* 恋と騙るにはまだ浅い *












さん」

新学期になってクラス替えをして2週間ほど経ったある日のこと。
授業を終えてまもなく席から立ち上がろうかという私に爽やかな声が掛かった。

その爽やかな声の持ち主――大石秀一郎くんからおそらく初めて名前を呼ばれた。
席が近いわけでもなければ、私は授業中に自ら発言するわけでもなく、
委員会に立候補したり推薦されたりするような存在でもない。
そんな私の名前を知っていくれていることに驚いた。
いつどこで憶えるチャンスがあったのか。
もしかしたらクラス名簿を確認してから声を掛けてきてくれたかもしれない。

かたや大石くんは、かのテニス部のレギュラーであり副部長、
授業中に手を挙げて発言することもしばしば、
何より先日の委員会決めで学級委員に立候補して満場一致で決定した人物であり、
うちのクラスで彼の名前を憶えていない人は一人もいないであろう。

さてそんな大石くんが私なんかに何のようか。
「なあに、大石くん」と投げかけると
「お願いがあるんだけど、少し時間いいかな」
と大袈裟ではない程度に首を傾げて問いかけてきた。
こちらの様子を伺うような柔らかい笑みと言葉から、
あくまでこちらの都合を尊重してくれているのが伝わってくる。
休み時間は友達と雑談する…という予定とは呼び難い習慣があるだけな私は
素直に申し入れを受けることにした。

「うん、大丈夫だよ」
「ありがとう。これなんだけど」

大石くんは私の机に一枚のプリントを置くと丁寧に説明を始めた。

学級委員会主体で全校的な交流行事を行うことになったこと。
補佐として各クラスから男女各1名を臨時の係を選出することになったこと。
活動期間は約1ヶ月、週に1回程度。

なるほど、そういう。
納得をした私は大石くんの説明を聞きながら頭を何度か頷かせた。
委員会にすら入っていない私の名前をよく知っていたもんだと思ったけど、
委員会に入っていないような人を選んで声を掛けているようだ。

「短期間だしそんなに負担にはならないと思うんだけど、どうかな。
 うちのクラスで委員会に入っていない女子はさん以外にあと二人いるから
 彼女たちにも声は掛けるけど、考えておいてもらえるかい」

そう言って大石くんはプリントを拾い上げて、
「それじゃあ、また声を掛けさせてもらうよ」と言って、
次のターゲットに向かおうとした、とき。

「やりたい」

気付いたら、声が出ていた。
方向転換しかけていた大石くんは「え?」と零しながら振り返ってきた。

「私、やる!」

大石くんは意外そうな表情でまばたきを繰り返した。
先日の委員会決めでは目立たないように鳴りを潜めていた人が、
勢いよく手を上げてそう宣言すれば驚くのは当然かもしれない。
だけど大石くんの困惑した顔は「本当かい!?助かるよ!」とすぐに満面の笑みに変わった。

再び大石くんはプリントを机に置き直して、
次の学級委員会に出てほしい、この日時で、開催場所は…と説明を再開した。
うんうんと相槌を繰り返しながら、どうしてこんなことになったのか自問自答。

委員会なんてできればやりたくない。
推薦で名前が挙がってしまったら仕方がないけれど、立候補する人の気が知れない。
去年はじゃんけんに勝ち残ったし今年は推薦されなくてラッキーだった。
そう思っていたのに。

大石くんは驚いた様子だったけれど、大石くん以上に驚いていたのは、私自身の方だ。

でも不思議と後悔はない。
目の前で嬉しそうに説明をする大石くんを見ていたら、
なんだかすごく良いことをしたように思えてきたし、その笑顔が見られて嬉しい。
さっき咄嗟に声を出したのも、大石くんに喜んでほしい、
大石くんに他の子のところに向かってほしくない――そんな気持ちがあった気がして。

これってもしかして、恋?

ふと頭に浮かんだ考えを、思わずニヤニヤしながら自ら否定する。
有名人で人望も厚い彼が私のことを知ってくれていたのが嬉しかっただけ。

(そう。気のせい、気のせい)

恋と騙るには浅すぎて、さすがにそれはないと自分で結論付けた。


そのことがきっかけで私たちの距離が急接近する……というようなことはなかった。
待っていたのはそれまでと同様の日常で、
ホームルームを仕切る大石くんを一方的に見たり、
教室という空間の中で稀にすれ違ったりする、それだけの関係だ。

ただ、誰に対しても平等に「おはよう」と挨拶する彼が、
クラスメイトのうちの一人としてだけではなく
さん」として認識した上で声を掛けてきてくれているということがわかったくらいで。
私たちの距離感は、何ひとつ変わっていない。


こんなに楽しみな気持ちで向かうことになると思っていなかった、初めての委員会の日。
大石くんを先頭に、私の他に選出された滝瀬くんと3人で委員会へと向かった。
大石くんが一番前、その後ろに私、そのまた後ろに滝瀬くんが座ることになった。
教室ではばらばらの席で過ごしている私たちがこうして固まっているのは不思議な気持ちだ。

学級委員会には様々な議題があって、交流会についての話し合いの時間は後半の3分の1程度だった。
いつもこんなことしてたんだなあと、ある種尊敬の念のようなものを持ちながら
大石くんの形の良い後頭部を眺めた。
滝瀬くんや私たちは「交流会運営係」と名付けられて、
来週や再来週は学級委員会という形ではなく交流会準備としてブロック別に集まることになった。
私たち3年2組含む1から4組は、当日の会場設営の仕切りとその事前準備を任されることになった。

合計1時間ほどの委員会は、思いの外早く終了したように感じた。

「滝瀬もさんも、今日はありがとうな」

委員会が閉会するなり、大石くんはそんなことを言ってきた。
大石くんがお礼を言うようなことじゃないよ、と返そうと思ったけど
それより先に滝瀬くんが「しょーがねえよ、誰かやんなきゃいけねえんだろ」と言った。
少し前までの私だったら、そのように思っていたかもしれない。
大石くんが苦笑いしたから、改めて「大石くんがお礼を言うようなことじゃないよ」と伝えた。
滝瀬くんにイイコぶんじゃネーという視線を向けられた気もしたけど、大石くんは笑顔だった。
「来週もよろしくな」という言葉に頷いて、私たちは解散した。




翌週、そのまた翌週と、私たちは準備に奔走することになる。
大石くん、そんなに負担にはならないって言ってたじゃん!と
文句を言いたくなる程度には忙しかった。
だけどそれが意外と楽しかった。
なんだか、委員に立候補する人の気持ちが、ほんの少しだけわかった気がした。

それでも係である私はまだ楽な方で、学級委員たちはなおさら忙しそうだ。
特別決めたわけではなかったけれど、
大石くんは自然と私たちのブロックのリーダー的な存在になっていて、
各クラスの委員たちの意見を取り入れながら上手に全体を取り仕切っていた。

大石くんみたいな人が学級委員で良かったな。
テキパキと指示を出す姿を見て、改めてそう思った。

私も精一杯自分の仕事をやろう。
帯を締め直す気持ちでそう決心して作業に取り掛かる私の耳に、爽やかな声が飛び込んできた。



あれ?

なんだか違和感がありつつ「はい」と返事。
「ちょっと」と手招きされて、大石くんに歩み寄る足元が、ふわふわとする。
掛けられた声を頭の中で反復しながら、その違和感の理由を探る。

今、呼び捨てだった、よね。
初めてだったよね。

寧ろ、図々しいとか横柄だとか、そんな感想を抱くべき場面だろうか。
だけどそのときの私は、嬉しくて。
ドキドキして。

呼び名って、人と人の距離感を測る指標みたいだ。
なんだか急に、君が近くなって、近すぎて特別すぎて遠い。

(困ったな。気のせいじゃ、なかった)

プリントを片手に真剣に説明をする彼の横顔を見上げながら、
以降の言葉は何一つ耳に入ってこなかった。
























主人公を自分に寄せれば寄せるほど
大石を呼び捨てにして大石からはさん付けされることが多くなってしまうけど
たまには大石に呼び捨てされてキュンになるのも悪くない、と思ってw

私は10.5巻に一生捕らわれているオタクなので
今は保健委員長が公式とわかっていつつ
都合良く学級委員設定でも書いてしまうのだけれど、
我が家の作品全体だとどっちが多いだろ。半々くらいかなw

まーた恋風構文使ってしまった!(序盤の彼/彼女が終盤に君になるやつ)
わざとじゃなくてそうやって降ってくるんだもん!
今回はまたラストで彼に戻ってるけどね!
うわーん距離感を彼と君で表す恋風、天才すぎてる!(あとがきじゃなくて恋風の感想?)


2023/07/08