* Once Upon My Lifetime *












――中学3年、7月。

都大会準々決勝を終えたオレたちはいつものコンテナに来ていた。
たっぷり反省をしていたら空はすっかり橙色。
そして少しずつ端が紺色に変わり始めている。

「じゃあ、そろそろ帰るか」
「んにゃ」

大石は腰を屈めてテニスバッグを拾い上げる。
オレもそれに続く、はずだったのに、

テニスバッグを肩に掛けて
夕日が沈んだ先を見つめる大石の横顔が、
あまりに眩しくて――……。

「英二、どうした」
「あっ、なんでもない!」

焦りながら鞄を拾い上げたのに、今度はそんなオレを大石が見てきていて。

「え……大石こそどったの」
「英二が、なんかいつもと違うように見えて心配で」

眉を潜めて、オレの表情を伺うように右へ左へ軽く頭を倒す大石。
そして一歩分近づいてくるから、オレは思わず半歩後ろに下がってしまって、
「今日は疲れすぎたかな〜充電切れだもんにゃ、なんちって」とおどけて見せた。
だけど大石の表情は緩まない。

心配そうに、まっすぐな瞳が、貫くような目線を送ってくる。
胸が、ドキンドキンとして。
好きだ。大石のこの目が。

「……大石」

まだ、試合中の熱が自分の中でくすぶっていたかもしれない。
本当はそんなことするべきじゃないって頭ではわかるのに、
オレは吸い寄せられるように大石に近づいて、
大石が逃げないということを確認しながら、ゆっくりと、首を伸ばすようにして、
大石の瞼が伏せられるのを見届けてそのまま、唇に唇を押し当てた。

――――何秒間そうしていたっけ。

触れ合うまではあんなにゆっくりだったのに、ぱっと飛びのくように離れた。
「英二……!」と言って大石は片手で口元を覆って、
でも目元も耳も指の隙間も夕日で誤魔化せないくらいに真っ赤だった。
驚いてはいるけど、怒ってるとか嫌がってるような表情ではなかった。

「したくなったから、しちゃった」

そんなことを言ってアハハと笑ってみせた。
胸の奥の方が燃えるみたいに熱かった。

「試合中くらい心臓バクバクだった」

いや、本当は試合のときよりもっとかも…と
心の中で思って胸元に手を当てるオレに対して、
大石は「俺は、試合中よりドキドキしてるかもしれない」と、
やっぱり胸に手を当てていた。
オレたちは今、同じ気持ちを共有してるって、そう思った。

「ついに……してしまった、な」
「え、ついに!?」

どういうこと?
オレは、今まで大石にキスしたいとか思ったことなかったし、
してしまった今もビックリだ。
もしかして、大石は前から期待してたってこと……?
と思っていると、
「いやほら、抱き着いてきた拍子にぶつかりそうだったこととか何度もあっただろ」
だって。
なぁーんだ。

「今は、ぶつかったとかじゃないよ?」
「……うん。わかってる」

熱に浮かされているといえばそうかもしれない。
西に見える真っ赤な夕焼け空と、夏の温度と、昼間の試合の残りの情熱に、流されるように。

「オレ、大石のこと好きだ」

その言葉はぽろりとオレの口から零れた。
大石の後ろには一番星が出始めていた。
大石は大きく目を見開いて、少し視線を泳がせて

「俺も、英二のこと、好き……かもしれない」

と返してきた。

少しあやふやな言葉ではあったけど、
実は言い切ったオレだって明確な感情ではなかった。

好き、とか。本当?

試合中の熱を引っ張っているんじゃないの、みたいな。

そういう意味では、言い切ったオレも、
曖昧に濁した大石も、
本当は似た気持ちなんじゃないかって勝手に思った。

じゃあ付き合いましょう、とは言わなかった。
手を繋いだりなんてしない。再びキスをするわけでも。
ただ、目を合わせて、くすぐったさに笑い合って、
そのあと暫く世界が薄暗くなるまで笑い続けた。



  **



――中学3年、8月。全国大会。

約12×11mのそのコート上で、オレたちは無敵だった。

といっても、実際は試合には何回も負けた。
だけど、二人でコートに立っていると根拠のない最強の気持ちになれた。
それは以前からあった感覚ではあったけど、
お互いの気持ちを確かめ合ってからはなお強くなった。

好き同士ってわかって、付き合うことになったからって、
オレたちの関係が大きく変わったわけじゃなかった。
ただ、練習終わりにこっそり部室でキスしたり、
ふとした瞬間に視線がかち合ったり。
それだけで、力が無限に沸いてくるみたいで、恋ってスゲー!って思った。

大石が好き。
テニスが好き。
大石とするテニスが好き。

その夏、オレたちは無敵だった。
全国大会で優勝した日に撮った写真は、いつ見返しても幸せそうだ。



  **



部活も引退して、二学期に入るといよいよ過ぎってくるのは「受験」の二文字。
とはいえ中高一貫校に通うオレたちはほとんど全員が内部進学だ。
内部進学のための試験は一応あるけど、ぶっちゃけ落ちることはそうそうない。
「落ちたことがある人もいるらしい」ということが
噂として広まる程度にはレアなことだ。
普段から赤点だらけということでもなければ根を詰めるほどのことはない。
普段のテスト勉強程度で大丈夫だ。

そうは言っても真面目な大石のことだから
めちゃくちゃ真剣に試験勉強に取り組むんだろうな。
万が一にも落ちることなんてなさそうなのに。

そんな大石から、「俺は特進コースを目指すよ」と告げられる。

特進コース?
そういえば、そんな説明があったような。
自分には関係のないことだとホームルームは聞き流してしまっていた。

細かいことは忘れてしまったけど、確か、
進学テストの成績上位の一部だけが、
そのコースに進むか否かを選ぶことができて、
クラスのほとんどは高校からの外部受験の人たちが占めていて、
そんでもって、特進コースの人たちは、
進学校みたいに難易度の高い大学へ外部受験する前提の授業内容になる、だ。

「大石、青春大行かないんだ…」
「まだはっきりと決めたわけじゃないけどな」

じゃあ大石とテニスできるのはあと3年だけなんだ。
意識したことのなかったリミットが急に具体性を持って現れた、次の瞬間。

「高校ではテニスも続けないつもりなんだ」

頭ぶん殴られたかと思った。

「え、ウソ」
「……嘘じゃないよ」

申し訳なさそうな表情をした大石と、目が合わない。
怒りと悲しみと動揺が同時に押し寄せて、
わけがわからないまま口角だけが上がってる。

「そう、なんだ。へー知らなかったー…」

何言ってんのオレ。
でもだって待ってよくワカンナイ。

もう大石とテニスできないの?
この前の全国大会の、あの、熱くて夢みたいで無敵だった時間が、
最後にして最強の思い出で、もう次はないの?

嘘でしょ?

いつの間にか地面の一点を見つめていたオレに
横から「ごめん」と謝られた。

「えっと……それは何に対するゴメン?」
「いや、だから…高校では、ダブルス組めないから」
「あ、うん。聞いた聞いた。さっき聞いた」

そう、大石は、高校では特進コースに行く予定で、
だから一緒にテニスもできなくで、
大学はどこか違うところを受験するかも知れなくて。

今までの当たり前が、全部当たり前じゃなくなっていく。
オレだけがそのままで、大石は、一人で別の世界に進んでいってしまう。

イヤだ、けど、
イヤだって言うしかオレにはできない。
未来は変わらないってわかってしまう。

こっちを無言で見つめてきていた大石が、重たそうに口を開く。

「……もっと怒ったり、泣いたりすると思った」
「え、オレが?」

にゃははって笑ってみせたのに、大石は笑い返してこなくて、
八の字眉の角度が急になるばかりだった。
そして、体を寄せるとぎゅっと抱き締められた。

「え、どうしたんだよ大石」
「……どっちもなくて、逆にいたたまれなくなってきた」
「何それ、意味ワカンネー」

そう、笑って言ったつもりだったのに、涙が零れて、
体を離して顔を見られてすぐバレて、
さっきより力を込めて再び抱き締められた。
オレは結局大泣きしながら大石の背中をドンドン叩いた。

終わっちゃった。
大石とのテニス。



  **



部活を引退して、二人きりで過ごす時間が少し増えた。
たっぷりは増えなかったのは、大石が勉強に費やす時間が増えたから。
現状維持でも特進コースに進むのは問題ないみたいなんだけど(すごすぎない?)、
もう高校に上がってからの勉強の予習を始めておきたいんだって。

中学の部活を引退してから余裕のある数ヵ月の間、
二人で色んな思い出増やせるかなとか考えてたのに。

「我慢ばかりさせてごめん」

そう言って頭を撫でてくる大石の表情は心底申し訳なさそうで、
目線はどこまでも優しかった。

オレは首を横に振った。

「オレは目標決めて頑張ってる大石のこと尊敬してるし、応援したいと思ってるから」

その言葉は本当だった。

そのうちオレも高校のテニス部の練習に参加するようになって忙しくなって、
二人で過ごせる時間があまり取れない事実は変わらないけど、
せめて、寂しいと感じる時間は減る。
かな……。

そうしたら、オレだけが置いていかれたんじゃなくて、
オレたちは別々の道を歩み始めたんだって思えるようになる。はず。

…そうか、別々の道を歩み始めたんだ、オレたちは。

そんなことに気付いて胸がチクリとしたとき、
大石の手がすっと頬に伸びてきて
オレは俯いていた顔を持ち上げる。

安心したように微笑んで見せる大石、
だけどどこかに申し訳なさも隠れてた。

辛いこともあるけど、一緒にいたい。

その気持ちを伝えてくるみたいなキスを、オレは受け入れた。
次第に温度の上がるキスを何度も何度も受け止めながら、
解消されるどころか膨れ上がってくるような熱のやり場に困りながら、
今はただその感触に酔いしれた。



  **



高校生になった。
中学生と高校生って大きな差があるものだと思っていたけど、
いざ自分が高校に上がってみると中学のときと大きくは変わらない。
自分は自分のままだし、周りのメンツもそうそう変わらない。
中高一貫校だしこんなもんか、と思いながら、
ぽっかり空いた一つの穴から目を逸し続けることもできない。

(……大石)

大石が隣に居ない穴は、どうしたってオレには大きかった。
手塚もタカさんも、濃い時間を共にした仲間は減ってしまった。
だけどきっと、大石さえそこにいれば、
オレはこんな穴が空いたみたいな気持ちにはならなかった。


シングルス志望に転向すると宣言したオレに対して、
不二は一瞬だけ驚いた顔を見せて、すぐに納得した顔に変えて、
結局「やめときなよ」ってクスッと笑った。
オレが愛想笑いすら返さず、寧ろ睨むみたいに見返していたら
不二は「ごめんごめん。まあ、気持ちはわかるよ」と言って「でも」と続けた。

「やけ起こしてないでちゃんと考えた方がいいよ」
「…別にヤケクソとかじゃないもん」

それならいいけど、と言う不二の声は優しかった。

「英二がシングルスでも充分強いのはわかってるけどね。応援するよ」

その不二の言葉を聞いて
もしかしたら本当にやめたほうがいいのかも、と思ってしまった。

乾は「ライバルが増えるな。まあ、シングルスでなら英二に負ける気はしないけど」
と言ってメガネをつり上げた。
やっぱり、オレのシングルスでの評価はダブルスのときに比べるといまいちだ。
実際、中学のときもランキング戦で後輩相手にゲームを落とすようなこともあった。

不二の言葉も思い出して、やっぱオレはダブルスの方がいい?と考えて、
でも誰と?大石以上のペアになれる人なんている?とも思った。

オレがダブルスで評価が高いのって、
大石とペア組んでたからってのもあるんじゃないの。
あれ、オレ、大石と組めないのに、テニス続ける意味って――

「いっそ俺と組むのはどうだ?」

思考を遮るように乾からされた提案に思わず固まる。
考えたこともなかったけどありえなくはないのかも、と思って
「考えとく」とだけ素直に返した。



  **



高校に入学してからも、オレたちの関係は続いていた。

外部入学してきたやつが結構強くてーとか、
中学でサボってた先輩がすごいうまくなっててーとか。
大石と会ったときにオレはテニス部の話をたくさんした。
大石はそれを楽しそうに聞いてくれた。

大石は自分からは勉強の話とか学校の話とかはしてこなくて、
「大変じゃないの?」って聞くと「大丈夫だよ」とだけ返ってくるばかりだった。

手が、口が、触れ合うときの熱は変わらないのに。
何故だろう。
ずっと足りない気持ちになってしまうのは。


帰宅して、一枚の写真を手に取ってベッドに寝転んだ。
頭上にかざして見るその写真には、
全国大会で優勝した直後の自分たちが
一つの曇りもない笑顔で写っている。

何の疑いもなく
お互いのことが
大好きだった頃のオレたち。

「………」

試合中の熱を引っ張っていたのかもしれない。
テニスを一緒にしなくなって
好きな気持ちは変わらないはずなのに
あの熱さを
胸のくすぶりを
体は忘れてしまったみたいだった。

(一緒にテニスしたいよ、大石)

このときは泣いてる大石のことを茶化したっけ、
なんてことを少し赤い目で写っている大石を見ながら思い返して
今度はオレが、目の端ににじんだ涙を拭うことになった。



  **



高校1年生、秋。


「大石と別れたんだって?」


斜め後ろから聞こえた不二の声を首だけ倒して聞き入れる。
なんで知ってるんだよ、というオレの無言の訴えに気付いたのか
「大石本人から聞いたよ」と言いながら不二は俺の横に並んだ。

大石とはクラスも離れていて、同じ学校にいながら顔を合わせることは滅多にない。
たまに図書室に足を運ぶ不二は、大石と会うことがあると言っていた。
そのときに会話を交わしたのかもしれない。

「大石に聞かれたんだ、『英二は元気か』って。
 どうしてそんなこと聞くのって聞き返したら、
 英二から聞いてないのかって驚かれたよ」
「……」

話したくないから話してなかった。それだけ。
心配掛けるほど元気をなくしていたつもりもなかったし。
不二にはそのうちオレの口から話す予定だったのに、大石のアホ。

っていうか、「英二は元気か」なんて。
そう言うってことはオレは落ち込んでる前提みたいなとこあって、
大石にはオレを心配する余裕まであるんだ。
それがなんだか釈然としなくて、無意識に口先を尖らせている自分が居た。

そしたら横で不二は「僕は英二の異変には気付けなかったな」と言って、
それから「大石の方がよほど元気なさそうだったけどね」と微笑を零した。

(なんなんだよ……大石のやつ)

自分こそすぐ考え込んで、すぐお腹や頭を痛くするくせに、
自分以上に人のことばっか気にかけて。

(……お節介なやつ)

大石のそういうとこ見るたびに、無性に腹が立って、そんでもって……

(……好きだった)

不二が見てくる目の前で、
おもむろに大きなため息を吐いてしまった。


――終わりの瞬間はあっという間だった。

「オレたち、普通の友達に戻らないか」

その大石の言葉に対して、
なんでイヤだよって駄々をこねたい気持ちに
カッコ悪いとこ見せたくない気持ちが勝った。

「そだね。オレも、そう思ってた」

その言葉に全く本心が含まれていないわけでもなかった。
イヤだけど、オレも思ってた。
今の関係は限界だって。

オレたちは普通の友達に戻る決断をした。


横で不二が肩を竦めるのが視界の端に映った。

「ま、僕が口挟むことでもないと思うし。
 もし話したくなったら話してくれればいいから」
「……不二」

ん?と不二は微笑みながらこちらを向く。

「オレたち、別れたとかじゃないから。友達に戻っただけだから」

オレの顔を見てきょとんとした表情で固まった不二は、ふっと表情を崩して
「それを一般的には別れたっていうんだよ、英二」
と言った。
知らないもん、と零しつつも、本当はオレだってそれくらいわかってるけど。
でも認めたくなかった。
だって、オレたちの関係は壊れたわけではないから。

「不二、次の練習試合オレとダブルス組んでよ」
「急にわかりやすく態度おかしくなるのやめてよ」

別におかしくなったつもりはないんだけど。
無意識に口を尖らせたオレを見て不二は笑っていて、
なんだかちょっと悔しい気持ちになった。



  **



言葉の通り、友達に戻ってもオレたちの関係性は大きくは変わらなかった。
二人で予定を合わせて遊ぶことだってあった。
大した用事じゃないのに電話することだってあった。

本当に別れたって言える?
なんなら付き合ってた頃と距離感もそんなに変わらない気がする。
触れ合うことがなくなったくらいで。

どちらかが言い出したら復縁するんじゃないか。
そう思わせるような関係性。
だけどどちらもそんなことは言い出さないまま、
2年の月日が流れて高校生活が終わって、
大学に入ってからもいつの間にか2年近くが経過していた。

オレたちの関係性は、距離感は、ずっと変わらなかった。
メッセージのやり取りはまだるっこしくて、
週1くらいで電話で話して、
予定を取り付けて少なくとも月に1回は二人で会ってたし、
会ったとき、こっちを見てくる大石の目線はいつも優しいし。

そんな変わらない日々を過ごしていたある日のことだったんだ。

「英二、ちょっと話したいことがあるんだ」

大石から会おうと言われて向かった待ち合わせ場所、
開口一番、真剣な表情で、だけどどこか照れた風に、
改まった態度でそう言われた。

もしかして。

そう期待する胸を押さえながら「なに?」と
普段の雑談を聞くときと態度を変えずに問う。

まさか
大石の口から出るのが
そんな言葉だなんて。

「実は……最近、恋人ができて」

え。
ウソ。

「大学で仲良くなった、女の子なんだ」

コイビト?
オンナノコ?

知らなかった、し、予想していなかったけど、
そうか。そういうことも、あるか。
そんなことが話題に上がったことがなかったから
完全に選択肢から抜けていた。

大石に恋人ができた。ってことは、
今までオレしか知らなかった、
大石の体温、触れるときの手付き、唇の感触……。
オレだけの秘密ではなくなっていくんだ。

「実は」と大石は切り出してきた。

「今日、近くまで来てるんだけど…」

呼んでいいかな?と言う。

え、
会うの?今?

ちょっと待って心の準備が、が本音だけど
そうは言い出せずに
「マジ!?呼んでよ!」と笑うオレが居て。
大石は安心した風に携帯を取り出して電話をした。

1分と待たずに、小走りで駆け寄ってくる人物の姿が目に入った。
大石は軽く手を上げて、
二人は顔を付き合わせると一言二言会話を交わして、
大石がこっちを向いて微笑んだ。

「英二、これが俺の、カノジョ」

大石の体の後ろから「はじめまして」と
控えめな音量で言って顔を覗かせたその子は、

(春に咲いてる、花みたいだ)

そんな印象の女のコだった。


あたたかくて、やわらかくて、なんかふわっとしてて、周りまで優しい気持ちになる。

あ、大石、こんな子好きなんだ。
オレ、全然ダメだったんじゃん。

張り合うつもりなんて元々さらさらなかったけど、
それにしてもこんなに惨めな気持ちになるとも想像が追いついていなかった。

「えー、大石にはもったいないくらいイイコじゃん」
「えっ…」
「こら英二、どういう意味だ!」

謙遜するように手を横に振る彼女さんと、
言葉では怒っていながら照れた様子の大石。
あははって笑い飛ばしたけど、ちゃんと笑えてたかどうか。
顔が上げられない。

「いーなー。オレもこんな、かわいいカノジョ、ほしー……」













あーあ。













  **



(頭イテ…)

今までで一番ヒドイ二日酔いになったオレは頭に手を当てながら
授業が始まるのを待つことになった。

昨日は結局3人でしばらく話して解散になった。
解散、と言っても離れたのはオレだけで、
そのまま二人は一緒にどこかへ行ったみたいだった。

オレと大石が会うのは元々昼だけの予定だったから約束通りなんだけど、
だから別に大石は悪くないんだけど、
ちょっとむしゃくしゃしちゃったのはオレも悪くないと思う。

夕方の早い時間から飲み屋を見つけて入って、
そのままバーをはしごして始発までたらふく飲んでしまった。

さすがに飲み過ぎた。
酒には強い方である自覚はあったけど
それにしても今までにないくらい羽目を外してしまった。
後悔はあるけど、特に反省もしていない。
昨日はそうでもしないと受け止められない気持ちだったんだ。

(う〜〜〜)

「どうしたんだよ英二、二日酔い?んなわけねーかお前に限って」

掛けられた声に、頭を机に乗せたまま顔だけをそちらに向ける。
横に着席してきたクラスメイトを睨み付けて
「そのまさかだよ」と言ってやった。

「意外、お前が二日酔いとかあるんだ」
「昨日はマジで飲み過ぎた」
「どんな店行ったらそんな飲めんだよ」

笑いながらされた質問を、オレは頭を机に伏せてスルーする。
しかし直後、普段の声量からは信じられないほど小さな声で
こそっと耳打ちしてきたその言葉に思わず目を大きく見開いてしまう。

「てかオレ多分見たんだけど、二丁目にいなかった?」
「――――」

見られてた、んだ。

ゲイ・タウンと言われるその街。
前から興味がありながら踏み出せてはいなかった。
昨日は早い時間から飲んでいた上にヤケ酒みたいな飲み方をしたから
いつになく酔っていて、普段できなかった一歩目が踏み出せてしまった。
あとはまあ、普通にヤケクソみたいな気持ちがあったのもある。
何かいい出会いでもあるかもしれない、と思っていたけど
結局飲めば飲むほど大石のことが恋しくなって悲しくなって、
辛い気持ちをごまかすように酒を煽ってこのザマ、ってわけ。

でも別に言い訳なんていくらでも思いつく。
確かに新宿二丁目はストレートでない人が多く集まる街だけど
そこに居たからって必ずそうとは限らないし…。

それとも……
コイツとは気も知れてるし、
信頼できる人になら話してもいいかなとも思ってたし。
もしかしたら良い機会なのかもしれない。
とはいえ今この場で話すのも。

そんなことを考えて、どう切り出そうか頭を悩ませていると。

「あ、イヤな気持ちにさせてたら悪い。そんなつもりはなくて」

と言って、こぶし二つ分空いていたその距離を、すっと詰めてきた。
体側と体側がピタリと付く。
そしてまた、さっきみたいな声で耳打ち。

「オレもそうだから。英二もそうなら超ウレシイ」

頭痛のことも忘れて勢いよく起き上がって、
すぐ横にある顔と目を見合わせたら頭がズキンと痛んだ。
そして丁度そのときに教授が教室に入ってきて講義が始まった。
授業の内容なんて、何一つ憶えていないのは言うまでもない。


大石以外のヤツとそういう関係になるとか?
考えたことなかった。
でも考えないといけないのかもしれない。
大石はオレ以外のヤツと付き合い始めたみたいに。

(……しかも女って)

どっちでもイケるタイプってこと?
それとも、オレのことは、
若気の至りみたいな、
青春の過ちみたいな。
それとも、ただただ熱に浮かされていたというのか。

真っ青な空の下、
一つの黄色いボールを追いかけて、
一喜一憂して汗と涙を流したあの夏。

その情景を思い返していると頭痛が悪化してくる気がした。



  **



大石に彼女ができてからも、オレたちの関係はあまり変わらなかった。
オレが遠慮して連絡する頻度を控えてみたのに
「最近忙しいのか?それとも遠慮してる?」なんて聞かれてしまって、
大石は気配りなようでいてデリカシーがないとオレは思う。


大石の彼女と3人で会ったその後、
3回目くらいに大石と二人で会ったときのことだと思う。

(あれ?)

その日なぜ、そう感じたのか。
理由を説明しろと言われてもわからない。
別に見た目で何か変わったわけではなかった、けど
なんかその日の大石はキラキラして見えたというか、なんというか。

「ね、大石さ」
「ん?」
「もしかして童貞捨てた?」
「!?」

ゴホッ、とむせ込んだ大石はそのまま大げさなくらい咳き込み続けた。
これはどうやら当たりっぽいなと耳まで真っ赤になった横顔を達観した気持ちで見る。

(なんで気づいちゃったんだろ。聞かなきゃ良かったかな)

オレとはなし得なかった世界に大石が突入した。

子どもだったし。
男同士ってのもあったし。
みたいな言い訳はあるけど、
なんでか負けたみたいな惨めな気持ちになる。

あー。
オレいつまで大石のこと追ってるんだろ。

さすがにこのままじゃヤバイな、って、自分でも思った。



  **



「英二、今日なんか元気ねーじゃん」

ガッと首に回された腕の強さとは裏腹に、
触れるか触れないか程度の強さで
猫をあやすように喉をくすぐる指先は優しかった。

「なんか飲みたい気分」
「オレ暇だし飲み行く?ほか暇そうなの…」
「いーよ、二人で行こ」

そう提案すると目の前の人物はわかりやすく嬉しそうな表情に変えた。
そして、オレからはもう一つ提案。

「あとオレあんまお金ないから、お前んちとかどう?」

実家から少し時間を掛けて通っているオレとは違って
学校からそう遠くない場所で下宿していると以前聞いた。
だから都合がいいじゃん?って、
それだけの意図ではないことにも気付いていると
目の前に見えた驚いた表情でわかった。

「……いいの?」
「うん。てか、オレがいいのって聞いてる立場なんだけど」
「お前がいいなら、そうしようぜ」

肩を抱えられるように歩き出す。
肩を掴んできていた手が、するりと腕をさする。
やっぱりそうなるよな、って、
自分で仕向けたのにちょっと後悔もあるような、
だけど期待もしていて。

―――そして結局、初めて一線を越えた。

自分でしかいじくったことのない場所に、初めて他人を迎え入れた。



きもちくてむなしくて死にそ。




  **




大石のことを忘れることにした。

「大石も前にもまして勉強忙しそうだし」とか
「そろそろ就活本腰入れないとだし」とか
都合の良い理由をいくつか挙げて、
最後に「彼女と過ごす時間もっと増やしてあげなよ」なんて付け加えて。
実際に、連絡を取り合う頻度は減らすことになった。

それでもお互いの誕生日を忘れることは一度もなかったし、
年に何回かは直接会って飲んだりもした。

その間にオレも、恋人ができたり、でもすぐ別れたり、
恋人なのかなんなのかわかんない関係の人ができたり、
そんな人が同時に何人もいたり。

忘れようと思っている時点で忘れられてはいないんだけど、
少なくとも大石のことを考えて感情をぐちゃぐちゃにされることはなくなった。
こうして、ちょっとずつ離れていくのだろう。
オレにも誰か、いい人が見つかれば良いのだけれど。



  **



ついにオレたちも社会人になった。
大学も卒業していよいよテニスも終わりだ、と思ったのに
やらないとなるとなんだか物足りなくて
結局月4回のレッスンに通って
たまに大会に出てそれなりの成績を納めたりもして。

オレは結局テニスが好きなんだ、と思った。
大石が居たからテニスが楽しかったと思ったけど、
大石が居なくてもテニスは楽しい。
だけどオレがテニスを好きにしてくれたのは大石。
これは一生変わらない真実だ。

それに対して、大石は高校を卒業して以降一切テニスをやっていないみたいだった。
もったいない、とオレは思ったけど、
大石にとっての最後のテニスの思い出が
あの夏の、全国大会優勝の景色なのだと思ったら、なんだか羨ましい気もした。



そんなことを考えていたのに。


「今度一緒にテニスの大会に出ないか」


ある日された提案を、オレは一瞬理解することができなかった。

大石、お前ホントそういうとこあるよな。
喉まで出かかった言葉を飲み込んで、冷静に質問を投げかける。

「最近忙しいんじゃなかったの」
「だからこそ根を詰めてしまって……
 何か息抜きできるようなことないかなと思って考えたんだ」

大石はそう言った。

息抜き。
大石にとってはその程度だったんだ。

オレにとってテニスは、
大石とのテニスは、
ずっとずっと特別で大切なもののままなのに。

「大石、8年ぶりとかでしょ。できんの?」
「もちろん、ずっと続けてきた英二とはレベルも違うし、足も引っ張ってしまうと思う」

そう思ってるのに、何故。
次の言葉を待っていると。

「でも、俺は組むなら英二がいいんだ」

結局オレはこの目に弱い。

あーあ。
大石、お前ホント、そういうとこなんだよな…。

「大石がそういうなら一肌脱いじゃるか」
「英二……ありがとう!」
「そうと決まったら特訓しようぜ!次休みいつ?コート借りよ!」
「こりゃ大変」



  **



数ヵ月後の大会に向けて一緒に練習をすることになった。
やると決めたら徹底的にやりたくなって、
時間を見つけてなるべく打つようにした。

久しぶりのラケットに豆が潰れて痛がってる大石を見て、
「ペンと箸より重いものを持たないような生活してるからだ!」って笑ってやった。
痛そうだったけど、大石は、楽しそうだった。

この数ヵ月は、記憶の中の景色がなんだか鮮やかだった。
時が経っても色褪せない、あの頃の思い出みたいに。



ある練習の日、待ち合わせ場所に着くと
大石は何か紙を見ながら眉間に皺を寄せていた。

「おつかれー。どったの?」
「英二おつかれ。いや、これ…急に言われても難しいなって」

どうする?と言いながら傾けられたその紙を覗き込むと、それは大会の申込用紙。
氏名に生年月日に住所に電話番号が
オレの分までしっかりと書き込まれたその用紙は
『チーム名』の欄だけが空白に残されていた。

ちょっと考えて、「書くもの貸して」と手を出すと
大石の鞄からはさっとボールペンが出てきた。

「んー…これでどう?」

その空欄に『元青学ゴールデンペア』と書いてやった。
大石はその文字を見て嬉しそうに目を細めて、
でも直後にちょっと淋しそうにもした。

「元、か」
「へ?」
「俺の中では、ずっと青学ゴールデンペアのつもりなんだけどな」

そんなことを真っ直ぐな目でこっちを見て言ってくるから
思わず泣きそうになった。

「さすがに現役は名乗れないっしょ」
「それもそうだな」

結局そのまま提出することになった。



大会当日、天気は晴れ。

元青学ゴールデンペアの、8年ぶりの晴れ舞台だ。



体力こそ落ちてるけど、テニスの感覚自体はそんなに鈍っていないみたいだった。
ライン際を狙うコントロールは相変わらず。
居てほしいと思うポジションには必ず居る。
的確な声掛けが心強い。

シングルスよりコート上に人が増えてるのに、
二人でいるときの方が、オレは自由だ。

無茶をすれば届きそうなボール、腕を伸ばし……たけど、直前に避ける。
後ろから走りこんできた大石がパッシングショットを決めた。

(楽しい)

荒れた息で肩が上下に弾む。
顎を滴る汗を腕で拭う。
手を高く掲げて、笑顔でハイタッチ。

大石とのテニスは
楽しくって、
楽しくって、
楽しくってイヤになる。

その楽しさに引っ張られるように
オレたちの調子は絶好調で、大会で見事優勝することができた。

整列をして、
握手をして、
改めて二人で顔を見合わせて笑う。

「やったね大石!」
「ああ!」

シングルスでは何度挑んでもたどり着けなかった優勝の二文字。
やっぱりオレは、大石とのダブルスじゃないと――

「英二」

掛けられた声に足を止めて振り返る。
大石は掴んだラケットを顔の高さに持ち上げて
まっすぐ手を伸ばしていた。


「俺たちは何があってもゴールデンペアだ!」


本当に

イヤになる。


「…おう!」


オレもラケットを前に突き出して笑って。
シャツの袖で汗と一緒にこっそり目元を拭った。



「大石にとってオレって何?」

大会の帰り道、オレは大石に問い掛けた。
大石は当然のように返してくる。

「えっ、友達だろ」
「それだけ?」
「もちろん、大切なダブルスパートナーだよ」

……そっか。
そう、だよね。

「他には、なんかある」
「他は、まあ」

大石は珍しく言葉を濁して、
次に聞こえてきた声は聞き取りづらいほど小さかった。

「大切な元恋人だよ」

そう言って眉尻を下げて微笑を見せてきた。
大石にもその意識はあったんだな、ってわかって。
だけどその呼び方はむず痒いな、とも思って。

「改めてそんな風に言葉にするとちょっとハズイね」
「ははっ。オレも別に普段はそんなこと意識してないよ」
「オレもっ」

そう言って笑い合う。
見上げた空は青かった。



大会、出て良かった。
一緒にテニスできて良かった。

再確認できたから。
オレは大石のことが好きだってことも、
大石とのテニスが大好きだってことも、
もう、オレたちは違う道を歩み始めたってことも。

これで良かったんだ、って思えた。



だから、その一年後に大石が彼女と結婚するって聞かされたときも、
ちょっとは驚いたけど、すんなりと受け入れることができた。
良かったね、おめでとう、って
心から思うことができた自分が誇らしかった。



青学で全国優勝したときのレギュラーメンバーを式に呼びたいんだ、って、
報告も兼ねて飲み会をすることになった。
久しぶりの集まりにみんな喜んで参加してくれて、
思い出話に花が咲いてみんなある程度お酒も回ってきた頃だった。

「結婚、することになったんだ」

肩をカチコチにさせて報告する大石。
オレたちの中で初めてに出たその話題にワッと沸く一同。

「おめでとう」「相手はどこの人?」「いつから?」
大石を中心として話題に花が咲く。
だいたいが既に聞いた話だったオレは
大石側で茶々を入れるような形になっていた。

質問がある程度落ち着いたところで、
桃が感心した感じで切り込んだ。

「結婚かぁ。よく思い切りましたね!
 ぶっちゃけ何人目の彼女っスか?」
「あ、いや……彼女、は、出来たの初めてで」
「そうなんスかぁ!?」

マジなんスか?という目線がオレに送られてきた。
ホントだよって言うこともできたし、
彼女ではないんだけど実はさ…って言うこともできた。

オレはどちらも選ばずに、大石を茶化す判断をした。

「童貞も今の彼女でようやく捨てられたんだもんねー」
「どっ!?なんてことを言うんだ英二!」

大石は顔を真っ赤にして怒った。
桃が下ネタにゲラゲラ笑ってる。
他のみんなも桃ほどはバカ笑いしないものの
大石らしい、なんて言いながらそれぞれの反応を示した。

一矢報いるにしては弱すぎる反撃だけど、ま、こんくらいで許してやるか。


そんな楽しい会も解散となって、
みんなで駅に向かって歩いているとき
大石は歩くペースを落として、わざとみんなから離れるようにした。
なんだろう、と思ったら、「英二にお願いがあって…」と切り出してきた。
その一言は、想像していないものだった。

「えっ?オレが結婚式で友人代表挨拶?」

まさかの大役への抜擢に驚きが隠せない。
うん、と首を頷かせる大石だけど、
そのまますんなりとハイやりますとは受け入れられなかった。

「オレ、輪の中で喋るのは得意だけど、
 人の前で喋るのは得意じゃないんだよ。知ってるだろ?
 そういうのは手塚とかの方が……」

っていうか、よく考えて大石。
普通、元恋人に結婚式で挨拶任せる?
不二と乾はオレたちが付き合ってたことも知ってるんだよ?

せっかくのご指名だけどなるべくなら断りたい。
そう思っていたのに。

「英二ならきっと、会場全体を笑顔にしてくれるような挨拶をしてくれそうだと思って」

大石、お前ホント、相変わらずそういうとこ…。

曇りのない澄んだ瞳に見つめられて、
思わずため息が出てしまった。

「ハードル上げんなよ〜…」
「あっ、ごめん!」
「…仕方ないなあ」

腹を、括った。

「親友のために一肌脱いでやりますか!」
「英二……ありがとう!」

お礼を言ってきた大石の目はキラキラと輝いていた。
こうやって、オレは結局ほだされちゃうんだよな。

そしてこの一連のくだりには、なんだか心当たりがあった。

「あれ、なんかこういうことも前もなかった?」
「えっと…テニスの大会に出たときかな」
「あー、それだ!」
「なんか俺、英二には助けてもらってばかりだな」

大石は情けなく眉毛を八の字にした。
でも、助けられた経験ならオレも負けない。
だから「お互い様だよ」と返した。



  **



ネクタイは曲がってない。
「髪型変じゃない?」って隣の席の不二にも確認した。
「カッコイイよ。自信持って行っといで」と
不二は背中を叩いて送り出してくれた。
今は立派なカメラのレンズをこちらに向けてきている。


今日は大石の結婚式。
そしてもうすぐオレの出番、友人代表挨拶の時間。


司会者から紹介があって、
会場中からの大きな拍手を受けてオレは前へ出る。

さすがに緊張するな。
首を軽く捻って。
大きく深呼吸。

マイクの高さをセッティングされながら、
「本当になんでオレなんかに頼んだんだよ、大石」って思ったけど、
あんな期待を寄せられては、応えないことには男が廃るってやつだ。


――でもどうする大石、ここでオレが
「実は大石は昔オレと付き合ってました」
なんてカミングアウトしたら。

自分自身を犠牲にして
大石の人生にも少し傷を入れることができるかもしれない。

(……なんてね)

言うわけないけど。
自分が背負わされる報いが大きすぎるし
大石の人生を乱したいわけでもない。

「ただいまご紹介に預かりました、新郎友人の菊丸英二といいます」

準備を終えて、第一声を発する。
ちょっと声が震えてる気がする、なんて客観視する余裕はあったけど
震えを止められないほどには緊張していた。
立って見渡すと、会場中の人たちの顔が思ったよりもよく見える。
その視線がすべてこちらを向いている。

用意しておいた文章を、練習通りに言う。
結婚に対して、二人と、ご家族にお祝いの言葉を述べる。
座って頂くのも忘れなかった。
シューイチロー君なんて慣れない呼び方もして、
ここからはオオイシっていつも通り呼びますって前置きを添えて、
本題へ話を進めていく。

「大石と関わったことのある人はみんな、
 大石を優しくて思いやりに溢れる人だということを
 よーく知ってると思います」

会場の右半分からいくつも頷きが見えた。
だけど。

「でも、それはほんの一面です」

ざわつきが聞こえる。
オレが一言喋るごとに、
ざわつきは笑いを交えていって、大きくなっていく。

「勝手に一人で突っ走ることもあるしー
 気遣いが逆に疲れることあるしー
 意外と頑固だしー
 実は無神経なとこあるしー」

指折り数える動作を入れながら列挙していく。
本当はこれらの言葉は事前に準備してたんだけど、
喋りながら色々思い出して、二つおまけで付け足しちゃった。
会場からは笑い声が止まないまま大きな拍手が生まれた。

「新婦も実はご苦労されてるんじゃないでしょうか」なんて言ってみたりして。
はっきりと否定するでもなく、
ふふっと手を口元に添える笑い仕草は可愛らしくて、
横であからさまにショックを受けている大石は、あまりに大石らしくて。

お似合いだなあ。
本当に良かったね、って。

「でもやっぱり、優しくて思いやりのある人だというのも本当です」

そこからは、
大石の良いところをエピソードを交えて挙げていった。

オレは中学テニス部で一緒にダブルスを組んでいて、
くじけそうなときはいつも力強い言葉で励ましてくれたこと。
副部長として部をうまくまとめていたこと。
大切な大会当日に妊婦さんを助けて自分は出場を諦めたこと。
周りの相談にいつも乗ってくれていたこと。
それからそれから。

一つ挙げるごとに、会場全体が頷いているのが見えた。
ついつい、準備していたより
いくつもいくつも多く挙げてしまった。

「大石ほど良い奴はこの世に他にいないと思ってます。
 こんな気まぐれなオレが、中学を卒業して、
 組んでいたダブルスペアを解消して10年も経つのに
 一番仲良しで居ることが答えです」

本当はそのあとに、
新婦に初めて会ったときの感想と、
この二人なら幸せな家庭を築けることでしょう、って
締めくくるはずだったのに、
喉の奥が詰まる感じがして、
もう喋れなくなりそうだった。

言うはずだった言葉は、紙には書いてあるし本人たちに渡すからいいや。
だからその代わりに、そのときに頭に浮かんだ言葉を伝えよう、って、
力を込めて声を張り上げた。

「絶対に幸せになれよ!奥さん泣かせんなよ!」

拳を高砂に向かって突き上げた。
大石は「ああ!」と大きく頷いて、同じく拳を突き出してきた。

会場からは大きな拍手が生まれて、
その音にかき消されたかもしれないけど
「以上で友人代表挨拶を終わらせて頂きます」と言葉を締めた。
拍手はより一層大きくなって、頭を深く深く下げて、
顔を上げて見渡した景色には、笑顔がたくさん咲いていた。

大石、これでお前の期待に応えられたかな。


話を終えて、
「新郎新婦と一緒にお写真をお願いします」
と高砂に誘導された。
そこにはドン引きするくらいボロ泣きしている大石がいた。
「新郎泣きすぎ」って肩に手をポンと乗せてやった。

ズルイよ大石。
オレだって泣きたかったよ。

だけどその思いはかき消して、満面の笑みで写真に映った。


とても良い、
とても幸せな式だった。



  **



式が終わったあとに青学メンバーだけでも飲みに行って、
「挨拶良かったよ」ってみんなに言ってもらえて安心した。

家に帰って、荷物を下ろして、
慣れないスーツのジャケットとベストを脱いで
ようやく肩の荷が下りたような気がしてため息が出た。

もらった大きな紙袋…引出物の中身を見る。
年輪がいくつにも連なったバウムクーヘン。
丸のままのやつなんて手にすることは珍しい。

そういえば二次会では飲んでばかりであんまり食べてなかった。
今更小腹が空いてきた気がして、一口食べることにした。

何等分すれば良いか迷って、
適当に6分の1くらいになるようにナイフを入れて、
口に運んだ。

柔らかくてしっとりしていて、材料の風味が豊か。
引出物に入れるようなものだし良いところのやつなんだろな。
とても高級なものだとわかる。

きっと人生で食べた中で一番美味しくて、
そして、
一番味がしない。

「……っ」

ここへ来て初めて涙が溢れてきた。
でもなんで泣いているのか自分でもよくわからない。
幸せなときの泣き方じゃない。
でも悲しいとか苦しいといった感情があるかと言われると
そういうわけでもない気がする。

袖で涙を拭いながら、
ああそうか、
このわけのわからない感情は、
今日は結婚式だったけど
卒業式みたいな気持ちになっているからかもしれない、
と思った。


引出物の中身を見ていくと、
シンプルな包装の箱や袋の中で一つだけ
花柄で雰囲気が異なる箱を見つけた。

そういえば、挨拶のお礼の品も入っています、
とプランナーさんから言われたのを思い出した。
きっとそれに違いない。
これは奥さんが選んで包んだんだろうな、と勝手に思った。

箱にはメッセージカードが添えられていた。
二つ折りのそれを開くと、
懐かしい几帳面な文字が目に飛び込んでいた。

『今日は英二らしい素敵な挨拶をしてくれてありがとう。
 生活が落ち着いたら是非新居に遊びにきてください。
 そして、また一緒にテニスをやろう。 大石』

大石。
なんでお前はいつもそうなんだ。
嬉しい言葉をくれてるようで、
無神経でイヤになっちゃう。


みんないつもさ、オレが自分勝手で、大石は面倒見が良いとか。
勝手なこといってくれてやんなっちゃう。

大石がこんなに自分勝手だって、
今日会場にいたみんなは信じてくれたかな。


優しくて、
気配りで、
でも実は頑固で自分勝手で無神経で。


(そんな大石が、好きだよ)


おめでとう大石。

一生幸せでいてくれますように。

そしてこれからもよろしく。


友人代表菊丸英二より、愛を込めて。
























大石お前ホントそういうとこやぞ、はもちろん私の心境(←)

2023年5月全国で出したおおふぇす!2023に収録の
『Hang Around Happily Ever After』の前後を埋める作品です。
タイトルはThey lived happily ever after(いつまでも幸せに暮らしましたとさ)と
Once upon a time(昔むかし、ありところに)をもじってます。

成長後の英二は、初期菊の声と態度で再生してください。
あたいは気だるげクールで気分屋な英二が一生好きだよ。

なんかめちゃくちゃメリバになっちゃったけど
この英二もいつか誰かと幸せに暮らしてほしい…
その上で二人には関係はどうあれ一生一緒に居て欲しい…。


2023/05/15-08/05