* 確率はいつも100と0の間 *













大石秀一郎の彼女、
だった。昨日まで。


「別れたー!?」


のどでかい声が教室中に響き渡った。
もう突っ込むのもめんどうくさい。というかその元気もない。
叫ぶにうなだれてる私、先程の言葉、
きっとクラスメイトたちは私が彼氏と別れたという事実を知ってしまった。

ええ。別れましたとも。
3年2組3番保健委員長でありテニス部副部長でもある大石秀一郎くんと。

「仲良かったのに」
「付き合うって色々あるのよ」

今まで彼氏ができたことのないに知ってる風に言ってやる。

片思いのまま付き合う。
お互い好きなのに別れる。
ホント、付き合うって色々あるわ。

「う〜…凹む〜〜〜」
「じゃあなんで別れたの?まさか向こうの浮気とか!?」

問い詰めてくる
私は首を横にふるふる。

「違う…大石は何も悪くない…」

どっちも悪くないよ。
でも仕方がないんだ。

元々そういう契約だったんだ。
中学3年の夏まで、って。

『キーンコーンカーン…』
「あーチャイム鳴っちゃった。次の休み時間!また色々聞かせて!」

そう言いながらはドタバタと自席に返っていった。
他の教室に遊びに行っていた人や、部活の朝練組も教室に入ってくる。
私は机に突っ伏して、ため息。

朝会の間、ぼーっと思い出を振り返っていた。
片思いしていた私が秀一郎と付き合うに至るまでの流れを。

  **

秀一郎のことを好きになったのは去年の秋頃。
同じクラスで班が一緒になって、
一緒に学校生活を過ごしているうちに自然と…っていうよくある流れ。

好きで好きで大好きで、想いが抑えきれなくなって告白したんだけど、
実は私、一回はフラれたんだ。
「テニスに集中したいから」って。
だけどどうしても諦めきれなくて。

「じゃあテニス部引退するまで待つから。
 来年の夏にもう一回告白するから、予約させて!」

そんなめちゃくちゃなお願いをした。
目を真ん丸くして驚く秀一郎の顔、今でも憶えてる。
そのあとすぐ、宥めるような優しい笑顔になったことも。

「その間に、は別の人を好きになるかもしれないだろう」
「絶対にならない!」
「絶対、なんて言い切れるのか?」

ド正論すぎてぐうの音も出ない。
一昨日も昨日も今日も変わらず大好きだったから、
明日も明後日もこのままずっと大好きな気持ちは続く気がしてたけど。

絶対なんて言い切れない。
その通りだよ。
でも。
でもでも。
………。

だからこそ私は諦めきれない!

「その通りだね」
「ああ」
「じゃあ、また明日も同じ時間ここに来て」
「…え?」

にらみつけるようにして言ってやった。

「明日になったら大石の気が変わるかもしれないからまた告白する。
 絶対なんてないんだから!」

我ながら強引だと思った。
秀一郎も「それは…強引すぎないか」と言った。
だけど無視した。

「いいから明日来て!絶対だよ!」
「待ってくれ!俺は来るなんて一言も…」

そんな言葉が聞こえていたけど私は逃げるように走り去った。
本当は、フラれたの悲しかったし恥ずかしかったし泣きそうだった。
逃げ帰ったあとにとんでもないことをしたもんだって血の気が引いた。
好きになってもらえるどころか嫌われたんじゃ、って思ったけど
翌日昼休みが終わる15分前、裏庭の桜の木の下、秀一郎はそこにいてくれた。

「来るなんて一言も言ってなかったのに来てくれたんだね」
「……来ないとも言ってなかったから」

約束とも言えないような一方的で強引な取り決めに応じてくれた。
そんなところが本当に好きだと思った。
絶対来ないと思ったのに来てくれたから驚いたし嬉しくって、
なんかどうでもよくなって告白なんてできなかった。
二人で過ごす時間は幸せが溢れかえりそうなほど楽しくって、
その半分…いや3分の1……10分の1くらいでもいいから、
秀一郎も同じ気持ちでいてくれたらいいなって思った。
再び好きだなんて伝えられなかったけど、ただただ好きな気持ちは強くなった。

「ねえお願い、明日もこの時間にここに来て」って言ったら
「わかったよ」って柔らかく笑った。

そうやって毎日昼休みが終わるまでの15分間を一緒に過ごすのが当たり前になっていった。
いつ再び告白しようか、
そのときにはこの関係も終わってしまうのか…
考えていたある日のことだった。

「負けたよ」

って、なんの文脈なく言い出したその横顔を見たら、
八の字眉の笑顔がこちらを向いた。

「最近の俺は、ここに来るのがいつの間にか楽しみになってた」

胸の奥の方が熱くって、
視界がキラキラ光るみたいに眩しくなった。

……俺と付き合ってくれるか」

嬉しくって嬉しくって、うんって返したかったのに涙が出そうで声が出なくて
腰ごと折り曲げるみたいに大きく頷いた。

こうして、私たちは付き合うことになったんだ。

  **

感慨に浸っているうちに1時間目が始まる時間。
先生も入室してきて号令がかかった。
習慣のままにお辞儀をして、着席。
だけど頭の中は別のことばかり。

ハァ。

秀一郎…好き。
嫌いになんてなれないよ……。
遠く離れた教室では今頃秀一郎も勉強頑張ってるんだろうな…。
私のこと、ちょっとでも考えてくれてたりするのかな…。
秀一郎らしく勉強にだけ集中してるかな…。
それは寂しいけど、そうであってもらわないと別れた意味がない…。

「(……ぴえん)」

考えたってどうしようもなさすぎて
目の端に溜まった涙を指で拭った。

思わずため息。

 **

授業おしまい。
内容なんてほとんど頭に入ってこなかった。
ハァ……。

「本日4度目のため息を観測」

てっきりが声を掛けてくるものだと思っていた私は
はるか頭上から降り注ぐ重低音に慄いた。

「乾!?」
「普段はため息なんてつくタマじゃないだろう。どうした?」
「……」

人の気も知らないで、またデータですか…。
本当にコイツは人の心がない。
デリカシーが不足している。

「こう見えて滅入ってるの。データならあとにして」

しっしっ、と手で払うようにした。
だけど乾は退く様子なく話を続ける。(話聞いてる?)

「ちなみにだが…」

ツイと眼鏡を釣り上げた。

「朝練の間だけでため息13回、すなわち通常平均の7.9倍以上…」
「…は?」
「これは大石のデータだ」
「…」

ほっとけー!
と言いたい気持ちもあったけど、言い争う元気もない。
無視を決め込むことにした。
乾は勝手に話を続けてる。

「ここから推測される事象としては、大石とが喧嘩もしくは破局に至った確率、90%だ」

無視を…決め込みたかった。
だけどあまりに的確に当ててくるのが憎くって、
その破局の方だよ、って怒ってやりたかったのに声は出ず涙だけが浮かんだ
その目で乾のことを睨みつけてやった。

「お前の反応を見て確信に変わった。別れた確率100%……違うか?」

あまりに的確。

ハァ。
乾のせいでため息もう一個増えたじゃんか。

「はいはいその通りですよ。で、そんなデータが取れたところでどうすんの?
 次ランキング戦で大石と戦うときの弱みにでもするとか?」

フンと嫌味でそう返してやった。
しかし乾から返ってきたのは全く予想もしなかった言葉で。

「俺と付き合ってみないか」
「……ハ?」

意味不明過ぎて、パチパチ瞬きするしかできない。
ぽかんと空いてしまった口をパクンと閉じた。

何?付き合う??乾と!?!?

「さりげなくアピールはしていたんだが…確かに気づかれていない確率は63%だった」

さりげなくアピール?
どういうこと?
まさか、まさかまさかだけど乾が私を??
そんなことある!?

「これまでは大石の存在があるから遠慮していたわけだが…
 もう、堂々とアピールしていいわけだ」

乾はメガネをついと釣り上げた。
そしてニヤリと笑った。
私はギリギリ口は閉じてたけど、相変わらず瞬きを繰り返す以上のリアクションが取れない。

「わからないみたいだからはっきり言う。
 俺はお前のことが好きだ。勿論、恋愛対象としての意味だ」

相変わらず感情の読めない重低音で淡々と述べた。
その言葉の意味を脳みそが理解しようと頑張ってくれてるうちに
休み時間の終了を示すチャイムが鳴った。

「じゃあ、返事は急がないから」

とても大事な話だった気がするのに何も感情が伝わってこなかった。
最後の最後まで淡々と言い残して、乾は去っていった。

次の授業中、ため息はつかなかったと思う。
ただ、乾の発言が意味不明すぎて髪の毛クシャクシャにするほど悩んでしまった。
今日の授業の理解度は散々だ。


  **


「ほー、やっと言われたんだ」
「知ってたの!?」

次の休み時間に突入して、の腕をぐいぐいと引っ張って屋上に連れ出した私。
信じられないという返事が返ってくることを予想しながら
「さっき乾に告白されたんだけど!」と伝えたところ、
このような反応だったというわけ。

嘘でしょ。
もっと驚いてよ!!

「だって乾、やたらのデータ取ってたじゃん」
「誰のでも取るじゃん!あの人は!」
「誰のでもじゃないって。乾だって競う必要ないのにデータ取らないよ」

ん?
言われてみれば、
乾がやたらデータ取りたがるのって、
同じテニス部のメンバーとか、
体育で競う可能性のある男子たちとか、
クラスで一番成績いい子とか。

「……ホントだな?」
って勉強は割とできるのにアホだよね」
「ほっといて!」

確かに私は文系科目も理数系科目もバランス良く
中の上から上の下な成績を取る人間!だけども!
そんなの今は関係ない!!

「確かに私、乾と戦うことないのにデータ取られてたな」
「戦うって」

戦闘モノかい、とはチョップで突っ込んできた。

「で、どうすんの?」
「無理でしょ!だって乾だよ!?付き合うとか怖すぎ!」

まさかの中で私が乾を選ぶという選択肢があるのかと信じられない気持ちになった。
だって私、乾のことイイとか思ったことすらないし。
何より。

「それに私は…大石のことが好きじゃなくなったわけじゃないしさ」

結局はコレ。
乾がどうこうとかじゃない。私は、
秀一郎のことが好きだ。

「そういえばそうだよ!結局なんで別れたの?
 乾に気を取られてたけどそっち聞いてないじゃん!」

そう、それは乾さえやってこなければ
さっきの休み時間のうちに話していたはずのエピソード。
どこからどこまで話そうか、一旦記憶を遡る。


  **


昼休みの逢瀬を重ねて付き合うに至った秀一郎と私。
でもこの話には続きがある。
笑顔を交わし合った直後、秀一郎は眉を潜めた。

「でも前言ったことは変わってないんだ」

前言ったこと。
それは何かと頭を巡らせて、「テニスに集中したいってこと?」と問いかけた。
秀一郎はウンと首を頷かせて「それから」と眉をより潜めていった。

「このこと、まだ他の人には話したくないんだけど…俺、高校を外部受験しようと思ってて」
「あっ……そうなんだ」

予想だにしなかった衝撃の一言。
最上級生に進学することもまだまだ先だと思ってたのに、
秀一郎は、そのまたずっと先を見据えていた。

「テニスに集中したいから、のことを優先順位一番にすることはできないし
 テニス部引退後も本格的に受験勉強に挑みたいと思っている。
 一番長くても、テニス部を引退するまでにはこの関係を終わらせなければいけないと思う」

その真剣な表情に釣られて、自分も眉間に力がこもっていることに気付いた。
そして語りかけてくる秀一郎の表情には申し訳なさと不安が入り混じっているようだった。

「それでもいいって、言ってくれるかい」
「…うん。わかった」

首を大きく頷かせた。

本当のことを言うと「え、なんで!?」って言いたかった。
だけどあえて言わなかった。
今はそんな考えでも、別れの時が近づいてきたら秀一郎も気が変わって
やっぱりそのまま付き合い続けたいって思ってくれるかもしれない…って思ったから。
「絶対なんてないんだから」って。

まずは、期限付きの約束とはいえ、大好きな人と付き合えることになったのが嬉しかった。


私たちはテニス部の練習日の合間を塗ってデートをした。
私はテニス部の大会の応援に行った。
昼休みは終わり15分だけじゃなくて、丸々一緒に過ごす日もあった。
楽しかった。
大好きだった。
付き合い始める前よりその気持ちは大きくなった。
その気持ちは秀一郎も同じだったみたいだ。

私たちは最上級生に進学して、
傍から見ていてもテニス部の活動はより忙しそうで、
その一方で秀一郎は勉強も頑張っていて。
たまに一緒に勉強するとか、それくらいしか二人の時間は取れなくなっていった。
それでもその時間が何より幸せだった、のに。
時間は刻一刻と流れていた。

「もうすぐと別れなきゃいけないの、辛いな」

秀一郎はぽつりとそう言った。
テニス部は順調に勝ち上がっている。
それでも、全国まで行けたとして約束の期限までは3ヶ月を切っている。

「じゃあ別れなくても良くない?」

軽いノリみたいな感じでそう言ったけど、
とてもとても大事なことだ。
この言葉に「そうだな」って乗ってくれることを
付き合い始めたその瞬間からずっと切望していた。

だけど秀一郎は首を横に振った。

「これは俺のケジメなんだ」

私は初めて、
秀一郎の言葉に反論をした。

「……ごめん。やっぱり納得いかないよ」

ごめんね。
私は嘘をついたよ。
付き合い始めたとき「それでもいい」なんて。

嘘に決まってるじゃん。
別れたくなんかないよ。
それは付き合い始めたときから予想できてた。

敢えて予想と現実とのギャップを付け加えるとすると、
この半年強の付き合いを経て、
私は告白したとき以上に秀一郎のことを好きになってしまったし、
秀一郎もまた私のことをどんどん好きになってくれているのを感じてしまったこと、だ。

「毎日好きな気持ち大きくなっていくよ」

涙が溢れる。
一気に零れる。
秀一郎はそれを見て眉をしかめる。

「ねぇ、秀一郎もそうなんじゃないの…?」

これに「そんなことない」って言ってくるようだったら、
言い訳のしようがないくらいいくつも根拠を並べてやるつもりだったのに。

秀一郎は「俺もそうだよ」「を好きな気持ち、日に日に大きくなっていくよ」
ってあっさり認めて、私は言い返す余地がなくなって、
「じゃあどうして」と聞くより先に、秀一郎が次の言葉を発した。

、もう俺たち、別れよう」
「……え?」

意味がわからなかった。
あと数ヵ月はあったはずの猶予が。突然。
何を言っているのか。

「引き伸ばすほど、別れが辛くなるだけだ」
「別れなきゃいいじゃん!」

私の必死の訴えが秀一郎に響いた手応えは全くなかった。
まるで私の発言なんてなかったみたいに秀一郎は淡々と喋る。

だったら、他の人とでも幸せにやれるよ」
「何それ、私に、他の男と付き合えってこと…?」

私の言葉に、秀一郎は フッ と鼻で笑うようにして、
明確な回答は返ってこなかった。

「元々、中学の間も高校の間も、恋人を作る予定なんてなかったんだ。
 だけど俺の中学生活が充実したのは、のお陰が大きいよ。
 短い期間だったけど本当にありがとう」

勝手すぎると思ったけど、
始まり方が私のワガママだったとしたら
終わり方は秀一郎のワガママなのか、とも思った。

イヤだって言いたかった。
だけど言ったところ何も変わらないのもわかってしまった。
結局、納得はできないのに受け入れることを強いられた状態で、私は秀一郎と別れることになった。


  **


「(……凹む)」
「ねえちょっと、ー?」

事情を説明するために一旦状況を整理しようと記憶を遡ったまま
ガチ凹みして黙り込んでしまった私の肩をが揺すった。

「ごめん…今は言えない」
「そっかぁ、わかった。気持ちの整理がつくの待ってるね」

はそう言ってくれたけど、違うんだ。
辛いのは事実だけど、話せない理由はそれじゃない。

「(しばらく言えないよ…秀一郎が外部受験する話はまだ内緒なんだもん)」

別れはしたけど、私は秀一郎のことを好きじゃなくなってない。
誰にも言わないっていうこの約束は守らないと。

我ながらお人好しだなぁ、ってため息が出た。
ため息を自覚した瞬間、乾のことを思い出した。

「あ。そういえば乾」
「そうだよ!もう、今日は大石置いといて乾のこと話そ!
 的にどうなの?乾はマジでありえないの?」

乾……。
背が高いを通りこして背がめちゃめちゃ高すぎて
すんごい頭上から逆光背負って見下ろしてきて
眼鏡の反射が激しくて表情がわかりづらくて
声色も淡々としていて感情が読めなくて
いっつも変なデータ集計してる奇妙な奴……。

「うん、マジでありえないや…」
「そうだよねー。大石のことが好きだったからしたらタイプ違いすぎるよね」

いやホントそれ。
秀一郎のことがまだ好きだからとかそういう理由を除いても、
私が乾を好きになる理由が足りてない。

それに、私の中では秀一郎とよりを戻す方法がないか考える方が先決で。

「(テニス部引退した頃にまた告白しちゃダメかな…気持ち変わってたりしないかな…)」

そんなことを考えているうちにチャイムが鳴ったので教室に戻った。


  **


昼休み、は用事があるといってご飯を食べ終わるなりどこかに行ってしまった。
教室に残った私はゆったり一人の時間を過ごすことになる…はずだったのだけれど。



乾キター。
今日の午前中に言われたことの返事の催促だろうか。
正直、今答えろと言われても「ごめんなさい」しか言えないけど。
かといっても引き伸ばしたところで気持ちが変わる気もしないし、
だったらさっさとフってあげた方が乾のためでもあるのか…。

そんなことを考えていると、乾の発言は予想とは違って。

「今朝の発言、ちょっと訂正させてほしくて」
「訂正?」
「突然付き合ってくれと言ってもお前がYESと答える確率は非常に低いことはわかっていた。
 俺としたことが少し舞い上がっていた。そこで作戦を変えようと思って」

まさかの訂正ですか。
しかも作戦変えるって、本人の前で言っちゃってるけど…。
乾って頭良いのバカなの?これも作戦のうち?
読めなすぎる…。

「相談なんだけど、今度一回デートしないか」
「……デート」

デートか。
デートってなんだっけ?
長らくデートらしいデートというものをしていなくて一瞬ピンと来なかった。
秀一郎と最後にデートしたの、いつだったかな。
最近は二人で過ごす時間といっても図書館かファミレスで
数時間一緒にお勉強するくらいが関の山で
遊園地とか水族館とか、そういうのはしばらくなかったなー…。
そう考えるとやっぱり限界だったのかな、私たち。
だけど別にそれが辛いとは思ってなかったし。寧ろ幸せだった。
本当に別れなきゃいけなかったんだろうか…。

あ。

焦点をどこに合わせているかもわからない状態で考え込んでしまった。乾の目の前で。
乾は私のことをじっと見つめてきていて(顔の向き的に恐らく。目は見えない)、
私は焦って顔を逸らせながら答えることになる。

「ごめん、そういう気分にはなれないよ」
「そうか…」

少し俯きながら眼鏡を中指で釣り上げる乾。
これで身を引いてくれるか…と思いきや。

「そんなことを言って、俺のことを好きになってしまうのを恐れているようだな」

は?

「別に、そういうわけじゃなくて…」
「お前の気持ちも理解できる。つい先日まで大石と付き合っていたのに
 急に俺に寝返るわけには行かないから敢えて行動をセーブしている…と」
「んなわけないじゃん!わかったよ別にいいよデートくらい!行くよ!」

そう啖呵を切ってから、乾がニッと笑うのを見て後悔した。

「このような誘い方をすれば乗ってくる確率は95%だった」

や、やられた…っ!
しかし今更訂正するのも女が廃る…。
乾が何時何分にどこ集合、と言ってくるのを仕方なく聞き入れた。

しかし行くことにしちゃったけど、付き合うのは無理でしょ。
考えが全て表情出るくらい感情が読みやすい秀一郎といるのが普通であり
そんな秀一郎のことが好きだった私にとって、
表情も感情も読ませてくれない乾は、なんだか怖い存在だ。
正直ちょっと苦手なんだよな…。
なんで乾は私のこと好きなんだよ…っていうか、好きなのも本当?
秀一郎の様子を見て何かあったことを察して
同じクラスの私をちょっとおちょくってやろうとかそういうことだったりして?

秀一郎と別れて既にぐちゃぐちゃだったはずの私の頭の中が
乾によって更にかき乱されてる。
正直良い迷惑なんだけど…。
本当に私のことが好きなんだったらもっと私に優しくしてほしい……。
とことん乾は読めないやつだ。

次の授業は音楽室だ。早めに移動しよう。
教科書ノートに楽譜色々とリコーダーが入った音楽袋を持って、
ノートを開いて何やらぶつくさ言っている乾を置き去りにして私は教室を出た。


3年2組の前を通過するとき、秀一郎の姿を探すのが習慣になっていた。
秀一郎は自席で本を読んでいるか、クラスメイトと喋っているか。
その喋っているときも雑談ではなくて勉強を教えていたり何か書類とにらめっこしていたり。
その姿を傍目で見られるだけでちょっと幸せで、
声を掛けても大丈夫そうなときはちょびっとだけお話して。
そんな些細なことだけで幸せを感じられていたのに。

今日の秀一郎は自席に座って真面目に勉強しているようだった。
その姿を見たらキュウっと胸が苦しくなった。

廊下で一人、とんでもなくぽつんとした気持ちだ。
私のことなんて視界に映らないんだろうなー…。

「そんなにゆっくり歩いてると遅刻するぞ」

ぽん、と背中を教科書で小突かれた。
乾だった。

「しないよ遅刻なんて」
「そうか。ならいいけど」

私は口をツンと尖らして、
乾はニッと横に広げた。

こんな状況で乾と一緒に歩きたくなんてなかったけど…
流れで二人で音楽室に向けて移動することになってしまった。
目的地が同じなのだから仕方がない。
歩く速度を速めても遅くしても乾はずっと横に着けてきた。

乾は特に話しかけてこなかった。
乾が何を考えているのかは本当にわかんない。
だけどきっと、乾には私の行動が手に取るようにわかるんだろな。
参ったな〜…。


  **


なんやかや迎えた週末。
別に、楽しみなんかじゃない。
だけどダサイと思われるのは癪だからオシャレしてしまった。
遅刻するような礼儀のないやつだとも思われたくないから
待ち合わせ時刻にも普通に間に合うように家を出た。つもりが。

待ち合わせ場所について時計を確認して、思わず顔が引きつった。

「(やってしまった…)」

遅刻?
いやまさか。
針は待ち合わせ時刻の25分前を指していた

いつしか私は待ち合わせ場所に着くまで時計を見ないのが癖になっていた。
だっていつも確信があったから。間に合っていることは。
そして待ち合わせ時刻より大幅に早めに着いたところで
待ち合わせの相手は確実にそこに待っていてくれていたから…。

そのまま待とうか移動しようか迷っているうちに乾が到着した。

「悪い、待たせたか。これでも早めに来たつもりだったんだけど」
「いや、なんか…私がゴメン」

つい癖で早く来すぎた…とは言うわけにはいかない。
しかし乾は
「なるほどね」
と何か納得した風だった。
これは…読まれているのか。

「……どういう意味」
「いやこっちの話」

そうは言っていたけれど、
「いいデータが取れた。しかしこれは予測可能だったな」とか聞こえたので
たぶんバレたんだろうなと思った。

「で、どこ行く?」
「ああ、それなんだけど。
 俺が集めたデータからお前が好きそうなものを推測してみた」

さっさと話題を逸らすように私が促すと
乾はポケットからメモを取り出して読み上げ始めた。

「遊園地」
好き!

「動物園」
好き!

「スイーツパラダイス」
めっちゃ好き!!!

「どうだ?」
「…全部好きなやつ」

それは良かった、と乾はしたり顔を浮かべた。
悔しいけど、嘘を吐くべき場面でもない。

「今から遊園地へ赴くというのも時間的に厳しいだろう。
 小規模だけど近くに動物園があるだろ、
 そこを回って小腹が空いた頃にスイーツパラダイスへ移動。どうだ?」
「乗った」

いやなんか、普通に楽しいやつだな…?
どこか釈然としないけど普通にこの状況を楽しみ始めている自分に気付いた。

そして電車に乗って数駅移動することになったけど、
釣り広告が顔に当たりそうになってるの見てマジで背高いなと思って、
あと人混みの中で姿を見つけやすくて普通に助かったり、あと、
教室の中で見ると背高過ぎて怖いとさえ思ってたけど
屋外かつ私服姿で見ると、なんか、普通にスタイル良くてカッコイイなと思ったり…?

「(いや、騙されるな!中身はいつもの乾!)」

何かの拍子に突然ぶつくさとひとり言を言い出すのを見て
冷静さを取り戻すことができた。

「(でも……思ったほど無理ではないかも、と思い始めたのは事実だ)」

このまま、本当に心から乾のことを好きになれるのが
一番幸せだったりするのかな…。
秀一郎とよりを戻せるなら戻したいけどそれも難しそうだし…。

「おー来たね動物園!めっちゃ久しぶり〜」
「それは良かった」

乾とのデートということに少し不安はあったけど、
ありがたいことにルートは自分の大好きなものばかりなわけで。
足取り軽く歩く私の横で乾が言う。

「実は、行き先の選択肢はあと2つあったんだ」
「そうなの?」

疑問符を投げかけながら見上げると、

「水族館と、プラネタリウム」

指を折りながら乾はそう言った。
それ、は。

「もう行き飽きてるんじゃないかなと思って」
「………そんなことないよ」

乾が今上げた二つは、私が好きな場所でもあるけれど、
どちらかというと秀一郎が特に好きな場所だった。

ただし、行ったのは秀一郎と付き合い始めてすぐのときだけだった。
学年が上がってからは、デートらしいデートなんて本当になかったもんな。

「そんなことないけど、選択肢から外してくれて良かったよ」

まだ2年生の頃か。
今でもいくらでも細かいエピソードが思い浮かぶくらい楽しい一日ではあった。
考えすぎたら、悲しくなってしまいそうだけど…。

「悪い、また余計なことを言ってしまったみたいだな」
「え?」
「なんだか悲しそうだから」
「………」
「これはよく言われてしまうんだけど、どうやら俺はデリカシーがないらしい」

そう言った乾の眉は情けなく下がっていて。
「気付くの遅くない?」って私は笑ってしまった。

良い天気の中での動物園遊歩は楽しかった。
乾は檻を移動する度に動物の豆知識を披露してくれた。
解説員いらずじゃん。

動物園は2時間くらい楽しんだかな、予定通りスイパラに移動した。
並んでる間、女子グループがほとんどの中に
一人だけ柱並に背の高い大男が紛れ込んでいる構図はさすがに笑えた。

席に通されて、大量のスイーツをお皿に乗せて席に戻ると
食事系を中心に盛った乾が居た。

「もしかして甘い物あんまり得意じゃない?」
「ああ、嫌いというわけではないんだけど。適度に食べられれば満足かな」
「そうなんだ。ごめんねー私の趣味に付き合わせて?」
「いや、かまわないよ。先ほどからパティスリーを中心に食べているけれど
 何か独特な香辛料を使っている気がするんだ。非常に興味深いよ」
「研究熱心だね」

そこは「が喜んでくれるならいいよ」とかじゃないんだ。
乾ってそういうやつだよな、と思って笑えてしまった。

「今日は私の趣味に合わせてもらっちゃったけどさ、
 乾はどういうとこが好きなの」
「美術館とか…あとは博物館とか科学館とか」
「館ばっかだね…なんか全体的に静かそう」
「賑やかなところでもオススメはあるけど」
「どこ?」
「メーカーの工場見学」
「……なるほど」

学校の社会科見学で行きそうなところばっかだな。
なんか、めちゃくちゃ乾らしくて納得しちゃった。

「次があるなら、そういうとこ行ってもいいよ」
「次があるなら?」

はっ。

「マチガエタっ!てか、いや、もしも次があるならって意味!
 必ずしも次があるとは言ってない!」
「そうか。ひとまずメモには加えさせてもらうよ」

そう言って乾はまたニヤリと笑う。
目元が見えない分、口の動きばかりに目が行く。

それにしても、今のはとんだ失言だったな…。
余計な期待を持たせたくないのに。
今日、まあ、楽しくなくはないけど、
どちらかというと楽しいけど、
乾のことを好きになれそうかと言われたらそれは別問題。

そういえば結局、乾はどうして私のことを好きになったんだろう。

「……ねえ乾さ」
「ん?」
「私のどこが好きなの」

乾は眼鏡を中指で押し上げると
「それをお前の方から聞いてくるのは…データになかった」と言った。
こういうときもデータデータだなこの人は…。

「で、なんで?」
「そういうところだよ」
「は?」
「お前と居ると、いつも計算外なことが起きる。それが面白いんだよ」

はぁ…。
そこは笑顔がかわいいとか一緒にいると楽しいとかじゃないんだ。
しかも計算外なことが起きて好きになるんだ。
やっぱり…謎。

「(でも…うん、まあ、んー……いややっぱよくわからんな)」

納得いかなくて首を左右に、ハテハテ、と傾げていたら
正面から「ハハッ」と笑い声が。

え、今の乾?

「そういうところだよ」

そう言った乾の眼鏡の奥は相変わらずよく見えなかったけれど、
何故だろう。細めた柔らかい目元が想像できてしまった。

乾でも、そういう風に笑うんだ。
そう思ったら、心が少し温かくなったりして。

「(……計算外、だな)」

そんなことを考えているのを悟られないように
パクパクとケーキを食べ進めた。
もしかしたら乾にはお見通しなのかもわからないけれど。

  **

「あー食べた食べたー!」
「まさかケーキやタルトを合計で7つも平らげるとは…データの更新が必要だな」
「他にもパフェもフルーツもめっちゃ食べたよーん」

イエイとピースを向けてやったけど、
乾は顎に手を当てて何やらぶつくさ言ってる。
本当に変なやつだな乾は…。

でも、嫌なやつではないみたい。
好きではないけど、前に思ってたほど「マジでありえない」ではないのかも。


駅にたどり着く頃には日が暮れていた。
来る前はどうなることかと思っていたけれど、
思いのほか楽しかった一日ももう終わりだ。

「なんだかんだ楽しかったよ。ありがとね」
「こちらこそ、貴重なデータが色々取れたよ」
「げっ、またデータ…」

最後の最後までそれかい、とげんなりする私に、
乾は更に憂鬱になれる一言をぶつけてくる。

「ちなみに俺のデータによると、お前が大石に対して未練を抱いている確率…99%」

…………。
なんでそれを、言うかなぁ。

「それは、図星という顔だな」
「……仕方ないじゃん」

本当に好きだったし。
別れたばっかだし。
納得いかずに別れちゃった分、復縁の可能性にどうしても縋ってしまうよ。
だけど本当は早く好きじゃなくなれた方が健全なのかなとも思っている。
わかんないんだよ。

「しかし、このデータに意味がないことはわかっている」

ん?
どゆこと?

無意識にうなだれていた首を持ち上げる。
相変わらず乾は背が高い。

「俺が相手をしているのは、過去のお前ではない。今のお前だ。だろう?」
「……はぁ」
「つまりだ」

また乾は眼鏡を吊り上げる。
表情は読めない。

「お前が今俺のことを好きである確率は1%未満だが…」
「……」
「いずれ好きになる確率、100%だ」
「……ウソくさ」
「本当にしてしまえばいいだけのことだ」

そう言ってニヤリと笑った。

「どうだ、賭けに乗ってみるか?」

それってつまり、
私が乾のことを好きになったら乾の勝ち、
好きにならなかったら私の勝ちってこと?

「……やめとく」
「なぜだ、自信がないのか?」
「好きになっちゃダメだと思うほど気になってしまうのを私は知っている…」
「カリギュラ効果か。それをわかっているなら好都合だな」
「なんで」
「『大石のことを好きで居続けてはダメだ』…と考えるよりは健全じゃないか?」

…………。
ハァ〜〜〜と、デッカイため息が出た。

「頭がいいなー乾は…」
「理論で説明できるものならな」

どうなんだろう。
乾の言う通り、早く秀一郎への未練を捨てた方が、いいのかな。

その空間の中で、どんな言葉を発すればいいかわからなくなって
ぐるりと辺りを見渡したらすっかり夜になっていて
空には綺麗な三日月が浮かんでいた。

「……月、キレイだね」

ぽつりとつぶやくように言って、
横を見ると、見上げる乾の顔は綺麗な銀色に光っていた。
向こうからは、私もそのように見えているものだろうか?

どんな一言が返ってくるかと、少しだけ胸を弾ませながら待っていると
「今日の昼は快晴であったことと、今夜は冷え込むという前情報から推察するに
 大気中の相対湿度は…」とか言い出すものだから、
そういえばコイツ、頭は良いけど現国は苦手だったなと思い出して心の中で笑った。

乾かぁ。
乾ねぇ…。


「ん?」
「俺の気持ちは変わっていない」
「というと」
「恋愛対象としてお前のことが好きだ」
「あ、うん」
「ただ」
「ただ?」
「返事は急がないって言ったけど、そこは訂正させてもらえないか」
「また訂正〜?」

何、やっぱり返事を早くよこせって?

怪訝な顔つきを向けてやったけど、
乾は構わない様子で、真正面を向き直った。
そしてそのまま一歩下がった。
距離は遠ざかったけど、首の角度は和らいで
身長差が少し埋まったような気がした。
乾の口が開く。

、俺と一旦付き合ってみないか」

え……。

「今日一日過ごしてみて思ったよ。
 俺はやっぱりこれからもお前のそばでお前を見ていたい。
 ただ、お前が乗り気じゃないこともわかっている。
 だから期間を設けて……そうだな、
 テニス部引退までに好きになってもらえなかったら別れる。どうだ?」

予想していなかった提案だった。

私は乾を絶対好きにならない、と言い切れないのは知ってる。
秀一郎と復縁できる可能性が絶対ないとも言い切れない。
しかし私の期待はだいたい外れる。

はー……。
そうねぇ。

「そうだね。付き合ってみよっか、乾」

乾よりもっと上、月を見上げながらそう返した。

どうなるかはわからない。
どうせわからないなら、
動いてみるのもあるのかもしれない、って。

目の前で乾は、
「こんなにすんなりOKがもらえるとは…予想が外れたな」
と言って、
喜ぶどころか少し狼狽しているように見えた。

だから私は
「データなんてそんなもんだよ」
って笑い飛ばしてやった。


別に乾のことまだ好きになったわけじゃないけど。
秀一郎に未練たっぷりだけど。

「(テニス部引退するまで……か)」

それは、本当だったら秀一郎と付き合っていたはずの期間だった。
その頃には、もしかしたら、ちょっとは乾のこと好きになれてる、かもね。
絶対なんてないんだからさ。

「せいぜい頑張って勝ち上がってね」
「夏休み一杯はかかるからそのつもりでな」

そう強気な笑顔が返ってきた。
上等じゃん。

今年の夏は暑くなりそうだ。
























書き始めた段階では
「これでは大石が元カレである意味がないな??」
と思って大石描写を厚くし始めたらそれはとても簡単で
「大石に比べて乾の影が薄くないか???」
ってなって乾のエピソードの厚みを増してるうちに
「私には乾に対する夢感情がなさすぎる」ということに気付き
他の方が書かれてる乾夢を読みにいって学習するなどしたw
自サイトにも乾夢全然なかった青学で一番少ない…そうだったんだw
だけど乗ってきたらめちゃくちゃ楽しかったよ。サンキュー乾。

このシリーズで一番大石と別れてからの期間が短いし
思う存分未練たらたら感出せて楽しかった笑
なお二人が付き合い始めたことを大石はどう思うんだろうと考えたら
激エモーショナルなアザーサイドを思いついちゃったので後日上げる。

乾お誕生日おめでとー!!!


2020/07/28-2021/06/03