* Question No.10 *












今日から教育実習の先生が来るということは予め聞かされていた。
だけど英語の担当と聞いて私は落胆した。
英語圏でガッツリ現地校に通っていた帰国子女である私にとって、
また一人新しく英語の先生と関わらなければならないと思うと肩が重くなった。
内容は全て既知で、教科書に一度だけ目を通せば難なくテストを
こなせてしまう私にとっては英語の授業はどうしたって興味がなく、
授業中に内職させてくれるタイプの人だといいな、くらいにしか考えていなかった。

「大石秀一郎です。
 これから2週間、皆さんの英語の先生をさせてもらいます。
 宜しくお願いします」

キリッと伸びた背筋、投げかけるような通った声、整った造形の爽やかな笑顔。
印象はとても良かった。
とても良いだけに、私みたいな授業に対して不真面目な生徒が
どういう存在として認識されるかが気にはなった。



授業が始まって5分。
先生が板書をするために我々に背を向けた数十秒の間を突いて
折り畳まれたメモ紙が私の机に着地する。
顔を上げると、隣の席の男子が顎をしゃくり、
そのまた隣の席でがピースを向けてくる。

『大石先生、カッコイイ!』

それだけ書かれた簡単な手紙だった。
私もまた、簡潔に返事をする。

『厳しくない人だといいな。』




  **




「先生は今どこ大に通ってるんですか?」
「青学の出身なんですか?」
「いつから先生になるんですか?」

授業が終わると、大石先生はすぐさま女子生徒たちに囲まれた。
前から2列目、教室中央に位置する私の席からはその会話がありありと聞き取れる。
黒板を消して授業に使用した教材を片付けながら大石先生は全ての質問に丁寧に返事をした。

「俺は青学の出身だよ。でも今は・・・大学に通っているんだ」
「えー頭いいー!」
「それから、いつから先生になるか…って話なんだけど、
 実は大学院に進もうと思っていて…その後も教師になるかは明確に決めていないんだ」
「そうなんだー」
「大石先生がずっと教えてくれたら英語の成績めっちゃ上がるー!」

きゃいきゃいと甲高い声で盛り上がる教壇周辺。
大石先生は「それじゃあ、次の授業の準備があるからこれで…」と教室を後にした。
先生めっちゃカッコイイねー、と、残されたクラスメイトたちは
握った手を胸元に寄せながら感想を言い合っている。

「早速人気だね、大石先生」
「ね」
「でもマジでカッコイイもんね〜。私も2週間だけ英語めっちゃ頑張っちゃお!」

例に漏れず単純なはそう言った。

私もそんなことを素直に思えたらな、
と考えてしまっている時点で私はやっぱり捻くれている。




  **




英語の授業が嫌いだ。
知っていることしか習わないのに座って退屈と戦わなければならないから嫌いだ。
先生が私に対して苦手意識を持っていそうに感じることが嫌いだ。
普通に発音したら「さすが帰国子女」とクラスメイトたちに騒がれるのが嫌いだ。
わざと日本語発音してみても先入観で「発音良いね」と言われるのが嫌いだ。
授業で習っていない文法だったからと正しい英語なのに
丸にしてもらえないことがあってからはテストも大嫌いだ。

せめてもの救いは、普段の先生は内職をしててもバレないような
板書メインの授業をする人だということだったんだけど。

大石先生は、教科書を持ったまま教室中を歩き回るような授業スタイルを取っていた。
私は不真面目な生徒ではあるけれど、
教育実習に訪れた新米ともまだ言えないような先生の前で
堂々と内職するまでは落ちぶれていない。
授業の内容は楽しいとはとても思えなかったけれど、
音読されている文章を目でなぞって時間を潰した。

教科書の英文を読み上げる先生の声は爽やかで、
発音が良い…と言い切れるものではないものの、
変な癖も少なく、聞き取りやすい発音だと思った。
「発音良い“風”」の発音が地雷な私にとって、大石先生の英語はすんなり耳に馴染んだ。

退屈だけれど、不快ではない。
心地よさに暖かい陽気も相まって眠くなりそうだったけれど、
あくびを噛み殺しながらその時間を過ごした。




  **




「この前やった小テストを返すぞ」

大石先生の2回目の授業。
名前を呼ぶから取りに来るように、と先生が上から順に名前を読み上げ始める。
自分の名前が呼ばれて、私も立ち上がって教壇に向かう。
テスト用紙を差し出してきた大石先生は、にこりと笑った。

「えらいな、満点はクラスで一人だけだったぞ」
「…ありがとうございます」

教室中から、さすがとかちゃんすごいとか出たよーとか様々な声が上がる。
変に囃し立てないでほしい。
私はこの先生の前で目立ちたくない。

「大石先生ー、さんは帰国子女なんです!」

が手を上げながら声を張り上げた。
め…大石先生と会話したいからって私を使わないでよ!
私はを睨みつけるけど、は私ではなく大石先生ばかりを見ている。

知られたくなかったのに。
どうせたったの2週間で関わり合いのなくなる人間だ。
「英語が得意な生徒」というだけで良かったのに。

このあとどうせ言われるんだ。
「よくできてるわけだ」とか。
「こっちが教えてほしいくらいだな」とか。
「じゃあ俺の発音はおかしく聞こえてるだろ、恥ずかしいな」とか。
今まで3人の英語教師に関わってきたけどいつも反応は大体同じだ。
感心に加えて、嫉妬や畏怖を感じることだってある。
そういう扱いは嫌いなんだ。

だけど大石先生は
「ああ、それは岩崎先生から伺ってるよ」
とさらりと返すだけだった。
…知っていたのか。
知っていながらも褒めてくれたんだな。
他の生徒が満点だったとして同じことをしたのだろう。

大石先生は私の方にも一瞬目を向けてきたけど、
何かを言うでもなく、笑顔を見せるでもなく、そのまま授業に戻っていった。

この人は、私を「その他大勢」として扱ってくれる。
そんな気がして、ちょっとだけ、ほっとした。



週に4回の英語の授業。
それが楽しみになっている自分の心境の変化に気づいた。
元々は大嫌いだった英語の授業。
大石先生の声は耳馴染みが良くて、気持ちが穏やかになる。
授業の内容には相変わらず興味はないけれど、授業中の空気が好きだった。

そして今日は授業内容的に板書が多いようだ。
今日なら内職しても良いかもしれない、と思ってノートを開く。

私は詩を書くのが趣味だ。
本当は読書をするのが一番好きなのだけれど、
授業中に教科書ではない本を堂々と机の上に開くのはさすがに抵抗がある。
書くことであれば、授業に使用しているノートの隙間そのままにでも書き綴ることができる。
今日もまた、アルファベットが並ぶノートの隅に言葉を綴った。

晴れの日の教室の空気を綴るような

穏和。
陽光。
温暖。
黄色。

人の苦悩について書き綴ることが多い私にとって、
このようなテーマで書くことは珍しかった。
普段使わないような単語が並ぶその詩を見て
上出来じゃないかと満足して顔を上げたとき。

私の席のすぐ真横に大石先生が立っていた。

いつからいたのだろう、と焦りながら大石先生の顔を見上げたけれど
先生は視線をすぐに教科書に戻すと文章を読み上げながら再び歩き始めて
教室の後ろに方向に進んでいった。

さすがに気付かれていただろう。
その場では何も言われることはなかった。
申し訳ない気持ちになりつつノートのページをさり気なくめくった。




  **



その翌日のことだった。
ジャケットに身を包んだ男の人がずっと同じ方向に歩いていくなと思ったら
青学の門をくぐっていって、やっとそれが知っている人だと気づいた。

「(大石先生だったのか)」

教室以外で大石先生を見るのは初めてだ。
教科書を片手に教壇に立っていると“先生”という感じがするけれど、
こうして見ると一人の大学生、という風にも見えた。
そして私は、ここにいる大勢の中学生のうちの一人だ。

靴を履き替えて学校に入ったタイミングで一緒になった。
軽く会釈して横を通り過ぎようとすると。

さん」

声を掛けられてしまった。
名前、憶えられているのか。

「おはようございます」
「おはよう。ちょっと聞きたいことがあるんだけれど、いいかな」
「…はい」
「やっぱり、英語の授業は退屈なのかな」

大石先生は困った風に眉を潜めて聞いてきた。
この質問は、昨日内職していたのを見られたからだろうか。

「………すみませんでした」
「あ、叱りたいわけじゃないんだ。逆に申し訳なくて…
 こちらで何かできることはないかなって」

大石先生はあくまでこちらを立てるような言い方をしてくれた、けど。
そこまでしてもらう義理はない。私だけのために。
そうでなくても大石先生は二週間限定の教育実習生なのに。

「何もないです」
「でも」
「いいです。私、英語の授業は嫌いなので」

つい、突っぱねてしまった。
大石先生は一瞬驚いたように固まったけれどすぐにその表情をほぐした。
「どうしてだい?」と聞いてくる大石先生の声色は穏やかだった。
問い詰めたい意図は全くなく、単純に疑問に思っている様子が感じ取れた。
だから私も思ったままを返す。

「正直、教わることは何もありません。
 かといって授業で習っていないことをテストで書いたら指導を受けたことがありました。
 そのためにおとなしく座って授業を聞かなくてはいけないということが苦痛なんです」

内容を知ってるからつまらない。それだけならまだ良かった。
テストの回答に対して「これはまだ教えてない文法だから使わないでくれ」と
言われたことに留まらない。
教科書のこの表現は不自然だと授業中に指摘したら
休み時間に呼び出されてああいうことはやめてくれと念押しされた。
斜に構えた態度で授業に挑む私の表情を
穿った目で見てくる先生たちの顔も嫌というほど見てきた。
やりづらいということも想像はつくけれど。

「教師は、本気で私たちに英語を教えたいのではなくて
 英語を教えるという仕事をこなしてるんだなって思ってしまいました」

大石先生は驚いたような目で私を見る。
私は視線を地面に落とす。

どうしてこんなことを言っているのだろう。
二週間しか滞在しない教育実習の先生に。
特別扱いされたいわけではないはずなのに。
こんなことを言ったって大石先生に嫌な生徒と思われるだけなのに。
どうして私は、所詮教育実習の先生に、こんな。

「これは指導者側の意見になってしまうけれど、
 どうしても全体のレベルに合わせた授業をしないといけないからな」
「…それはわかっています」
「それにしても、授業で習っていない文法は使わないでくれ
 っていうのはちょっとどうかと思うけどな」

顎に手を当てて天井を見上げる。
ちゃんと考えてくれてる気がして嬉しい反面、
余計なことはしないでいいですよ、という思いもあって。

いいですよ大石先生。
私は今までずっと異端児で、これからも異端児。
せめてみんなと同じフリだけして生きていくので。

「明日で俺の教育実習も終わりなわけだけど」

そうか。
大石先生の教育実習期間は、もう終了してしまうんだ…。

「今日の授業で、最後の確認テストをやるって言っただろ。
 最後の問題は自由記述だから、好きなようになんでも書いてくれ」

このことは他のみんなには黙っておいてくれよ、と念を押された。
わかりましたと頷くと、よし、と言って大石先生は笑った。




  **




午後の英語の授業。
後半はテストの時間になった。
テストの時間は20分。
始めの5分で9問目まで解き終わった。

最後の問題。
授業の感想に関する自由記述。
時間はたっぷり。
…………。

悩んだ末に、最終問題はさらりと書き上げ、消しゴムを掴んで1問目に戻った。




  **





「それじゃあ、前回出したテストを返却するぞ。これの解説をしたら俺の授業は終わりだ」

ついに大石先生の授業の最終回。

テストを受け取る。
ふっと鼻で笑って、半分に畳む。
そのまま机にしまった。

「じゃあ1問目から解説するぞー」

大石先生はいつもの調子で授業を進める。
大石先生の授業は、いつも和気あいあいとした雰囲気だ。
解説が進むと教室中からあってた間違えたと一喜一憂する声が聞こえる。

「最後の問題は授業の感想の自由記述だったわけだけど、
 内容に関わらず何を書いていても丸にしたから」

えー!と感嘆の声が教室中から上がる。
じゃあでぃすいずあぺんとか書いておけば良かったー!とか、
時間足りなかったー!とか様々な声があちこちから沸いて教室がざわつく。

、何行くらい書いた?時間たっぷりあっただろ」
「いや、そんなに書いてないよ」

隣の席からの質問に、何食わぬ表情で返す。
だけど無表情を決め込む私は、ひたすら大石先生を凝視していた。

『何を書いていても丸にしたから』。
それは、私への当て付けではないだろうか、と思った。
だけど大石先生は一度も私に目線を向けなかった。

みんなはどんなことを書いたのだろう。

「チャイムが鳴るまであと数分あるな」

教室に掛かった時計を見上げる大石先生の横顔に、
「大石先生ー!」と高い声が掛かり、一人が席を立ち上がる。

「実は私たち、先生にお礼を用意しました!」
「先生、2週間ありがとうございました!」
「えっ、本当かい。ありがとう」

手作りの紙の花束を受け取った大石先生は、
それを私たちの方に向けて見せると笑顔で軽くお辞儀をした。
教室中は温かい拍手に包まれた。
拍手が収まってくる頃に、大石先生は話し始めた。

「今日で俺の教育実習は終わってしまうけれど、君たちの学生人生はこれからもずっと続く。
 その長い学生人生の中で、俺が携わることができたのはほんの2週間だ。
 きっと、みんなは俺のことは忘れてしまうと思う。
 いや、忘れるくらいこれからの学生人生を全うしてほしいとさえ思う。
 ただ、俺はきっとこの2週間のことは忘れない。
 俺は教育実習生という立場で来たけれども、
 寧ろみんなからたくさんのことを学ばせてもらう立場だったよ。
 ……本当にありがとう。みんな、お元気で」

綺麗にまとまった挨拶に、自然と拍手が沸いた。
普段、こういう話は好きじゃない。
校長先生の話とか来賓の方の挨拶とか、退屈でしかない。

こんなに胸に響いた先生の話は初めてだったかもしれない。
でもそれは、きっと話の内容にじゃない。
この2週間で築いた、大石先生との信頼関係だったのだと思う。 

そのタイミングでチャイムが鳴って、大石先生の最後の授業は終わった。
先生はもちろん一気に囲まれたけれども、
「ごめん、今日はあまり時間がないんだ。
 昼休みと放課後は職員室にいるから、何か用事があったら来てくれ」
と言って早々に教室を出る準備をした。

私もさっさと英語の道具は机にしまって、
次の授業の準備をするために時間割を確認しようと教室を振り返る瞬間だった。

さん」

呼ばれて、前を向く。
大石先生。

「ちょっと」

大石先生に手招きで呼ばれて、私は立ち上がる。
胸が強く波打って、足取りがふわふわする感じがした。

廊下を歩きながら、私と先生は会話をする。

「時間、大丈夫だったか?」
「はい。大丈夫ですけど」

笑いもせず返す。
廊下のまっすぐ前を向いたまま。
その横で、大石先生が苦笑いをこぼす気配がする。

「なんであんなことをしたんだ」

大石先生は歩みを止めないまま聞いてくる。
階段を下り始めながら、私は横の大石先生を見上げる。
やっぱり、苦笑いだった。

「わざと間違えただろ」

私の机の中には、三角だらけの55点のテストの答案。
こんな点数、他の科目含めて初めて見た。
受け取ったときには嘲笑が出ちゃった。

嫌いだったんだ。
英語の授業が。
特別扱いされるのが。
できるのが当然と思われるのが。
英語の先生たちも嫌いだった。

だけど、大石先生は違った。


「私も、その他大勢になりたいと思ったから」


先生がカッコイイなんて友人らと盛り上がりながら勉強張り切って。
成績が上がれば偉いなと褒められ、奮わなければ励まされ。
授業が終わったら教壇を取り囲んでタメ語でおしゃべりして。
2週間が経つ頃には「先生ありがとう」と贈り物をして笑いと涙を交えてお見送りをする。

私も、そんな人たちになりたかった。

「間違い方が不自然過ぎて、あれじゃあその他大勢にはなれないぞ」
「すみません」
「期末テストではあんなことするなよ」
「……はい」

職員室の前に着いて大石先生は足を止めた。
ぽん、と頭に手を乗せられた。

「頑張れ」

顔を上げた先で大石先生は優しい目をしていた。

頑張れ。
頑張れ。
頑張ろう、これからも。

大きく頷いた。
私は顔を上げられないまま、大石先生は職員室に入っていった。

たった2週間。
だけどきっとこの期間に学んだことが、
これからずっと私の糧になる。


最終問題の回答に点けられた簡素な赤い丸を思い返しながら、私は階段を駆け上がった。



  Q. Write down anything you learned or felt in my lessons.
 (僕の授業で学んだことや感じたことを自由に書いてください)

  A. I love you.
 (あなたのことが大好きです)
























中高生の頃に若手の先生にガチ恋しちゃうやつなw

英語の教師に特別扱いされたくない帰国子女主人公が
大石先生には特別扱いされたくなっちゃって
矛盾まみれの行動を起こすの巻ってやつだね。

そんなこんなで私は英語の授業退屈だったけど
先生は先生で私みたいな生徒いてやりづらかったろうねw


2021/01/21-05/16