* ノンストップ桜前線 *












6時半。
朝から部活がある日のいつもの目覚まし。
まだ眠い目をこすりながら体を起こして窓際へ向かう。

カーテンを両側に開けば、視界に飛び込んできたのはまばゆい朝日。
ついこの前まではこの時刻はまだ外は暗くて、
ここ最近は明るい空が見られるようになったなと思っていたら
ついに今日は太陽の姿を拝むことができた。

すっかり日が昇るのが早くなったな。
そういえば先日春分の日が過ぎたっけ。
そんなことを考えながら身支度をして、家を出た。

時刻通りに現れたいつもの電車に乗って、
夜の間に届いていたメールに返信をして、
階段前にピタリと止まったドアから電車を降りて、
一番乗りに階段を駆け下りて改札を通る。

小走り気味に早歩きをしていると、
数十メートル先には見慣れた後ろ姿。
私の電車の1分前に反対方向からの電車に乗ってきた大石。

「おはよ大石」

後ろから声を掛けると、そろそろ声が掛かると予想できていたのか
驚く様子も何もなく「おはよう」と返事が返ってきた。
こうして私たちは、他愛もない話をしながら学校に着くまでの数分間を共にする。

歩きながらふと、道沿いの桜の木が目に入った。

「桜、咲き始めたね」

その言葉を受けて大石は、ああ、と上を見上げた。
背の高い大石が大きく腕を伸ばして、
丁度指が触れるか触れないかという位置に枝先があるその木。
枝先で蕾は大きく膨らんでいて、今にも開きそうだ。
もう少し上の枝には実際に開いている花もいくつか数えられる。

「今日はあたたかくなるらしいし、一気に開くかもな」

そう言って大石は嬉しそうに微笑んだ。
今週中に4月に入るんだもんな、と考えながら私は頷いた。


  **


学校に着いてからの、私たちは忙しい。

大石が一番乗りで部室を開けるその間、
私はテニスコートに一番近いトイレで早着替えをする。
(更衣室?いちいち行くの面倒くさいもん!)
部室の入口に出しておいてもらったドリンクボトルのかごを抱えて
ガチャガチャと水飲み場へダッシュする。

今日は気温が少し高くなるみたいだし、
作り置きを多めに準備した方が良いかもしれないと考えながら
スポドリのパウダーを水に溶かしてボトルを埋めていく。

そうこうしているうちに他の部員たちも現れ始めて
挨拶を交わしながら仕事を進める。
そろそろ今日の練習メニューが確定した頃か。
作り置きは後回しにするとして
ひとまず一人一本分のドリンクが準備できたタイミングで
部室付近に戻ると手塚と大石が二人で話してた。

「今日の練習、何からやるか決まってる?」
「久しぶりにサーキットのタイムを測ろうかと思って。
 ストップウォッチと記録用紙の準備お願いしていいかな。あとカラーコーン」
「了解〜」

ドリンクをベンチ脇に下ろしてから部室に舞い戻り、
コンコンとノックをして「失礼しま〜す」と突入すると
飛び交うのは「きゃーエッチ!」だののふざけた声。
初めは私も抵抗あったけど今や慣れた。
「文句があるならもっと早く来て着替え終わっててくださーい」と
言いながらズカズカと突入して備品置き場を漁る。

「何探してんスか」
「ストップウォッチ」

さっきは「エッチ!」だなんだと言ってきた癖に
桃は上半身裸のまま後ろから覗き込んできた。
質問に簡潔に答えると、「げっ、なんかタイム取るんスか」って言うから
「久しぶりにサーキットだってさ。がんばれ〜」と伝えて
無事見つかったストップウィッチと記録用紙を掴んで立ち上がる。
「おい今日サーキットタイム取るらしいぞ!」「マジかよ〜!」なんて会話を聞き流しつつ
カラーコーンと、あと頼まれてないけどラダーも要るだろうと
バスケットに入れて部室を出る。

いよいよ正式に練習が始まる頃には日はだいぶ高くなっていた。
本当に今日は暑くなりそうだ、と突き刺すような日差しを手を翳しつつ見上げる。
今日はまず準備体操をしたら順番にサーキットのタイム測定、
他の者はサーブ&レシーブだと手塚が説明をして、みんなコートに散らばっていく。
グラウンドの隅にサーキットの準備にコーンたちを設置していたら早くも汗ばんできた。
そういえばドリンクのおかわりも作らないといけなかったと思い出す。
結局準備体操中には数人分しか追加を作れないまま、タイム取りに駆り出される。
今日はなんだかいつも以上に忙しない。

「今日は天気も良くてコート使えるのにサーキットなんて、贅沢するね」

手塚の測定を開始して、横でスタンバイしている大石にそう声を掛ける。
大石は
「もうすぐ新入生も入ってくるからな。
 その前に各自に去年からの成長や課題を認識してもらいたいんだ」
と言った。
なるほど、と納得して手塚に「ラストー!」と投げかけた。
息を切らした手塚に何やら声を掛けて大石もスタート位置に移動していった。

「それじゃあ行くよ、よーい…スタート!」

ピッとスタートウォッチを動かし始めると同時、大石も軽快にスタートを切った。


  **


「海堂すごい!こんなにタイム縮んでるよ!」

記録用紙に残された去年の記録と、たった今止められたストップウォッチを前に差し出す。
海堂はその数字をじっと見つめると「っス」と
味があるのかないのかわからないような返事を残していった。
ただ、ラケットを持たないままスネイクの素振りをしながら歩き去る姿を見て
満更でもなさそうだと勝手に思った。

海堂の延びはすさまじかったけど、他のみんなも大半はタイムを縮めている。
前半のタイムを大幅に縮めた人もいれば、
後半の減速を抑えられてる人もみたいだとそれぞれのデータを見比べる。

「ダッシュ力強化と持久力増強がしっかり数字に表れているな」
「乾」
「あとで全員分のデータ写させてもらいたいんだけど、いいかな」
「悪用はしないでよね」
「悪用って例えば何だ。他校に高く売るとかか?」

私の念押しを軽くあしらって乾は歩き去っていった。


  **


雰囲気は穏やかだけど、練習は激しい。
これが青学テニス部(うち)の特徴だと私は思ってる。
合間には和やかな笑顔のやり取りもあるけれど、
そんなみんなの額には漏れず汗が滲んでいる。
否、滲んでいるでは済まされない。
今日のみんなは汗を滴らせていた。
中にはジャージを脱いで半袖になる人も出てきた。

すっかり春だな。
温かいを通り越して暑いに突入しそう。

私もジャージを袖まくりして、
空になったドリンクボトルを回収しに走る。

「ステップ遅れたぞ!」

よく通る声が響いて、咄嗟にそっちを見る。
大石がボール出しをしていた。

声、低くなったなぁと
出会った頃のもう少しあどけなかった姿を思い出す。
あの頃は私の方が身長も高かったし、
大石は小坊主って感じだったのに。

「(顔つきも大人っぽくなったものだなあ…)」

肩で顎の汗を拭う横顔をこっそり盗み見てそう思った。

いつの間にこんなに変わったのかな。
恐るべし成長期。
気付いていないだけで今この瞬間も成長しているのかもな。

「(いけない、ドリンクだ!)」

おかわりのストックが残りわずかだったことを思い出して
ボトルのかごを抱えて私はまた走り回る。


  **


「おつかれさまー。まだ掛かる?」

片付けを終えて、例の如く最寄りのトイレで制服に着替えて部室に戻ると
部誌を一緒に覗き込んでいた手塚と大石は同時に顔を上げた。

「いや、丁度終わるよ」
「了解ーじゃあ待ってる」

他の部員たちは帰ってて、いつも最後はだいたいこの3人。
あとは海堂がたまに部室の脇に鞄を置いてランニングに行ってる。
今日は鞄が見当たらないから帰ったみたい。

散らかった備品が目に入って整理していると後ろで
「よし、じゃあ明日はこれで行こう」「ああ」と
まとめに入る声が聞こえてきた。

手塚と大石が立ち上がって荷物を拾い上げる音がして
整理整頓は完了していないけれど明日以降の自分に任せることにした。

手塚は部誌を持って竜崎先生のところへ。
大石は部室の鍵を閉めてそのまま帰宅。
たまに大石も竜崎先生のところに行くこともあるけど
今日はそのまま帰るらしい。

「それじゃあ手塚、また明日な」
「ああ、また明日」
「おつ〜」

手塚と別れて、大石と二人で学校を後にする。
なんだかんだこのパターンが一番多い。

「今日暑かったな」
「ねー。春通り越して夏って感じ」
「ハハ」

大石が軽く笑った。
そのとき、そよ風が吹いて、メントール系の制汗剤が香った。
冬の間は使っていなかったのか
厚着だから気付かなかったのか、
とにかく今日初めてその匂いに気付いた。

「(いつの間に色気づいちゃって)」

知らない人を見るような気持ちで
横から大石の顔を見上げる。

「ん、どうした?」
「なんでもない!」

私の視線に気付いた大石はこっちを覗き込んでくる。
目が合って、何故か長く直視していられなくて背けてしまった。

なんだろう。
今日はなんだか居心地が悪い。
この前までの冬みたいな気候から
季節を通り越して急に夏みたいに暑かったからだろうか。

しばらく不思議そうに見てくる気配を感じたけれど、
視線を前に向け直したらしい大石は
何かに気付いたのか「あ」と声を上げた。

私の横を離れて、道の反対端へ歩く。
桜の木の下で立ち止まる。
朝はたくさんの蕾があったその木。

「本当に一気に開いたな」

大石が腕を伸ばして、
丁度指が触れるか触れないかというその位置。

枝先には膨らみに耐えきれず弾けたかのように満開の花たち。


「俺たちがテニスをしている間も、こいつらは成長していたんだな」


そう言って振り返った大石が、微笑んだ。

ぼっ! と。
桜が、一気に花開く音がした。


いつからこんなに大きくなっていたのだろう。

桜も。
君も。
君を見る私の想いも。

毎日枝先を見つめたところで
一昨日から昨日も
昨日から今日も
何も変わっていないように見えていた。

「またね」で別れた私たちは
今日もそうであったように
明日いつもの「おはよう」で
出会うものだと思ってた。

だけど昨日と今日で、
もっと言えば今朝と今とで
違うものがあると私は知ってしまった。

蕾はどんどん膨らんでくし、弾けるし、
私たちの背丈は離れていくし。
ねえ、いつの間にそんな大人な顔して笑うようになったの?

この、おかしな気持ちに気づいてしまったからには
明日の朝はどんな想いで
「おはよう」を言えばいいのだろう、
と考えながら
「またね」の準備をしている時点で
今の私はもう昨日の私とは違う。

君、桜、夕焼け空が
一直線に並んでいるのを
斜め下から私は見上げる。

いつの間に君はこんなに大きくなったのだろう。


?」


掛けられた声にはっと現実に戻される。
大石と、桜を見たまま私は固まっていた。

「ごめん、ぼーっとしちゃった!」
「どうかしたか?」
「なんでもなーい!」

お願いまだ気づかないでって祈りながら背を向ける。
大石は着いてくる。
再び歩み始める私たち。
駅に着くまであと数分。
着いたら、またねの時間。

「あ、さっきの話の続き」

駅に着いたら
人々の喧騒が
ダイヤのアナウンスが
入構してくる電車の音が
私たちの会話をかき消してしまうかもしれないから、その前に。

「大石も成長してるよ」
「ああ、ありがとう」

さらりと返事をしてくる大石は
きっと私の本意には気付いていなくて
それは私にとっても好都合だと思いつつ
どこかで知ってほしい気持ちもあって。

こんな気持ちが花開いてしまうなんて。

これ以上一緒に居たら、
私はもっとおかしくなってしまうかもしれない。
そう思いながら改札を通り抜けて、階段の前、
「またね」といつもの笑顔を向けた。
























フォーリンラブしてしまったけど
まだ自分でも認めきれていないくらいの
くすぐったい青春が好きだ。

通勤時に満開の桜並木沿いを5分くらいずっと自転車漕いでるので
お陰で大石夢が舞い降りる舞い降りる!参っちゃうね!(笑)

桜の咲き始めの季節に上げるべき作ですけど
ちょっと出遅れたけど3月中に上げられて良かった!


2022/03/28-31