* futility *












「勿体無いよ、大石」
「英二…待ってくれ、言ってることの意味が…」


ナイフを持って立ち上がったオレ。
大石は随分怯えているそぶりを見せる。

なんだよ。
オレは警告してやってるだけなのに。
無駄遣いは、よくないよって。
それを改善してやろうと思ってるだけなのに。


「無駄が多いんだよ」
「突然なんだ…俺は何も……っ!」

頬にピタリと刃をあてる。
軽く引くと、薄い筋が入る。

大石は、そちら側の目を細める。

痛がる顔を見るのが気持ち良い。
どうしよもなくキモチイイ。

ナイフを喉元に当てる。
少し刃を立てながら、下へ引く。


 滲み出てくる血潮は紅を描く。


「へへ…痛い?」
「えい、じっ…ぅ、ぐぁーーー!!」


力を入れて押した腕。
喉の真ん中、少し低い位置。
柔らかい肉に、刃はめり込んだ。

血が流れる。
沢山流れる。

ああ、勿体無い。


「美味しい…」
「英二、エイジ…っっ」


一瞬見上げた大石の目からは、涙が零れてる。
そんなに流しちゃって、勿体無い。

勿体無いよ、さっきから。


「止まらないね、血」
「もう…やめてくれ……」
「大石も無駄するのやめてよ」


舐めても舐めても、流れてくる血液。
オレはそれを全部舐め取るだけだ。

だって、勿体無いから。


「どうせだったら、全部出しちゃお」
「英二、なにを……っ――!!」


 瞬間耳についたのは、
 声になってない大石の声。


驚きのあまり声にならなかったって?

ううん。


出せなかったんだろうね。



「…っ……ァ、……――!!」


口を動かすたび、聞こえてくるのは空気の音。
喉元から、スースーいう音。

もう、喋れないだろうね。
オレが、刺したから。
あるのは、湧き出でてくる赤い泉だけ。

励ましてくれた声も。
優しく語りかけてくれた声も。
沢山支えてくれた声も。

全部、全部聞かなくていいんだ。


 ヨカッタ。



「大石ぃー、オレ今幸せだよ」


大石は唇をわなわなと振るわせるだけだった。
聞こえるのは、不規則な空気の音。

血が無くなってきたのか、顔の色は青白い。
先ほど少し吐いていた血が、口の周りについているけれど。
青白さの中の赤黒い色は、嫌に目立つ。


「――……ィっ…」


風の動きが、オレを呼んだ。
声じゃない音に、呼び止められた。


「なぁに、大石?」
「…っ……っぅ」


差し出してきた指。
綺麗な指だ。
オレの指と絡める。
あ、血とか付いてら。

なんか、違和感感じるけど。


「やっぱり…綺麗なんだよ、大石は」
「っ…ぅ、――ッ」

しゃくり上げるたびに空気が通り抜ける音がする。
苦しそう。ああ、良かった。


「この指もそうだし、眼もそうだし」

こんなになった今も、大石の眼は綺麗。
涙で潤される瞳。魚みたい。
魚の鮮度ってのは、目で見るんだってね。


「あとこの血…キレー……」
「ェ、ぃ…!ぇ…っ――!」
「勿体無いよ、こんなに流したら」

溢れてくる赤い液体。
その湧出元に手を差し込んでみる。
体は一度びくんと震えたけど、抵抗はない。
骨なのかなんなのか、少し固い感触も感じる。

「本当は取っておきたいけど…無理だろうね」

抜き出した指が紅く染まっているのを見て、少し微笑みながら。
もうすぐなくなると思うと、嬉しすぎて涙が出そうだけど。

「流せないように、止めちゃおうか」
「っ!」

胸の中央、向かって少し右寄り。
そこに、先ほどのナイフを突き立てる。
軽く押すと、固い感触。
肋骨かもしれない。少し場所をずらす。

止めてくれと言わんばかりに、大石の手がナイフに掛けられる。
ほとんど力は残っていないだろうに。
視線は言う。どうしてこんな事をするんだ、と。
だから、オレは返事をしてやるんだ。


 「無駄遣いは禁止だよ、オオイシ」


体重を掛けたそれは、思っていたより簡単に奥へ入った。
手応えと同時に、血飛沫が上がる。
血煙に詰まれた視界は、紅く。


顔が濡れる。
紅く染まる。

目元に飛んできたのは、反射的に瞼に付く。
なんだよ。
目に入れたって痛くないのに。


「……あーあ」


どこにまだこんなに隠してたんだよ。
喉からもあんなに流してたのに。
全く、本当に勿体無いことするよ、大石は。


「でも、後はオレの責任だよね」


赤に囲まれた自分。
あんまり気にしないまま、大石のみに焦点を置く。



…ああ。


指には血がこびり付いてるよ。
少し刃が食い込んだ痕も見える。

白目向いてるし。
それにそのうち陥没していっちゃうんだろな。

辺りに撒かれた深紅も、きっとそのうち褐色へと姿を変える。
固形化して、まるで結晶化したかのように。


「なんか、勿体無いことしたかも」


初めに頬につけた一本の線、まだ見える。
そこに触れて撫ぜてみる。

…あれ?


「……」


頬から手を離して、大石の手を取ってみる。
握ってみる。指を絡めてみる。
腕を持ち上げるだけでこんなに重いや、とか感じながら。
自分の頬を、その手で包ませてみた。


「冷たい…」


さっきから感じていた違和感は、これだったことに気付く。
そうか。温かさも、無くなっちゃうんだよね。


「でも良かったね。もう無駄遣いしてないよ」


返事はない。
大石は、もう余分なことはしなくなったんだ。

手を、そっと頬から離す。
その一部分が何かで洗い流されたかのように、
綺麗になっていることに気付いた。



「ああ、オレも無駄遣いしてるかも…」



目から零れ落ちるものを感じながら、
ナイフを胸から引き抜いた。


 無駄死に。


そんな言葉が頭に浮かんで、
刃を握った右手は行く先を失った。



 勿体無いこと、したな。






















なにをしたかったんだか分かりません!(痛)
病気です。気付いたら書いてた。ひぃ。

敢えて長くはかかない。去る。
でも実は深い小説なのですよ。


2003/05/22