テニスに勉強にと、ありがたいことに充実した日々を過ごしていて退屈だと感じる瞬間は少ない。だけどそんな俺の人生を更に色鮮やかにしているのが趣味の数々だ。朝ドラ見ること、余暇に読書をすること、そして夜に天体観察をすること。 その趣味が、まさかこんなことに繋がるだなんて、図書室の天体コーナー足を踏み入れた瞬間の俺は想像だにしていなかった…。 図書館には頻繁に足を踏み入れてはいたけれど、授業やテニスに関連することの調べ物、もしくは小説を借りにくることがほとんどだった。星についてより知識が深められるはず、と思い立って目的のコーナーを探して図書室の奥へと足を運んだ。 入り口と貸し出しコーナーからは距離も離れていて心なしか日当たりも悪いそこ。こんなところきっと人影も少ないのだろう、と思ったのに。 「(先客がいるのか)」 そこには小柄な女子生徒が一名居た。意外と、星好きは俺以外にも居るものだと思うと なんだか嬉しくなった。 この日は背表紙で興味のある本をいくつか選んでそのまま借りていくことにした。 借りた本は読んでみると非常に興味深くて、日食に月食、流星群の仕組みだけに留まらず星の誕生と終わり、そして宇宙の成り立ちへと興味は広がる一方で尽きることはなかった。 前回借りた本を返却して次の本を借りるというループを数日おきに繰り返した。しかし天体コーナーで人に会うことはなかった。初日のアレはまぐれだったのかもしれない…と思いながら背表紙に順に視線を滑らせ、目が留まったものに手を伸ばすと、丁度同じタイミングで同じ場所に反対側から手が伸びてきた。 「あっ、すみません!」 「こちらこそ」 いつの間に横に居たその人物は大きな声を上げて、焦った様子でその口を両手で押さえ周囲を見渡した。しかし、閲覧コーナーはともかくこんな奥の天体コーナーには俺たち以外いない。ほっとした様子で手を下ろして、その素顔を見て気付いた。 「(あ、この前の)」 そこに居たのは、この前初めてここに来たときにもいた女子生徒だった。ここには放課後と休み時間にタイミングを変えて4回ほど来ているけれど、結局遭遇しているのはこの子だけだ。 先ほど同時に手を伸ばしたその本に視線を向ける。 「これ、借りるのかい?」 「あ、いや!大石先輩が借りてください!」 譲ってくれたことに「いいのかい」と返事をしながら、名前を知られていることに少し驚いた。知り合いではないよな…と頭を巡らす。 保健委員長として朝礼で喋っている姿を憶えてもらっていたか。もしくはテニス部か。テニス部レギュラーは校内では有名だから。 「あの…」 「……え?」 「もしかして、勘違いだったら悪いんだけど、この前もここに居なかったかい?」 そう問い掛けると、首を何回も頷かせながら答えてくれた。 「あ、はい。星が好きで…このへんの本は結構読んでます」 「そうなのか」 「それも、前に借りて読みました」 そう言って、俺が腕に掴んでいる本を指差してきた。 裏表紙を開いて図書カードを取り出すと数人分の名前が羅列されていた。 この中に君の名前があるのかい?とそのカードを見せると 「あ、この…最後に借りてる、ってやつです…」 と言って最後に記載のある名前を指差した。 「さん、か」 校内で数少ないかもしれない天体好きの仲間を見つけた気がして、胸が踊った。 「俺はこれを借りるから、さんはこっちを借りなよ」 そう言って、先ほど同時に手を取ろうとした本を指差した。 「えっ、悪いですよ…」とさんは遠慮してくれたけど、 「どうせ2冊同時は読めないし。これが読み終わった頃にまた借りにくるよ」 と伝えて納得してもらった。 さんは嬉しそうにその本を両腕で抱えて、「ありがとうございます」と頭を下げた。 ここまで丁寧にお礼を言われて、悪い気はしない。それほど特別なことをしたわけではなかったけれど、なんだかとても良いことをしたような気持ちにしてもらった。 部活を終えて帰宅して、夕食を食べて、今日の授業の復習と明日の予習を手短に終わらせて、横に予め準備してあったその本を開いた。 『星の一生』。 ぱらりとページをめくる。やや専門性の高い用語も使われているそのその本は集中して読まないと理解をすることが難しかった。 星の生まれ方。自身のエネルギーを燃やして光ること。最後には爆発を伴って光度を失うこと。しかし完全に消えるわけではなく次の星に繋がること。物にもよるが寿命はおおよそ100億年…。 気付くとのめり込んでいて、時間が過ぎるのも忘れて夢中でページを捲った。得も言われぬ高揚感に包まれた。 そして、普段ならば気にすることのない最終ページ。 「(さん……)」 図書カードを取り出して、自分の名前の上に書かれた名前をもう一度確認する。 一年生なんだな。笑顔が可愛い子だった。急に話しかけて迷惑ではなかったかな。俺のことは知ってくれていたな。凄く丁寧な態度と言葉遣いだった。また、話しかけてもいいだろうか。 「…………」 考えていると、胸の奥がムズムズとしてきた。くすぐったくてどこか甘ったるい、だけど息苦しいような感覚もある。なんと表せばいいのだろう、この感情は。 「(……もしかして、これが)」 今まで数々読んできた恋愛小説のことが頭に浮かんだ。 急いで本棚へ向かい、ぱらぱらと捲っては次の本に移ることを繰り返した。あの本にもこの本にも描写されている、知ってる人同士の秘密のような、特別な感情。 憧れはあった。 だけど共感できたことはなかった。 それが今。 「こういう、意味だったのか……」 繰り返し読んできたはずの作品たちが、急に色を手に入れたようだった。 意味は理解していたつもりで、俺は何もわかっていなかった。本棚の端から取り出しては順に捲くって床に積み上げた本たちを見て、大きく一つ深呼吸をした。 どうやら俺は、さんに恋をしてしまったらしい。 ** さんへの気持ちを意識してから一週間。 しかしテニス部の練習もいよいよ忙しくなって、さんが頻繁に現れる放課後ではなく休み時間にしか図書室へ足を運ぶことはできなかった。 もうすぐ夏休み。 このまま、新学期まで会えないことになってしまうのだろうか…。 そう考えたとき、夏休み中のビッグな天体ショーが頭に浮かんだ。 「(そうだ!)」 時計を見ると、昼休みが終わるまであと5分。じっくり考える時間などなかった。俺は早足で記憶していたさんのクラスへ向かった。 1年の廊下に来ることは少ないからやや気まずい気持ちもありながらさんが所属している7組の教室を覗き込む。端から端まで見渡したけれどその姿は見えない。どこかに行ってしまっているようだ。 また改めるしかないか、と視線を廊下に向けると、丁度もう一方のドアから教室に入ろうとしているさんが目に入った。 「あ、さん!」 「は、はい」 「会えて良かったよ。図書カードでクラスまではわかってたんだけど」 時間がない焦りもどこかにあった。心臓が跳ね上がっているのをその時間の焦りに重ねた。 でもそれで良かったのかもしれない。もし、今好きな女の子と向き合っているのだ、なんて意識をした日には平常心で話せなかったに違いない。 「もし、さんさえ良かったらなんだけど、今度一緒に星を見に行かないか?」 単刀直入に要件を伝えた。 さんは戸惑っていそうな表情を見せつつも 「はい」 と肯定の返事を返してきた。 その瞬間、予鈴が鳴る音がした。 「おっと時間だ。突然押しかけてごめんな。また、待ち合わせ時間とか場所は連絡するな!」 捲し立てるようにそれだけを伝えて、早足でその場を去った。 いつどこで誰と、という重要な事項を伝えず誘うだなんて我ながらなんという無茶なことをしてしまったと思ったけれど後の祭り。もしかしたら勢いに押されて断れなかっただけかもしれない、と頭も冷静になってきた。顔が熱くなっているような気がしながら足を急がせた。 だけど、俺はどうしても君と星を見に行きたいと思ったんだ。 この後の段取りを考えつつ自分の教室に戻ってきた。そういえば今日は本を借りる暇がなかったけれど、それどころではない。 ** 「母さん、来月の流星群の日なんだけど、車出してもらえないかな」 「あーいいわよ。またいつものやつね」 年に数回お願いしていることもあって母さんはすんなりと俺の願いを聞き入れてくれた。だけど、それで「ありがとう」とだけ伝えて去れない理由が今日の俺にはあって。 「その…一緒に乗せてもらいたい人がいて」 照れもあって若干言いよどんでしまったが、意識的に平常心を貫いた。 しかし目が合うと思わず斜め下に逸してしまったその視線に入り込むように母さんは体を乗り出してきた。 「女の子?」 母さんはそう言ってニヤリと笑った。 「なっ!?」 「隠そうったって無理よ。アンタは全部顔に出るんだから」 そんなに顔に出てただろうか。 自分では自覚がないだけにどこか腑に落ちない思いもある。 「た、確かに女の子ではあるけど、すごく星が好きな子で、それ以上の他意なんか…」 「はいはい、わかったから」 俺の言い訳染みた説明にはまともに聞く耳持たず返事をされた。 「とにかく、待ち合わせ場所と時間を決めたらまた伝えるから」 とだけ残してその場は去った。 「(今日、さんと喋ったとき、俺はどんな顔をしていただろう)」 今更恥ずかしくなってきたけれど、考えるとドツボにハマる気がして一旦思考を停止させた。 集合時間、場所、連絡先などは手紙にしたためることにした。こういうことは口頭よりも書面に残した方が良い。何より、直接会ったときに動揺せずちゃんと伝えられる自信もない。書き損じる度に新しい便せんを取り出して、4枚目でようやく清書することができた。 その手紙は、翌日さんの靴箱に入れた。こんな手段を取るのは自分らしくないとも思ったが、面と向かい合ってはそれこそ自分らしく居られない気もした。 夜、夕食を終えて勉強をしていたタイミングで携帯が鳴った。今電話してくるとしたら手塚か英二か…そう思いながら画面を確認したら登録されていない番号が表示されていて心臓を跳ね上がった。 もしかして。 軽く咳払いをして喉の調子を整えてから「はい、大石です」と電話に出た。普通に考えればそこはもしもしではないのか、と思った。 俺は普段どのように電話に出ていただろうか。それすらわからない。 「あっ、こんばんは、です」 電話越しにくぐもって聞こえたさんの声は、電波を通しているからかそれとも緊張しているのか、少し高い印象に聞こえた。さんはそのまま言葉を続けた。 「星を見に行く件、誘って頂いてありがとうございます。あの、是非宜しくお願いします!」 この前図書室で少し会話をしたときみたいに、首を頷かせたり腰を折り曲げたりしながら話す様子が頭に浮かんだ。 承諾してもらえた。 嬉しい、以前にどこかほっとした。 だけど胸はドキドキしている。 不思議な感覚だ。 「夜遅くの遠出になってしまうけど、大丈夫かな」 「はい!あの、うちのおかあさ…あ、母も、一緒で大丈夫ですか」 「もちろんだよ」 「それで、母が、大石先輩のお母さんともしゃべりたいって…替わってもらえますか」 「ああ、わかった。それじゃあ替わるから一旦保留にするな」 「はい」 ピッと保留ボタンを押して、フゥと胸を撫でおろす。 「(平常心…なんて、できていただろうか)」 昨晩の母さんの言葉を思い出す。 声では取り繕っていたけれど、きっと、顔には全て出ていたのだろう。 電話で良かった…。 そんなことを考えながら、下の階にいる母さんに要件を伝えて電話を替わった。 通話が終わるまで近くのソファで様子を伺っていた。始めは天体観測当日の話をしていたようだったが、途中から雑談をしているように聞こえた。 音量の下げられたテレビをぼーっと見ながら、考える。 さんは本当に迷惑ではなかっただろうか。断りづらいような圧は与えていないつもりだったけど。中学1年生なのにとても丁寧な言葉遣いができる子だ。だけど等身大の女の子らしさが感じられる瞬間もある。親同士での会話を提案してくるあたり、さんの親御さんもしっかりとされている方だしさんが大切に育てられてきていることを感じる。 だからあんな素敵な子に…。 「…………」 考えているうちに顔が熱くなってきた。 電話を返してもらうのを待つつもりで居たが、雑談が長引いている気配も感じて部屋に戻ることにした。 電話が掛かってきたときは勉強の途中だったけれど、再び勉強に集中できる気がしなくてしばらく素振りをすることになった。 ** 夏休みに入った。 テニス部は関東大会で順調に優勝を収め、全国大会に向けて日々練習に励んでいた。 翌日には全国大会の抽選会。そんな一区切りの前夜となるタイミングが、さんと約束をしているペルセウス座流星群極大の日であった。 約束通りに集合して、俺たちは天体観測をしやすい郊外へ母さんの車で移動をすることになった。 車内では母さんが喋っている時間が多かった。母さんが、俺もさんに話したことがないような情報をどんどんと話すものだから居心地が悪かった。 思い返せば俺はさんに自分の身の上話はほとんどしたことがない。 というか、俺が知っているのはさんが星をとても好きということだけで、その星の話ですらほとんどしたことはない。よくこんな思い切った誘いをしたものだと自分でも思う。 1時間ほど車を走らせて目的地に着いた。車を降りて、ようやくさんと一対一で対峙することになった。さんは肩を出した水色のワンピースを着ていた。 「(さん、私服も可愛らしい…)」 胸がドキドキとした。それを悟られないように平然を装って話題を振った。 俺は違う意味で緊張していたけれど、さんも先輩という立場である俺からの誘いに緊張しているに違いない。そう思って、なるべく緊張がほぐれるようにと意識はしたつもりだ。しかし何を話していたか自分でもよくわからないくらい俺も必死だった。足が宙に浮いたような感覚のまま、目的の場所まで歩いて、シートを広げて、さんと横並びで寝転ぶことになった。 どうしよう、流星群観察どころではないのでは…とも思ったが、仰向けの視界を見渡した瞬間、その心配は杞憂へと変わった。 「(――……キレイだ)」 星を見上げている間だけは落ち着いていられた。 星は、俺の味方だった。 先輩である俺に気を遣っている可能性を差し引いても、さんはどちらかというと聞き手が得意なタイプに感じられた。俺も普段は気付くと聞き手に回っていることも多いけれど、さんを退屈させたくない一心で様々な話題を振った。 何を思ったか、別段笑い話をしたかったわけでもないのに自分自身の失敗談を話す流れになってしまった。カッコ悪い話をしてしまった、と後悔。さんも反応しづらいに違いない…と思ったのに、その反応は。 「大石先輩でもそんなことあるんですね」 ふふっと柔らかな笑い声が聞こえた。 星明かりでは頼りがなさすぎて、その表情までは見えなかったけれど、 ふっくらとした頬に向かってゆるく上がる口角と、優しく細めた目元が自然と頭に浮かんだ。 「(……ああ)」 これはいよいよ、本物だ。 さん。 俺は、君のことが好きだ。 たまらなく。 流れ星が一つ見えるたびに 「この時間がずっと続けばいい」 なんて思っていたけど、 いつか終わりは来る。 「もう時間もだいぶ遅いし、次に流れ星が見えたら最後にしようか」 「はい」 最後に、ほぼ真上に流れた流星は、青白い尾を細長く引いて、最後に少し燃えるように黄色く輝いて、消えた。 君は、流れる星にどんなことを願っただろう。 ** 行きの車内よりも賑やかな様子で喋る母親たち。俺とさんは、その雑談を黙って聞いている立場になった。そんな中、俺は一つのことを考えていた。 このあと、告白、できるだろうか。 今日、良いタイミングがあったら告白しようと思っていた。 当初、一つ目の流れ星が見えたら…と思っていたけれど、うまく行かなかったときのことを想定して考え直した。 最後と決めた流れ星が見えたとき…とも考えたけれど、結局それもできなかった。 そうして先送りになって、今日はもう無理かもしれないと思っていたのに、車を降りると母親同士の会話はまだ続いた。 チャンス、か。 胸がバクバクと大きな音を立てる。 言うならきっと、今しかない。 深呼吸をして、平静を装って、声を掛けた。 「今日は来てくれてありがとう」 「こちらこそ、誘って頂けて良かったです」 「もしさんさえ良ければ…また行こう」 「はい。ぜひ!」 その笑顔には曇りはなくて、気を遣っての返事ではないと感じられた。 でもそれは、さんは星が好きなのだから、星を見るという誘いだから乗ってくれたのだろう。これから、俺が言おうとしていることに、君が首を縦に振るとは限らない。 「……」 上手くいけば、いいけれど。 上手くいかなかったとして。 いや上手くいかないときのことを考えるのは良くない。 でも明日には抽選会があって、数日後には全国大会が始まる。 その大事なタイミングで、余計な心労を抱える可能性のあることをするのは……。 「大石先輩、どうかしましたか?」 心配そうに見つめられて心臓が跳ね上がる。咄嗟に、「いや!」と否定してしまった。 そのタイミングで母親たちの会話は終わったみたいで、さんは丁寧にお辞儀をして挨拶を残すと去っていった。 ……告白、できなかったな。 今日は良い日だった。それでいいじゃないか。 一旦集中しよう、テニスに。 全国制覇をした状態で、胸を張ってまた話せるように。 ** 熱い夏が明けた。 俺たち青春学園テニス部は見事に全国制覇を成し遂げて新学期を迎えることになった。全国大会の期間、俺はさんのことを考える余地など少しもなかった。 でもいざ学校生活に戻ると気になってしまう。時間を見つけてまた放課後の図書室に奥へ足を運んだ。 立ち読みをしながら時間を過ごしていると、人影が現れた。他の人の可能性もある…と考えるようにはしたけれど、現れたのは期待をしていた人物だった。 「あ、さん」 「…大石先輩」 平然を装って話しかけたつもりだったが、さんの反応が少し淀んで見えた。 気のせいか。それとも俺の態度に何か変な点があっただろうか。 「この前はありがとう」 「こちらこそ…」 目線は合わなくて、数センチ、足が後ずさりするのが見えた。 これは。 「……良かったら、ちょっと話せないか」 場所を変えるべきだと判断して、校舎を出た。今までさんとこんな昼の日の光の下で話したことはなかったから不思議な感じがした。 廊下を歩いてそこに辿りつくまでの間、歩きながら考えていた。 さんの態度がおかしい。この前、流星群観察をしたその日の帰りまでは普通だった。そこから数週間、会わない間に何があったのか。 今まで見てきた、礼儀正しくて無邪気に笑うさんはそこには居なかった。やや俯き気味に地面に視線を寄せるさんとは目が合わなくて、どこか居づらそうに腕を反対の手で掴んでそこに立っていた。 嫌われる、心当たりはない。 寧ろ、さんも…俺と同じように、平静を装えないような状態になっているのでは。そのような都合の良い考えも頭に浮かんだ。 だけど想像だけでは何もわからない。 俺は、自分の気持ちを伝えたい。 「さん、君のことが好きだ。良かったら、俺と付き合ってくれませんか」 そこまで一気に伝えた。 心臓の音が足の先から頭のてっぺんまで響いている。 胸が爆発しそうだ。 脈拍の一音一音ごとに揺れる視界の中でさんは戸惑った風に両手を口に寄せ「なんで」と聞いてきた。 なんでと聞かれると、難しい。 俺はさんのどの点を見て好きになったのだろう。 「もちろん、星が好きっていう同じ趣味を持っているところも嬉しかったし」 これまでを振り返りながら、正直に伝える。俺がどうして、さんに興味を持ち、惹かれ、恋に落ちていったかを。 一つ一つ伝えた。 俺のつまらない話にも耳を傾けてくれるところ。 人を傷つけない柔らかな言葉選びをするところ。 笑ったときの表情と声がとびきり優しいところ。 なんとなくの感情が、明確な形を手に入れたように感じる。 「初めは、単純に同じ趣味を持つ人に会えたことが嬉しくて誘った、それだけだったんだ。でも…話をしているうちにこの気持ちが芽生えて、いつか伝えようって考えてた。あの時は親も近くに居たから言えなかったけど」 言葉にすればするほど、尚更さんへの想いが増した気がした。いつの間にか俺も俯いていた。でも意を決して正面を向いた。今度はさんと目が合った。 「好きなんだ、さん。俺と」 付き合ってくれないか、と後ろに続くはずだった。だけど視線がかち合った、そのさんの目は、酷く怯えていて、「ごめんなさい」と残して、その場から走り去ってしまった。 泣いていたようにも見えた。あまりのショックに、俺は追いかけることすらできなかった。 フラれた。 好かれていない、どころではない。 嫌われている。 「(何故…?)」 やはり、一方的過ぎたのか。星が好きという同じ趣味を持つというだけで、お互いの人となりをそれ以外何も知らない、学年も違う、異性である、数回喋っただけの間柄で、急に星を見に行こうだなんて誘って。 「(でもあの日のさんの笑顔は、取り繕っているようには見えなかった)」 わからなかった。 わかるのは、俺は彼女と付き合うことはできないという事実だけであった。 ** 告白の日以来から数ヵ月の時が流れた。 告白の直後は行けなかったものの、一週間ほど空けてから曜日や時間を少しずつズラしながら図書室に通ったけれど、さんに会えることは一度もなかった。すれ違うことすら。教室へ行けば会えるだろうけど、それはできなかった。俺たちを繋いでいたのは、星だけだったのだと改めて痛感する。 …確実に避けられている。そう確信した。 終わってしまったのだ。俺たちの関係は。 悲しいけれど、理由はわからないけれど、さんが俺を拒絶している以上、無理に押し付けることはできない。 図書室に通っている手前毎回手ぶらで帰るわけにもいかず借りてきた星の本を今夜も読んでいる。 気になって借りてきた本のいずれにも、貸し出しカードには君の名前が綴られていた。 君が以前読んだであろう文章を、追うように読み込んでいく。 星。光。素粒子。ガス。スペクトル線。相転移。 ビッグバン。 「ビッグバン……」 目に留まったその単語を思わず音読した。 振り返ってみれば、俺のさんに対する感情はビッグバンのようだったかもしれない。溜め込んだエネルギーが爆発するみたいでいながら、何もなかったはずの場所に新しいものが生まれた。そしてその現象はその一瞬のことだけではなく、その後も世界の仕組みが変わったみたいに影響を与え続けている。 もう俺は、さんと出会う前の自分には戻れないだろう。 俺は決心をした。 何度でも通おう。君と知り合ったあの場所へ。 再会できるその日までは、君との唯一の、この細い共通点を増やし続けるだけでいい。 ** そろそろ読みたい本も底を尽きてしまうのではないか。気に入った本を複数回読んでもいいかもしれないと思い始めた頃だった。 数ヵ月の時を経て、さんは図書室に現れた。 「やっと会えた…!」 取り繕う余裕もなく、思わず本音が飛び出した。 「久しぶりだよな、ここに来るの」 「……」 問い掛けたけれど、返事は来ない。さんは俺と会話をしたがっていない。理由はわからないままだけれど、その事実はどうやら否定ができなさそうだ。 「俺、避けられてるよな」 俺の言葉にさんは返答をしてこなかった。それこそが答えだと解釈した。そうであろうと思いながら聞いたわけだからショックは小さかったが、やはり胸は痛んだ。 そして、さんに不快な思いをさせているであろうということも申し訳なく思う。 「ごめん。突然だったもんな。驚いたと思う…さんの気持ちも考えないで、本当にごめん」 頭を下げた。これは心からの謝罪だった。 自分勝手な思いで、好きな子に嫌な思いをさせてしまっている。 でも。 「でも、どうしても諦められなくて…理由だけでも教えてほしくて。言いづらいだろうし…強要はしたくないんだけど、聞かないと…俺がきっと諦められない」 そう伝えて、最後に「ごめん」と付け足した。 君を困らせてしまうことはわかっていた。なんて押しつけがましい。 それでも、伝えないまま終わらせたくはなかった。 あの日の夜、一緒に過ごした時間を、幻なんかにしたくなかったんだ。 無意識に目を閉じていた。 そのまま返事が聞こえるのを待った。 もしかしたら目を開けたら君はもう目の前には居なくて…なんていう想像をしながら、たっぷりの間のあと、ゆっくりと目を開けた。 驚愕した。 さんは大粒の涙を目から零していた。 「ごめんなさい…っ!」 目元を拭うためというよりも、顔を隠すようにして、さんの涙が制服の袖に吸われていく。 どうしてここまで泣いているのか。ハンカチを渡してあげたいのに、これ以上することは迷惑なのか、わからなくて、助けてあげたいのに、俺が何かをすればするほど泣かせてしまいそうで。 「私は、大石先輩の彼女になれる自信、ないです」 時折涙で言葉を詰まらせながらそう言った。 どうして。 俺はそんなに立派な人間なんかじゃあない。 「自信とか…そんなの、俺にもないよ。ただ」 声が震える。 それでも、どうしても伝えたかった。 「また、君と星を見に行きたい」 泣きそうなのをぐっとこらえて、笑顔を見せた。 「それだけじゃあ、ダメかな?」 さんの目からはまた大量に涙が溢れ始めた。 そして一歩近付いてきて、俺が宙に浮かせた手に握っていたハンカチを受け取…らずに、手を握ってきた。 そしてうな垂れるように、頭を頷かせた。 衝動的にその体を胸に引き寄せた。 腕の内側から漏れ聞こえてくる啜り泣きの声が治まるまでそうしていた。 声が完全に聞こえなくなって、体の震えもなくなって、そっと腕を解いた。 顔を俯かせたままのさんに、問い掛けた。 「また星を見に行かないか。今度は、二人きりで」 痛々しいほどに目と鼻は赤かったが、さんはようやく笑顔を見せてくれた。 ゆっくり伝えていこう。この気持ちは。 何よりも、君の気持ちを大切にしていきたい。 時間を掛けながら、少しずつ、君の思いも聴かせてもらえたらいい。 もしかしたら、それは、星の下で。 |