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前日までの台風の気配が嘘みたい。
温帯低気圧へと変わった悪天候の根源は南の海を漂ってフェードアウトした。

今日は傘は要らないだろうと思ったけど、
逆に日傘を持ってくるべきだったと後悔するほどの
晴れやかな太陽を指越しに見上げる。

新品のトップスにスカートにアクセサリー、そして鞄。
そこにいい歳してぬいぐるみなんて入れて出かけた。

そんな浮かれた出で立ちと今日の天気と裏腹に、私の心は青みがかったグレー。

「(でも、誓ったから。最高の一日にするって)」

心に浮かびかけたモヤをかき消して、目的地に向かって足を早めた。


  **


予約していたテラス席でのランチ。
案内された席の頭上には影を作ってくれる木があって、
7月並の天気予報と評された今日の気温を和らげてくれた。
風が吹く度に揺れる木漏れ日を心地よく感じながら、色彩も味も鮮やかな食事を頂く。

「(めーっちゃおいしい!写真も映える感じにうまく撮れたし!)」

上機嫌で食べ進めながら、「おいしいねー」と発声したかったけれど、
同意を得たくても目の前に置かれた物には同意も返事もする能力はない。
独り言を発する痛い人にはなれなくて、心の中でだけ語りかけながら平らげた。

心地よい気候。
綺麗な景色。
おいしい料理。
そこに居るはずだったけど居ない君。

じわ、っと滲んだ涙を瞬きでかき消す。

ダメだダメだ。
寂しいとか悲しいとか思ってしまったら、
体調不良で来られなくなった秀一郎が悪いみたいになっちゃう。
仕方がないんだから。
私が秀一郎の分まで楽しむことが、せめて私がしてあげられることなんだ。

お店の表には予約をしていない人たちの長い列が見えた。
時間的にはもう少し居ても良かったけれど、早々にお会計を済ませてお店を去った。


  **


少し時間を潰しながら、やってきたのは某有名商業ビルの中のプラネタリウム。
ベッドに寝っ転がって見られる特別席を予約済み。
「お連れ様とはご一緒に入場してください」と言われたけれど
「あ、一人です!」と2人分まとめて予約したチケットを差し出す私はどう見られたのか。

右も左も、当然カップルだらけだなあ。
お友達同士っぽい人たちもいるか。
少なくともお一人様は私だけみたい。

そりゃそうだよね。
値段も高いし、数ヵ月前から予約しないと取れないんだから。
ふかふかベッドに身を埋めて、隣にぬいぐるみだけを置いて、私は宙を見上げる。

「(あー…あれ、前に教わったな。何座だっけ)」

映し出された、見覚えのある星の配列に思いを馳せる。
秀一郎に聞くと、何月頃に見られる星座だとか一番明るい星が何等星だとか
ギリシャ神話だとこういう物語があって関わる星座というと…とか
いくらでもうんちくが出てきたものだ。

星は綺麗だし好きだ。
でも別に私は元々星が特別好きなわけじゃなかった。
秀一郎が教えてくれるから好きになった。
星について楽しそうに語る秀一郎が好きだった。

また滲んできた涙を指で拭ったところでアナウンスが流れて、プラネタリウムの本編が始まった。

私、映画の最中に手握ってこられるのとかマジ勘弁なんだけど、
この席だったらさすがに秀一郎の手握りにいっちゃったかもな、
とか思いながらぬいぐるみを胸元に掴んで心地よい音楽と美しい星空を堪能した。


  **


「(そうだ、お土産買わないと)」

プラネタリウムの出口からそのまま誘導されたショップで
何を買って帰ろうかと物色する。

何あげたら喜ぶだろう。
もし一緒に来てたら、私も自分用に何か買ったかな。

想像するけれど、それはあくまで想像。
結局秀一郎用に星座のデザインの入ったキャンドルだけ買った。

建物を出るとまだ外は明るかった。
昼下がりから夕方と呼ぶにふさわしい時間へと移り変わっていただけに
今が一年のうちで日が長い季節であることを自覚する。

今日一日、楽しかった。
確かに楽しかった。
過ごしやすいお天気とおいしいご飯と綺麗な景色、
居心地の良い特等席にリラックスできる音楽と美しい星たち。

あとは、隣に君さえいたらどんだけ良かっただろう。

そう考えるだけで、心がぎゅっとなって涙が浮かんだ。
うっかり溢れてしまって濡れた頬を袖で拭き取る。

違う。
今日は楽しかった。本当に本当に楽しかったんだ。
それは嘘じゃないんだ。
だけど君がいなかったことが悲しくて、
楽しかった気持ちで上書きしたいのに負けそう。
本当は、楽しかった気持ちが嘘になってしまいそうなくらい苦しい。

「(でも大丈夫。これから会って、こんなことがあったよって報告するし。
 そうしたらこの苦しい気持ちだってきっと報われる)」

今から向かうからあと30分くらいで着くよ、と
メッセージを入れようとスマホを取り出した。

そういえばプラネタリウム上映中は機内モードにしちゃってた、
と設定を解除すると同時にメッセージが舞い込んできた。

通知で見えたメッセージの送り主と冒頭一行に、なんだか嫌な予感。

まさか、と恐る恐る通知をタップ。
メッセージアプリが起動する。

『ごめん。あの後寝て起きたら昼よりも熱が上がってしまっていて、
 さっきから咳も止まらないんだ。今日は会うのはよしておこう。
 約束破ることになっちゃってごめんな。また埋め合わせさせてくれ。』

えー……?

なんで?
数時間前に約束したばっかじゃん?
お土産買ってきたよ?
冷蔵庫にはケーキが入ってるよ?
前から楽しみにしてた一日だったんだよ?
まだ直接お誕生日おめでとうも言えてないのに?

頭に浮かんだ言葉たちを、ぐっと飲み込んだ。

『また熱上がっちゃったの?心配だよ。。あったかくしてゆっくり休んでね。早く元気になりますように』・・・。

ぐるぐるとした私の感情とは裏腹に、
文章にいくつかの絵文字を散りばめただけのメッセージはすんなりと送信された。

体調が悪化したの、昼に私が行ったせいかな…。
無理させちゃった感あったもんな。
今から看病しに行きたいけど、逆効果な気がする。
秀一郎の言うとおり、今日はもう会うのはよしておいた方がいいのだろう。
とんでもなく悲しくて寂しいけれど。

「…………」

体調悪いんだから仕方がない。
秀一郎を責めることはできない。
秀一郎の方が今は辛い思いしてるし、きっと申し訳なくも思ってくれてるはず。
この思いをぶつけるのは、また今度元気な姿で会えたときでいい。


  **


帰宅してから数時間の時が流れた。
もうすぐ今日という日が終わる。

こんな風に一日を終えるの?
前から楽しみにしてて、準備もしてて、
最高の一日にするって自分でも誓ったのに。

……無理だよ。

笑顔だけじゃ終われないよ。
楽しかったのは本当だけど、
楽しさで悲しさは消せないんだよ。
両方独立して存在してて、
そんでもって今は、悲しさの方が少しだけ大きいよ。

「ふえん…秀一郎……」

めそめそと涙を零しながら愛しい人の名前を漏らす私。
もういっそ悲劇のヒロインよろしく、
このまま泣きながら日付が変わるまで泣きながら過ごすのもいいかもしれない。
そう思っていたところにメッセージの着信音。

誰からのメッセージを読み気にも返事する気にもなれない。
通知だけ見て緊急じゃなさそうだったら寝ていた体でスルーしよう。
そう思って画面を見た私は一気に瞳孔が拡張する気がした。
急いでアプリを起動する。

『薬が効いたみたいで容態は落ち着いてきたよ。今日は本当にごめんな。』

秀一郎が送ってきたメッセージはそれだけだった。
でも私にはわかる。

普段なら秀一郎は寝ている時間。
なんなら私も寝てるかもしれない時間。
狂ってしまった予定。
今日の日付、残り30分。

これであってますか?
間違っててもいいです。

信じて通話ボタンを押した。

数秒後、呼出音が止まった。
通話が繋がった気配がする。

もしもし、と、それから、
今日楽しかった報告とか寂しかった報告とか
お誕生日おめでとうとか体調大丈夫とか無理させてごめんとかありがとうとか、
色々言いたいことがあったのに渋滞しすぎて一つも言葉にできなかった。
代わりに私は子どもみたいにワンワン泣いてしまった。
そんな私の耳に、受話器越しの声が届く。

「こりゃ大変」

喉が枯れているみたいで、低くて落ち着いたちょっとハスキーな声。
聞き慣れないけど、その一言で、
秀一郎だ、って、嬉しくて嬉しくて悲しい。

「うわーん!しゅういちろ〜〜〜!」
、今日、ごめんな」

それだけ言って、受話器を外して咳き込む声が遠くに聞こえる。
容態落ち着いたとか言ったけど、しんどそうじゃん。
無理させてごめん。ごめんだけど嬉しい。

「電話、出てくれてありがとね〜…」
「こっちこそ。まだ起きてて良かった」

姿が見えなくて、声だけで、
それでも君が居てくれることがどれだけ嬉しいか。

「今日、どうだった」
「楽しかったよ!」

反射的にそう勢いよく答えて、
一旦立ち止まって考えて「でも寂しかったよ」、って付け足した。

「あのねまずね、ランチがすごく可愛くておいしくって、
 ってかその前に席がすごくいい場所でさ」
「うん」
「あ、秀一郎喋るのしんどかったら聞いてくれるだけでいいよ!寝落ちてもいいよ!」
「寝ないさ」

ハハッて笑う声を聞いて、その姿を想像して、
これがずっと私の前に横に居てほしかったものだ、
って思った。

いつもより少ない頻度の相槌と、たまに聞こえる咳き込む声。
「続きはまた今度にしようか」って提案したけど、
「いや、もう少し聞かせてくれ」だって。

私が秀一郎の声を聞けて嬉しかったみたいに、
秀一郎もそう思ってくれてたら、嬉しいな。
頼むから無理させちゃっていませんようにって祈りながら今日の出来事の端々まで報告を続けた。

ああ、ようやく、今日の思い出たちが曇りのない光で輝き始めたよ。

認めるしかない。
どんだけ強がっても、
君抜きでは最高の一日なんかにできなかった。
やっとできたよ。

事によっては自慢話に聞こえるかもしれない今日の出来事を語りきって、
時計を見たらもうすぐ日付が変わる頃。

「秀一郎、今日はお誕生日おめでとう」

そう伝えると、

「ありがとう。のお陰で、最低の誕生日にならずに済んだよ」

そう返してくれた。
柔らかな笑顔が頭に浮かぶ。

ああ。
早く本物の君に会いたいな。

「早く元気になってね」
「ああ」
「お土産今度渡すね」
「ん」
「次は秀一郎の全おごりで埋め合わせね」

そう伝えたら、こりゃ大変、だって。
今度はほんのり鼻声だけれどいつもの秀一郎の声で聞こえた。
それだけ胸が苦しいくらいに嬉しかった。

もうそろそろ寝た方がいいよって言ってあげたいのに言えなくて、
秀一郎もわかってるはずなのに切り出してこなくて、
日付を超えて少し経つまで私たちは声でつながり続けた。

次は元気な姿で会えますように、願いを込めて。
























テニフェスに近ちゃん居ないのマジで悲しすぎて、
だけど近ちゃんのためにも楽しむぞって誓ったのに
存在を抹消されたような3日と4日昼公演に苦しめられて、
そしたら4日夜に不二先輩が「こりゃ大変」言ってくれたのと
声は前録りだけれどナンパの王子様に大石が存在して魂が浮かばれたという話。

本当は賞味期限シリーズ(※続きものではない)は3部作で終了予定だったんだけど、
3日公演後に「これは夢小説で昇華させないと私の感情が耐えられない…」と思って
書くことを決意したけど「ハッピーエンドが見えない…」って絶望して、
でも4日夜公演後にはハッピーに終われる目処が経ったので良かったです笑

本音をいうととにかくテニフェスに近ちゃん居てほしかった!!!
悲しくて寂しくて悔しくて仕方がないけれど、
居なくてもテニフェスは楽しかった!!
それを真実にできて良かったです。こりゃ大変(cv:ゆきちゃん)、ありがとう。


2023/06/09