なんとなく気だるい午後。


思考はすっきりとしない。

頭は重いし目は痛い。


なのに――…。



窓から見た空があまりに綺麗だったので、出掛けることにした。


何も持たずに、手ぶらで。




ただその青い空を見るためだけに、歩いた。











  * 私の最愛の人と蒼穹 *












いざ歩き始めると、不思議。

さっきまで塞ぎ込んでいた気持ちが、
開け放たれるかのように明るくなった。


温かいとは言い切れないけど、弱まった寒さ。

もう冬は終わりかと、そう思った。



上機嫌になって、足取りも軽い。

犬の散歩をしている人、
小さなお子さんを連れた主婦に紛れて、
やってきた公園、土曜の昼下がり。


まさか、こんなところで素敵な出会いなんて期待していない。

だけど…


「(…いい絵が書けそう)」


そう思った。


私の趣味は、絵を書くこと。

気に入った景色なんかを、よく写生したりなんかする。



こんなことなら、スケッチブック持ってくれば良かったな。

遊び回る子ども、はしゃぎ回る犬、
澄み切った青い空を見て、そう思った。


そうしたら、この綺麗な景色、いつまでも残しておけるのに。




…こんなこと考えるなんて、らしくないかな。

だけど、あまりに。


今までに無いほどに、空が綺麗だったから。





  **





ちゃん、おっはよ」

「おはよー


学校に着くと、他の教室なんかに寄る事もなく
真っ直ぐ自分の教室へ向かう。
自分の席へ向かう途中、
大抵は私より先に登校している
ちょこまかと私の席に走り寄ってくる。

は、可愛らしくって言うなら私の妹分のような子。
一人っ子である私は、姉か妹が欲しかったので嬉しい。

「今日はいい天気だね!」
「そうね」

ちらりと窓の外を見て、私はそう言った。

空は青いし。
太陽の光は眩しいし。


だけど一昨日見たような、あんな空とは比べ物にならなかった。



「はーぁ。でもあたし、忘れられないな…」
「何を?」


ゆるい溜息を吐いたに私は聞き返した。

の発言はたまに目的語に欠けていて、理解に苦しむ。
まあ、主語すら不要とされる日本語に完璧な文章を求める方が筋違いかもしれないけど。


は私の方をくるりと向いた。
きっと向こうからは、私の後ろに青空が背景として映って見えることだろう。

満面の笑みを見せると、言った。


「文化祭のコンクールで、ちゃんが提出した絵!」



言われて数秒後、漸くその存在を思い出す。

心ここにあらず、といった感じで「ああ…」と呟いた私に、
「なんでそんなに関心ないのー!」とは嘆いていた。



そうか。そういえばそんなことあったな。


文化祭には、既に美術部員として多くの絵画を提出していた。
全て額に入れられ、美術室や多目的ホールに大袈裟に飾ってあった。
どうして他の人は一点だけなのに私のものは全て額に入れるのか。
愚問に思って顧問に訊いてみたところ、全てを知ったかのような口振りで
の絵はどれも深みがあって良い!」と語られた。

その時私は、礼も文句も言わなかったし謙遜もしなかったけど。


だけどやっぱり私の絵なんて薄っぺらだ、と数日後身に染みて感じることとなった。




美術作品のコンクールがあるということを、
文化祭のほんの2日前に知った。
美術部員がこれに参加するのは反則なんじゃないか、
という気もしたけど面白半分で参加することに決めた。


美術室を抜けて、屋上に向かって。

青くて青くて遠い空を、スケッチした。


絵の具を使ったわけでもない。
キャンバスに大きな絵を書いたわけでもない。
なんてことない普通のスケッチブックに、
少し厚手かな、程度の画用紙に色鉛筆でザザっと書いただけ。

それだけで私はグランプリに選ばれてしまった。


あの時は、絵じゃなくて名前で選んだんじゃないだろうか…
と思わず疑わずにはいられなかった。
(美術部部長の、結構有名なんです)


商品は賞状が一枚と、購買のタダ券。(……)

先生が全く関わらず、生徒会が文化祭を盛り上げるために
エンターテインメントとしてやっただけのことだから。

…まあこんなもんかな、そう思った。



だけどね、一つだけ心に引っ掛かるものが。

準グランプリを取った、一枚の写真。


本来はもっと小さなものだったんだろうけど、
展示用にA2の大きさに引き伸ばされていたそれ。


あまりの蒼さに、目を奪われた。


授賞式の直後、思わず私は、に零した。
私はあんな蒼さ表現できない、と。

絵で写真と同じような鮮やかさを出すのは無理なんじゃない、
は悪びれない笑顔で言った。
そして直後に、「グランプリおめでとー!」と飛びついてきた。

ありがとう、とは返したものの、
私にはどうしても、あの蒼さが頭から離れなくて


写真では可能なのに絵では無理。
それがとっても悔しかった。


だから、いつか絶対あの蒼さを表現してやると。

そのためには一度、あんなに蒼い空をみたいなと。



それに、一昨日初めて出逢った。



やっぱり、スケッチブックを持って出掛けるんだった。
私はそう思って後悔した。

帰って即行で書こうと思ったけど、
家の中ではどうも気分が出ない。

もう一度出直そうかと思ったけど、その頃には気温が冷え込んでくる始末。


結局、スケッチブックには中途半端な青さが残っている。



ところで…誰だったかな。
その肝心な準グランプリの受賞者。

写真部じゃなくてテニス部かい!
と大笑いした直後に虚しくなったのを憶えている。

名前…はっきりと思い出せないな。
テニス部…確か3年、の…なんとか、なんとかスケ。
…全然分からない。

あの時は蒼さに気をとられて、名前を見る余裕なんてなかったから。


きっと、あの写真を撮ったその人。
心が澄んでるから、あんな写真が取れたんだろう、と思う。




「あ、不二君だ。珍しー」


がそう呟いたので、私は廊下を振り返った。


不二。名前は度々聞く。

優しいやら格好良いやらで女子に大人気。
ついでにお金持ちで頭も結構良いと来た。

廊下で擦れ違う度にが「不二くんハロー」なんて言うから憶えた。
に「好きなの?」と訊いたら、「違う違う!」って否定してたけど。

まあ、笑顔と一緒に手まで振り返されちゃったら、
名前を呼んで悪い気はしないわな。
好感の持てる人…というか。声を掛けてみたくなる気持ちも分かる。

不二って言うんだ、へぇ。と呟いた私に、知らないの!?とは食って掛かってきた。
「テニス部レギュラーはみんなカッコイイ人ばかりだよ!」とのこと。

の発言は接続語も適度に抜かすものだからやはり理解に苦しむのだけれど、
話の流れから察するにきっとあの人もテニス部レギュラーなのだろう。


と、私が不二について知っている情報はここまで。

しかし…そうか。テニス部か。
訊けば知ってるかな、部内で写真を撮るのが趣味の人…。



「6組の不二君がこんなところウロウロしてるなんて…」

何か用事かな、とは呟いた。

新情報。どうやら不二は6組在籍らしい。
なるほど、わざわざ12組までやってくる理由は分からないわな。
確かにこっちに来るのは珍しい。
廊下で擦れ違った以外でまじまじとその姿を拝むなんて初めてだ。


ふぅん…確かに美形。
優しいというのが察せられる穏やかそうな表情。
少し色素が薄い感じで華奢。
皆がカッコイイと騒ぐのも分かるような。

被写体にはピッタリね…今度依頼しようかしら、なんて。



ん?



はた、と目が合った。

微笑まれた。
が声を掛けたときと同じように。

微笑み返す気はないけど無視も失礼だと思って、
私は視線を逸らさぬまま軽く会釈をしてみた。


すると向こうは、

ツカツカと歩み寄ってきた。



「……は、え?」



戸惑う私。

噂の不二は私の目の前で立ち止まる。


何事だ。

教室中の視線が私に向かっている。それは分かる。


しかし私にはどうしようもないことです。



不二の斜め後ろ、肩越しにの姿が見えた。
それは喜んでいるようにも見えたし、
思わず挙動不審に陥っているようにも見えるし、
とにかく驚いて何をすればいいのか分からない、という様子。


助けて…助けて

なんだか分からないけど、この人ヤバそうな気配がする!!



「キミ、名前は?」

「っ……、ですケド」


名前を訊くときはまず自分から名乗るのが筋ってモノじゃない?

そう言おうと思ったのに、あまりの圧迫感に素直に教えてしまった。



向こうは「さんか」と嬉しそうな笑顔を見せると、

「僕、キミのことが気に入っちゃった」

そう言って私の両手を取った。




「……はぁ?」


「「えぇ〜!?」」





思わず間の抜ける声を出した私。

それは、含むクラスの女子によって掻き消された。



これは後にの話を聞いて分かることなんだけど、
普通の女子ならここで顔を赤くして口をパクパクさせてしまうところらしい。
しかし、私は違った。

マヌケな声を出したのは、驚いたからではなく呆れたから。


なんだ。
テニス部レギュラー不二、恐るるに足らず。
噂によく聞くからどんなにいい人かと思ったら、
想像を遥かに越えて軽い奴と来た。


キャー、キャーと、
未だに周りでクラスメイトの声にならない声が聞こえてくる。
まずそんな有名人が教室に入ってきた段階から空気が変わっていたのに、
突然その場で告白紛いなことをされては黙っていられないだろう。

それも分かるけど。


「んー、とりあえず手を離してくれる?」
「あ、ごめんね」


パッと手は離された。
話は聞ける奴らしい。

それなら話は早い。
理由を聞くだけ聞いて早急にお引取り願おう。


「まず、あなたはダレ?」
「……あっ、ゴメン。そういえば名乗ってなかったね。焦っちゃって」


焦っちゃって?

本当かしら。
自分ほどの有名人なら誰でも名前を知っているとか自惚れてたんじゃないの。
…なんて、疑い始めたらどこまでも行けるわよね。
とりあえず言った言葉は全て真実であることを大前提として。


周りから、「えー、不二クンのこと知らないの!?」と声が上がった。
「ああ、やっぱりこの人が不二でいいのね」と言ってやった。


一気に空気が凍りついた感じがした。

敵は作りたくない主義なんだけど…まずったわね。


だけど、不二は動じない。
少し大きく見開きかけていた目をまたやんわりと戻して。
「3年6組の不二周助、宜しくね」と言った。

優しい笑顔では、あったけれど。


「ふーん…フジシュウスケ」

「不二クン、に接近しすぎじゃない?」
「あ、そうだね」


横で不二とクラスメイトたちが交わしていた会話は上の空。
とりあえず向こうは一歩下がった。

しかし…ふじしゅうすけ、不二周助……。
なんか、引っ掛かるような。

まあいいや。


「で、その不二周助クンは私をどうして気に入ったと?」


訊いてやった。
少し口調が乱れてきた。いけないイケナイ…。

向こうは、視線を逸らすことも何もしなくて。
「ん?」とにっこりとした笑顔を見せた。
この笑顔に、多くの女子は騙されてしまうものなのだろうか。
まあ私も、いい表情するなとは思うけど。


不二は、言った。




「一目惚れ、かな」




キーンコーンカーンコーン。



チャイムが鳴っている間、
クラスの女子全員が口を開けて固まっていた。


「また後でくるから」

「さよなら」


その中心(といっても教室の位置から言えば窓際の端)で
私と不二が挨拶を交わした以外は、
チャイムの音とガタガタと自分の席に着く男子たちだけ。

それ以外は、ぽかーんと硬直していた。



「おーい、どうなってるんだうちのクラスの女子は」

「さあ。魔法でもかけられたんじゃないの」


そんな発言をしつつ、私は自分の席に着いた。
教室に入ってきた時の担任の驚き様は、なかなかに愉快だった。





  **





ホームルームが終わった直後、私の机の周りは人だかり。


ちゃん、凄いよ凄いよ!」

「おいこらー!」

「ちょっと、さっきのはどういうことよ!?」


興奮状態でぴょんぴょんと跳ねるを初めとし、
冗談交じりに肘鉄を喰らわしてくる人や、
本気で怒ってるんじゃないかという勢いで捲し立てる人。

今日は賑やかな一日になりそうね。


「私が説明してほしいくらいだわ」
「だって、不二クンがあんなあんな……っ!」


焦りのあまりに口が回っていない様子。

私も内心は焦りまくりよ。(これでも)
そういえば、告白を直接に受けたのは初かなーとか、
今頃になって漸く気付くほどに。
充分落ち着いてるって?いやいや。


「だって、さっきの見たでしょ?お互い初対面よ」


まあ、不二は私の顔だけは知ってたみたいだし、
私もそれとなく存在は知っていたし。

だけど、会話したのは絶対に初めて。


一目惚れって、一体どこでどのように…?



「で、で、ちゃんショウダクするの!?」
「承諾も何も…まだどんな人か全然分からないし…」

ぴょんぴょんと跳ねているにそう答える。
だって、本当のことだもの。
私、不二周助がどんな人間かまだ分かってない。

とりあえず、悪い人ではなさそう。
独自の思考回路を持っている様子が窺える。
良い人だけど、不思議系。それが第一印象かな。


、やるからには本気よっ」
「不二クンのことをフるなんて命知らずなこと絶対しないでよ!」
「でもぉ、不二君と付き合うってゆーのも命懸けじゃない?」
「言えてる」


ああ、そういうまた不安になる発言を…。
後先が不安ですわ…。


「とにかく、流れに押されて承諾するのもナシ、
 相手のことも考えないでいい加減に断るのもナシ、オッケー!?」

「わ、分かりました…」


思わず敬語になってしまったけれど…確かにその通り。
自分の意思で、決めよう。しっかりと。

しかし…皆が上履きに画鋲入れるような人たちじゃなくて良かった。真面目に。





  **





「………」

「やあ」


…本当に来た。



ただいまは昼休み。
皆楽しく優雅にお弁当を食べているというのに。


束の間の安息ってやつでした。


「いつもお弁当?奇遇だね、僕もなんだ」
「へー。それはそれは」


……どうすればいいのよ!

さすがの私も戸惑ってくるってば。


「ねー、私たちも一緒に食べていー?」
「勿論だよ」
「「キャーvv」」


…机の周りは人だらけ。

元は私との二人だけだったのに、
気付けばひぃふぅ…11人…。

そのうち一人が、私に耳打してきた。


が不二君と付き合いだしたら、毎日一緒にお弁当食べれるかなぁ?」


コラコラ。
さっき偉そうな発言してたのはあなたたちでしょうが。


しかし…本当に人気者なのね、不二。
ここまでとは思わなかったわ。
所詮同じ青春学園3年生の仲間なのに、
まるで芸能グループから紛れ込んでしまった人かのような扱い。


そんな人に告白された私って……。
なんだか本気で恐ろしくなってきた。

不二もさ、別に悪い人じゃなさそうだから…
寧ろ好印象だったから、私もそれなりに接してきたけど。
なんだか段々疲れてきたわよ…。


さん」
「ん?」


考えていることがバレたかのようなタイミングで声を掛けられた。

不二はにこりと微笑んで話し掛けてきた。
この笑顔、嫌いじゃない。どちらかというと好き。


「今日の放課後、うちに来ない?」


一瞬、全員の箸やフォークが固まった。
何だかんだいって闘志剥き出しというか…。

私はなるたけの平常心で返した。


「お誘いはとっても嬉しいけど、どうして?」


暗に、まだ私はアナタの告白を受け入れてないわよ、と意味したつもり。
それでも向こうは相変わらずの笑顔で、更に返してくる。


「見せたいものが、あってさ」
「見せたいもの…」


見せたいもの。
はてなんだろう。
実は見せたいものなんてなくて私を家に引き込むのが目的とか…。

私って疑い深いわね…我ながら。
自分に繰り返すけど、この人は嘘を吐かないことを前提として。


…そうね。
今日は特に用事もないし。
不二について知るには、いい機会かもしれない。
今のままでは返事の出しようもないし。


「いいわよ、行く」

「本当に?それは嬉しいな」


周りの空気が、また溶け出した感じがした。
私がここで余分に断ったら非難を受けたのかもしれない…。

そうよね。
疑うばかりで相手を突き放していたら駄目よね。


「ねぇ不二クン、それ私たちも見に行っちゃダメ?」
「うーん…悪いけど、また今度の機会にね」
「そっか、分かったー」

そんな会話が私から離れて繰り広げられていた。
その巧みな話術と好意的な表情に私は敬服するばかり。

ファンを減らさず傷付けず…凄いな。
なんて、感心してる場合じゃないけど。


受け入れてしまったよ。
でも、行くと言ったからには行くわよ、私は。




  **




放課後。
掃除当番も委員会の仕事も無い私は、
ホームルームが終わり次第下校の許可が下りる訳だ。

だけど、その足は階段へと向かわない。
「6組に行くのー?」というの声で
そうかあの人は6組だったっけと思い起こさせられて。

そのまま、その方向へ足を進める。


他にも数人並んでいる廊下の壁に凭れた。

人を待つことは良くあるけど、それでも慣れない。
相手を待たせるのが嫌で早く来てしまうのだけれど、
早く来すぎてしまうと相手にまた気を遣わせてしまうようで。
それでもやっぱり、私は待つ側の性分らしい。

3年6組はホームルームが長い、という話を聞いたことがある。
ホームルームが長引く原因は大抵担任の長話だが、
そのクラスの場合は菊丸というお調子者が騒ぎまわるからだそうで。

そういえばそいつもテニス部レギュラーだったかな…。
6組には二人居るのか。


ドアの窓から教室の中をちらり覗いた。

跳ねた赤茶の髪が印象的な男子。
なにやら立ち上がって発言をすると、
隣に座っていた不二が口を動かした。
クラス全体が笑いの渦に巻き込まれる様子が見えた。

あれが菊丸に間違いない。
て、あの人知ってるかも。
体育祭でアンカー走ってた…そうだそうだ。菊丸エイジ、それだ。


仲良いのね、あの二人。
不二も、菊丸とだとあんな楽しそうな表情見せる。
生き生きしてるというか、なんというか。
それと同時に、呆れた顔も暫しだけれど。

私の前では優しげな顔ばかりだけど。
他にも、おどけた表情とか、真剣な眼差しとか、
色々見たいな…なんて。

これは引き込まれている予兆ですか?
晴れて両想い?いや、そんな簡単な…。

とりあえず今日一日は様子を見よう。
決して向こうの流れに押されるなんてこと無いように。



6組の美化委員はよっぽどしっかりしているんだか、
窓がうちの教室のものより綺麗に見えた。

汚れの見当たらないその窓越しに、青い空が遠くに見えた。




  **




「お待たせ、ごめんね」
「ううん、平気」

それを言った直後、私は後悔してみた。
洒落て「私も今来たとこよ」なんて恋人的発言してみるんだった、なんて。

……少々図に乗ってきてるわね、私。気を付けよう。
何しろ、いつ靴に画鋲を入れられてもおかしくない状況なのだから…。

「それじゃあ行こうか」
「うん」


そう言葉を交わして歩き出すのだけれど。

・・・・・・。


なんですか、 コ レ ハ ! ?



「不二」

「ん?」

「ちょっと…離れて歩いて」


私の発言に、不二は疑問符を浮かべたような表情を見せた。
これから一緒に帰るというのに、離れては無いだろう…と。

しかし、私の希望としては…
せめて校舎の中に居る間は、離れていてほしい。
そうでもしないと、視線が痛くてどうしようもない。
画鋲が足の裏に刺さるのも相当な痛みが予想されるけど、
このチクチクとした視線もそれ相応な痛みがある訳です。


俯いている私と周りの様子を見比べて意味を察したのか、
不二はやんわりと「ああ」と言った。笑い交じりに。

そうすると…。


「…あの」

「ん?」

「不二…日本語分かるよね」


とは違うんだから、という冗談はさておき。

不二は、私にピッタリと寄り添っている。
それはもう、腕と腕がぶつかって歩き難いほどに。
お陰で私はさっき以上に肩を竦めて小さくなる。


不二はくすっと笑った。
すると、私だけでなく周りに聞こえるほどの大きな声で言った。





「困るなぁ。僕のカノジョとなる人がそんなにおどおどしてちゃ」





カノジョ?


かのじょ、彼女。



〔彼女:1.かの女。あの女。その女。この女。 2.転じて、愛人である女性。(by広辞苑)〕




カノジョ……。





KA・NO・JO!!!






「な、ななななな!」

「さあ、早く僕らの愛の巣くつへ向かおうよ」

「ちょっ…何言ってるの!!」




周りの視線が、一点へ。

漫画で言うなら集中線引かれまくり、みたいな。


痛いイタイイタイ。大ダメージ。



視線がイタイですよどうしてくれよう不二周助さんっ!?!







「うわぁああ〜〜〜ぁーーー!!!!!」







私は不二の腕を掴むと、凄い勢いで廊下を走り抜けて、
階段を数段飛ばしで駆け下りて、そこで不二の身を解放すると、
画鋲の存在を確認する間もなく靴を履き替えて、玄関から飛び出して、
そのまま学校の敷地から逃げるように遠ざかった。



「ま…撒いた?」

「大丈夫。元々誰も追ってきてなかったよ」



そうか、それは良かった…。
そうね。もしかすると私以上に周りが驚いていたかもしれないわ。
追いかけるほどの余裕もなくその場に立ち尽くしてるかも。

…って、違っ!!


「何よ、さっきの発言!!」

「ごめん、ちょっと調子に乗っちゃったかな?」

「『乗っちゃったカナ?』じゃないわよこのあんぽんたん!!」

「あんぽんたん……」


不二は笑いを噛み殺しきれないと言う感じで声を出して笑った。
「そんな呼ばれ方したの、人生で初めてだよ。嬉しいな」と皮肉も忘れず付け加えて。


ふぅ、と私は溜息を吐いた。

けれど。
け、れ…ど。


……私、キャラ違っ!!


「…ちょっとタンマ!」
「ん、どうしたの?」


深呼吸、深呼吸。
はい息を大きく吸ってー…吐いてー…。
また大きく吸ってー…吐いてー…。

よし、いつも通りです。
先ほどのは、私の中に住み居着く第二の人格ですわ。ふふふ。
とはいえ決して二重人格とは違いましてよ。おほほ。

…ってまだオカシイわ。


とにかく、驚いちゃって…。


「タンマはまだ取れないの?」
「ん、もういいわ」


平常心、平常心。
気取った表情で私は言った。
気取ったというか、それが普段の私で。
普通にしてればあんなに叫ぶなんてことないのに。

色々な意味で、この人は私の心を掻き乱す。


「とにかく、私はまだアナタの告白の承諾はしていないんだからね?」
「うん、分かってるよ。ごめん」


不二はまた優しく笑った。
やはりこれでこそ、という感じがした。

さっきの堪えきれず声を出して笑ってる様子も、私は好きだったけど。




「ここがうちだよ」
「へぇ…大きいのね」

お金持ちだとは聞いてたけど。
綺麗でお洒落な家。


「ま、とにかく上がってよ」
「お邪魔します」


促されて、私は不二家への一歩目を踏み出した。



中は洋風の造りになっていて、外見と揃ってお洒落。
思わずきょろきょろとしたくなる気持ちを押さえて、
私は天井から下がっているシャンデリア型のライトだけを見つめた。

すると、パタパタとスリッパの音。


「あら、こんにちは」
「あ、お邪魔してます!」

予期せぬところにおばさま登場。
そうね、二人きりなんて誰も言っていないものね。
…決して期待してなんか居なかったけど。(寧ろ不安だった)

軽く礼をした。自己紹介。


「初めまして、です」
「あら、しっかりしてるのね?」

そうですか?と謙遜も忘れず。

本当だったらここで「周助くんにはいつもお世話になってます」
とでも言いたくなるような流れだけど、
事実上お世話になった憶えもない手前それは言えない。


「ゆっくりしていってね」
「どうぞお構いなく」


一通りの挨拶を終え、ふと思った。

不二家に女性が訪れるのは、普通なのであろうか…。
妹か姉が居るとか?
そうでもなければ自分の家に雌っ子が迷い込むなどと言えば
目を見張る騒ぎであろう…と私は判断する。

それにしたって、息子が始めて女性を連れてきたとあれば
母は騒ぐものであろう。少なくともうちはそうだった。
お兄ちゃんが彼女を連れてきた時なんか、それはもう。
(「今夜はお赤飯ね!」とかなんとか言いながら。恥ずかしい。)

それが、ナチュラルに受け止められた。
つまり初めてじゃないということか…。
いや、それとも洒落たおばさまのことだから、
騒動を起こすほど大したことでもないのかもしれない。

そうだとすると、考えが変わる。
不二周助は(多分)妹か姉(そして恐らく後者)が居て、
そういう家でそういう母に育てられた子どもだ。

「どうしたの?見つめられちゃうと困るなぁ」
「別に見つめた訳じゃ…」

見てたのは、事実だけれど。
それにしてもこんな言い回し、どこから学んで来るんだか。
やはり、その家系の影響?

……。
不二、女子の扱いが上手いわけだわ…。(大いに納得)


そんなことを言いつつ、
私は不二と初めて喋ったのが今日だということを思い出した。
それどころか、顔をはっきりと認識したのも今日が初めてだ。


「とりあえず…僕の部屋に行こうか」


首で了承の合図をして、私たちは階段を上った。






「ここが、僕の部屋」


扉を開け放たれて、私は瞬きを数回しないと一歩目を踏み出せなかった。

美しい…あまりに整いすぎている。
男子の部屋というと汚くてむさくるしいものを
想像していたのだけれど、そんなの微塵も感じられない。

「そこら辺に腰掛けて」
「どうも」

ふかふかとしたロッキングチェア。
……悪くない。


辺りを見回してみる。

へぇ……。


「不二って山とか好きなの?」
「ああ、それは旅行先で撮ったものなんだ」
「あっ、写真撮ったりするんだ」


……あれ?

なんか、引っ掛かるような…。



「実はね、見せたいって言ってたものも、とある写真のことなんだ」



そう言って、不二は大きなパネルを取り出した。

普通の写真とは違って、もう大きく引き出してある。

本当に本格的に写真が好きなんだ…と思った。



そのパネルを裏返した、そこに、は。




「……わぁ!」




引き込まれるような感覚に陥った。





蒼い。


あまりにも蒼い。


あまりにも蒼い空。


あまりにも蒼い空と、その下の少女。





……え?





「これ…」

「分かってくれたかな」




この、女の子。

空の下に佇んでいる、この人。





「ワタシ……?」





正解、と不二が呟いた。


何、これ。
こんな写真いつの間に…。



「昨日、一昨日…だったかな。あまりに天気がいいから、カメラを持って散歩に出かけたんだ」

あ、私と同じ…。



「空が、真っ青だった。本当に青かった。今までに見たどんな空より深くて、遠くて」


同じだ。
私が思ったことと、全く同じ。



「写真を撮ろうとしたとき、丁度女の子が見えて…それがさん」


そんな偶然。


私が空を見上げていたあの時、

不二は私のすぐ近くに居たのね?




「その女の子がね…凄く遠くを見てるんだ。空を見透かすほどに」


私、蒼い空を探してた。

どんな青よりも、もっと青い、蒼。




一度間を置いてから、不二は言う。



「この写真はね、空がメイン。少女は背景の一部なんだ」


それだけど、と加えて。




「きっとこの子が居なかったら、空はこんなに青く映らなかった」




言い終えると、知ってる?と疑問をぶつけてきた。







「写真ってね、撮る人の心を映すんだよ」







そして、『僕は、さんのことが、好きだよ』と言った。


思わず涙が出てきそうになったけど、
それは喉の辺りで押し留めた。
お陰で裏返りかけている変な声になったけれど、「私も」と答えた。




こんな蒼、私には描くことは出来ない。

心を映している。写真も絵も、同じだと思う。
私にはこんな蒼、出すことは出来ない。


そこで漸く、思い出した。

文化祭で取ったグランプリに愚痴を零したこと。
横にあった空の写真の方がよっぽど立派に見えたこと。



はさ、絵を描くんだよね」


下の名前で呼ばれていること、この段階では気付いていなかった。
何しろ写真の蒼さと、された質問で頭が一杯だったから。


「どうしてそれを…?」
「ん、去年グランプリを取った人の名前、憶えてたからさ」

まさか写真に写した人がその人だなんて、想像もしていなかったけど。
そう付け加えて、不二は笑った。


「綺麗だった。深くて…澄んだ色」


私は焦って否定する。

「そんな…不二の写真の方が綺麗な蒼だった。私こそ、
 どうして、あれが準グランプリなのか…分からなくて…」
「あ、知ってたんだ」
「今さっき気付いたのよ…」


とにかく。

不二は、私には持っていない何かを持っている。
そんな気がしたんだ。


そうしたら、不二はこう言った。


「もしかすると、僕はより綺麗な青色を写すことができるかもしれない、でもね」





―――の絵は、それより綺麗な空色だったよ、と。




笑顔を通り越して、今度こそ本気で泣きたくなった。
それでもやはり涙は隠したままにしておいたけれど。



「これからはずっと、を背景に空を撮り続けようかな」
「空を背景に私がメインってことはないのかしら」
「そんなことをしたら空がピンク色に写っちゃうよ?」

笑えない冗談はやめなさい、と私は突っ込みを入れて。


私も…また青い空の絵を、描きたいな。

作者の心を映し出す、それが本当なんだったら、
私は不二を被写体にしたいな、と思う。

きっと、背景の空はもっと蒼くなる。




「今日の空もさ…結構青いよね」
「今朝、不二が来る前は友達とそのこと話してた」


確かに今日の空は、青い。

だけど……。



「周助/ の 蒼色/空色 には勝てないかなっ」



顔を見合わせて、笑った。




今日は色々と見えた。
初対面のはずだったのに。

普段見せる優しい笑顔。
意外なところで見せるおどけた表情。
写真に関する真剣な眼差し。



「今度さ、空をバックにお互いを撮ったり描いたりしない」
「いいわね、それ」

「来年の文化祭でコンクールに提出しようよ」
「またやるか分からないわよ?高校だし」

「じゃあ、将来二人で展覧会を開こうか」
「まーた」



私は肘で小突いた、けど。


素敵な夢、だね。



もし青い空と一緒に周助の絵を描くことがあったら、
題名はもう決まっている。


 "azure and my dearest"


え、意味?
それは…秘密、デス。



「…そうだ。この写真ね、題名があるんだ」

「え、どんな?」



不二の口から言葉が放たれた時。


私は思わず、吹き出した。





「それなら、私も同じ題名の絵を描こうかしら」

「それって…認めてくれてるってこと?」

「さあ、どうでしょう」



その絵が描き終える頃はきっと、

胸を張って「そうだよ」と言えるようになっているから。



だから、もう少しだけ待っていてくださいね。






















240000HITリクの不二夢。
不二が写真に写った他クラスの子に一目惚れする、という。
リク内容から考えると不二視点の方が良かったのかな…。
主人公がやりたい放題暴れちゃったんですが。汗。

題名、さぁなんでしょう。
それは即ち題名なんですよ。(何)
分かった方には豪華プレゼントー。(ぇ

思ったより随分と長くなってしまいました…たは。
でも、非常に楽しかったです。空の青、大好き〜。
彩亜さん、リクエスト有り難うございました!


2004/02/20