと、好きになれるかも。私、本当にのこと、好きかも。
これで良いんだと思う。これで良かったと思う。

このまま告白を受け入れることになるかもしれない。告白を受け入れて、良かったと思う。



「それじゃあ、とりあえず宜しく」「それじゃあ、これからも宜しく」



なんでだろう。

私たち、握手した。



シュウとはどうやって付き合う流れになったっけ。シュウの時はどうだったっけ。

思い出せないや。




  I remember, but I cannot remember.

 ―――憶えてる。でも思い出せない。


  I refused to remind his memories.

 ―――彼の記憶を思い起こすことを拒んだ。




の手は、とても温かかった。

遠く遠くに感じていた温もりは、どこか遠くへ飛び去った。






  **





「は〜ぁ。何着てこうかなぁ…」


時は流れて土曜日。
今日はと初デート。


シュウと初デートの時は、どうだったかな。
鏡の前で延々と、服をとっかえとっかえ悩んだ気がする。

だけど今はなんだろね。
ベッドの上で膝立てて座って、
頬杖ついてぼーっと考えてる。


あの服にしようか。
あっちの服でもいいんだけど。
っていうか、学校でも私服だしそれほど悩むことじゃないかな。


何を着よう。
その言葉の中に込められたのは、
希望?それとも大儀?




分かってるんだか分かってないんだか、分かってないフリをしている。

気付いている気がしたけど、気付かないフリをしている気もする。



誤魔化していない、と言い聞かせて誤魔化した。






  **





「1時24分…」


約束の時間の6分前。
はまだやってきていない。

なんだか不安になってきた。
まだ時間になっていないんだから、
そんな必要ないはずなのだけれど。


どうしてだ。
いつも、シュウは居たから。
遅れたことなんて一度もなくて。
私がいくら早く着いてもそこにいて、
いくら遅れてもやっぱりそこにいて。

…シュウは、不安になったりしたのかな。
私が時間になってもやってこなかったら。
いつものことだ、なんて思われちゃったカナ。
だけど、私が初めて遅刻しちゃった時は、どう思ったかな。


そっか。私、デートで人を待ったことって、ないんだね。そっか。私、恋人を待ったことって、ないんだね。

私が到着すると、必ず迎え入れてくれる人がいたんだね。




「わり、遅くなった!」
「ううん、まだ時間前だよ」

は1時28分に現れた。
まあ、丁度良い時間なのではないのでしょうか…。


シュウが特殊すぎたんだ。
そう言い聞かせた。
、全然悪くないし、おかしくないし。
それに実際、私も不満は抱えてないし。

ただちょっと、不安になっただけ。



強くならなきゃ。

いつまでもシュウの面影追ってちゃダメ。




―――ダメ?




「その帽子、似合ってる」
「ありがと」


普段とは少し違ったカッコをしてる私。
なんとなく気恥ずかしい雰囲気は
は嬉しい言葉で和ませてくれた、けど。


頭の中を巡る巡る。





……ダメなの?

面影追ってたら。


この不安は何?



不安はが遅れたから。

違う。

違うよね。




 私、一人だったんだ。独りになっちゃった。





「とりあえず…カフェでも入るか?」


頷いて、パン屋の奥にある可愛い喫茶店に入った。

遠慮がちに繋がれた手が温かくて、繋いだ手は温かくて、
私は振りほどくことなく引かれるがままに歩いた。ぎこちなさはほとんどなかった。











「なんでも頼んでいいよ。オレ、奢るからさ」

「ん……」


メニューを読んでも、文字が頭に入ってこない。
目を通して、耳からでも抜けていってるんじゃないでしょうか。

ドイツ語が火星人の文字に見える。
値段を書いた数字が暗証コードに思えてくる。

お腹が痛くなってきた。生理痛だろうか。
一番多い日は一昨日だったんだけどな。


なんだろう。この気持ち。





分からないフリしてたけど。

気付かないフリしようとしたけど。


やっぱり無理じゃない?



だって、頭の中に巡るものは、巡る。





「…大丈夫?」





声掛けられて、はっとした。


 大丈夫大丈夫!


そう繰り返して、メニューにまた目を落とした。
私の表情に安心したのか、も同じようにメニューを見始めた。



火星語…もとい、ドイツ語のメニューに目を走らせながら、
何を頼もうかぼーっと考える。



コーヒーなんて飲んだら余計胃が痛くなりそう。


 ――シュウはいつもブラック飲んでたな。




私はやっぱりココアでも頼もうかな。温かいヤツ。


 ――どこで飲んだっけホットココア。




これ美味しそうね…Pfirsichtorte。桃のタルトってやつ?


 ――口内に広がる甘酸っぱさといい香り。




頭で生まれる考えに、心で生じる思いが働きかける。



ダメだ。
いくら自分を誤魔化そうとしても、無理だ。



頭の中、シュウだらけ。
もう無理。

シュウで一杯。
他のものが入る由がない。





"Was bekommen Sie?"




店員さんがやってきて。

いっそのことカモミールティーでも頼んでやろうかと思った私だけれど、
胃痛が理由ってのが可愛げがない気がしてレモンティーを頼んだ。可愛げがない気がしてレモンティーを頼んだ。

はコーヒーを頼んでた。


自分がなにしてるんだか分からなくなった。




その後、会話は普通に繰り広げられた。
といっても、私は生返事しかしてないことには、気付いてた。
それでもいつも通りに明るい表情では話してくれた。

わざとらしさがないのが逆にわざとらしく感じられた。


きっと、初デートだから緊張している私を和ませてくれているつもりなのだろう。

でもごめん違うよ。
私、別に緊張もしてないしそんなことされたって和みもしない。

シュウ。シュウ。



会話の途中、雰囲気が違うことに気付いたのか、は話を止める。




 「?」




掛けられた声に、はっと顔を上げた。


単純に名を呼ばれたから反応したんじゃない。
いつもと違う呼ばれ方をしたから驚いたんじゃない。
現に、その段階では初めて呼び捨てにされたことなんて気付いてなかった。



一瞬、シュウがそこに居るのかと思った。




「本当に大丈夫か?体調、悪いんだったら…」

「ダイジョウブ……」




嘘吐き

またこうやって誤魔化すの?















 ―――意地悪なシュウなんて嫌いだー。


 ―――俺も、嘘吐きは嫌いだな。













 ―――本当に、大丈夫なのか?


 ―――うん。全然平気だよ。




 ―――――無理するな。














 ―――なんか嬉しそうだけど、いいことあったの?


 ―――いや。




 
 ―――――、また最近元気になってきたなと思って。










   “いつでも笑顔のが好きだから。”









 「…っじゃない!」



突然叫んだ私。
は驚いた様子で瞬きを繰り返した。
周りの席に座っている人も、何だあのアジアンの娘はという勢いで
こっちを振り返る。("Dtschanei"? Was ist das?)


「じゃないって…何が」
「あたし、大丈夫じゃない」


は瞬きを繰り返していたけど。

素直に打ち明けられるようになった分、
私は寧ろ強くなったんだと思う。

ね、そうだよね、シュウ?



「ごめん、。あたし…のこと、好き、だけど…」
「……友達として、とか?」

頷いた。


「今まで黙ってたけど、あたし、日本に…付き合ってる人、居る」


現在進行形。
未来形も付け足したいけど、残念ながら日本語には存在しない。

I have been, now we are, and 'will', so on.



「じゃあ…どうしてオレとデートしたりした?」「じゃあ…どうしてオレと付き合ったりした?」
「……ワカンナイ」


分からなくなった。何もかも。



「…オレは、分かるよ」



はそう言った。
私はぱっと顔を上げる。


「多分、オレのこと好きにはなれないけど…嫌いでもないんでしょ」「多分、付き合いたくない理由が、なかったんだ」


考えてみる。

確かに、は良い人だし。
告白を受けた時は、丁度、滅入ってて。
シュウのことだって、どうだって良くなってたから。


告白を受け入れる理由が有ったというよりかは、付き合う理由が有ったというよりかは、
どうしても断りたい理由が無かった、のかもしれない。付き合いたくない理由が、無かったのかもしれない。


じゃあ、シュウの時はどうだった?


シュウが好きだったから。好きだったから。
“シュウと付き合う理由があったから”、付き合った。“付き合う理由があったから”、付き合った。

…でしょ?



+に+を掛ければ+だけど、

−に−を掛けても+になるってこと、忘れてた。




 "This was negative times negative, wasn't it."

 "Yeah, sure."




初めて、私の問いに対しては英語で返答した。

同意。 でも、相思相愛まではいかないね。



「ワカンナイ。分からなくなった。でも…」


だから。

と心の中で修正してくる。




「後で確認する」

「そうしとけ」



ありがとう。

口に出せなかったけど、
伝わったことを、信じています。



その時丁度、レモンティーにコーヒーが届いた。

私は相変わらず砂糖をドバドバ入れた。
は驚きながら、氷砂糖を一つにミルクを入れた。




難しいこと考えるの、やめた。

わかんないものはわかんない。

答えがあるんだったら、それを確かめればよかろう!




結局その日は、お茶をして、
街角で可愛いアクセサリを一つ買ってもらった。
青い色をした玉に、それを包むようにするペンダントヘッド。

こんなもの貰えないって言ったけど、
オレの自己満足、とは言った。


ありがとう。

あたし、頑張るから。



電車に乗る別れ際、

さん、また明後日。それから…Good luck!」

と言った。

涙が溢れそうになった理由を、
一言で表すのは無理だと思った。




ありがとう。

ごめん。

楽しかったよ。

またね。


さようなら。
















 ――なんとも言えない気持ちでその日を過ごした私は、

  ドイツが日付を変える少し前、受話器を持ち上げた。






















予想以上に長くなってしまったぞ。
そして途中で態度が突然変わったぞー!(笑)
いいんだ。そういうキャラなんだ。(てか自分…)

それにしても罪作りなやつめ…。(げっそり)
思えば昔からそうだよなー。
幼馴染くんもそうだし英二もそうだし。
そしてごめんね君。ホントゴメン。
って謝ったってどうしようもないな。(空笑)
なんて良い人なんだろう…マジで涙出そうよ。

*付き合っちゃうのははあまりにもおかしいので
デートという解釈に改訂しました。13年越しw
webでは反転にしますね。(2017/06/03記)


2004/03/13