* 賞味期限は6月初旬 *












――――こんなはずじゃなかった。

彼氏の誕生日当日、私は呆然と自室の天井を眺めていた。


今年の彼氏の誕生日は土曜日。
本当は昨日の夜のうちから仕込みをして、
今日の午前は部屋掃除の仕上げをして、
昼に合流してローズガーデンで見頃の薔薇を見て、
その後はうちでオススメしてもらった紅茶を
前に一緒に選んだティーセットで飲んで、
優雅に一日を過ごすはずだった。

「(こんなはずじゃ、なかった)」

高熱で朦朧とした意識の中でも
無念さと申し訳なさだけは胸にあった。

一晩寝たら昨日よりは体調はマシになってはいたけれど
無理をしても出掛けられるような体調ではない。
体調を崩すことがたまにあるのは仕方ないけど、
何もこのタイミングじゃなくても良かったのに。

『風邪引いて熱出したから明日ムリ。ごめん埋め合わせは今度。』

液晶画面を見て文字を打つのですらしんどい中、
昨日なんとか送りつけた文章を振り返る。
要件のみで我ながら愛情の籠もっていない文だと思う。
それでも昨日の私にはこれが精一杯だった。

『大丈夫ですか?』

メッセージを送った直後に即眠りについて
薬の効果もあってか長時間眠り続けた私は
12時間以上経ってからそのメッセージに既読を付けることになった。

今日は5月27日。
はじめの誕生日。
本当は日付が変わった直後にもメッセージを送る予定だったのに。

カーテンの隙間から漏れてくる太陽の光は
もう随分高い位置から降り注いできている。
彼氏の年に一度の大切な日も
まともにお祝いできない自分をふがいなく思いながら
返信メッセージを綴り始める。

『ぐっすり眠れて昨日よりだいぶマシになったよ。
 心配してくれてありがとう。
 せっかくの誕生日なのにドタキャンになっちゃってごめんね。
 今日は本当にお誕生日おめでとう』・・・。

こんな文字列だけで、
本当にお祝いの気持ちが伝えきれるとは思えないけれど。

そう思うとなんだか、送信ボタンを押す指がためらって、
まあでも、これが今の私の精一杯だな、
と観念しようとしたときに。


『ピンポーン』


「……え?」


絶妙なタイミングで鳴ったチャイムの音に思わず声が出た。

何も通販とか頼んでる憶えないけど?
だけどセールスとか宗教勧誘とか?そういうこと?

居留守を決め込もうと布団の中で静止していたのに
次の瞬間、思わず首を玄関の方へ向ける。

二度目の呼び鈴は鳴らなくて、
代わりに聞こえてきたのは鍵を開ける音。

うちの合鍵を持ってるのは、実家の両親ともう一人、だけ。

ガサガサとビニール袋のこすれる音と、静かな足音。
この歩き方、は。

「これは随分と重症のようですね」
「はじめっ!?」

驚きすぎてゲホゲホとむせ込むと「おとなしくしてなさい」と諭された。

だってまさかはじめが来てくれるなんて。
掃除する暇なかったから机の上は物が散らかり放題だし
掃除機最後に掛けてから一週間は経ってるし
ゴミ箱からは鼻かんだティッシュがこぼれ落ちてるし。
でも違う言い訳させてほしい
本当は今日ははじめがうちにくると思って午前中のうちに掃除をする予定で
だけどまさか体調不良でドタキャンしたはずが
はじめがうちに来てくれるとは露にも。

「どうして…」
「起きなくていいですよ、寝ててください」

そう言われて、上半身を起こしかけた私は再び布団に収まる。
首だけを傾けてはじめの姿を視界の端に捉えると、
マスクを二重にしてビニール手袋をした上で
アルコールスプレーを片手にあちこち拭いて回ってる。

そこまで病原体扱いすることなくない!?と思いつつも、
はじめらしいなとどこか納得してしまったし、
そこまでしてでも来てくれたことは、素直に嬉しい。

「空気が悪いですよ。ちゃんと換気してますか」、
とか言いながらはじめは窓を端から開けて回る。
一日ぶりに触れた風に、汗ばんだ額が心地好く冷やされる。

「どうせまともな食事も取っていないんでしょう。
 胃に優しいもの作りますから、台所借りますよ」
「ありがとー…」

体調が悪いときって、どうにも気持ちも弱くなる。
はじめの優しさが身に沁みて、涙がぽろぽろ出てきてしまった。
遠くではじめが律儀に「冷蔵庫開けますよ」とか言ってるのが聞こえる。
風邪のせいかなんのせいかわからない鼻水をズビズビかんで
もはやゴミ箱としての役目を果たしていないティッシュの山に
追加で乗せたティッシュ球は転がり落ちていった。

嬉しい。申し訳ない。嬉しい。
今日ははじめの誕生日で
本当は私がもてなしてあげたかったのに。
私ばかりがはじめの優しさを受け取っているみたいだ。

くつくつと何かを煮る音と、
トントンと包丁がまな板を叩く音。
ほんのりといい匂いがしてきたところで
「できましたよ」とはじめがやってきた。
湯気の立ったお茶碗の中身は梅と卵のお粥だった。

「体起こせますか」
「うん」

ゆっくりと体を起こす間にそっと背中に添えられた手が温かい。
手渡されたお茶碗から一口ずつ口に運ぶ。
だしで優しく味付けされて柔らかく煮込まれたそれは
あんまり食欲のない私にも食べやすく、するすると喉を通っていった。

「おいしい…」
「当然でしょう」

僕が作ったんですから、と言いたげにはじめはしたり顔をした。
栄養のことも考えられているのか、
お粥の上には長ネギが散らされていた。
スーパーの袋からネギ突き出しながら
買ってきてくれたのかなと思ったら
思わず吹き出しそうになった。

でも今日の私は、笑えるような立場じゃない。
そう思って「今日は本当にごめんね」と伝えた。
だって、今日ははじめの誕生日なのに。

私の言葉に対して、はじめはつまらなそうに
ふぅとため息を吐いた。

「謝罪の言葉はもう聞きました」

……。
……あっ。

「はじめ、お誕生日おめでとう!」

うっかり遅れてしまったお祝いの言葉を伝えると、
ようやくはじめは笑顔を見せた。
見慣れた、僕はなんでもお見通しですよと言いたいような目で。

「早く良くなって埋め合わせしてくださいね。
 生クリームの賞味期限が切れるまでには」

そういえばさっき、はじめは冷蔵庫開けてた。
中には作る予定だったバースデーケーキの材料が。

サプライズの予定だったのにバレてしまった。
でもいいか、
今日の君の笑顔を一つでも作れたのなら。

早く一緒に、笑い合いたいな。
……。

「たくさん寝て早く治す!はじめもうつされる前に帰った方がいいよ!」
「なんですかその言い方、人を邪魔者みたいに」
「わーそうじゃない!」

慌てふためく私に対し、
「わかってますよ。あんまり騒ぐと熱が上がりますよ」と
動じない様子で空になったお茶碗を受け取って、
「薬はこれとこれでいいですか」と
机の上でメイク道具に重なるように無造作に広げられた薬を集めて
コップ一杯のお水と一緒に持ってきてくれた。
当然ゴミ箱周りの惨状も目に入っているはず。

「あの…普段はここまで部屋散らかってなくて…」
「いいから飲みなさい」
「てか顔も髪もボロボロだし今日見たものは全部忘れて…?」
「そんなくだらないことを気にすることができるくらいの
 元気はあるようで安心しました」

くだらなくなんかない!って反論したかったけど、
肩を掴まれて、そっとベッドに寝かされた。

体が楽になって、ああそうだ頭痛いしだるいんだったと思い出した。
はじめは首元まで布団を丁寧に引き上げてくれて、
ポン、ポン、と心地好いリズムで布団を叩き始める。

「寝付くまではここに居てあげますよ」

やっぱり、私ばかりがはじめの優しさを受け取ってる気がする。
そう思って、申し訳なさが浮かびそうになったけど、
感謝の気持ちでかき消して、
誕生日というこの日に、
はじめが少しでも私と一緒に
過ごしたいと思ってくれたんだったらいいな、と、
うつらうつらと考えているうちに瞼が重たくなってきた。

キスなんて出来ない。
ハグもしない。
今年の恋人との誕生日はそんな過ごし方になってしまったけど。

埋め合わせの約束は、6月初旬にきっと。
























本当はもっと盛大に祝いたいはずだった観月はじめBD。
5年以上ぶりに39度近い熱出してひっくり返ったこりゃ大変(笑)
でも転んでもただじゃ起きないオタクなので
体調悪いからこそ閃けるテーマで書きました。

もし風邪ひいて観月が看病に来てくれたら
すんげー病原菌扱いしてきそうだよねされたいよね(されたい?)

今年はこんな祝い方になってしまったけど愛はあるんだ!
観月お誕生日おめでとう!!


2023/05/27