* 胡蝶ノ夢 *












夏。

今日も強い日差しが照り付けてくる。


太陽が高い。



「英二っ!」
「まーかせとけって!ほいよっ」

右に抜けそうな打球。
宙を舞った英二は、それを見事に捕らえた。

相手コートへ鋭く向かう。


「ゲーム青学!6−0」


よっしゃ、と英二がガッツポーズをした。

そしてくるんと振り向くと、
歯を見せて笑った。


「大石、オレ達って最強じゃん?」


ピースサインを見せて。
俺も笑顔を返して、親指を立ててみせた。

高い位置で、手が合わさりパンと音を立てる。


二人揃えば、怖いものなし。


そんなことを考えながら、
自陣で待っている仲間たちの元へ歩いていく。


夏の日差しは強く、容赦無しに体力を奪う。
動いている間は紛れているものの、
止まった途端にその暑さを体感する。

汗が流れていく。
視界さえも歪んでいくように見える。

暑いというよりも、熱い。


……太陽が高い。





   ***





「おーいし。大石ー!」
「…えっ?」

ビクッと体が跳ねた。
息を吸い込んだような不思議な声が出た。

焦点が合わない。
そこに居るのは…

……誰?


「えっと……」
「やーっと起きた!いつまで寝てるんだよ、全く」

目を吊り上げてそう言った。
だけど…

お前は誰だ?
ここはどこだ?

まず……俺は誰だ。


「俺は、大石秀一郎…」
「何寝ぼけてんの!」

英二は俺の布団を引っぺがした。

そうだ。
そこに居るのは英二だ。

ここは、孤児院じゃないか。


本当に、何寝ぼけたことを言っていたんだろう。


「今日の洗濯当番オレなんだよ!さっさと起きて洗濯物有るなら出して」
「あ、悪いな」

……なんだ?
この感覚。
有り触れた日常じゃないか。
でも、何かが違う。

何かが…違うような。


これは 夢 ?


「…いて」
「だから何やってるの!早くしてってば」
「ごめんっ」

急かされて、俺は焦って支度を始めた。
頭の中では思考錯誤。

頬を抓ってみた、けど、痛い。
これは夢ではない。

しかし、この違和感は何だろう。


…そうだ。
きっと、今朝見た夢があまりに現実味を帯びていたから。

とはいえ、この現状とは掛け離れているけれど。


「英二、今朝面白い夢を見たよ」
「へー」

英二は興味無さげに答えた。
それはいいから早くしてくれ、ということだろうか。
気にせず俺は続ける。
口と同時に体も動かしているから、構わないだろ。


「テニスをしているんだ」
「テニスぅ?何でまた」

英二は眉を顰めると口を突き出した。
俺は答える。

「分からない。けど、楽しかったよ」
「ふーん」

はい、と洗濯物を渡すと英二はそれを洗濯籠に入れた。
なんだか浮かない顔をしているが。
遅れたこと、そんなに怒っているのか?

「でも…その割に」
「え?」

地面に視線を宛てて、英二は言う。


「…なんか、魘されてたけど」


ウナサレテイタ?

俺が?
あの夢で?

…そんなバカな。


寧ろ清々しいほどだった。


「楽しい夢だったんだけどな…」
「でもほら、現に今大石汗だくじゃん」
「え?……あっ」

確かに。

それほどまでに気温は高くないのに。
湿度は低めで寧ろ爽やかな気候なのに。
それにも関わらず、自分のパジャマは
びっしょり湿っていたことを思い出す。
今も、全体的に体が汗ばんでいる。


夢の中、本当に魘されていたか?
そんな要因なんてあったか?

汗を掻くほど暑い…

暑い、熱い?


「夢の中、凄く暑かった。それでかもしれない」
「凄く苦しそうに顔顰めてたけど」


 間。


「……そうか?」
「うん」

…これ以上は俺にも分からない。
この話は切り上げることにした。

「英二、洗濯の方はいいのか?」
「あ、今すぐやるとこだよ!」

籠を持って、パタパタと走っていった。

ふぅ、と無意識的に溜息を吐く。
なんだかんだいって、滅入っているのかもしれない。


楽しい夢。
あんなに思い切り走り回ったの、久しぶりだな。
って、夢の中なんだけど。

一つのボールを追い掛けて。
しかし、どうして本当にテニスのテの字も知らないような俺があんな夢を。

……願望、か?
夢というのは夢主の心理状況を深く組み込むらしいからな。


「そういえば大石、今日夕食当番だってこと覚えてる?」
「ん、ああ」

そう。
そういえばそうだったな。
今晩は食事当番だった。

確か作り始めるのは5時半…え?


壁時計が示す時刻は…もう5時過ぎ?まさか。

明け方の、ということはないだろ。
腕時計を調べよう。

…11時14分。

うん、そんなものだろ。
そこの時計がきっと狂っているんだ。

あれ、ところで俺はいつ腕時計をはめた?
今朝ははめていない。
昨晩からずっと?
そんなまさか。


なんだ。
この矛盾感は。

これは……


  夢 ?




視界が暗く―――――…・・…





   ***




「ん……」
「あ、起きたぁ!」

わっ、と小さな歓声が上がる。
……どういうことだ?

「俺…」
「あ、無理に起きないで!頭打ってるかもしれないんだから」
「………?」

頭がボーっとしている。

…なんだ?
俺は今まで何をしていたっけ?

……思い出せない。

確か、テニスをしていて……。


「試合…勝ったよな」
「うん、勝った勝った!」

嬉しそうに飛び跳ねている英二。


「青学は優勝したよ」

横で微笑む不二。


「しかし試合直後に倒れるとは…また無理をしていたのではないのか?」

厳しい顔の手塚。


周りに居るのは、その他青学テニス部のメンバー。

だんだん意識がはっきりとしてきた。


「別段無理をしていたつもりはないよ」

しかめっ面の手塚に笑顔を向けた。
眠る(…というか話の流れ的に俺は倒れたのか?)前の
状況を思い起こして俺は話す。

「ただ、今日…暑かったから」

手塚は眉を潜めたまま答える。

「…とにかく、無理はするなよ」
「そーそー!大石って人の相談は聞くくせに自分のこと話さないもん!」

横で英二が茶化す。
そして笑った。

英二の無邪気な笑顔。

何故だ?
違和感を感じる。

英二が笑っているなんて、いつものことじゃないか。


「えっと…俺、どうしたんだっけ」
「試合が終わって応援席に戻ろうとしたら、突然仰向けに倒れた」

英二がさらりと事実を述べる。
端的で分かりやすくて何より。

そうか、俺、倒れたのか。


「で、ここは?」
「大会開催地の医務室」

「時間は?」
「5時。もうすぐ閉会式がある頃だよ」


…とりあえず、
現在の状況は把握した。


俺は試合終了直後に倒れた。
そしてこの医務室に運ばれた。
シングルスの間は意識を失っていたけれど、
今は試合も終了し優勝が決定したので、
みんなが見舞いに来てくれた、と。
そしてもうすぐ閉会式。


『ピンポンパンポーン♪ ――まもなく、閉会式が始まります。
 大会に参加した選手の方は…』

「お、噂をすれば閉会式」
「行くぞ」

俺も布団を捲り立ち上がろうとする。
英二はそれに気付いてくるりと振り返った。
すると、凄い剣幕でストップを掛けてきた。

「ダメ!大石起きちゃダメ!」
「え、どうして…」
「そうっスよ、頭打ってるんスから」
「そーそー。無理しちゃダメ×2」

桃も一緒になって止めてくる。
ちらりと手塚の方を見ると、頷いた。

大人しくここで待っていることにした。

「…それじゃあ、俺はここにいるから」
「うんにゃ。終わったら迎えに来る」

代わりにトロフィー受け取ってくるからー!
と嬉しそうに英二は医務室を出て行った。

確かに、部長が賞状、副部長がトロフィーを受け取るものだからな。
英二はそれが何気なく羨ましかったらしい。

ピシャっとドアが閉まる。
俺は部屋に一人になった。


…しかし、さっき感じた違和感はなんだろう。
英二が笑っただけなのに。何故?

倒れたから頭がおかしくなったのか…?
そんな理由じゃない気がするんだけど……。


なんか、あんな英二の笑顔、久しぶりに見た気がして。

久しぶりっていっても、せいぜい数時間。
どうして?

なんだか、その中に空白の何かが入っている気がする。
空白を埋める何かではなく、空白の何かが。

作り出された時間。
作り出された空間。


 夢の中?


夢…夢なんて見たか。
第一意識を失って倒れた時に夢など見るのか。

無意識に時計を見る。
5時過ぎ。


…あれ?
こんなこと、前にも何処かで…。

デジャ・ビュ?


あ、そうか。思い出した。


俺は確かに夢を見た。
そこで見た時計がこの時刻だった。

どうして時計を見たんだったか。

何か…急いでいた?いや。
追い詰められていた?何に。

やらなきゃいけないことがあったんだ、何らかの時刻に。


やらなきゃいけないこと…鍵当番。
……当番?

そうか、思い出した!
食事当番だ。

俺は確かその日の夕食当番だったんだ。


どこかの、孤児院で―――・・・…・・・






   ***





夕食。

皆でテーブルを囲んでいる。


「んー、さっすが大石!このシチューとか最高っ」
「はは、今朝ご機嫌を損ねてしまった気分屋の権力に取り入るために必死だよ」

冗談を飛ばす。
英二は気にせずシチューを頬張るだけだった。

「はー、おいちかった!大石、御代りは?」
「きっちり盛り付けちゃったから残りは無いよ」
「ちぇっ。こんなところまで几帳面だよな」

文句有りげに英二はガシガシとスプーンを噛んだ。

「時間は絶対間違えないし。寝坊したこともないし」

ぶつぶつと独り言を続ける。
しかし、これは不満なんだか誉めてるんだか…。

「だけど、そのくせ当番は間違えたよね」
「そうだったか?」

む、と英二は眉を顰めた。

「そうじゃなかったら大石が夕食作ってるはずないでしょ!
 何で俺が今朝怒ってたと思ってるの」
「あ、そうだったな」

そうだ。
何を言ってるんだ俺は。

本当は俺が洗濯当番のはずなのに、
すっかり忘れて小さい子たちと森の探検になんか付き合っちゃったもんだから。
代わりに寝坊して起きてきた英二がやらされたんだった。
その分、俺は英二が当番のはずだった夕食作りを代わったんだ。


「ま、お陰でこんな美味しいものが食べれたんだから許そう」

英二はそう言って笑った。
ちょっと意地悪っぽい、笑み。


「…さてと。大石も食べ終わっただろ?卓球でもやりに行こ」
「オーケー」

食器を重ねて立ち上がった。
それを台所まで持っていくと、地下へ下りる階段へ向かった。

ちらりと腕時計を確認する。

11時14分。


ん?
今日起きたときに見た時計も同じじゃなかったか?
動いてるのか、この時計…。

そうか。12時間前か。

…あれ?
確か俺が時計を確認したのは、当番に遅れないためで。

なんの当番?夕食当番。

そうだ。
俺は元々夕食当番だったはずだ。
じゃあ、さっきの英二の話は……ん?

「大石ー!何やってんの。早く早くっ!」
「ああ、今行く」

…なんだ。
混乱している…。

まあ、余計なことを考えるのはよそう。
どうせ夢か何かとこんがらがっているんだ。


どう考えたってこれが現実なんだから。

それ以上は深く考えるのはよそう。










……あれ?

俺今まで何してたっけ?



視界が、暗くなっていく………。

あ、あそこに何か居る。


人じゃない。

綺麗な色をして、飛んでいる。



鳥?

違う。



あれは……





  蝶 ?






   ***





「おおいし〜おお、いっしー…いしおおー」


…なんだ?
誰かの声。

俺を呼んでいる?


……英二。


「……エージ?」
「あ、起きたぁ!」

…なんだ、俺は。
また寝ていたのか…。


「さっきからずっと呼んでたんだけどさ。
 あと10回コールしてダメだったら諦めるところだったよ」


そう言って英二は苦笑した。

どうやら、閉会式で皆が居なくなった後、
ベッドに仰向いていた俺はそのまま寝てしまったらしい。


「さっ、帰りますか。あ、普通に歩ける?
 なんなら負ぶってこうか。お姫様抱っこでもいいよん」

英二が冗談で言っていると分かったので、
俺は微笑を返して自分で立ち上がった。

「他のみんなは?」
「さっきまで居たんだけどね。オレが大石のこと看てるからいいよって言ったの」

そうだ、手塚に連絡しなくちゃ〜、と
英二はケータイを取り出した。


「あ、もしもし手塚ぁ?大石起きたから今から帰る。
 何?もう自宅!?早っ!そうか、学校よりここからのが家近いんだ。
 うん。元気そうだよ。あ、分かった。うん。ほいほい。じゃーねぃ」

…電話でも元気が良いな、英二は。
そう思うとなんだかくすりと笑ってしまった。

「手塚が竜崎先生に連絡してくれるって」

通話を終わらせながら英二はそう言った。
ケータイをポケットに仕舞うと、
足を必要以上に高く上げながら歩き始めた。


「それにしても、今日はいい試合だったよな」
「ああ、そうだな」
「何度かヤバイかもー、って思ったんだけど、
 その度に大石が居てほしいところに居てカバーしてくれてさ」

英二は嬉しそうに笑った。
俺も笑って答える。

「今日はいつもより英二の動きが冴えてる気がしたよ。
 後ろに居て、こっちも動きやすかった?」
「やっぱ?俺も大石がカバーしてくれると思うと思いっきり動けた」


笑顔を合わせて、また破顔。



好きだ。

英二が好きだ。
テニスが好きだ。
この世界が好きだ。

少し違う感情かもしれない。
だけど心がそれに向いて急くという点では、同じだ。


今、ここにこうして生きていることを、俺は幸せに思う。


たまに夢を見て、
また夢から覚めて。

いつでもこの現実があるから。



「……大石?」
「ごめん、ちょっと…」

きゅっ、と。
英二の左手を掴んだ。

温かい。


「まだ…体の調子がおかしいのかもしれない」
「えっ!?じゃあどっかで休…」
「大丈夫」

座れそうな場所でもないかと辺りを見回す英二。
俺は更に手を強く握る。


「大丈夫、だから…このままこうしていてくれ」
「…分かった」



繋がった左手と右手。


正面には夕日。

濃いオレンジ色をした日差し。


太陽は大きい。



昼間ほど強い日差しではない。

それでも、照っていく陽光は肌を染める。


暖かい、否。



温かい。





そのまま夢の世界にでも溶け込んでいけそうだった。






















夢を多く見そうなのは?
というアンケートの結果一位だった大石。
悪夢見てそう、とか魘されてそう、という意見が非常に多く
とても微笑ましかったです。(笑顔)
英二もいいところまでいったんですがね。
お子ちゃまだから気楽な夢見てそう、という意見が多かったので。
話の雰囲気からしてうなされてそう(笑)な大石くんを主人公に。
大菊票も多かったし、この二人で行くことに決定。

幸せほのぼのに終わってますが、実は続編があったり。
それは裏に存在します。
本当のエンディングが知りたいダークOKな方は是非。


2003/10/22