夏休み。
そのときは必ず、田舎の実家に帰ると決まっている。

コンビニに行くまで一時間、なんていうそこ。
まあ、神尾自身そこでの生活は嫌いではなかったが。
でもやっぱり少し不便で、退屈することもあった。


そんな日々も終わって、いよいよ自宅に帰るという日。
夕方までの時間を、神尾は散歩でもして費やすことにした。




真夏の青空の下での出来事。











  * everlasting flower *












ゆっくり野路を歩くというのも柄でもなく、
神尾は田舎道をマラソンしていたのだ…が。


「全く、こんなところじゃリズムにも乗れやしない」


一言呟き、結局歩くことに変えた。



石ころが沢山転がっている。
舗装なんてされていない、土路。

東京に住んでいるとこんなものも忘れてしまっていたな、
と神尾は振り返って太陽を見上げた。


太陽は随分高い位置にある。正午だ。



小さい頃、毎年田舎に遊びに来るのが楽しみだった自分を思い出した。
お盆だとかお墓参りだとか、そういうことはまだ良く分かっていなくて。
田舎にくれば野原で昆虫採集したり出来るのが嬉しかった。

「(バッタとかも、よく捕まえたもんだぜ)」

思い出して、神尾は草原に飛び込んだ。

自分が走れば、虫たちが飛び跳ねる。
それを素早く見つけて、そっと近付き、捕まえる。
その時の感覚は、テニスでボールを捕らえる瞬間に、少し似ていた。

しかし…あの頃は虫取り網や虫かごを持参していたものだ。
今は当然何も持っていない。
捕まえるには、素手…しかない。


「……リズムに乗るぜ!」


叫ぶと、神尾は暫く虫を追い掛けていた。




  **




「…全く、やってくれるぜ。虫って意外とすばしっこいな…」

呟いたとき、後ろから声がした。


「神尾君!」


振り向いていると…そこには一人の少女。
向日葵のような明るい笑顔で手を振ってくる。

同い年?いや、もっと下。
小学生中学年か高学年くらいの。

誰だっけ?と思った神尾だったが、
訊くことも出来ずとりあえず手を止めて近付いた。

「え、えっと…」
「久しぶりだね!」
「えっ?あ、……ども」

戸惑った様子の神尾に、向こうは笑った。
神尾にしてみれば、誰だっけコイツ?という気分なのだが。

「随分大きくなったね」
「そ、そうかな…」
「うん。あたしなんて全く伸びないよ?」
「んー、これから伸びるんじゃないか?」

神尾は適当に口を合わせた。
でも…頭の中では葛藤が繰り広げられていた。


誰だ。


覚えが無い…こんな少女。
やけに親しげだが、面識ありか?
前に田舎に来たとき、会ったとか…。
同い年の子と昔遊んだ覚えはあるが。
この子は明らかに年下。

…全く覚えがない。


「神尾君が最近こっち帰ってきてるって知ってさ」
「は、はぁ…」

曖昧な返事をする神尾だったが、
少女は笑顔を向けた。

「今、暇?」
「え?あ、うん…」


こうして二人は、そこに腰を下ろすと暫く会話をしていた。


「もう直ぐ夏休みも終わりでしょ?いつまでいるの」
「実は、今日の夕方帰るんだよな」
「あ!そうなんだ。ギリギリー。良かった間に合って」

間に合う?
神尾にはやはり意味が分からなかった。
ひたすら疑問に思うだけだった。

何だ…この少女は。
人違いじゃないのか。
でも、神尾という名を持つのは間違いなく自分だ。
そんなに一般的な苗字でもない。

やはり忘れているだけなのか?
考えたが、やっぱり思い出せなかった。

「昔は面白かったよね。バッタ捕まえてたらさ、神尾君がどぶに填まったり」
「あ、五月蝿ぇ!」
「バッタとかは平気なくせに蝶々は駄目でさ。半泣きで逃げ回ってたこともあったね」

ケラケラと笑う少女。
神尾は微かに頬を赤く染めるだけだったが。

しかし、今の話で人物は大体特定できた。
そもそも、この辺で一緒に遊んだことがある女など、数人しか居ない。

一緒に虫なんかを捕まえて遊んだのは…一人だ。
同い年の、おてんばで元気な女子。
はて、名前はなんだったか。
それより前に、アイツは同い年だったはずだ。

どうしても気になって、神尾は訊いた。

「なぁ…お前、年いくつ?」
「年?やっだなぁ〜」

その口ぶりに、もしかして本当に同い年だったか!?
と焦る神尾だったが、向こうは少し固まると、
笑顔を少々曇らせて、言った。

「10歳」
「…そっか」

じゃあ4つくらい下か、と頭の中で計算した。
自分が最後にここで虫を捕まえて遊んだのなんて、
5年ぐらい前が最後だ。
そうしたら…この子は5歳ぐらいになってしまう。
それはあんまりに…。

「…おくん……神尾君!」
「えっ?」
「え、じゃないよ。話聞いてるの」
「あ…ごめん」
「ま、いいけど。それでね〜」

話は耳には入っていたけど、
頭には届いていなかった。







そうして、2時間ほどが過ぎただろうか。
太陽はだんだん西にそれ始めるが、
気温は一日中で最も高いとき。

「暑くなってきたね」
「そうだな」
「あたし…そろそろ行かなきゃ」
「そうか」

二人は立ち上がった。
神尾は、結局分からないままだったな、と思った。
今訊くことも出来るけど、それはあまりに失礼だ。
(初めにすぐ聞いておけばよかったと後悔した。)

少女は神尾に笑顔を向けると、言った。


「今日神尾君に会えて本当に良かった」


眩しい笑顔に、神尾は思わず視線を逸らした。
少女は、それでね、というとポケットに手を入れた。

そこから小瓶を取り出し神尾に差し出した。

「はい!」
「これ…オレに?」
「うん」

女の子から贈り物をされるなんて随分久しぶりだったので、少し照れた。

でもなんで突然?
と思っていると少女は心を読むかのように言った。

「今日、誕生日でしょ?」
「あ、そういえば…」

そこで神尾は漸くその日が自分の誕生日であることに気付いた。
妙に納得していると、手を更に前に出されたので受け取った。

「ドライフラワー作ったの」
「あ…ありがとう」

神尾はそれを手に取った。
少女はにこりと笑った。

「匂い嗅いでみて」

言われたとおり、神尾は蓋を開けた。
顔を近付けることなく、香りは届いた。

微かに。
微かだが優しく良い匂いが、鼻を掠めた。

「それね、ムギワラギクで出来てるんだよ」

それはどんな花だ?
と神尾は瓶をを目の高さに持ち上げ軽く睨んだ。
その様子を察したのか、少女は笑って言う。


「ムギワラギクはね、永久花なんだよ」
「永久花…?」
「うん」

神尾に背を向け数歩歩くと、少女はしゃがんだ。

そこには小さな野花が咲いていた。
その名前は神尾には分からなかったけれど。

「綺麗でしょ?その花」
「え?あ……うん」

その足元の花について喋るのかと思ったら
突然自分の手元に話題がいったので、神尾は一瞬焦った。

戸惑いながらも答えると、少女は笑った。
そして再び視線を自分の足元に戻し、その花を摘んだ。

はい、と差し出され、されるがままに神尾はその花を受け取った。
少女は言う。

「その花もね…今は綺麗だけど。でも時間が経つといずれ枯れちゃう」
「まあ、それは…」
「うん。確かに仕方の無いことなんだけど。でも…悲しいじゃん」

少女の切なげな表情に釣られ、
神尾は自分の眉も下がっていることに気付いた。
心の中には、言い表しがたい想いがあった。

その少女の笑顔もまた、花の命のように儚いものだと。

考えていると、少女は告げた。


「でもね。永久花は…こうやって乾燥させれば、いつまでもこのままなの」


そのときの少女の、後ろに太陽を置いていて。

なんというか、眩しい、笑顔だった。
少なくとも神尾にはそう感じられた。

あまりの眩しさに、神尾は戸惑いつつ視線を手元に向けた。

「いつまでも…?」
「うん。形も色も変わらないまま。綺麗な姿で居られるの」

そのときの少女の声は明るいものだったので、
安心して神尾もそっちに表情を向けた…なのに。


少女は泣いていた。


「えっ、ど、どうしたの突然!?」
「ごめん…神尾君は悪くない」

目元を指で拭うと、少女は作り笑いを見せた。
神尾は何もすることは出来ず、口を一に結ぶだけだった。

「なんかさ、いいなって思って…ね」

喋るうちに、少女の笑いは薄れた。
作ることも出来ずに、脆く崩れ去った。

そしてそれは、押し流されて行く。


「あたしもいつまでも…消えないでいたい。
 美しさなんて要らないから。いつまでも…」


神尾には、その言葉の意味が分からなかった。
消える?
それは一体どういうことだ…と。

完全に理解できる前に、“その時”はやってきた。


「ありがとうね、神尾君。あたし楽しかったよ!」
「一体君は…」

一旦瞼を伏せると、再び開いて少女は笑った。



「あたしは


…?」
「うん。本当は、こんなに長くここにいちゃいけないんだけど…」


気のせいだろうか。
と名乗った少女の体は、少し宙に浮いた。
目測でほんの数センチ。

それでも、浮いた。

「おい、お前は一体…」
「話している時間はないの」
「………」

更に高く持ち上がり、
微かに透けてくる体に神尾は目を細めた。

体越しに青空が見える。
普通ならありえないそれだが、
向こう側に見える白い雲や太陽が眩しかったのだ。


「そうだ!最後に一つだけ」
「…?」
「ムギワラギクの花言葉!」


体が離れていき、声を張り上げるだったが、
神尾に届く声はどんどん小さくなっていった。
神尾は首を上にもたげ、耳を傾けた。



最後に聞こえた言葉。


ムギワラギク、永久花の花言葉。





 『いつも覚えておいて』





言葉が消えたとき、
少女の姿もまた、その場には無かった。

田舎の野道、
神尾はただ呆然と空を見上げているだけだった。





  **





「アキラ!どこに行ってたの。早く帰る支度をして」
「…分かったよ」

神尾が家についたとき、
そのときは既に太陽が地平線に向けて沈み込もうとしているときだった。


あの少女が誰だったのか。


草原でぼーっと考えるうちに、
数時間という間は一気に過ぎ去ってしまったのだ。

だけど、結局分からない。


意識も朦朧としたまま、神尾は帰り支度をしていた…そのとき。

一枚の写真が、神尾の目を捉えた。


「母さん!」
「ん、なによ」
「この写真のコイツ…誰だ?」

神尾が指差した写真立ての中には、
若き日の神尾と一人の少女が写っていた。

10歳ぐらいの二人。


「ああ、その子はちゃんじゃない」
!?」
「でも…ああそうか。まだアキラには話していなかったかしらね」

母は、神尾の正面に立った。
正面に回りこんだのに、目線はあまり合わさぬまま言った。

「実は…ちゃんね。5年前に亡くなったのよ」
「えっ!?」
「アキラ、毎年よく遊んでたから憶えてるでしょう」

先ほどまで忘れかけていたが…
今はなんとなく思い出したので神尾は頷いた。

母は続ける。


「あのときも…前日までは二人元気に遊んでいたのに。
 あたしたちが東京へ帰った翌日…不幸な事故で…」
「―――」
「あんたの誕生日当日だったんじゃなかったかしら?」


その後の話は、神尾は呆然と聞いていた。

仲良かった同い年の少女のこと。
おてんばで元気で眩しい笑顔だったその子のこと。
遊んでいた土手で足を滑らせて命を失ったということ。
当時は二人とも10歳であったということ。


「お花が大好きな子でね…誕生花とか花言葉を憶えるのが好きだったんだよ」
「花…」

神尾はぎゅっと、手の中の小瓶を握り締めた。


「アンタの誕生花はムギワラギクだって、自慢げに話してたじゃない」
「――――」


その時神尾は、なんとも居た堪れない気持ちになった。


消えたくないと泣いた少女。
太陽の下眩しく笑った少女。

最後の最後で、いつまでも覚えておいてと言った淋しげだった少女。



「いつかは話さなきゃいけないと思ってたんだけどね…。
 毎年ここに来るたび気になっていたのよ」
「いや、今まで教えてくれていなくて良かった」
「そう…?」


神尾は無言で頷いた。

もしも、もっと早く知っていたら、自分はどうしていただろうか。
あの少女に、どんな態度を取っていただろうか?


良かった。
今日まで知らなくて、良かった。

今日知ることが出来て、良かったと。そう思った。



「ん?あんたどうしたの、その瓶」
「あ、ああ。ドライフラワーだって」
「誰に貰ったのそんなの」


それを鞄に詰めると、神尾は笑った。



「土手の横の野原で遊んでた、元気な女の子だよ」




不思議そうな表情をする母だったが、神尾は笑顔だった。

そして誓った。


決して忘れない。

いつまでも心に留めていこうと。



終わりの来ない花と一緒に捧げてくれた言葉を。




 太陽に重なった笑顔は、いつでも胸の中に。






















ごめん神尾!やっぱり間に合わなかったよ!(爽)
1日遅れです。でも今度は忘れてたんじゃないよ。
アップするのは2日遅れ?ああ、もう知らん。(ぁ
時間が無かったの。許してね。

最近は花言葉にちなんだ小説を書くのが(私の中で)流行っているらしく。
今回もちょっとリズムの乗ってみた。(何)

題名を『聖ちひろの神尾隠し』にしないか悩んだという秘話が…。(死)

神尾好きよ。
これからもやられ役でいてね!アデュー。


2003/08/27