* あなたの思い出を私にください *












蛍の光からもう1時間以上。
昇降口の脇で、私はその瞬間を待ちわびている。


大好きな先輩が今日、青春学園を卒業していく。


ずっとずっと憧れだった。
友達に誘われてテニスの大会の応援に行ってからずっと。

教室移動時にすれ違えるよう3年2組の時間割を把握した。
体育の授業を眺められるようクラスメイトに交渉して窓際の席を守り続けた。
少しでも近くにいたくて保健委員に立候補した。
だけど一度も話しかけることはできなかった。

最初で最後だ。

今日、私から大石先輩に声を掛ける。


げた箱の手前、階段の下で上から降りてくる人を待ち構えている。
他にも同じことを考えている人はいるようで、
人気者の菊丸先輩と不二先輩が降りてきたときにはすごい人だかりが出来た。
二人は次々とボタンを持っていかれて袖まで含めて全部なくなった。

大石先輩も人に囲まれちゃったりするのだろうか…。
もう既にボタンなくなってたらどうしよう…。

嫌な想像もしながらその姿が見えるのを待っていると、
上から来た人たちに一人また一人と吸い寄せられて同胞たちは減っていって、
いつの間にか私だけになった。

上から降りてくる人の波も落ち着いて、
もしかして見過ごしちゃった!?って慌てて確認したけど
大石先輩始め3年2組の皆さんの外履きはげた箱に残っていて
撫でおろした、瞬間にガヤガヤと人の声が聞こえてきて
即座に私の心臓は跳ね上がる。
その人たちはさっき私がげた箱を確認しにいったその位置に向かっている。
いよいよ、だ。

人通りが少なくなってきた頃、
見つけた大石先輩の姿にドキンと実際に音がするくらい大きく心臓が鳴った。

大石先輩、まだボタン全部付いてる。
誰にも頼まれていないのか、断ったのか。
声を掛けたいのに足が前に進みそうにない。

猫は獲物が目の前を通り過ぎてから手を出す習性がある、
なんて話を思い出した。なんだか猫の気持ちがわかる。
こちらに近づいてくる間はただただその姿を見つめて、
通り過ぎて横顔が後ろ姿になった瞬間くらいに「大石先輩!」と声を上げた。

呼び止めた。
呼び止めちゃった。

足を止めた大石先輩は、「はい」と振り返った。
私の頭の中には、
卒業おめでとうございます私が大石先輩を初めて見かけたのは
テニス部の大会でその後私は保健委員になったんですけど委員会
を仕切る大石先輩に憧れてこれまで話したことはなかったけど
廊下ですれ違ったとき背筋を伸ばした凛とした姿が立派だと
思ったとか笑顔を見かけられたときは嬉しかったことだとか、
色々、
準備してきた言葉が頭の中をぐるぐると回るのに一つも口から出ない。

唇を上下に開いたまま固まる私。
たんたんと階段から誰かが降りてくる音に反応して
大石先輩は「場所、移そうか」と提案してくれたので頷いた。
人通りの少ない廊下へと私たちは移動した。

歩きながら、さっきも巡っていった言葉たちをもう一度脳内で復唱したけど、
すべて…どころか一つも言い切ることができる気がせず、
単刀直入にお願いだけを口から振り絞った。


「第二ボタン、もらえませんか」


顔が熱い。
恥ずかしい。
泣きそうだ。

私は視線を上げることすらできない。
どんな顔をしているの大石先輩。
困ってる?
焦ってる?
照れている?
もしかしたら嫌がっているかも?

答えを知るのが怖くて俯いたままの私に
「ごめんな」と一言振りかかって、
心がぎゅっと苦しくなった。けど、
それと同時にこの思いをしたのは私だけでもないのかもとも考えた。
大石先輩のボタンが全て残っているのは、お願いを全部断っているからかもしれない、と。

まともに顔を持ち上げることもできずに
「そうですか。ごめんなさい」と残して去ろうとする私。
そういえば卒業おめでとうございますの声すら
掛けられなかったと後悔したところでもう遅い。
大石先輩に完全に背を向けて足早に去ろうとした、
ところでまさかの「あ、待って!」と張り上げた声が聞こえた。

ようやく大石先輩の顔を見ることができた。
困っていそう、ではあるけど、嫌がっているわけではなさそう。
少なくとも私にはそう見えた。
その大石先輩が喋り始める。

「俺、4月から青学ではない別の学校に通うんだ。
 そう思ったら、3年間を共にしたこの制服を
 このまま綺麗な形で残したいと思ってしまって」

物も思い出も大切にする大石先輩らしいと逆に納得した。
ウンウン、と首を頷かせて答えとした。

だから話はこれで終わり、と思ったのに
大石先輩は胸元に留められた黄色い花のコサージュを外して手を伸ばしてきた。
わけがわからないまま両手を差し出すと、ぽとりとそれは私の手に乗った。

「ごめん、あげられるものこれくらいしかないけど。いいかな」

今日の大石先輩は身軽だ。
テニスバッグを背負ってはいないし、
最終日になって鞄をパンパンにするようなこともない。
上履きと卒業アルバムと卒業証書だけが入っているであろう
簡素な手提げ鞄だけが片手に握られている。
きっと、本当に、渡せるようなものは他になかったのだ。

顔なじみでもない私だけを大石先輩が贔屓するはずはない。
だとしたら私がこれを貰えているのは、少なくとも現段階では唯一、
大石先輩にこのお願いをしたからなのだ。
他にも第二ボタンが欲しいと願った人が他に居たのかわからない。
でも行動に移せたのは、私だけだったんだ。

手にぎゅっと力を込める。
このコサージュは、この半日間だけ大石先輩の物だった。
三年間身に着けていた制服のボタンとは違う。
私は大石先輩の人生のうちのこのほんの一部だけしか
分けてもらうことはできなかった。
だけどどれだけ光栄なことだろう。

「充分です」

もっと色々言いたかったのに、声が掠れた。
泣くな泣くな。大石先輩を困らせるわけにはいかない。

嬉しくて、嬉しいのに淋しくて、
充分ですと口にしながら
その心に少しでも楔を打ち込みたくて。

「大石先輩、好きです」

零れるように口から漏れた。
大石先輩は明確に眉を潜めて、
きょろりと視線を泳がせて、
わずかに頬を染めて、
慈悲のたっぷり込められた優しい目線で「ありがとう」と言った。

なんで伝えちゃったんだろう。
ごめん以外の言葉が聞けて良かった。
そういえばやっぱりおめでとうを言えていない。

思うところが多すぎて、もっと伝えたいのに涙ばかりが溢れて
それ以上言葉は一つも口から出せなくて嗚咽だけが漏れ続けた。
大石先輩も私を置き去りにしてくれればいいのに、
そんなことをしない大石先輩だから私も好きになって、
困らせたくないのに…と思う一方で
困らせるくらいしか私には構ってもらう方法がないとも思う。

泣き止んだら大石先輩と一緒に過ごせる時間は終わってしまうだろう。
実際は、とても一緒に過ごせたと言えるような時間ではないのに
ただ、大石先輩が私の目の前に立っていて、
私のことを少しでも考えてくれているかもしれない、
そう思えるだけの時間を延長したくて
私はわんわんと声を上げて泣き続けた。

大石先輩。
本当に本当に好きでした。
ご卒業おめでとうございます。

やっと嗚咽が収まってきて顔を上げた。
大石先輩の「大丈夫かい」という労いの言葉に首だけ大きく頷かせて
私たちはその場所を後にすることになった。

大石先輩の胸元からは花のコサージュが消えていて
それが今は私の手の中にある。
この10分ほどの時間で変わったのはそれだけなのだと思いながら
斜め上の大石先輩の頭を見上げて、ぐっと涙を飲み込んだ。
























仮タイトル『大石卒業しないでくれ』(笑)
真タイトルは、もちろん「思い出=ボタン(など身に付けてる物)」の意味もあるけど、
主人公ちゃんにとっての大石の思い出をくださいと、
先輩の思い出に私を刻み込んでくださいという意味もある。

卒業式に告白するってもはや記念受験なんじゃないかなと。
フラれるって本当は予想できてて、
それでもいいから思い出作りのつもりで挑んで、
それはそれとしてフラれたら結局悲しいっていうね。

> 困らせたくないのに…と思う一方で
> 困らせるくらいしか私には構ってもらう方法がないとも思う。
↑これは私がティーンだった頃に好きな人にフラれて
ワンワン泣いたことを後日綴ったポエムから引用。若さ笑


2022/02/12-03/20