「 ♪ 」






―――…。







仕事を無くして絶望していた帰り道。


綺麗な、歌を聞いた。




いや、歌詞やメロディーなんて憶えちゃいない。





綺麗な、声だった――。











  * セレナーデ -小夜曲- *












陽光が傾いた窓枠の隙間から漏れてくる。

鶏の鳴き声も聞こえる。もう朝だ。


「さて、今日はどうしようかな」



不況の折。

そう簡単に雇ってくれるところは見つからないとは思うけれど。


それでも、色々と当たってみるしかないな。


そう判断して、家を出た。




外は北風が吹いていて涼しい。

薄手の革コート一枚では、肌寒く感じられる。


食べ物を探して嗅ぎ回っている犬が、居た。


近付いてきたので思わず頭を撫でてしまったけれど。

自分も似たような状況にいるのか、
と思うと情けなくってどうしようもなくなった。


その場を後にした。



風は容赦なく吹き付ける。



見上げた空は青かった。


高気圧。

雨なんか降りそうにない、冷たいだけの空気。





繁盛しているレストラン。

せめて下働きだけでも……駄目。



小さなパン屋。

…人手は足りている。



古びた画材屋。

…視線で払われた。



昼間は少々暇そうなバー。

…未成年は無理。だよな。



街角の宿。

……やっぱり駄目。





歩き疲れるほどに店を巡った。

だけど、どこ一つとして雇用の命は当ててくれない。



北風は冷たい。


凍えた指に息を吹き掛けた。

白く目に入る吐息が、逆に寒さを際立たせた。



北風は、冷たい。


だけど、風は時により何かを乗せてきてくれるから、好きだ。




「―――」




思わず後ろを振り返る。


何かが、聞こえた。




昨日の声だ。




そう確信すると同時、俺は駆け出していた。








どこから聞こえてくるのだろう。


分からない。

分からないけれど…足は自然と動いていた。




辿り着いた、一つの民家。

寂れたこの町にしては珍しく、比較的大きめの屋敷。

だけどやはりこの町らしいもので、

いくら大きかろうと門はついていない。


歌は、上から聞こえる。

きっと2階からだろう。横に開いた窓が見える。

歌っている主は見れなかったけれど、
その歌を聴けただけで満足だ。


家の側面に当たる白塗りの壁に寄り掛かった。

ゆっくりと腰を下ろす。



こうしていると物乞いにでもなった気分だ。

被っている帽子を前に裏返して置いてみようか、
などという冗談が思い付く辺り、まだそれほどまでには追い詰められてはいないらしい。
(勿論、飽く迄も冗談だ。本気でそんなことはやりたくはない。)


冷える体。膝を抱えた。


目を閉じると、前は何も見えない。

その分研ぎ澄まされる感覚は、
道行く人の足音や民家で作られる夕食の匂いを鋭く受け取る。


その中に、細くたなびく歌声。


頬に当たる空気がひんやりと心地好かったと思えた。



世界の色は少しずつ藍へと向かっていく。

完全な闇になる前に、俺は立ち上がった。







家に帰ってからは食事もせずに、眠りについた。


空腹で夜中に何度か目が覚めた。

そして、その日のうちで食べたのは朝食のパンだけであったことに気付いた。


これは早いうちに仕事を見つけなくては、
と心に強く思った。




なのに翌日。

チーズとハムをひと齧りすると家を後にした俺は
(残りはネズミに食べられぬよう袋に包んだ。この辺はドブネズミが多い)、
気付くと昨日の屋敷へと向かっていた。



迷いそうになりながらも辿り着いた家。
(昨日は歌に釣られて無我夢中で走ったので道順をよく憶えていなかった)

見上げてみたけれど、2階の窓は閉まっていた。


一瞬寂しささえ感じたものだ。

しかし、何故自分がここまで依存しているのかが不思議になった。



所詮、一人の人間が歌っているに過ぎない歌。

今それより重要なのは、生きるための金や食料を得ること。


そのはずなのに…足をそのまま止めてしまう。


自分が不思議になった。

でもそれが今の自分なのだ。



昨日と同じ位置に腰を下ろした。

黄昏時だった昨日とは違い、随分早い時間から居る今日。

朝になって家から出てくる住民や、
自らが仕事へ出かけるために道を通り過ぎていくもの。


沢山の人が通った。

その中で、帽子一つにコート一枚で路肩に座り込んでいる俺は、どう写ったのだろう。



あまり気にしないことにした。





町の中央にある市庁舎から響く鐘が正午を告げる。

朝、家を出てから早4時間。

俺はずっと、そこに座っていた。


何をするでもなく。

ただ、ぼーっとそこに居た。


ふと、上を見上げると窓が開いていた。

それだけで幸せだった。




それから更に暫くして。

太陽が少し低い位置に移動し始めてきた頃。


また、歌が聞こえた。



透き通った、綺麗な澄んだ声。

女性のもの…ではない。

優しい声色ではあるが、それは違う。


自分に比べると随分高い印象を受ける声だが。

ボーイソプラノ…とでもいうのだろうか。

だからといって少年特有の甲高く響く声でもなく。


不思議だった。

それでいて、温かい。



まるでローレライのよう。

俺はその歌声に魅せられる舟人のよう。

だけど、川底に沈められて死ぬようなことはない。


もう堕ちているのかもしれないけれど。

でも、癒されているのもまた確か。




上から聞こえる優美な音色。


空気の波にそっと耳を寄せた。






――今日は素敵な恋歌(ラブソング)が聴けた。



 なかなか眠ることの出来ない月夜。

 遠くにある届かない存在。

 胸の中の小さな痛み。

 全てを忘れて笑顔で居たいと。


そんな歌詞だった。



それは誰に宛てられているのだろう、
と考えると、切ないような悔しいような。

変な気持ちがした。

これは、自分がそれだけこの歌声に魅了されているということだろうか。


もしも、この歌が一人に捧げられているのなら。



…軽い嫉妬のようなものを感じた。



あの綺麗な声を、その持ち主を手に入れたいと。


無意識に欲望という感情が躍動を始めていた。







窓を一度見上げた俺は、立ち上がり帰路についた。

やはり声の主は、見えなかったけれど。




「ただいま」


返事は勿論無い。



一人で暮らすことを始めて、もう直ぐ半年。

独りでの始めての冬。

先立った母が寝ていた藁ベッドに、今自分は眠っているけれど。

床に寝ていたあの頃よりも、寒い。



家にある食料は、フランスパン半分にトマトが1つ、
今朝の食べ掛けのエダムチーズにハムが一欠けら。

あとは…牛乳。それだけだ。


さすがにひもじい思いがした。

明日はあの家には寄らず、真っ直ぐと仕事を探しに出ることに決めた。



そして実際そうした。




開けた朝はとても冷え込んでいた。

扉を開けると、そこは銀世界。


雪だ。雪が積もっていた。


温かいもの一つ食べることも出来ずに、俺は家を出た。





結果、俺は最終的に一つの職に在り付くことに成功した。

といっても正式には職とはいえない、一時的な仕事だが。


氷や雪を掻く仕事だ。

体力の要る重労働ではあるが、それなりに賃金は弾む。

一日や二日だけのものなのだが、
とりあえず食い繋ぐには充分過ぎるほどである。

どうせならまた雪が大降りすればいい、
などと不謹慎なことを考えてみたが、心の中に止めておいた。




くたくたの体で家に着く。

腕にはパンや野菜や少々の肉。奮発だ。


久しぶりにまともな食事を取って満腹。

だけど…何かが足りない気がする。



理由は簡単だ。

今日はあの歌を聴いていない。


なんて、さも昔からその歌を聴くのが日課にしていたような口振りだが、
実際は二度しか聞いたことないその事実に気付いた。


翌日も朝早くから遅くまで雪掻きの仕事だろう。

有り難いことであるが、それと同時に疲労感。




瞳を閉じればそこは静かな世界。

夢すら見ぬ闇のような沈黙。






そうして3日目。

雪掻きの仕事は午前中に全て終わった。

もしまた大降りになったらまた頼む、
というような意味合いの言葉を残すと、政府の者は消えた。



まだ日は高い帰り道。

迷うことなく、自分の足は一点へと向かっていた。





そして立っている、大きな白塗りの家の前。






周りの雪と同調して、その白は背景その物のよう。


俺はいつもの場所に腰を下ろした。

雪が積もっていたため、少し冷たい。




結局その後ずっと、風が歌を伝えてくれることはなかった。




北風は、冷たい。


だけど、風は時により何かを乗せてきてくれるから、好きだ。



その何かというのは、時により歌であったり、話し声であったり、
匂いだったり季節だったり、噂話であったり。






「ねぇ、聞きました?ここの家の息子さんの話」

「いーえ。何か御座いまして?」


「―――」



街角での有り触れた光景。

買い物帰りに擦れ違った主婦同士の会話。

普段ならそんなもの全く気にせず聞き過ごすのだが。


ここの家の息子。

もしかすると、いつも2階で歌っている、その人のことかもしれない。


俺は耳を澄ました。



「随分前から病気を患っていたでしょ?」

「えぇ。最近表に全然出てこないものね」


そうだったのか…。

それで、いつも部屋の中から歌うことしか出来ないのかもしれない。


顔を頭の中で思い描こうとした。

…思い付かない。



「そうしたら、最近の冷え込みで更に拗らせて…危篤らしいわよ」

「あらまあ」



……なんだって。

危篤?




ぐるんと頭が回ったような感覚に陥った。


つい3日前まで、彼は歌を歌っていて。

それが、俺が来なかった数日間の間に、色々と変わって。


危篤。

歌わなくなった彼。

一度も顔を現さなかった。



このまま、二度と、絶対に―――?




「………」




顔も見たこともない、名前も何も知らない者に。

ここまでも依存している自分は可笑しいかもしれない。


だけど、気になるんだ。

助けたいんだ。



長く躊躇った末、俺は息を吸った。

それがあまりに冷たく肺がキンとする。

一度ゆっくり息を吐き切った。


そして、もう一度吸う。





自分の口から流れたのは、一つの歌。




元来、歌はあまり得意ではないのだけれど。



あの人の声が自分を癒してくれたように。

何度も絶望の果てから助けてくれたように。


もしも、自分が糧にでもなれたら、と。




せめて耳には入れてくれるように。

助けにも何にもならなくとも、届いてほしいと思った。



 君のもとに幸せが訪れますように。




歌い続けること数時間。

空の端はオレンジ色だが上はまだ青いこの夕べ。


家の玄関のドアが開く音がした。

正面に回ってみた。


すると、医者が妙に速い足取りで家から出て行くところだった。

その早足が、何を意味しているのか。



峠を越したからもう安心です?

残念ですがもう息は有りません?



答えは見つからない。

ここに居る限りでは。




俺はまた家の横に向かった。

窓の下。数歩後ろに下がる。


閉まったままの窓。

そこに向けて、また歌を歌った。



励ましの歌じゃない。


鎮魂歌(レクイエム)?

まさか。


いつか、君が歌っていたように。




切ない恋歌。





聴いているうちに憶えてしまったその旋律。

声質や歌い方こそ違うものの、口から出るのは同じ歌。



少し考えた後、歌詞を少し変えた。


自分自身の気持ちを伝えるために。





 凍えるように寒かった帰り道。

 胸に届いたあの歌。

 未だにはっきりしない気持ち。

 それでもいつか笑顔を作れる日が来たら。



要約するとそんな詞。

ラインは自然と出来上がって口から紡ぎ出された。

不思議な感触。




窓の下で歌う自分。

中から出てくるものは誰なのか。

果たして人は出てくるのか。

それすら分からないのに。


出てくるのは、抒情的な歌詞だけだった。





背景には夕べ。

窓下で歌われる恋歌。


そう、これはきっと俗にいう



小夜曲(セレナーデ)。





 君は今、どうしているのか。

 まさかこのまま現れないなんて。

 信じたくもない事実。

 打ち消してほしいと願う。





自分の声と共に出てくる白いものを目で辿っていて、気付かなかった。


いつの間にか、窓が開け放たれていること。



聞こえてくる、歌の続き。





 いつかもし、君に逢うことが出来たなら。

 優しく微笑むことが出来たなら。

 それでも、君を想うと胸が痛むから。

 今は、少しだけ泣かせて。




綺麗な歌声。

ずっと自分が聞きたいと思っていたこの声。

だけどあまりに切なくて。

主旋律に乗せて、たった一言。








  それでも君が好きだ。








その時初めて、窓の中から顔が現れた。


年は、自分と同じか一つ下程度。

いかにも病人だったかというような、白いパジャマ。

顔は痩せ細り、薄めの肌色をしていた。


表情は穏やかで、優しげな印象を受けた。



目の端には薄ら涙を浮かべて。

それでも、笑顔だった。



それに対して自分もまた、笑顔を返した。







――これが恋だとは思わない。



俺はただあの声に惹かれて、返して、

そのまた返事が来ただけのこと。


だけど――幾度となく恋歌が交わされあったこの関係は、

くすぐったくも、温かな感情を持ち合わせていた。





  今夜も変わらず僕は歌う。

  窓の上には君が居るから。



  開け放たれた窓は、君を探していた。

  風が歌を運んでくれることを願って。








そんな、歌に紛れた小夜の風情。






















うわ、すっごいパラレルだね!(爽)
舞台は中世の欧州です。
イメージとしてロミオとジュリエットって感じ。(笑)

話の中では二つの歌が使われています。分かるかしら??(だってあの歌絶対不二大/ぁ)

そう。この話は不二大なんです。どう見ても大不二でも不二大萌。(何)
表向き大不二なんでそのように表記してますが。
実は、先に相手に目をつけたのは不二のほう。
それで、引き付けるために歌を歌ったんです。
見事に大石は引っ掛かってくださって(笑)、それで歌が交わされる関係に…ってことさ。
はは、あとがきのフォローで明らかになる事実たち。(駄目じゃん)

これはアンケートの結果を元に書かせていただきました。
(1位が不二で2位が大石。二人がダントツだったので両方歌わせちゃった。笑)
答えてくださった方、有り難う御座いました!
そして読んでくださった皆さんも、本当に有り難う御座いましたv

…書いてて本当に楽しかった。
こんなにスラスラ書けたのも珍しいです。


2003/09/05