* 賞味期限に関わらずお早めに *












――――こんなはずじゃなかった。

彼氏の誕生日当日、私は呆然と自室の天井を眺めていた。


今年の彼氏の誕生日は連休中日の土曜日。
本当は昨日の夜のうちから仕込みをして、
今日の午前は部屋掃除の仕上げをして、
昼に合流してプラネタリウムを見に行って、
その後は一緒にDVDでも選んで借りてうち来て
優雅に一日を過ごすはずだった。

「(こんなはずじゃ、なかった)」

高熱で朦朧とした意識の中でも
無念さと申し訳なさだけは胸にあった。

一晩寝たら昨日よりは体調はマシになってはいたけれど
無理をしても出掛けられるような体調ではない。
体調を崩すことがたまにあるのは仕方ないけど、
何もこのタイミングじゃなくても良かったのに。

『風邪引いて熱出したから明日ムリ。ごめん埋め合わせは今度。』

液晶画面を見て文字を打つのですらしんどい中、
昨日なんとか送りつけた文章を振り返る。
要件のみで我ながら愛情の籠もっていない文だと思う。
それでも昨日の私にはこれが精一杯だった。

『大丈夫か?もし何か必要なものがあれば言ってくれよ』

『体調はどうだ?』

メッセージを送った直後に即眠りについて
薬の効果もあってか長時間眠り続けた私は
昨晩と今朝送られてきていたメッセージたちに
正午近くなってまとめて既読を付けることになった。

今日は4月30日。
秀一郎の誕生日。
本当は日付が変わった直後にもメッセージを送る予定だったのに。

カーテンの隙間から漏れてくる太陽の光は
もう随分高い位置から降り注いできている。
彼氏の年に一度の大切な日も
まともにお祝いできない自分をふがいなく思いながら
返信メッセージを綴り始める。

『色々買い込んであるから大丈夫。
 心配してくれてありがとね。
 せっかくの誕生日なのにドタキャンになっちゃってごめんね。
 今日は本当にお誕生日おめでとう』・・・。

こんな文字列だけで、
本当にお祝いの気持ちが伝えきれるとは思えないけれど。

そう思うとなんだか、送信ボタンを押す指がためらって、
まあでも、これが今の私の精一杯だな、
と観念しようとしたときに。


『ピンポーン』


「……え?」


絶妙なタイミングで鳴ったチャイムの音に思わず声が出た。

何も通販とか頼んでる憶えないけど?
だけどセールスとか宗教勧誘とか?そういうこと?

居留守を決め込もうと布団の中で静止していたのに
次の瞬間、思わず首を玄関の方へ向ける。

二度目の呼び鈴は鳴らなくて、
代わりに聞こえてきたのは鍵を開ける音。

うちの合鍵を持ってるのは、実家の両親ともう一人、だけ。

遠くから足音が勢いよく迫ってくる。
私にはわかる。
この足音、は。

!!!」
「わっ!」

あまりの声量に驚きすぎてゲホゲホとむせ込むと「大丈夫か!?」と
枕元に置いてあったペットボトルの蓋を開けて渡してくれた。
水で喉を潤してから「ありがとう」と伝える。
上には心配そうに見下ろしてくる秀一郎の顔。

「なんでいるのー…」
「だってメッセージが既読にすらならないから心配で」
「寝てただけだよ」
「そうか」

はぁー…、と大きくため息を吐いたのが見えた。
それは安堵からくるものだと日頃の秀一郎を見ていればわかる。
随分心配を掛けてしまったようで申し訳ない。
だけどまさかアポなしで家までやってくるとは。

いやアポなしといっても今日は本来はデートの日で
午後にはうちに来る約束もしてたのだけど。
でも掃除する暇なかったから机の上は物が散らかり放題だし
掃除機最後に掛けてから一週間は経ってるし
ゴミ箱からは鼻かんだティッシュがこぼれ落ちてるし。
でも違う言い訳させてほしい
本当は今日は秀一郎がうちにくると思って午前中のうちに掃除をする予定で
だけどまさか体調不良でドタキャンしたはずが
秀一郎がうちにやってくれるとは露にも。

「まだ熱あるのか?」
「わかんらい…昨日の夜は38度くらい…」
「それは大変だったな」

ベッドの横に腰をかがめた秀一郎は
変わらず眉を潜めたまま額にそっと手を乗せてきた。
いつもはあんなにあったかく感じる秀一郎の手が
なんだかぬるく感じる気がして、まだ熱が高いのかもしれないと思った。
案の定「まだ結構ありそうだな」という返事が聞こえた。

「食事はちゃんと取れてるか?
 食欲なくても食べやすいもの色々買ってきたんだ」

秀一郎は小脇に抱えていたビニール袋から
一つ一つ中身を取り出しながら解説を始める。

「ゼリー何種類か…これはビタミン補給ができるやつ、
 こっちはミネラル、あとエナジードリンクタイプ、
 レトルトのお粥のこっちは卵、これは梅味、あとカップスープと、
 それから水とお茶とスポーツドリンク…あ、冷えピタあるぞ!」

想像以上に飛び出してくる物資に、
「買いすぎ!」って思わず吹き出しそうになった。

でも今日の私は、笑えるような立場じゃない。
そう思って「今日は本当にごめんね」と伝えた。

ガサガサと冷えピタの箱を開けていた秀一郎は
「どうしてが謝るんだ」と眉は八の字のままで微笑んだ。

「だって…今日は秀一郎の誕生日なのに」
「別に出掛けるのは今日じゃなくてもできるだろう」
「でも……」

それでも一年に一度の大切な日だもん。
私が秀一郎を喜ばせて楽しませてあげたかったんだもん。

「その気持ちだけで充分だよ」

そう微笑むと、前髪を捲って冷えピタを額に貼ってきた。
ひんやりと温度が心地好い。
胸がぎゅっとする。
その分だけ、秀一郎の手をぎゅっと握った。

「……どうした」
「……ありがとう」
「これくらいお安いご用だよ」

いつもよりは低めに感じる秀一郎の手に
私の体温が流れ込んでいく感じがする。
この、嬉しい気持ちとか幸せな気持ちも
伝えられたらいいのにと思う。

、お腹は空いてるか?良かったらどれかあっためるけど」
「んー…じゃあお粥食べたい。卵の」
「了解」

両手に大きなビニール袋を掴んで秀一郎は立ち上がる。
そしてペットボトルたちが入った袋を少し掲げる。

「それからこのへん入れたいから冷蔵庫開けさせてもらうぞ」
「はーい」

台所へと歩き去る背中を見送りながら、
冷蔵庫の中がどんな状態だったか、
物が入りきるかどうかとぼーっと考える。

すると台所から
「卵があるじゃないか。牛乳も。生クリームも!」
と上機嫌な声が。
そ、そういえばその食材たちは…。

、冷蔵庫の中にあるもの使ってもいいかい?」

一旦確認のために部屋に戻ってきた秀一郎は、何故かやたらと嬉しそうな笑顔。
拒否できずにコクンと頷いた。

電子レンジのボタンを押す音、
そしてミキサーを回す音?
ぼんやりと聞いて10分ほど経っただろうか、
「お待たせ」と秀一郎がやってきた。
お盆にはお茶碗とグラスが乗っている。

「体起こせるか?」
「ん」

お盆を一旦脇に置いて、体を起こすのを手伝ってくれた。
そしてお茶碗と匙を差し出された、けど。
………。

「……あーんして」
「えっ」

特別だぞ、と秀一郎は眉を潜めて笑って、
フーフーした上で匙が伸びてきた。
ぱくりとそれを加える。

「…おいひー」
「それはよかった」

塩気足りてるか?お塩も持ってきたけど、あとお醤油も、と
過剰なほどにサービスが行き届いていて
秀一郎は相変わらずだなって思った。
結局どれも使われなかったんだけど、その気遣いが嬉しくって、
いつの間にかお粥は食べきっていた。

「それからこれ、デザート代わりに」

秀一郎から差し出されたグラスを受け取る。
淡い黄色でとろみのあるドリンク。

「…ミルクセーキ?」
「正解」

一口、こくりと飲む。
どこか懐かしい、優しい甘さ。

シンプルな味だ。
材料は想像がつく。

ベースは卵に牛乳、このコクは生クリーム、
それからたくさんのお砂糖と、ほんの少しのバニラエッセンス。

私が飲み進める間、秀一郎は横で話してくれた。

「子どもの頃、風邪をひくと母さんがよく作ってくれたんだ。
 風邪をひいたときにしか飲めないから、
 当時はなんだか特別な気がしていたよ。
 生クリームはなくてもいいんだけど少し足すと
 コクが出ておいしいんだって母さんが教えてくれてな。
 そういえば、バニラエッセンスなんて常備してるんだな。驚いたよ。
 ミキサーとか道具も色々揃っていたし…」

飲みながら聞いてて、
べしょり、と涙が出てきた。

「えっ、どうした!?」
「〜〜〜〜」

声が出せずに首を横に振る。
「てぃしゅ」とだけ零すと
ティッシュが箱ごと差し出されたので
一枚取って涙を拭いてチンと鼻をかんだ。
体調が悪いときって、どうにも気持ちも弱くなる。

「これ、おいしいね。ありがとう」
「そんなに、涙が出るほどおいしかったのか?」
「……ウン」
「そんなわけがないだろう。ちゃんと話してくれ」

私の背中を支えてくれていた手が、
もう少し深く回されて肩を握られる。

「おいしいし、嬉しいのもホントだよ」
「嬉しい?」
「秀一郎の子どもの頃の思い出、共有してもらえて嬉しい」

おいしい。嬉しい。それはホント。
だけど本当はそれだけじゃない。

偶然…っていうか、今日だからだよ。
そんなもの常備してないよ、バニラエッセンスなんて。
生クリームも。

「……秀一郎にバースデーケーキ作ってあげたかったんだ」

伝えてから、
たっぷり5秒は間があった。
ようやく意味を理解したらしい秀一郎は
「え!!!」と大きな声を上げた。

「ご、ごご、ごめん!」
「いいの、すぐ賞味期限切れちゃうから逆に良かった」

賞味期限はあと数日だったはず。
私が元気になる頃にはきっと切れてしまう。
というか、本当は今日でなきゃいけなかった。

「元気でお祝いしてあげたかったのに、ごめんねぇ…」

また涙がぼろぼろ溢れてきてしまった。
秀一郎はそれをティッシュで拭き取ってくれたけど、全然止まらない。
涙だけじゃなくて鼻水も垂れてきた、
というタイミングでぎゅっと抱き締められた。

「さっきも言っただろ。その気持ちだけで充分だって」

好き過ぎてムリ。
なおさら涙が溢れてきた。
ごめん涙も鼻水も服に吸われた。
しゃくり上げた勢いでむせてしまった。
あやすようにトントンと背中が叩かれる。
秀一郎に風邪うつしたくない。
あったかい。
嬉しい。悲しい。辛い。

「ごべんねぇ〜〜〜」
「謝るのはいいから、早く元気になってくれ。な?」
「うぇぇぇぇおたんじょーびおめでと〜〜!」
「ありがとう」

ハハッて笑う声が耳元で聞こえる。
その声から伝わる優しさだけで胸が一杯になる。
本当は私がもてなしてあげたかったのに。
私ばかりが秀一郎の優しさを受け取っているみたいだ。
ごめんねおめでとうと一緒にありがとう大好きも込めて
背中に回した手にちょっぴり力を込めた。

お祝いの気持ちも、感謝の気持ちも、
元気になったら100倍にして返そう。
そしてそのときには、二人で一緒に笑い合えますように。

今年の恋人との誕生日は、優しくて懐かしい味の思い出。それだけで充分だから。
























『賞味期限は6月初旬』のセルフオマージュ作。
体調崩して観月に看病される作品を書いたら
大石にも看病されたくなったから書いた(単純すぎる動機)
主人公は同じで登場するキャラだけ変えたら…という設定で書いたんだけど
観月編の方は主人公ちゃんが「しっかりしなきゃ」と思ってる節があるけど
大石編の方が甘えたちゃんな性格になっちゃってるの、
こういうことが起きるから小説書くのはやめられないってばよ。

大石も観月も世話焼きタイプだけど
違うタイプの世話の焼き方だよねって話。

書きながらすげー悲しくなったので
大石誕は絶対体調崩したくないなと思ったし、
もし大石が見舞いにきてくれるんだったら
体調崩すのもやぶさかでもねーなとも思ったし、
でもそんな大石は存在しないのでやっぱり元気に生きたいと思いました(結論)


2023/05/28-29