* ウルテリオル・モーティヴ *












社会人4年目、初めて後輩ができることになった。
明日、その新入社員は全体研修を終えてついに職場配属となる。
そして私はその子のOJT担当。


私もついに先輩かー…。
ずっと部署の中で一番の下っ端を貫いてきてたのに。
もう宴会の予約とかしなくてよくなる?
電話とかコピーとかそういう余計な雑用が回されなくなる?
それはありがたい。

だけど怖さもある。
今までは年も歴も一番下だから色々出来ないのは色々当たり前で、
失敗しても「てへ」で済んだしありとあらゆることを先輩に質問してきたけど…。

でも、明日からは。
どうしよう。
例えば、質問されてうまく答えられなくて
「俺より3年も先輩なのにこんなこともわかんないんっスか?
 残念ながらさんに教わらなきゃいけないことは大してなさそうっスね」
とか言われたらイヤアアアアアアア!!!

辛すぎる…明日会社に行くの嫌だよ…
でも明後日になってもいるもんね…トホホ…。





  **





「大石秀一郎です。よろしくお願いします」

みんなの前に立たされて自己紹介をした新入社員くんは
背筋を伸ばして爽やかな笑顔でそう挨拶し、深々と頭を下げた。

わあ。なんて礼儀正しくて賢そうな好青年なんだ。
私が昨日まで抱えていた不安はあっという間に縮んだ。
でも待って!まだ油断しないで!猫被ってるパターンもあるから!!

既存メンバーの自己紹介も簡単に済まし、皆それぞれの仕事に戻っていく。
私はG長に呼ばれ、大石くんと対面することに。

「OJT担当はさんだから、色々教わってくれ。
 、宜しく頼むぞ」
「はい、頑張ります!」
「宜しくお願いします」

大石くんはまた丁寧にお辞儀をした。

本当に好青年にしか見えない…。
でもいるから!
初対面のときはめちゃくちゃ印象良かったのに
実は腹黒で、心の中では色々思ってて、みたいな人!
それで休み時間になったら同期に愚痴ばっか漏らすんだ…!

「(こ、こわ…!)」
「まずはさんの仕事を一緒にやって業務内容を知るところから、と伺ってます」
「あ、うん!宜しくね!」

動揺するな。いつも通りでいこう。
なんだかんだ私だって4年目!
基本的な仕事はなんの問題もなくこなせるってところを!
新入社員に!見せつけていく!!

「(舐められてたまるか…ついて来られるかな、私のこのスピードに)
 まず朝一は昨日就業以降に届いてる依頼の対応からね」
「はい」

大石くんは私の説明を聞きながらこまめにメモを取っている。
筆跡からはなんとなく几帳面そうな性格が伺える。
でも騙されるな。几帳面な人ほど他人にも厳しかったりするんだ…。





  **





なんだかんだ業務は順調に進み、もうすぐ定時。
今のところ、化けの皮は剥がれないな…。
本当にただの好青年にしか見えない。

「(いや、油断しちゃいけない…あるとき急に牙を向くぞこのタイプは…)」
さん、あの」
「うん、何!?」
「先ほどご説明頂いたこれについてなんですけど」

ふんふんと大石くんの質問に耳を傾ける。
それは…すごく初歩的なことであった。
けど、初歩的すぎてあまり気にしたことなかった。

たぶんこれであってる、という回答は浮かんだけどちょっと自信ない…。
でもここで適当なこと教えちゃったら、
大石くんの今後のためにもならないもんね。

「ごめん、ちょっと自信ないから一旦確認してから答えていいかな」

ううう情けない…こんな初歩的なこと…。
これまでなんとかボロが出ていなかったのに。

『俺より3年も先輩なのにこんなこともわかんないんっスか?
 残念ながらさんに教わらなきゃいけないことは大してなさそうっスね』

昨日の妄想が頭に浮かぶ。
これじゃあついに想定していた最悪の事態が現実に!(イヤアアア…)

しかし、焦り散らかす私に対して、大石くんは。

「そうですか、すみません。先程からさんのお時間を頂いてばかりで…」

そう言って、申し訳なさそうな顔をした。
その表情には、裏がなさそうに見えた。

…もしかして、本当の本当にマジの好青年?

「いやいやいや!大丈夫だよ!大石くんがそんなこと気にしないで!」
 寧ろごめん、これくらいさっと答えられなきゃいけないのに…」

私は謝罪を交えてそう伝えた。
さあどう返してくる、大石くん。

今日一日疑いの目を向け続けながら彼の言動を伺ってたけど
ボロが出るどころか、不意な気遣いを感じることが多かった。
生意気な後輩どころか、すごく優しくて心が綺麗な子、
ということがわかってきた。

これでもし猫を被っているのではなく本当に本当の好青年なのだとしたら、
私は、私は……!

「そんなことないですよ。色々聞きやすくて助かってます」

観察するように見ている私の前で、大石くんの表情は柔らかく緩んだ。


「一番近しい先輩がさんで、心強いです」


ノック・アウト。

落ちた……。
今、明確に私の胸の中で恋に落ちる感触がした。


待って!
恋!?
何言ってるの!!

学生時代の頃から付き合ってた彼氏と社会人になってから別れてしまって、
職場は年が離れてたり既婚者ばかりだったりで新しい出会いもないし、
ここ数年は恋愛なんかからはすっかり離れて
もう若い頃みたいなあんな恋なんて一生できないのかもな、
とか!思ってたのに!

今、軽率に恋に落ちてしまった。
今日初対面の後輩に対して…。

「(なんてことなの…)」

皺一つない綺麗なスーツに見を包み、スッと背筋を伸ばして、
真剣だけれどどこか楽しそうに業務に取り組む横の人物を盗み見、
軽い目眩がした。





  **





大石くんの配属初日、軽率に恋に落ちたあの日から約2週間。
真面目に先輩として業務を教えながらも、
やっぱりこの気持ちに間違いはないと確信する日々だった。
もちろん、業務中に私情を挟んだりはしていないけれども!

私と同じ業務をこなしながら、できるところは一人でやってもらうようにして、
大石くんはすっかり一人前に業務をこなせるようになっていた。
明日でOJT期間が終わる。

あっという間だったなー…。
もう、私から教えることはない。

と思ったけれど、あった。
一つ教えていない重大な業務が!

「G長、明日市場調査に行ってきてもいいですか」
「あーそうだな、依頼も立て込んでないし。
 せっかくだから大石も連れて行ってやってくれ」
「あ、はい。そのつもりで言ってまーす」
が後輩連れて外勤行くような日が来るとはなぁ…」
「それどういう意味ですかー?私この2週間超しっかり先輩やってますからねー!」

そんな笑い話。
G長を前にすると、どうにも末っ子の自分が顔を出す。

だけど、大石くんの前ではしっかり先輩で居ないと。

「大石くん、明日私服で着ていいよ」
「わかりました。けど、どうしてですか?」
「朝一1時間くらい会社で書類捌いたら、街に市場調査に出かけよ」
「市場調査ですか」

私は市場調査の概要を大石くんに説明する。
まあようは、世間ではどんなものが流行ってるかチェックしたり他社商品を買い漁ったり、だ。

「(大石くんの私服どんなかなー…私もどんな服で出かけよ)」

って、デートじゃないんだぞ!
脳内で自分ツッコミ。

だけどちょびっとだけ楽しみにしながら、翌日を迎えることとなった。





  **





「それじゃあ、行こっか」
「はい」

市場調査当日、OJT最終日。
大石くんは爽やかなオフィスカジュアルで会社に現れた。
会社でこなさないといけない最低限の業務をこなし、私たちは街に繰り出す。

「(期待通り…いや、これは期待以上…)」

グレーのチノパンに水色の襟付きシャツ、その上に紺のジャケットを身にまとった大石くんは
スタイルの良さも相まってどう転んだってカッコイイ。
私服を身にまとって昼間の陽の下を歩いていると、
今日は業務で来ているということを忘れそうになる。
少しでも気を抜くと「後輩」じゃなくて「男の人」という目で見てしまいそうで…。

「(さん!今日は業務ですよ!)」
「どういうところに行くんですか、百貨店とかですか」
「あ、うん!まずはそうしよっか!」

大石くんが私に敬語で話しかけてくるたびに
「そうだ、この子は後輩で、今日は業務で来ているんだ」ということを思い起こした。
危ない危ない…油断は禁物。

大石くんの様子を伺っていたけれど、彼は会社の様子と何一つ変わらなかった。
意識しているのは私だけ、か。

大石くんは私のこと、どう思ってるのかな。
っていうか彼女とか居るのかな。
3つ年上の女性とか守備範囲かな…。

「(って!だから!業務!)」

一旦よこしまな考えは捨てて、真面目に市場調査に取り掛かった。





  **





業務自体はしっかりこなしつつ、
これも業務のうちだといって少し高いランチを食べたりもした。
(領収書?もちろん宛名書きは株式会社我が社宛!)

会社だけでは見られない大石くんの一面も見られた気がした。
しっかり者で頼れるけれど、意外とおっちょこちょいな一面もある。
考え過ぎなくらい色々考えるタイプで、物を一つ買うにもとても時間がかかる。
ごく自然に車道側を歩いてくれる。
お箸の持ち方が綺麗。
意外とよく笑う…。

そんな一日も、もう終わりだ。

「それじゃあ、帰ろうか」
「はい」

今日が終わったら、私は大石くんのOJT担当でもなんでもなくなって、
私たちは、ただの同じ職場の先輩と後輩になるんだな…。

横並びで歩いていると、大石くんの目線が何かに釘付けにされたように首がよじれた。
そこは映画館の前。
何か、気になるやつでもあったかな。

「ちょっと見てく?」
「あ、すみません!」
「大丈夫だよ。映画好きなの?」
「そうなんです」
「普段どういうの見るの?」
「邦画も洋画も両方見ます。特に、恋愛モノが好きで…」
「えー、私もだよ!ちなみにさ、洋画は字幕派?吹替派?」
「字幕です」
「一緒だー!」

趣味も近いだなんて、付き合えたら楽しいだろうな…。

「(って!私は!また!何を考えている!!!)」

大石くんに気付かれないように自分の頭をポンポンと叩いている私の横、
大石くんは(私には)意味のわからない横文字タイトルの看板を嬉しそうに眺めていた。

そのまま、最近見たオススメの映画の話で盛り上がった。
二人とも見ているものについては感想を言い合った。
楽しかった。

あっという間に駅に着いた。

「今日はありがとうございました。
 うっかり仕事ってことを忘れてしまいそうでした」
「あはは、私も」

あははとか笑ってるけど、ガチで忘れそうになって
何度も何度も自分を律していたのは内緒だ!
そんな私の心情も知らずに、大石くんも爽やかに笑う。
そして、こちらに真っ直ぐ体を向けてきた。

さん、この2週間ありがとうございました。
 お陰様で来週からも自信を持って業務に取り組めます」
「私が素晴らしい先輩ってことがわかってくれたかな?」

大石くんがあまりにストレートだものだから、気恥ずかしくっておちゃらけてしまった。
だけど大石くんは

「ええ。これからも頼りにしています」

だって。
ち、ちょっと照れる照れる!

「大石くん、おだてるのがうまいね」
「僕は本気で言ってますよ」
「わーやめてよー」

こっちを見てくる大石くんの目線は真っ直ぐで顔が熱くなる気がした。
手のひらでパタパタと仰いで顔を冷やした。
そんな私に大石くんは問いかけてくる。

「ところでさん、このあとお時間ありますか」
「あるけど、どうして?」
「せっかくだし、一緒に夕食いかがですか」

今、時刻的には6時を回ったくらいだ。
どうせ帰ったって一人で晩ご飯。
というか。
願ってもないお誘いだ。

「いいね、行こっか」
「ありがとうございます。
 今日のうちにこの2週間の振り返りもさせて頂きたいです」

あー、そういう意図ね。
本当に真面目だ。

「その代わり、来週からは何聞かれても教えてあげないよーなんてね」
「それは勘弁してくださいよ」
「アハハ、冗談に決まってるじゃん」

更には「これは領収書切れないからね」なんて笑い話もしながら、
私たちはお店を選んで入店した。
金曜の夜ということもあって店内は賑わっていた。

2週間の振り返りだなんて言いながら、
結局ほとんど趣味の話なんかしていた。
話が弾む。
食事はおいしい。
結局お酒も頼んじゃった。
大石くんは立ち振る舞いもスマート。

いい感じじゃない?

と思って、気持ちが膨らみかけるたびに、
大石くんの敬語が私を現実に呼び戻す。

彼は後輩で。
仕事仲間で。

気持ちが大きくなるほどに不安になる。
職場内恋愛ってメリットよりもリスクの方が大きい気がする。
うまく行かなくなったときのことを考えると
このほんのりとした恋心を抱えたままの方がいいんじゃないかって。
これ以上本気でのめり込んでしまう前、ブレーキを掛けた方が。





  **





「本当にいいんですか」

支払いを済ませてお店を出ると、大石くんは申し訳なさそうな顔をして立っていた。
というのも、払わせてくれとさんざんごねられたけど、意地で私が全額支払ったのだ。
彼が私を立ててくれたようにも感じる形だけれど。

「いいの!今日までは私が研修担当だしさ、カッコつけさせてよ」
「でも、俺がお誘いしたんだし、自分の分だけでも…」
「いーからいーから」

本当に真面目だな、大石くんは。

「君は後輩なんだから、喜んで奢られといてよ」
「でも俺としては、男としての立場もありますし」
「そういうのは下心があるときに言うものだよ」

自分で言いながら、虚しい。
だけど私は、毅然とした態度を貫き通す。

「っていうか、結局業務の振り返りとかしなかったけど大丈夫だっ…」

た?

聞きながら大石くんの表情を伺おうとすると、
申し訳なさそうな表情では、なくなっていて。

「始めから下心しかありませんよ」

え?
今なんて???


さん」

「え、何…」

「今度改めて、お食事に誘ってもいいですか」


は???


「そのときは、後輩としてではなくて、一人の男として」


大石くんの目は真っ直ぐ。

私は顔が熱い。


「は、はい……」


思わず敬語で返事をしてしまった私の深層心理の中では、
私は先輩なんかじゃかったし、彼はとっくに一人の男の人だった。
























意味のわからない横文字こと本作品のタイトルUlterior Motiveの意味、他意、魂胆、下心とかそんな意味。

僕と俺の表記ぶれは誤植じゃないよ!

最後の最後で始めて主人公は大石に対して敬語を使ってます。
「先輩と後輩」じゃなくて「男と女」になってしまったんだね、あらやーねー(…)

リクエストしてくれたえみやんに捧げます!


2020/09/27-2021/01/20