* 言い換えられた「好き」を残して *












 佐伯とのメッセージのやり取りは、いつも私で終わっていた。数週間前を境にぱったりと途切れたやり取りの履歴をスクロールしながら改めてそんなことに気付かされた。
 自動で付く既読マークに頼り切って、必要以上に返信をしなかった。じゃあね、おやすみ、また明日、なんて挨拶をして終えるようなやり取りはただの一度でもあっただろうか。最新のやり取りは適当に送ったスタンプで終わっていて、別に後悔も反省もしてないけど、ほんのちょびっとだけ申し訳なくなって、何故か笑ってしまった。

  **

 クラスメイトになったところですぐに話すような関係になったわけではなかった。たまたま学校からの帰りが一人になった日に佐伯も家の方向が同じだということがわかって、分かれ道が来るまでを歩くことになった。無難に昨晩見た音楽番組のことを話題に振ったら、いわゆる流行りの曲は詳しくないんだと少し申し訳なさそうに返ってきた。佐伯といったらクラスでは輪の中心にいることも多くて、きっと流行にも敏感なのだろうと勝手なイメージを抱いていたからむしろ親近感が沸いた。話題をがらっと転換して先日海でタコを釣った話をしたら喜んで食いついてきた。
「連絡先交換しない?」
 分かれ道に来たところでそう言われたので、素直に応じた。QRコードを読み取って、お気に入りの眉毛犬のスタンプを送ったら笑われた。
 その日を皮切りに佐伯から度々メッセージが送られてくるようになった。話題は毎回違っていずれも他愛もない内容だった。私はお世辞にも返事が早い方ではなくて、佐伯からのメッセージに数時間経ってから気付くこともあれば、通知に気付いてもしばらく放置することもままあった。やり取りが翌日に跨ったようなときは、流れも無視してスタンプだけで手短に返すこともしばしば。それに重ねるように更に佐伯から返事のスタンプが送られてきて、そうして私たちのやり取りは終了する……それが常だった。
 しかしこう見えて佐伯とのメッセージのやり取りは楽しんでいて、私にしてみればまともに返事をしている方ではあった。相手にもそう思われているとはとても思えなかったけれど。
 そんな私の返答ペースに対して佐伯が不満をぶつけてくることや疑問視して問いかけてくるようなことはなかった。とはいえマメさのないがさつな女だとは思われていたに違いない。それでも佐伯は懲りる様子もなく毎日のようにメッセージを送ってきたし、教室では他の人も交えつつたまに話す。そんな状態だった。居心地の悪い関係ではなかったと思う。ただ、私は佐伯とは付き合えないと思ったし、向こうもきっとそう思っている。佐伯の彼女になれるのは、私のような人間じゃない。そんな確信めいた思いがあった。
 佐伯が所属するテニス部と私が所属する吹奏楽部では活動日がズレているから、帰り道が一緒になるようなことはその後もなかった。テスト前の一週間は部活が休みになるけど、そもそもお互い友達がいるわけだから一人で下校するようなことも滅多にない。だから二人だけで話すような機会は全然なかった。本当にアレは、たまたまだったのだ。

 そんな日々が数ヶ月続いたある朝、教室に足を踏み入れるとやたら盛り上がっていた。その真ん中には佐伯が居た。佐伯が輪の中心にいるのなんて見慣れた光景だけど、今日の盛り上がりは異常だ、と思った。荷物を下ろしながら前の席の友人に問いかけた。
「何アレ」
「あーなんかね、佐伯くんに彼女ができたっぽいよ」
 え?
 突然の事態に理解に苦しみながらも耳に入ってきた友人の言葉をなんとか脳に押し留めた。相手は隣のクラスの……告白は向こうからで……佐伯くんも前から気になってたらしくて……。
 佐伯の彼女になったというその子は、面識はないけど存在は一方的に認知していた。生徒会の役員に立候補していて、真面目で、可愛らしくて、そしてマメな子だという印象を持っていた。うちの生徒会長はノリの良くていいやつだけど大胆すぎる節があって、その調和を取るように役員たちは細やかなケアができそうなメンバーが集まってるし、会長を横でサポートする佐伯とのバランスは悪くないもんだと遠目で見ながら勝手に思っていたけど。その中で、二人の間で特別な感情が生まれたというのだろうか。
 そういえば昨晩はメッセージが届いていなかった。たまにはそういうことがあったから、今回もそういうものだと深く気にしていなかった。普段と違うその行動に意味があったのだと今更理解した。
 周りに冷やかされながらも祝福されている二人を遠目に、
(やっぱり自分じゃなかったんだ)
と思った。別に願っていたわけではないし故に悲しくも悔しくもないけど、不思議な喪失感だけがあった。佐伯にとって自分は特別な存在であると思い上がっていたかもしれないと気付いて少し恥ずかしくはなった。
 毎晩のように送られてきていたメッセージはぴたりと来なくなった。今では彼女と一晩中メッセージのやり取りでもしているに違いない、と納得した。勝手な想像だけど、きっと真実だと思う。

 二人が付き合い出してから一週間ほどしたある日、佐伯が彼女を廊下から呼びつける現場に遭遇した。男女数名ずつで話していた彼女は、佐伯によって人気の少ない廊下の奥の方へと連れ去られた。
(……なるほど、そういうタイプね)
 手首を掴んでやや強引に彼女の腕を引いて大股に歩く佐伯と、小走りについていく彼女を横目で見送って全てを察した。
 どうやら佐伯は付き合うと相手を束縛したがるタイプのようだ。長年ロングヘアだった彼女が最近急に肩に掛かる程度のセミロングにスタイルチェンジしたことも意味があるように見えてきた。変えさせる佐伯も佐伯であれば従う彼女も彼女である。やっぱり私は佐伯とは付き合えないと再び確信を深めた。

 そう、私は佐伯と付き合えない。佐伯にとっては私も同じであろう。だから、よく話す関係ではあったけれど、メッセージのやり取りは頻繁にしていたけれど、それ以上はなかった。少しだけ仲の良いクラスメイトに過ぎない。そして少し前からは「仲の良い」も外れてただのクラスメイトになったのかもしれない。やり取りが止まっただけではなくて、教室で話すこともほぼなくなった。佐伯の笑顔もあまり見ていない。というか、前より佐伯は笑わなくなった気がする。それは私の気のせいなのか、どうか。
 そんなことを考えながら、やり取り履歴をスクロールする指を止めてスマホの画面を消した。
 まあ、男女の友情なんてこんなものだ。特別執着する理由もない。

  **

 そうして私の生活から一つの習慣がなくなったある日、人生で初めて告白された。席が近くなったことをきっかけによく話すようになったクラスメイトだ。教室の中では地味で目立たないタイプだと思っていたけど、穏やかで、でも班などの少人数で話すとなかなか面白くて、笑顔が可愛い人だった。一度、笑った顔可愛いねと伝えたら、顔を赤くしながら眉をしかめて「男に可愛いは褒め言葉じゃない」とたしなめられたから、気を悪くさせてしまってごめんと素直に謝ったし反省したんだけど、あとから聞いたらそのとき私を好きになってしまったらしい。女心は複雑だとかいうが、私には男心も十分に複雑だ。
 彼に特別な感情があったわけではないけど特段断る理由もなかった。告白を受け入れて、初めて彼氏ができた。私にはもったいないような優しい人だった。
 二人で話しているとよく笑わせてくれた。私がメッセージを既読スルーしたままデート当日を迎えても別にいいよと笑って許してくれたし、逆に向こうも数日経ってからごめん返事忘れてたと慌てて返事をしてくることもあった。それくらいの温度感が居心地良かった。話題の映画を観に行ったり、カラオケのフリータイムで時間潰したり、気に入った曲のCDを貸し合ったり。人として好きだったし、手を繋いだりキスしたりも、嫌な感じはしなかった。というか、正直ドキドキした。修学旅行の班行動、行き先と時間が被るようにして一緒に撮った金閣寺での写真は期待以上に映えるものが撮れてしまった。合唱コンクールの指揮者と伴奏者になって二人で何度も特訓した。受験勉強は一緒だから頑張れたし、一緒だから何度もサボってしまった。

 来週からは別の高校で別の人生を歩んでいくことになるけど、中学校生活を後々振り返ったら、彼と過ごした時間がそれなりの割合を占めていることだろう。やたら綺麗な思い出たちを顧みながらそんなことを思った。

(――卒業、か)

 校舎の陰から移動して、正門付近の花壇に腰掛けて空を見上げた。うっすらと広がるおぼろ雲を見ながら、春の雲だ、などと思った。
 30分前は生徒で溢れていた校庭も今や誰もいない。私ももうここにいる理由はないはず。でも一緒に帰る人はもういなくなってて、なんとなくタイミングを逃してここに居座っている。
 あと、なんだか、卒業だと思うと。明日からもうここに来ないのだと思うと、もう少しだけこの時間を延長したくなって――。
「何してるの、こんなところで一人で」
 思いがけず裏門の方向から掛けられた声にピクリと背筋が伸びる。振り返らなくてもその声の主が誰かはすぐにわかった。
(……佐伯)
 こんな時間にそんなところから出てくるだなんて、大方呼び出しでも食らっていたのだろう。モテる佐伯のことだからそれは予想の範疇だ。ただ、振り返って予想外だったのはその装い。
「今日はいつもに増してガラ悪いね」
 思わず笑ってしまった。第2ボタンなんて以ての外、袖まで全部事細かにボタンを失って学ランの前が全開になっている佐伯がいた。胸元についていたはずの花も、きっと誰かに持っていかれたのだろう。
「ガラ悪いってヒドくない、不可抗力じゃん」
「はいはい、モテる男は大変だね〜」
「それ、俺のことバカにしてる?」
 バカになんてしてないよ、と笑って返したけど、その言い様がバカにされているように感じたのか佐伯は更に眉をしかめた。
 佐伯の前でこんな風に声を上げて笑うだなんていつぶりだろうと思った。笑っているうちに更に楽しくなっちゃって、必要以上に声を張り上げた。
 このまま会話を広げるくらいいくらでもできるけど、佐伯は卒業式というこの日に私なんかと二人で喋っていていいのだろうか、ということが気になった。
「てか、いいのこんなとこ居て。彼女と一緒に帰ったりしないの」
「あー、さっき別れた」
「えっ」
 いつもと変わらない佐伯の様子と、あっけらかんとしたその喋り口調からは信じ難いような発言が聞こえて思わず固まってしまう。佐伯は私の顔を見て、少し考えたような間があってから、先ほど私がしたのと同じような質問を投げかけてきた。
「そういうこそ。彼氏は?」
「……さっき別れた」
「マジ?」
 佐伯はプッと笑った。それが癪に障った、というほど大袈裟な感情でもないけど、なんだか気に入らなくて聞かれてもいない説明を始める。
「別に一生付き合うとか思ってなかったし。卒業までかなーとは元々思ってたから」
「そうなんだ。それ、相手は納得してたの?」
「うん、円満に別れたけど」
「へー」
 同意はできない、という素振りを見せた佐伯の次の言葉は、横顔から聞こえてきた。
「俺はものすごい泣かれたから」
 その姿は容易に想像ができた。いつも身なりを整えて可愛らしくってマメだったあの子。良くも悪くも「女の子らしい」を体現したような子だった。
 ただ、私はああはなれないと同時に気持ちを完全に理解することもできないだろう。現に、泣かされた彼女よりも泣かれた佐伯に同情してしまう。
「それは大変だったね」
「まあ、あの子も新しい彼氏ができれば俺のこととかすぐ忘れるよ」
「そういうもんかなー」
「“イケメンの彼氏と付き合ってる私”が欲しかったんでしょ」
「怖っ。てか自分のことイケメンって言うのヤバっ」
「……ってさっき言っちゃった」
「は?」
 これまでも端々からコイツはヤバイやつかもしれないとは思うことはあったけど、想像以上にヤバイやつかもしれない、と思った直後、その想像を更に超えてヤバイじゃ済まされないようなやつかもしれないということを知ってしまう。
「だから、『“イケメンの彼氏と付き合ってる私”が欲しかったんでしょ』って……」
「それ彼女本人に言ったの!? そりゃ泣かれて当たり前だよ!」
 さっきまではどちらかというと佐伯に同情していたけど、完全に気が変わった。彼女が哀れで仕方がない。完全にドン引き。でもまあ、顔だけが良くて性格はヤバイこの男に惚れたのが運の尽きだね。別れて正解だよお互いのために。
(っていうか、傍から見てても二人の付き合いがうまくいってるようには思えなかったもんな……)
 佐伯が彼女と付き合い始めてまもなく直感した通りで、明らかに佐伯からも彼女からも笑顔は減っていた。なのに距離だけはやたらと近かった。糸で縛られているみたいに。人の付き合いに口を出すものではないと思って何も言わなかったけど、二人が良い関係であるのかは疑問だった。自分が順調な日々を過ごせていただけになおさら。この半年間、佐伯は幸せな思い出を作れたのだろうか。
 そんなことを考えている私の耳に、予期せぬ一言。

「自分と付き合えば良かったのに」

 聞こえた言葉にハッとして、立ったままのその人物の顔を見上げる。向こうもこっちを見てきていた。佐伯は笑っていた。
「って顔してるけど」
「思ってないよ、そんなこと」
「あっそ」
 さっきまで笑っていた佐伯はつまらなそうな表情に変えて肩を竦めた、けど。
(びっくり、した)
 まさかの発言に私の心臓がバクバクと鳴っていた。自分と付き合えばよかったのに。って、言われたかと思ったよ。っていうかわざとやってない?
 じゃあ百歩譲って私が本当にそういう顔をしてたとしても、そんな言葉が頭に浮かぶだなんて、それは一部だけでも佐伯の思いが介在してたりしない?
(……自分と付き合えば良かったのに、か)
 そんなこと、考えもしなかったけど、でも、全く思わなかったと言ったら嘘になるかもしれない。でもそれと同時に、私は絶対に佐伯とは付き合えない。その思いも間違いなく真実だ。
 一つ大きく深呼吸。そして私は腰を持ち上げる。
「そろそろ帰ろっか」
「そうだな」
 立って目線は近くなったけど、まだ15cmほど高い佐伯の横顔を見上げる。その目は寂しそうに見えた。それとも私の色眼鏡がそうさせているのか。考えながら歩き始める。
「もう、明日になったら、二度と会うこともないかもな」
 門をくぐってから校舎を振り返ってそう言った佐伯は、こちらを向き直ってわずかに微笑んだ。その姿を見ていたら、胸が、形容しがたい感情で一杯になって。
「……佐伯こそさ」
「ん?」
 ピッと人差し指を佐伯に向ける。さすがに顔を差すのは失礼かなって、そのイケメンのご尊顔より少し下、胸の辺りに。
「自分と付き合えば良かったのに、って顔してるよ」
「俺? してないよ」
 佐伯はそう言って鼻で笑ったけど、私は心の中で勝手に「ウソつきだな」って思った。
 思いを告げることもなければ、当然遂げることもない。
(自分と付き合えばよかったのに、なんて)
 なんと喜ばしくて、残酷で、無責任な言葉でしょう。

 言い換えられた「好き」を残して、私はたちは今日、同級生という肩書を失う。

「今までありがとうな、
「こっちこそありがとね、佐伯。バイバイ」
「バイバイ」
 分かれ道で手を振って、右へ左へ分かれて、私達の関係はここでおしまい。

 バイバイ佐伯。
 かけがえのない中学校生活の思い出をありがとう。

 そう心の中で唱えたときに、本人に伝えたとき以上に感謝の気持ちが大きく溢れて、おぼろ雲が少し歪むのを見上げながら歩き慣れた岐路を一人進んだ。

























フォロワさんと佐伯の真ん中BD記念に仕上げました(笑)
(いえね大稲を献上して頂いたことがあったので…)

なんと人生初の佐伯小説だということに書き上がってから気付いた。
佐伯をサイコパス気味のイケメンにしてしまった。
……あってるか(あってるのか?笑)


2023/06/24-10/01