* ユア・テニス&マイ・テニス *












「本日より、部全体のダブルス力の底上げを目的としたダブルス強化週間に入る」

この手塚の一言がすべての始まりであった。
その段階ではどの部員も普段練習メニューを聞くかのように黙って話を聞いていた。
しかし、次の言葉によってざわつきが生まれることになる。

「また、最終日には実力とダブルス適正把握のための試合を行うことになった。
 ランキング戦のような順位付けは行わないが、プレー中の動き、実際の勝敗などを加味して
 ランキング戦の結果に関わらずレギュラー抜擢も考慮する」

青学はダブルスプレイヤーの層が薄いことを課題としていた。
各々のポテンシャルが高いため地区大会では順調に勝利を収めているものの
試合を勝ち進み都、関東、全国とコマを進めていくに従って
それは困難になってくるだろうということを見越しての提案であった。

現在、青学のレギュラーは実質8つの枠を9人の選手が争っているような状況であった。
シングルスでは敵わなくても、チームワークを高めることでダブルスならばもしくは…
そのような想いで期待を膨らます部員は少なくなかった。

「しばらくはダブルスとシングルスの練習コート数を逆転させる。
 最終日の試合についてだが、エントリー方法については後ほどホワイトボードに張り出す。
 1年も参加可となっている。興味のあるものは積極的にエントリーするように」

手塚の発言に、一旦静まりかけたあたりが一気にざわつく。
ランキング戦ではリョーマのような特例を除き基本的に1年生の参加は認められていない。
この試みは言ってしまえば今年の大会だけでなく
今後の青学テニス部を見据えたものであると捉えられるだろう。

「本日はABCコートでダブルス練、DEコートでシングルス練とする。以上だ」
「「はいっ!!」」

大きなざわつきを生みながら部員たちはコート中に散らばっていった。



最終日の試合は通称“ダブルス戦”として部員に定着していった。



「出場は自由。勝てばレギュラー入りのチャンス、負けてもデメリットはなし。出ておいて損はないだろ」

休憩時間、林、池田、荒井の3人はいつも通り部室で話に花を咲かせていた。
今日の話題はもちろんダブルス戦についてのこと。

「まあおれらじゃ勝てる希望薄いけどさ」
「でも1年も出場権ありなんだろ?」

1年になら勝てる、レギュラー相手だったらキツイな、
でも試合に負けても活躍できればチャンスはあるんだろ?、と
手塚が説明をした仕組みの確認をしながら状況把握を行った。

「荒井どうすんの?」

もう俺たちは出ることを決めたぜ、という顔で林と池田は荒井の方を見た。
荒井は首を傾げた。

「微妙だな。オレはやっぱシングルス志望だからな」

荒井には尊敬する存在があり、その存在は確固たる目標となっていた。
その存在とは、部長の手塚であった。
手塚部長のように一人で戦える強さを持ったテニスプレイヤーなりたい…
その荒井の想いはダブルス戦の話を聞いてからも揺らいでいなかった。

「だけどよ、レギュラー入りのチャンスだぜ?」
「…………」

これまでずっと手を伸ばしても指がかかることのなかったレギュラー入りの可能性が
普段のランキング戦よりはほんの少し高い。
荒井もそのことはわかっていた。

「まあ俺らにダブルスの適性があるか微妙だけどな」
「それな。シングルスよりは若干望みがありそうってだけで」

笑い合う林と池田を他所に、荒井は深い皺が刻まれるほどに眉間に力を込めていた。




  **




テニスコート脇の木陰の下、ここにもダブルス戦について花を咲かせる3人組が。

「つまり、ここで活躍できれば一気にレギュラー入りー!なんてこともありえるわけだ」
「活躍できればの話でしょ」

冷たい目線で堀尾を見るカツオに対し、
堀尾は「うるせー!テニス歴2年の実力を見せてやるよ!」と喚き散らした。

「カチロー君ももちろん出るよね?」

疑う余地のない様子のカツオの質問に、勝郎は一瞬返事をためらった。
そのためらいは、答えに迷ったからではなかった。
本当は既に答えは決まっているのだ。
ただ、伝えてしまったら後に戻れない最後の扉のような気がして一瞬言葉に詰まった。

「僕…出ないつもりなんだ」
「えっ、そうなの?」
「なんでだよカチロー!?」

詰め寄るカツオと堀尾に、意を決して思いを伝える。

「僕には目標としているテニスがあってさ。
 練習ができるんだったらダブルスよりもシングルスに時間を費やしたいと思っているんだ」

ハー…と、決心の固そうな勝郎の思いに感嘆の息を漏らす二人であった。
堀尾にとっては、どこか納得のいかない内容という気持ちもあったようだが。

「もったいねー!今の段階では色んな経験積むのもありだと思うぜ?」
「それもそうだけど…」

確かに、そのような思いもあるのだ。
だからこその先ほどのためらいの間だ。
それでも勝郎は先ほどの発言を訂正するつもりはなかった。

いよいよ後に戻れない。
シングルスで頑張るんだ。

勝郎はその意志を強くした。




  **




「リョーマくん、ちゃんと水分摂ってる?」

昼食を取ったあとに木陰で休んでいたつもりのリョーマだったが
うたた寝をしているうちにいつの間にか太陽の位置がずれそこは炎天下になっていた。
気付いた勝郎はリョーマの肩を揺すって起こしたのだ。

「……いつの間にか寝てた」
「今日は暑いから運動してなくてもお水飲んだ方がいいよ」

今日は気温が高く風がない。
真昼の太陽に照らされた体は汗ばんでいた。
「そうする」と告げてリョーマは体を起こした。

勝郎は先ほどまで友人らと交わしていた話を思い起こし、
今なら聞いても問題ないかと判断して問いかけた。

「リョーマくんは出るの?ダブルス戦」

表情を一切変えずにリョーマは勝郎に聞き返す。

「…出ると思う?」
「だよね」

それは出ないという意味だと理解して勝郎は笑った。
リョーマのダブルスの苦手さは青学テニス部全員が認識している。
シングルスの強さも。

「カチローは?」
「僕も…今回はいいかな。シングルスに集中したいし」
「へぇ、なんで?」

リョーマの質問に対し、勝郎はわずかに頬を染めながら返した。

「リョーマくんみたいな選手になりたいんだ」

勝郎にとってリョーマは、近しい友人であり、憧れの存在でもある。
本人に向かって直接的に伝えることには照れもあった。
賞賛にも取れるその言葉に特に礼をいうでもなく
リョーマは照れ笑いをしている勝郎の顔を見つめた。

「ふーん。カチローはダブルスの方が向いてると思うけど」

え?

リョーマからの思いがけない言葉に勝郎は戸惑った。
自分の適性など考えたことがなかった。
“こうありたい”という目標を見上げるばかりで。

「どうしてそう思うの?」

勝郎とリョーマが一緒にテニスをプレイしたことは多くない。
部活の時間、レギュラーであるリョーマはコートに入っているが
その他大勢の1年部員のうちの一人である勝郎は球拾いと声出しがメインで
部活中に二人で打ち合ったことはない。
休日に勝郎の親が経営しているテニスクラブで打ち合ったことが数えられる程度にあるくらいで。
その程度の打ち合いで、何がわかったというのか。

「……性格的に」
「性格?」

それってどんな性格…と聞き返そうとしたとき、
まさにダブルスのスペシャリストといえる大石が偶然横を通りかかり二人に声を掛けた。

「お前ら、今日は暑いから休憩中もしっかり水分を摂るんだぞ!」

その声を受け、リョーマは立ち上がった。

「世話焼きなとことかね」
「…え?」

「ん、越前それは俺に言ってるのか?」と反応した大石に
「別に」とリョーマは答え、二人は肩を並べて歩き去った。

ダブルス向きの性格…。

そんなものが本当にあるのか、そして自分がそのような性格であるかはいったんさておき、
自分にはどのような適性があるのか改めて向き合ってみようと思う勝郎であった。




  **




「桃城!」

昼休みが明けるまであと10分弱。
早めにアップを始めようとラケットを掴みコートに向かっていた桃城を荒井は呼び止めた。

「お願いがあるんだけどよ」
「あんだよ」
「オレとダブルス戦に出てくんねーか」

荒井のお願いに対し、桃城はきょとんとした顔を見せる。

「なんでだよ」
「なんで、って……」

出るか出ないか、その返事だけを求めていたのに予想外にも理由を聞かれた。
お前と組むには面接が必要なのか?と不服はあったが
頼み込んでいる側な手前仕方なく荒井も言葉を振り絞った。

「オレはお前のテニスの実力は認めてる。
 ダブルスは経験少ないかもしんねぇけどあと1週間あるし…
 練習して勝ちを目指さねぇか?」

荒井のその回答は納得のいくものではなかったという様子で
桃城はしかめた眉を緩めぬまま再び問い返す。

「お前さ、自分はシングルスで勝負する的なこと前に言ってなかったっけ」
「それはそうなんだけどよ…」
「オレも同じだわ。じゃ、そーゆーわけで」
「ちょっと待てよ!」

桃城の腕を掴み引き止める。
ガラじゃないし、プライドが邪魔をする。
だけど荒井は頭を下げた。

「頼む!この通りだ!オレにとってはレギュラー入りのまたとないチャンスなんだ!」

必死に懇願する荒井であったが、んーと頭を掻く桃城の表情は晴れなかった。

「本当にダブルスで頑張りたいっていう意思があるんだったらオレも協力してぇけどよ。
 お前はレギュラーに入るのが目的か?お前のやりたいテニスはなんなんだよ?」

図星を突かれた思いであった。

確かに自分はシングルスプレイヤー志望である。
その気持ちは変わっていない。
しかしレギュラー入りしたいという願望も誰よりも強い自負がある。
「レギュラーに一番近い男」なんて言われることもあったがそれは褒め言葉でもなんでもない。
現実は「レギュラーに一番近いながらも一度も手が届いていない男」なのだ。
いうならば「一番悔しい思いをしている男」なのかもしれない。
1年のときから自分の実力だけでレギュラー入りを果たせている桃城とは立場も心境も違う。

いくら必死に練習を積んでも個人の力では現レギュラーに敵わない。
それが荒井の現状であった。
それでも、現レギュラーの一人である桃城と組んだダブルスならあるいは…という思いがあった。のだが。

「お前にはわからねぇよ…オレの気持ちが」
「ああわかんねぇよ。悪ぃな」
「もうお前には頼まねぇよ!」

背中に浴びせると、桃城は歩き去りながらラケットを掴んだ腕を大きく振った。
大きくSEIGAKUとプリントされたトリコロールカラーのジャージが嫌に目に入った。

「……クソッ」

振り返ると、そこには驚いた表情で立ち尽くしている1年の姿。
全体的に小柄である1年の中でも、特に目立って小さいその人物。

「見てたのかよ…」
「ごっ、ごめんなさい!」
「うるせーな。もういいよ」

吐き捨ててて荒井はその場を去った。
その背中を見送り、すぐ脇にあったホワイトボードに貼られた紙を食い入るように読み直し
エントリーについてもう一度考え直す勝郎であった。

「(目的は部全体のダブルス力の底上げ…)」

そして1年生も参加可能であるというその意図。
堀尾、カツオ、リョーマの言葉も思い返した。

可能性…経験…チャンス…適性…。
様々な言葉が頭を巡る。

そして、先ほど桃城が荒井に向けて放った言葉も胸には引っかかった。

「(僕のやりたいテニスってなんなんだろう?)」

桃城とは言い合いになっていた荒井がどのような結論を出すのかも頭の端に気にしながら
4日後のエントリー締め切りまでに結論を出さねば、と首を頷かせて確認した。




  **




「(今日がエントリー締め切りか)」

荒井が横目に見たホワイトボードに書かれた予定表、
ダブルス戦の申し込み締め切りは本日の日付を示していた。

ま、関係ねーけど。
そう思いながらホワイトボードに背を向けたとき、
遠くから池田が手を振って近づいてきた。

「荒井ー!聞いたか?」
「何が」
「手塚部長、ダブルス戦出るって」
「…は?嘘だろ」

手塚は、公式戦ではS1確定だという思い込みがどこかにあった。
一人でも勝ち抜く強さがあるから。
それに、言い方は悪いが手塚がダブルスで出てもペアが足を引っ張るような…
そのような考えが荒井の中にはあったのだ。

しかし、出場するのだという。あの手塚部長が。

「それがマジらしいぜ。“部全体の士気を上げるため”とか
 “誰がどのような力を秘めているかわからない”みたいなこと言ってたらしい。
 ペアは誰かわかんなかったけど。当たったらやべーなー」
「……そうか」
「お前も変な意地張ってないで出ようぜ!
 つってももうまともなやつ残ってないと思うけど」

そう残して池田はいなくなった。
これから林とダブルス練をするらしい。

まさかの事態に呆然としていると、遠くから「荒井ー」と自らを呼ぶ声がした。
その声の主は桃城だった。

「なんだよ」
「オレ、ダブルス戦出ることにしたわ。海堂と」

桃城のその言葉を聞き、意味を理解するまでに数秒を要した。

「……はぁ!?」
「いやなんかよ、どうしてもって頼まれたんだよ。アイツにだぜ?
 なんでも乾先輩にフラれたらしいんだけど、
 他に頼む相手いねぇの考えたらかわいそうになって引き受けちまった」
「…………」
「で、お前結局どうしたの?」

あっけらかんと聞いてくる。
桃城は元々脳天気なタイプではあるが、ここまでとは思っていなかった。
荒井は唖然とした。
やはり、コイツにはオレの気持ちなんてわからないのだと再確認した。

「…これから申し込むんだよ」
「早くしないと今日中だぜ?」
「わぁってるよ!」

ヘイヘイ、と桃城は歩き去った。

「アイツ、あんな偉そうなこと言っておいて…!」

自分からの誘いは断っておいて海堂となら組むのか?
まあそりゃオレと組むより海堂と組む方が勝率は高いかもしんねぇけどよ!

ムシャクシャする。
ダブルス戦なんてのが出来ちまったばかりに…。

そんなやり場のない怒りをどこにぶつけようかと苛立っているときに。

「あっ、荒井先輩!」

甲高い声に呼ばれた。
この声は。

「……あんだよ」
「あ、あの」

そこにいた例の1年、加藤勝郎は

「もしパートナーが決まってないんだったら、僕と出てくれませんか!?」

とその高い声を張り上げた。
これはダブルス戦の申し込みに関してだとわかった。

「僕、まだテニス下手だし、体力もないし…足は引っ張ってしまうと思うんですけど…」

小さな拳がぎゅっと握られるのが見えた。

「テニスが好きだから、自分で可能性を潰す前に挑戦してみたいと思ったんです!」

テニスが好きだから。
自分で可能性を潰す前に挑戦。

その言葉は荒井の胸にストンと落ちた。

「(シングルスがいいとか、レギュラー入りがどうとか、そんなの二の次だ。
 思いっきりテニスをやりたい。それでいいじゃねぇか)」

難しいことを考えるのはやめだ。
やれるだけやってやろう。決心が固まった。

「しょうがねーな」

ニヤっと笑みを見せる荒井に対し、
勝郎は心から嬉しそうに「ありがとうございます!」と頭を下げた。




  **




その後の練習で共にダブルス練習用のコートに向かう二人の
組み合わせの物珍しさに周囲はざわつきを生んだ。

「加藤なんか荒井の足引っ張るだけだろ」
「荒井、他に組むヤツ見つかんなかったのか?」

「……」

聞こえてくる心無い言葉に、勝郎は萎縮していた。
事実であるし、自覚はしている。
だから今更傷つくということはない…しかし、
自分の存在によってパートナーである荒井が悪く言われているように感じ
そのことに対する申し訳なさがあった。

「気にすんな」

ぽんと頭にラケット面を当てられる。
見上げると、荒井は眉をしかめていた。

「まあ正直、どうせ出るんだったら早くに決めて
 もっとまともなヤツと出たかったってのは本心だけどよ」
「う……」
「もうここまで来たら一心同体なんだよ。
 オドオドしてるの見るとイラつくんだよ。シャキっとしてろ!」

言葉は乱暴であったが荒井なりの励ましなのだと勝郎は解釈した。
何より、気に掛けてくれているという事実が心強かった。

「ありがとうございます…荒井先輩」
「あ?オレは怒ってんだよ」

言葉尻は冷たかったが声色は優しい。
そのように感じながら勝郎は「すみません」と微笑を向けた。




  **




ダブルス戦の申込期日から2日後。

「…………最ッ悪だ」

あみだくじで平等に決めると伝えられていた組み合わせ表。
張り出された紙の中から自分の名前を探し出し、荒井は絶望した。

『大石・菊丸ペア vs 荒井・加藤(カ)ペア』

そう、自分たちの対戦相手は部内最強は間違いなし、
それどころか全国レベルであるペアであった。

せっかくやる気になったのに、この仕打ちだ。
荒井は散々悩んだ末に申し込んだことを一瞬後悔した。
しかし直後に別の考えも浮かんだ。

「(でも…ある意味チャンスなのか。ゴールデンペアと試合なんて…
 望んでもなかなかさせてもらえるもんでもねぇ)」

そしてなんとなく、自分のパートナー…加藤も、
そのような考え方をする人間に思えた。
実力もないし気も弱い、なのに変などころで度胸が座っている。

そう思って斜め下にあるその顔を見ると。

「………おい」
「あっ、ごめんなさい」

横にいる後輩の表情は荒井が想像していたものと違っていた。
口元に手を運び、不安そうな表情で顔色も青ざめていた。

「すみません。ちょっとビックリしちゃって…
 いけませんよね。試合が始まる前からこんなに不安がっちゃ…」

勝郎の握りしめた拳は震えていた。
ふぅ、と荒井はため息を吐く。

「オレだって怖ぇよ」

本当は他人に弱みを見せることは苦手だった。
だけどそれ以上に、横にいる存在を励まさなければ、という
普段あまり感じることのない感情に荒井は浮かされていた。

「でもよ、どうせ負けるんだったら思いっきりやりきって負けようぜ。
 誰もオレたちの勝ちなんて期待してないだろうし。
 一矢報いることができたら上出来だろ」

このような言い方をしては、そんないい加減な気持ちで挑むなとたしなめられるか、
もしくは今の様子からするとなおさらビビらせてしまうか…
不安に思いながら横の人物をチラリと一瞥すると、

「そうですね」

と安心したように笑ったため、荒井も胸をなで下ろした。




そうこうしているうちに、ダブルス戦当日はあっという間にやってきた。




『大石・菊丸ペア、荒井・加藤ペア。前へ!』

ついにこのときが来てしまった。
コートに向かう緊張感はランキング戦でも度々味わっている。
しかし、今日はいつもとはまた違う緊張感があった。

隣のコートでは、林と池田が平塚と永山との試合を始めるところであった。
あのどちらかと当たっていればワンチャン勝てた…
少なくともコテンパンにボロ負けということはなかったであろう。
しかし、現実はこの有様である。

ネット越しの先輩2名はそびえ立つように大きく見えた。

「…よろしくお願いします」
「よろしく〜」
「悪いけど、俺たちは手加減するつもりはないからな」
「は、はいっ!」

手加減するつもりはない。
そう宣言されてしまい、元々ないに等しかった勝ち目が完全にゼロであることを確信した。

サーブ権を決めて定位置に着こうというときに
両手でがっしりとラケットを握りこむ後輩の背中にラケットを軽く当てながら荒井は声を掛けた。

「とりあえずネットの向こうにボールを返せ。いいな」
「は、はい!」

ちょこちょこ、という擬態語が似合う様子で勝郎は小走りになった。
ふぅ、と失笑に近いため息が出た。

「(元々、コイツの実力には期待できねぇ)」

勝郎はまだラリーをするだけで精一杯の状態である。
正直、勝郎により点が入ることがあるとすれば“まぐれ”に期待するしかない。
ピンチとあらば自分がフォローをしなければ…そう思って試合を開始したが。

『15−0!』
『30−0!』
『40−0!』
『ゲーム、大石・菊丸ペア!1−0!』

審判のコールがテンポ良くコートに響いていく。
一瞬のうちに1ゲームが終わっていた。

フォローどころではなかった。
自分のことで精一杯。
全く歯が立たない。
心づもりはしていたはずが想像以上の実力差であった。

「いいぞ英二」
「サーンキュっ。今の、公式戦でも使えそうだね」
「ああ」

余裕の表情でハイタッチを交わし、
次の作戦でも話し合っているのか肩を近く寄せて歩く先輩たち。
格が違いすぎる。

「すみません…」
「謝んな。元々お前には大して期待してねぇよ」
「……」

荒井の言葉を言葉通りの意味で受け止め、勝郎は肩を落とした。
その姿は荒井に申し訳なさを生ませ、苛立たせた。

「だから失敗を恐れずに思い切りやれって意味だよ!いちいちしょげんな!」
「は、はいっ!」

逃げるようにコートチェンジに進む後輩を見て大きなため息が出た。

「(ったく素直すぎんだろ…越前の生意気さと足して二で割れよ…)」

それにしても。

今のゲームを振り返る。
相手のサービスで始まる不利なゲームであることに違いはなかったが、
まともにプレイをさせてもらえた印象がない。
ギリギリ返したところですぐに打ち込まれてポイント。

「(一矢報いるどころじゃねぇ。マジで恥晒して終わっちまうぞ?)」

きょろきょろと自分の立ち位置を探す勝郎を見て不安が更に深まった。



荒井が思い悩んでいる一方で、勝郎もまた自分の無力さに苦悶していた。
2、3、4と先輩たちがゲーム数を重ねる中で自分はまともなプレイができていない。
一生懸命やっているのにポイントに繋がらない。
体力だけが奪われていく。息が苦しい。足が痛い。
自分のミスをフォローしようとする荒井に負担が掛かっていることは重々承知していた。

「(荒井先輩はあんなに頑張ってくれてるのに、僕は…)」

僕は?

「(僕は……どうすればいい?)」

圧倒的な力不足。
しかし、それは出場する前からわかっていた。
わかっていながら挑んだのだ。

「(勝ちが見えなくても、頑張らないわけにはいかない!)」

気持ちを振り絞り自分にできることに頭を巡らせた。

「(考えなきゃ…僕はどうすればいい?)」

個人個人の実力でも、チームワークでも負けている。
明らかに格上の相手。
そうでなくとも自分はこのコートの中で一番実力が低い。

自分が活躍できなくたっていい。

「(だってこれは、ダブルスだから!)」

荒井がサーブを放つ音がする。
相手が打ち返す瞬間、今までと立ち位置を変えた。
そのボールに自分のラケットが届…くことはなかったが、
一回バウンドした球を後ろから走り込んだ荒井が見事に捉えた。

『15−30!』
「っしゃ!」

5ゲーム目にして初のポイントであった。
荒井は審判のコールと同時にガッツポーズをした。
ネットの向こう側、菊丸も驚いた表情を見せる。

「ひゃー、荒井やるじゃん。いつの間にこんなショット打てるようになってたの」
「まだまだここからですよ…!」
「ドンマイ英二、今のは荒井のショットが良かった」
「んにゃ」

大石は相手の好プレーを賞賛する形でパートナーの失敗ではないと示した。
それは菊丸への励ましの声だったのであろうが、
荒井を奮い立たせる一言にもなっていた。

「(さっきは球が丁度得意コースに返ってきたんだ…。
 自分のテニスをさせてもらえれば、先輩たち相手にもオレは通用する!)」

力を込め、サービスを放った。

何故だか急に調子が良い。
流れが来ている。
そう感じた荒井は力の限りのショットを放っていく。

『30−30!』
『40−30!』

審判のコールがコートに響く。

「連続ポイントだ!」
「やるじゃんアイツら」

黄金ペアの試合目当てと思われていたギャラリーが
試合の盛り上がりを聞きつけ人数を増やしていた。

「アイツらっていうけど、このゲーム競れてるのは全部荒井のお陰だよな」
「パートナーが加藤じゃしょうがねぇよ」

その声は荒井の耳にも聞こえていた。
タンタンと気持ちを落ち着けながらボールを弾ませ、トスを上げ、サーブを放つ。

「(確かにさっきからオレしかポイントを決めてねぇ、
 なんなら加藤はほとんど球にすら触れてねぇ。ただ…)」

ボールがネットを超えると同時、前衛の小さな背中がステップを踏む。
相手からの打球が自分の元へ返ってくる。

まただ。
この位置、この角度。

「(まさか、オレの打ちやすい場所に球が返ってきてる!?)」

完璧な体勢で球を捉えた荒井は、打ち返すと同時に前衛に出た。
ダブルポーチ。
返球は自分の方向。

「(このショットさえ、決まれば!)」

がら空きのスペースに渾身のショットを放った。
ゲーム、荒井・加藤ペア!
審判のコールが早くも聞こえてきそうであった。

しかし。

「にゃんじゃらほいっと!」

無人であったあはずのスペースに彗星がごとく飛び込んできた菊丸は
軽い身のこなしでダイビングボレーを放った。
ボールは荒井と加藤の間を引き裂くように綺麗に抜け、後方で二度弾んだ。

「そう簡単には行かせないよん」

裏で審判が「デュース!」とコールすると同時に
菊丸はVサインを荒井たちのコートに向けた。
後ろでは大石が強かな笑みを見せている。盤石。

それが勝利宣言であったかのように、その後連続ポイントを決めた黄金ペアはあっさりとゲームを制し、
続いてのゲームも大石と菊丸の圧倒的な試合運びで幕を閉じた。

『ゲームセット!ウォンバイ大石・菊丸ペア6−0!』

審判の声がコートに大きく響いた。

…………負けた。
試合開始前からわかっていた当たり前の結論にいざ直面し、
想像以上に落胆している自分に戸惑った。

呆然としたまま握手を交わした。
外野からは拍手が鳴り響いていることに荒井はようやく気付いた。


背を向けたのち、黄金ペアの二人が

「ねえ大石、加藤のヤツ…」
「ああ。油断できないな」
「荒井もいつの間にめっちゃうまくなってたー」
「ほんと頼もしい限りだよ」

と、会話を交わしていたことにネットの反対側の二人が気づく由はなかった。


「完敗……でしたね」

ぽつりとつぶやくように勝郎が言葉を零す。
荒井は汗で湿ったバンダナを外した。

「ああ、完敗だよ。さすがゴールデンペアだな」
「ごめんなさいっ!僕、足を引っ張ってばかりで!」

勝郎はガバッと頭を下げた。
そのままの体制で言葉を続ける。

「まだ全然実力が足りてないってことを痛感しました…。
 僕のお願いで一緒に試合に出てもらったのに、
 荒井先輩まで思ったようにテニスできなくて、ごめんなさい!」

更に頭を深く下げたが、降りかかった荒井の声は柔らかかった。

「誰が思ったようにテニスできなかったって?」
「え?」

顔を上げた勝郎の瞳がまっすぐ荒井を見上げる。
20cm以上ある身長差。
しかし、何故か。
そんなに遠く感じないのは。

「加藤、またダブルス戦やることになったらオレと組まねぇか」

きっと文句を言われると身構えていたところに降りかかった荒井のまさかの言葉に
勝郎は咄嗟に返事ができなかった。

「……え?」
「リベンジだよ。負けっぱなしでいるわけにはいかねぇだろ」
「あっ、そうですよね!すみません!」

語調が強いし顔が怖い、反射的に勝郎は謝った。
直後に荒井が表情を緩めて掛けてきた言葉は思いがけないものだった。

「お前、ダブルス向いてると思うぞ」

それは、自分の憧れの存在に掛けられた言葉と一致していた。




  **




その後、青学は次々と大会のコマを進め、全国大会優勝を果たした。
結局試合に出場したレギュラーメンバーはランキング戦で上位に入った者たちで、
「あのダブルス戦、意味あったのか?」という声も至るところで聞こえた。
(敢えていうなら、乾がデータ取りのために組んだという噂の手塚・乾ペアが
 その後公式戦にも出場することにもなる組み合わせとなったくらいか。)


時の流れとともにそのような試合があったことも忘れ去られつつあった。

しかし。

海堂部長と桃城副部長による新体制が始まってまもなく、
顧問の竜崎スミレに呼び出されて
「おまえたち、本格的にダブルスに注力するつもりはないかい」
と問われた二人組が居るとかいないとか…?
























荒カチは荒井(受)×カチロー(受)ですし百合です(は?)

元々この話ができたきっかけは
「大石がそのうちランキング戦でやらかしてレギュラー落ちしないか不安だから
 ダブルス用のランキング戦もやってくれ」だったりw
黄金vs荒カチとか俺得過ぎて書くの楽しかった…黄金のラスボス感最高w

最後の二人組とは荒カチとは書いてませんので吉村優駿かもしれません(コラ)
でも荒井先輩はともかくカチローはダブルス向きだと私は主張し続けたい。

荒カチ真ん中BDおめでとう記念でした。今は二人とも13歳!(可愛い)


2019/10/27-2021/03/16