4月30日。私はいつもとは異なる心持ちで朝の支度をしていた。 今日は私の好きな人、大石君の誕生日です。そして私、には、大決意があります。 今日。 私は。 大石君に、告白します……っ! 私の親友であるちゃんは、大石君の親友である菊丸君と仲良し。そこでちゃんが菊丸君経由で誕生日を聞き出してくれたんだ。その事実を知ったのはもう2年生が終わる直前で、学年が変わったらすぐに訪れるその日付を聞いて中学3年の一大決心として告白することを決めた。 昨日用意したプレゼントとにらめっこ。クッキーを手作りしたんだけど、大石君もらってくれるかなぁ。っていうかそもそも渡せるかなぁ…。あー、想像しただけで今からキンチョーしちゃう。どーしよーどーしよーどーしよー……。 「ー、まだ時間平気なのー?」 「え? あ、大変! もうこんな時間!」 お母さんの声にハッとして時計を見るといつもなら出発しているはずの時間を5分も過ぎていた。タイヘン! 「(でもプレゼントは忘れずに……っと)」 渡せる自信もあんまりないけれど、準備したその小包を鞄にしっかり入れた。鏡でもう一度身だしなみを確認して、台所にいるお母さんに顔を見せる余裕もなく「いってきまーす!」と声だけ大きく上げて玄関を飛び出した。 いつもと同じはずの朝。でも、今日が好きな人の誕生日だと思うだけで、なんだか何もかもが嬉しく感じちゃう。普段よりも出発が遅れたから、それもあるけど、それだけじゃなくて、衝動に駆られるように小走りで学校へ向かった。好きな人の誕生日。そう思うだけで心なしか足取りが軽いような気がした。 『キーンコーンカーンコーン……』 (ふぅ、ギリギリセーフ) 私が教室に足を踏み入れるのとチャイムが鳴り始めるのは同時だった。一安心して息をついていると「はよっ、」と声が掛かった。 「あっ、おはよーちゃん」 「今日は珍しく来るの遅いじゃん」 「えへへ。いろいろと考えてたら来るの遅くなっちゃって」 鞄を下ろして中身を机に移しながら雑談をする。鞄の中には……例の包みが残された。ちゃんは不思議そうに「いろいろと考えてた?」と 私の発言を復唱してから、ポンと手を打った。 「あ、そっか!今日だもんね、あんたの好きな大石のたんじょ……むぐぐ!」 「シーッ!声が大きいよちゃん!」 内緒話どころか少し張り気味に話すちゃんに驚いて咄嗟に口を手で塞いでしまった。キョロキョロと周囲を見渡して、幸いにも誰も私たちの会話に着目していなさそうなことを確認してからその手を話した。 「ゲホッ! ゴメンゴメン、つい……」 「もう!」 思わず怒っちゃったけど、 私も急に口を塞ぐのはやりすぎたかなーと思っていると ちゃんは顔を寄せて、今度は小声で話してきた。 「でもなんであんたも大石なのさ? 手塚部長とかのほうがカッコ良くない? あたしファンなんだ」 ちゃんはそう言って楽しそうに笑った。 手塚くんがカッコイイのは確かにわかる。テニス部の練習見にいったとき、カッコいいなーって私も思うもん。だけど…私にとっては大石君が特別なんだ。ちゃんにとってはそれが手塚くんなのかもしれないけど。 って……アレ? 「ちゃん菊丸君のこと好きなんじゃないの?」 ちゃんがカッコイイって騒いでるのは手塚君だけど、一緒に喋ってるときの様子を見るとちゃんはてっきり菊丸君のことが好きなのかと…。 ちゃんは「バカッ! 英二はただの友達だよ!」と言って否定した。本当の否定なのか、照れ隠しなのか判別はできなかったけど……。 もし本当だとしたら、ちゃんはすごいと思う。私は男の子に友達なんて呼べるような人いないもん。普通に喋るだけで緊張しちゃうんだもん。ああ。今日も大石君にちゃんと話し掛けられるかな……。 考えてるうちに、ちゃんはニヤリと笑った。 「あいつ大石にゾッコンだよ〜。とられちゃうかもよ?」 あいつ。つまり菊丸君が、大石君にゾッコンで、取られちゃう??? あ、ありえない…とは言い切れないのが怖い! 二人は本当に仲が良いんだもん。実際、今日プレゼントを渡すにあたって大石君が一人きりになる瞬間が必要なんだけど、菊丸君がずっと近くにいるんじゃないかなって気になってる。私は不安が増す気がした。 「やめてよ〜そういうこというの」 「あはは、冗談冗談」 「イジワル……」 ちゃんは楽しそうに笑ってたけど、私は本気で心配になってきた。 「それにしてもあんたホントにおおい……あの人のコト好きなんだね」 その名前を出しかけたことに途中で気付きつつ、ちゃんはそう言ってきた。私は素直に「うん」と肯定した。この気持ちに嘘はつけない 私が始めて大石君を見たのは、2年の2学期。青学は人も多いしクラスも多い。同じ学年でもクラスとか委員会や部活が被らなきゃ顔すら知らないまま過ぎる人も結構いる。中学校生活が半分過ぎるまで、私と大石君はそういう関係だった。 推薦で嫌々なってしまった学級委員。初めて参加した委員会で、大石君を見た。手を上げて自ら意見を出していたことが印象的で、そのまま学年代表に選ばれたのも納得だった。同い年の男の子なのに、立派だなって、尊敬みたいな気持ちが生まれた。 その数日後、ちゃんに誘われて男子テニス部を見に行った。そこで大石君の姿を見つけたあの瞬間を思い出すだけで今でも心臓が揺れてしまう。鋭い眼差しでボールを追う姿に、視線を奪われた。そして見事に心も奪われてしまった。 心臓がドキッと跳ね上がって、大石君が他の誰よりもカッコ良く見えた。というか、私の目には大石君しか映っていなかった。 「ホラホラ、席着け!」 「あ、先生来ちった。そんじゃ」 「うん。また後でね」 ちゃんはぱたぱたと自分の席に戻っていった。そしてホームルームが始まった。ふぅ、と溜息をついて、鞄の中の包みのことを考えた。 (プレゼント…いつ渡そう。体育館裏とか屋上とかに呼び出すわけ? そ、そんな大それたこと出来ない! かといって靴箱とか机の中もな〜…入れるとき人に見られたら嫌だし) う〜ん。どうしよー……。 「……っ!」 「は、ハイ!」 声をかけられて反射で返事をすると、目の前には呆れた顔のちゃんがいた。 「何ボケっとしてんの。次移動だよ」 「あ、うん」 考え事をしているうちにホームルームは終わってた。ちゃんの声で一気に現実に引き戻された。1時間目は理科だった。急いで準備を揃えて教室を出る。 ……どうしよう。 教室移動中も、授業中も、そのことばかり考えていた。 次の休み時間、どうやってプレゼントを渡せばいいかちゃんに相談した。 「実は今日プレゼント持ってきたんだけど、いつ渡せばいいかな?」 「放課後に屋上とかじゃない?」 「そんなところに呼び出すなんて出来ないよ!」 「じゃあそういうシチュエーション作りしてあげようか? 英二も協力してもらって」 「うん、ありがとう。 …でも、これは自分の事だからやっぱ自分で何とかするよ。」 「そう?そんじゃ、頑張ってね。応援してるからさ。」 そんな会話が繰り広げられた。 人の助けは借りずになんとかしたい。それは事実だったんだけど、結局解決策が浮かばない。だからといって自分では勇気が足りない気もするし。うーんどうしようかなぁ……。 やっぱり協力してもらえばよかったかな……。でもそうするとうまくいかなかったときその人にも悪い気がしちゃうし…。 (自分で頑張るしかない……か) 一大決心なんだ。自分を変えられるかもしれない。それくらい大きな気持ち。 (…よし!) 自分で自分を納得させて、大きく頷いた。 いつか一人になるタイミングがあるだろうから、ぱっと渡してすぐ立ち去ることにしよう。内気な私には、それが精一杯。でもなんとか、自分の力で、大石君に話し掛けるんだ。 ――昼休み。 大石君のクラスは、10組のうちのクラスからは結構離れている。何個もの教室の前を越して、やっと辿りついた。 (3年2組ーっと……アレ?) 教室の中を見回したけど大石君の姿は見当たらない。 (う〜ん……図書室とか?) ……いません。 (え〜? 委員会の仕事でもあるのかなぁ?) 大石くんは今保健委員長だから、保健室かな……。と思って歩き始めたとき、気付いた。 (そうだ、テニス部の昼練があるんだ……) 大会が近いのか、最近テニス部は昼休みにも練習をしていることがあった。今日もその日だと気付いてしまった。練習中じゃ渡せないよね……。 放課後、掃除が終わって部活に向かう最中を狙うことにしよう。部活に行ってからじゃあ、ダメだ。今日はきっとたくさん大石君を見に行く人がいる。プレゼントを渡そうとする人もきっといる。他の人たちを見てしまったら、私は怖じ気づいてしまうと思う。 ――放課後。 今日は私は掃除はないし、後は大石君がここを通るのを待つだけ……。あ、誰かと一緒だったらどうしよう……いや2組にはテニス部の人いないはずだし、でも隣の1組には例の部長の手塚君がいたような……。それこそ菊丸君と一緒の可能性もある……。 うーん考えたってわかんないからとりあえずここで待ち伏せし……。 『ピンポンパンポーン♪ 連絡します。体育祭委員の生徒は、至急多目的室へ集まってください。繰り返します、体育祭委員会の生徒は……』 (えっ!? うそ〜!!) 3年2組からテニスコートに向かうのであればきっとここを通るであろう、という場所で身を潜めていた私。その私は、今まさに呼び出しのあった体育祭委員なのだった。 (こんなときにあるなんて……) 至急って言ってたから、すぐに行かないと。いつここを通るのか、もしかしたら別のルートを通ってしまったかもわからない大石君を待ち続けるわけにはいかない。 本当は、部活が始まるまでになんとかしたかったけど……。 (う〜、せめて委員会が早く終わってくれますよ〜に!) そう願いながら、放送の通り多目的室へ向かった。 ――願いは通じなかった。臨時招集だからすぐに終わるだろうと期待していたけど、緊急招集するくらい重大な問題が起きているということだった。話し合いが全然終わらなくて、私は気が気でなくて何度も窓の外を確認した。 部活が終わって帰っていく生徒も見え始めた。テニス部は比較的終わる時間が遅い方の部活だ。速く、テニス部が解散しちゃう前に委員会も終わって……。 (……ん!? あれはテニス部の人じゃない!?) 見覚えのある姿が目に入って嫌な予感がした。大きなテニスバッグを背負った人たちがぞろぞろと帰っていくのが見えた。もう部活が終わっちゃったみたいだ。 (大石君帰っちゃうよ〜!) 早く〜!! と司会に念を送り続けたけれど、問題は収束するどころか拡散していく。「もう最終下刻時間だ。今日は臨時招集だったし後日改めて開催しましょう」という言葉に、私は早々に筆記用具をしまって退出する準備をし始めた。 「それでは、これにて臨時の体育祭実行委員会を終わります。――礼」 「ありがとうございましたー」 言い終わる前に、私の体は動き出していた。他のみんながガタガタと動き始める頃には既に廊下を駆け出していた。 校舎の中を駆け抜け、急いで靴を履き替えて、走りにくいローファーでテニスコートに向かって全力疾走した。走るのは得意じゃないけど。先生に見つかったら怒られちゃうかもって思ったけど。一秒でも速くたどり着けるように。 (お願い、間に合って!!!) テニスコートに辿り着いたときには大きく息が切れていた。辿り着くまでには誰とも入れ違わなかった。もう日は半分沈みかけて、空はオレンジ色に染まっていて、ネットやボールも片付けられていて、ガランとしたテニスコートがあるだけだった。 「誰もいないよね…」 思わず声に出して呟いてしまった。 どうしてこうなってしまったのだろう。臨時の委員会なんて予想できなかった。でも恨んだって仕方がない。私はどうすれば良かったんだろう。 他人の目なんか気にしないで、昼間のうちに渡せば良かったのだろうか。迷惑を掛ける覚悟で、人に協力してもらえば良かったのだろうか。 どちらもできなかった。私には。勇気が足りなかった。 好きな気持ちだけは、こんなに大きいのに――……。 『ガチャッ』 「!?」 誰もいないと思っていたところに、不意に物音。振り向くと、テニス部の部室の前には人影が。こっちに背中を向けていて、顔は見えないけれど。 日誌を書いたのち、コートと部室の最終点検をしていた人。朝は一番に部室に来て鍵を開けて、帰りは一番遅くまで部室に残って鍵を閉める人。 ―――大石君だった。 「おおいし、く…?」 「誰だい?」 誰もいないと思っていたのは大石君も同じだったのか、少し驚いたような素振りを見せて振り返ってきた。 大石君の顔を見たら、驚きと安心と嬉しさと緊張と、全てが混じって押し寄せてきて、さっきまで堪えていたものが出てきてしまった。 「おおい…っ…うぅ〜」 「お、おい。どうしたんだ?」 「あ、あの…ヒック…ふ…ぅっ」 「…落ち着いていってごらん」 フォローの言葉を入れる余裕もなく泣き崩れてしまう私に大石君は優しく接してくれた。身長が150cmちょっとしかない私に合わせて屈んでくれて、すぐ近くから声が聞こえてきて感情が爆発した。喋りたいのに喋れない。伝えたいことはたくさんあるのに。 (そうだ、プレゼント) 声を出せないまま、鞄から小包を取り出して手を前に伸ばした。昨日の夜、3回失敗してやっと出来た完成作。 「……くれるのかい?」 「〜〜〜」 ようやくしゃくり上げは収まってきたけど、今喋ったらとんでもない鼻声になりそうだ。首を縦に大きく2回振った。そのまま顔を上げて、恐る恐る目を細めにすると柔らかな笑顔と目が合った。 「ありがとう」 その声色はあまりに柔らかくて、自分の顔がすごい状態だろうのも忘れて、目を見開いた。 このとき、今日始めて大石君の顔を身近で見た気がした。といっても、涙で霞んじゃって表情まではよく見えなかったけど、でも、いつものあの優しい笑顔だった気がした。 (やっぱり、好き) なんて、和んでる場合じゃない! 今、ここではっきりと言わないと! 「大石君!」 「ん?」 「えとっ、ヒック……あの、おたんじょっック……ぅび、おめで……う〜」 喋り始めたら胸が一杯になってしまって、またしゃくり上げ始めてしまった。上手く喋れなかった。だけど、大石君は聞き取ってくれたみたいで、笑顔でお礼を伝えてきてくれた。。 「誕生日、知っててくれたんだな。ありがとう」 「そえで、……ぅぐっ! あぁあのねっ私……ヒック、ずっと……ふぅ〜……おおいしくんの…コトっ! ……ぅっく。……うぐぅ〜〜あぁ〜ん」 こんなに泣きじゃくるのなんて小学生のとき以来じゃないかってくらい泣いてしまった。本当に喋れないよ、胸が一杯で。 (「スキ」って、) 一言そう言っちゃえば終わりなのに。そのたった2文字が出てこない。 「うぇ〜〜〜〜」 「……ありがとう」 大石君はお礼を述べるとポンと私の頭に手を置いて、ハンカチを渡してくれた。……やさしい。やっぱり私は、首を頷かせるしかできなかった。 でも、私頑張ったよね。 自分から大石君に話し掛けた。プレゼントも渡せた。 今日はもう、充分なんじゃないか……そう思うと同時に。 (今日は、一年に一度の大石君の誕生日で、一大決心をした特別な日で……) やっぱりなんとかしてこの気持ちを伝えたい! と考えただけど、大石君の顔を見たらそんな覚悟はふにゃふにゃに溶けてしまった。好きだから伝えたいけど、好きすぎて勇気が出ない。 これ以上大石君を足止めするのも悪い……伝えるか今日は諦めるか早く決めないと、と焦る私の前で大石君は顎に手を当てて何かを考えていた。そして思わぬことを言う。 「えっと、今日一緒に帰ろうか、さん」 「!」 その瞬間、本当に本っ当に幸せで頭おかしくなりそうだった。まさか一緒に帰ってくれるだなんて……。 (しかも大石君、私の名前知ってくれてたんだ) 去年半年間同じ委員会だっただけで、直接喋ったこととかもなかったのに……。 予想外に二人で帰ることになって、緊張と、涙声なせいで、私はほとんど喋ることができなかった。大石君はいくつか話題を振ってくれたけど、首を縦に振ったりするだけで。次第に大石君の口数も減って、無言のまま肩を並べて歩く感じになってしまった。 大石君、気を悪くしてないかな……。この時間は幸せだけど、緊張しすぎて、一生続いてほしいけど早く終わってほしい変な気持ち。 駅まで着いて、電車は同じ方向で、自分の最寄り駅で「私、ここ……」とだけ声を出すと「俺も下りるよ」と言って、大石君も一緒に下りた。 (あれ、大石君、最寄り駅同じだっけ……?) 違うような……うん絶対違うはず。過去の情報からそう確信した。 (もしかして律儀に家まで送り届けようとしてる!?) そう気付いた。確かに結構時間が遅くなっちゃったせいもあって、外は薄暗い。何か言った方がいいのかわからないまま、うちに着いてしまった。 「大石君、うちここ……」 「そっか」 大石君も足を止めた。感謝というより申し訳なさの方が大きい気もしながら、頭を深々と下げた。 「わざわざありがとうございました」 「いや、こちらこそプレゼントありがとう」 「ハンカチ、洗って返すね」 ああ、それじゃあまたな。 ……とでも返事が来ると思った。だけど来ない。大石君はそのまま立ち尽くしている。え。 (もしかしてこれは、チャンスでは?) 二人きり。 今、言っちゃおうかな? 今日しかないんだから、言うしか…! 「……実はさ」 「え?」 口を開きかけた私はきっと、とてもマヌケな顔をしてた。まさか、大石君の口からそんな言葉が出てくるなんて。 「オレ、前からさんのこと良い子だなと思ってて……その」 え。 「君のことが好きだ」 言葉を聞き届けた私は、驚きと嬉しさでパニックになって再び泣き出してしまった。 しゃくり上げて呼吸が乱れる。物凄い鼻声に違いない。顔もぐちゃぐちゃだ。だけど、この気持ちだけは絶対に伝えないと。 そう思って私は意を決して、大石くんの顔を見て、その2文字をようやく口から押し出した。 「スキ」って。 涙が止まらないけど、ハンカチは渡されない。頭に手も置かれない。大石君は私のことをぎゅっと抱き締めてくれた。 こうして4月30日は、好きな人の誕生日の他にもう1つ、とっても大切な記念日になったのです。 |