鳳君がピアノを弾くのは何度も聴いたことがある。
バイオリンも上手だってこと知ってる。
だから、今回の事件はとても衝撃的だった。
演奏家にとっては、指一本でも命取り。
そのことは、強すぎるほど身で感じていたから。
* 指を怪我したピアニスト *
『 ♪ 』
「―――」
私が、それを耳にしたのは偶然。
もしかしたら呼び寄せられていたのかもしれないけど。
少なくとも意識の上では、
まさかそんな状況に対面するとは思っていなかった。
いつもなら東階段を上がる私。
その日は職員室に寄り掛かったので、
珍しく西階段を上った。
西階段のすぐ横3階には、音楽室がある。
そこから聞こえるバイオリンの音。
とても上手…だと思うのだけれど、
たまに有り得ないところで音を外す。
何だろう…?
気になって、扉をそっと開けた。
中は、電気が点いていなかった。
闇の中でバイオリンを演奏していたのは…。
「鳳君!」
「……?」
ゆっくりと振り返った鳳君の目。
暗い中だから余計なのか、冷たそうだった。
そう。私は知ってたはず。
鳳君は、ピアノも上手で、バイオリンも弾けて。
部活がない――例えば今日のように雨の日の――放課後は、
音楽室でよく演奏している。
前は私も、よく聴き入ったものだ。
だけど――いつからだろう。
放課後、この音楽室に立ち寄らなくなったのは。
自分の不甲斐なさを身に染みて感じるようになってから?
「どうしたの、電気も点けずに」
「いや……」
珍しく言葉を濁した鳳君。
私は電気のスイッチを入れると、
並んでいる中の一つの椅子に腰掛けた。
前もよくこうしていたものだ。
鳳君は私に視線を向けると、眉を下げて。
目を軽く伏せると、演奏を始めた。
綺麗なメロディ。
音符の一つ一つが、私の心に語りかけてくる。
今日も、美しい音色を奏でて……?
「鳳君…?」
「やっぱり、ダメだ」
鳳君は…弓を下ろした。
どうして…。
綺麗に連なっていたその曲。
なのに何故か、間違いだらけで。
鳳君は溜息を吐くと、手を前に差し出してきた。
「ちょっと…テニスでやっちゃって」
「……あ!」
よく見てみれば。
親指、包帯がしてあった……。
「どうしたの、骨折!?」
「いや、骨じゃないんだけど…爪、思いっきり剥がしちゃって」
うわぁ、痛そう…!
思わず自分のことのように肩を竦めてしまう私。
鳳君はバイオリンをピアノの上に置くと、言った。
「この指じゃ…弓が上手く握れない。ピアノよりはマシかと思ったんだけど」
「じゃあ、テニスは…」
「暫くは筋トレかな」
笑って誤魔化してた、けど。
辛いよね。
分かるよ。
私もそういうことあったから。
「悔しいな。折角初めて聴けた鳳君のバイオリンが、本調子の時じゃないなんて」
「……」
「でも…もうちょっと聴いて、いいかな?」
私の言葉に、鳳君は、微笑した。
ゆっくりとバイオリンと弓持ち上げると、演奏を始める。
ところどころ音は外れるけれど。
その度に、眉を顰めるアナタが見えるけれど。
私は、心地好く聞き入っていた。
なんだか気分出ないな、なんて。
わざわざ電気を消した。
鳳君は不思議そうな顔をしてたけど、
演奏はそのまま続けてくれた。
前もこんなことよくあった。
バイオリンは初めてで、いつもはピアノだったけど。
心に入り込んでくる音の一つ一つは、どちらも同じ。
でも、私はここに来なくなった。
あまりに音が真っ直ぐで、私には絶えられなくなったんだ。
私は逃げた人だから。
自分が不甲斐なくて仕方がなくなった。
始めは、気持ちよく演奏が聴ければ、それで良かったのに。
だけどまた、戻ってきた気がするよ。
その演奏に割って入るようで悪いけれど、私は声を上げた。
「私、またピアノやろうかな」
「―――」
鳳君は、演奏を止めるとバイオリンを下ろした。
驚いた様子でこっちを見てくる。
私は笑顔で喋る。
「実は私…ピアノやめたの、怪我が原因なんだ」
「………」
「発表会のちょっと前でさ…一生懸命練習してただけにショックでさ」
あれは、もう3年も前のことになる。
ピアノを弾くのは楽しかったし、他に自慢できるほどの実力もあった。
とにかく、大好きで大好きで仕方がなかった、のに――。
不幸な事故。
酔払い運転の車に衝突。
指含む全身にに全治2ヶ月の怪我。
その時は、発表会の3週間前だった。
なんだか突然、大嫌いになってしまった。
また歩き出すことが出来なかったんだ、私。
ギブスが取れると同時、
私は週3回のピアノレッスンを、辞めた。
「なんか…鳳君見てたら自信出てきた」
「そんな俺は別に…」
「んーんっ。励みになった。私、またピアノやる」
レッスン取るかは分からないけどさ、家にはピアノあるし。
やろうと思えばなんだってできる。
将来の夢だったものが、ちょっとした趣味に変わっただけ。
そうそう、私ピアノストになりたかったんだっけ。
それすら忘れてた。
色々と失くしていたみたい、私。
「3年のブランクを埋めるべく頑張るぞー」
「さ、3年!?じゃあこの前弾いた曲は…」
「あー、あれは4年前の発表会の曲。
さすがにその怪我の時の発表会の曲は弾く気になれないよ」
鳳君、固まってた。
暫くすると表情崩して、苦笑してた。
「相当…好きだったんだな、ピアノ」
「あ、分かる?」
「うん。4年前にしては上手すぎだし…それに」
―――音が凄く、真っ直ぐ心に響いてきたから。
「なんて、クサかったかな」
「ううん……ありがと」
私の目には涙が浮かんでいたこと、気付いていたかな?
電気が消えていたから、誤魔化されていたことを願うけど。
だけど妙に背中を向けてくるってことは、きっと勘付いていた。
ありがと。
「そうと決めたら今からスタート!合奏やろ、合奏」
「え、俺今まともに演奏できないけど…」
「構わないって!私も間違えまくるし。エリーゼとかいける?」
闇の中。
それでも、目を閉じたって弾ける。
何年経っても、体が覚えている。
ああそうか、私、ピアノ大好きなんだ。
思い出した。
お互いに間違いだらけだったけど、
音の一つ一つが、
妙なほどはっきりと胸に入り込んできた。
指を怪我したって、足で歩き出せばよかったんだね、きっと。
結構実話。バンドの授業が始まる前のちょっとしたひと時。
いつもなら誰かしらいるのに二人きりだったよ…焦る。
お相手はアバウトな性格な子ですがバイオリンは優雅。
怪我の原因は釘をぶっ刺さったとか。痛ぇ!
でも主人公の待遇というのは私には当てはまりません。
(ピアノをやめたのはドイツに引っ越した時)
題名、本当は『指を〜バイオリニスト』になるはずだった。
でも主人公も絡めたいなーと思い、両方の意味でピアニスト。
そっちの方が語呂いいし。(結局はそんな理由)
事故の損傷は、指の怪我だけじゃなかったってことですね。
それが分かれば君も今日からピアニスト☆(は?)
2004/01/04