* 真夏の部屋で麦茶の氷が「カラン」と鳴る *












 それはうだるような暑さの夏の日のこと。
 夏休みの宿題を一緒にやろうと、菊丸は大石の部屋を訪れていた。日々部活三昧で宿題が完全に手つかずになっている菊丸からの提案でこの集いは決まった。菊丸自身、たまにやる気を起こして宿題を開いてみたこともあった。しかし部屋なら同室の兄、居間ならば家族全員(ペット含む)が構ってくるもので集中なんて出来やしない。元々勉強が好きでも得意でもない菊丸にとって、そのような環境で宿題を進めることは困難であった。そこで練習が半日で終わった日の午後、大石の部屋に来たというわけだ。
 かたや大石は、実は宿題は順調に進められていた。元々授業をしっかりと聞いて理解している大石にとって、出されている宿題はそれほど時間の掛かるものではなかった。夕食終わりなどに毎日少しずつ進められ、今更集まってこなすほどの量は残っていなかった。
 しかし菊丸の宿題の進捗が心配で、一緒にやろうという提案を飲んだ。案の定まずは授業の復習から始まった。問題集を閉じて教科書を開いて、大石の説明を受けて菊丸が一人で問題を解けるようになってから、各々の課題に取り掛かることになった。
 そうして集中し始めたかと思うや否や、すぐさま「休憩しよーよ」と提案する菊丸であった。大石は「ここまで終わったらな」と宿題の範囲の最後のページ右下を指差した。
 「ケチ!」と牙をむき出しにする菊丸の文句に耳も傾けず、大石は宿題の範囲外の――普通ならば飛ばされてそのまま解かないままになるであろう――応用問題に取り掛かることにした。さすが応用問題ということもあり、解き方を憶えているだけでなく本質を理解していないと解けないような難易度の高い問題たちが並んでいた。書いては消してを何度も繰り返している菊丸の正面で、シャーペンのノックを顎に当てじっくりと考え込む大石であった。
 ようやく一問が解け、ふうとため息を吐きながら菊丸の方を確認すると、半分は解き終えていた。集中していそうだな、と思った大石はそっと部屋を抜け出し、麦茶を二人分汲んで部屋に戻った。声も掛けずにグラスをそっと置くと「ありがと」と短くお礼が返ってきた。大石は自分の席に戻るとたっぷりと氷を入れた麦茶を飲み、二つ目の応用問題に取り掛かった。

「できたー!」
 菊丸は大きな声を上げてシャーペンを放り捨て、バンザイをするように仰向けに寝転がった。数秒間そうしてから体をむくりと起こし、置かれた気配には気付きつつまだ口を付けていなかった麦茶を口に運ぶ。グラスはすっかり汗を掻いていて、氷も角が取れてきている。我ながら集中してできていた気がする、と考えながら時計を見ると開始してから一時間以上が経過していた。麦茶を持ってきてもらったのは何分前だったか。
 正面の大石を覗き込むと、何やら真剣な顔をしながらノートにシャーペンを走らせている。
「大石まだ終わんないの? オレより遅いとかある?」
 四つん這いでテーブルを反対側へ回り込み、今何問目かと首を伸ばす。問題集とノートを交互に見比べ「応用問題じゃん!」と気付き声を上げた。
「大石、休憩しよー」
「これ解けたら」
「えー宿題の範囲はもう終わってるんでしょー?」
「ん」
「ねえー」
 大石は余程問題に集中しているのか気のない様子の返事ばかりが返ってくることに不満を持ち菊丸は肩を揺すったが、裏手で振り払われてしまった。ぷくっと頬を膨らまし、まあこの問題が解けるまでは待ってやるかと飲みかけの麦茶をまた口に含んだ。
 しかし待てども待てども、終わる気配がない。再び大石のノートを覗き込み、一問目がノートを丸々一ページ以上使って解かれていることに気付いてぎょっとした。自分がこなしてきた基礎問題とはわけが違う。
「あとどんだけかかるの?」
「あとちょっと」
「えぇ〜……あとちょっとってどれくらい」
 大石の腿を揺すり、菊丸は上目使いで訊ねる。大石は天井を見上げて一瞬だけ考え、横にある飲み干したグラスを指差した。
「この氷が融けてカランって音がしたら」
「何それ!」
 菊丸の質問とも言い難い苦情には耳をくれず、大石は再びノートに向き直った。こうなった大石は頑固だからダメだ、と判断した菊丸は諦めて机の反対側に戻った。自分も教科書をめくったりなどしてみたけれど、宿題の範囲外まで解こうという気にはとてもならない。なら別の教科に移ろうかとも思ったが、大石に教わらずにできる気もしない。何より頭を一度リフレッシュさせたい。そのための休憩の提案なのに、大石のヤツ。
 コン、とグラスを机の中心に置く。教科書もノートも片付けてしまったから自分の前にはそれしか置かれていない。菊丸は机に突っ伏す形で顔だけを傾けてグラスを見つめる。その反対側には大石の顔が見える。
 少しずつ水が底に溜まっていくけれど、カランなどと音を立てる気配はない。室温がじわじわと氷を融かしていく。冷房はついてさえいるものの省エネだといってガンガンに冷やすようなことはしていない。菊丸は「暑い」と不満を漏らしていたが大石は「すぐ慣れる」といって温度を下げなかったので。この温度で氷がどんどん融けて、形が崩れれば、その音が聞けるのだろうか。
 「カラン」と鳴ったら、と言われてすぐにその音が想像できたから、何気なく耳にしたことのある音だと思う。だけどこうして待っていると一生鳴りそうな気がしない。集中している間はあっという間に時間は過ぎたのに、待ちぼうけを食らわされているとどうしてこんなに時が流れるのは遅いのかと菊丸はため息を吐いた。
 部屋は、暑いというほどではないけど涼しいと感じるほどでもない。じわじわと、肌の表面が湿らされていく気がする。真剣な顔で、集中して問題を解いている大石も、暑いのではないか。今、その肌の温度は。
 その体表に手を滑らせる想像をする。汗ばむというほどではない気温の下で涼しげな顔をしているけれど、その腕は、首元は、服の内側は。
 そういう自分はどうだろうと、菊丸はTシャツに隠された部分の素肌を大石の手が這う想像をした。大石の手はきっといつも通りに温かくて、寒くないのに鳥肌が立って、獣のようにお互いを求め合ううちに汗が滴って、大石は後ろ手でリモコンを手にしてクーラーの温度を下げる。そんな想像を。
 生唾を飲み込んで コクリ と喉が鳴った。
「ねぇ大石、まだ……」
「終わったよ」
 菊丸が声を上げるのとほぼ同時に教科書を閉じた大石は、横にあったグラスを手に取ると底に溜まった水をくっと飲み干した。
(カラン……)
 グラスが机に下ろされるときの音に耳を傾けていたら、それと同時に
「お待たせ」
の声。
 氷水に冷やされた唇を一瞬だけ「冷たい」と思ったけれど、瞬く間にその温度は熱に溶かされていった。

























タイトルふざけてんのか?(ふざけてないよー!)

webオンリー記念で久々大菊小説書かせて頂きました。
麦茶ックスに挑戦してみたかった…といいつつ未遂で終わりました笑
あとはご想像にお任せします。

大石の部屋に二人で勉強できるようなテーブルはないのわかってるんですけど
どこかから持ってきたってことで…(ご都合主義)