* あの日の君との思い出の、ifの続きを夢見続ける *












 生まれて初めてできた恋人は、繊細で、聡明で、たまに見せる笑顔が素敵な女の子だった。だけど気になりだしたきっかけは、その点にはなかった気がする。ふとしたときの寂しそうな横顔が気になりだした瞬間、恋に落ちていることを自覚した。
 俺たちはお互いに難易度の高い大学を志望していて、たまのデートといっても図書館かお互いの家で勉強をすることがほとんどだった。それでも一緒に居られるだけで十分幸せだった。二人で励ましあえたから、勉強が苦痛と思うこともなかったように思う。
 そんな、凡庸だけれど幸せだった日々に変化が訪れたのは、じっとしていても汗ばむような暑い日のことだった。その日は俺の部屋で勉強をすることになっていたが、あまりに暑すぎたので冷房が効くのを待ちながら雑談をした。しかし受験生であると同時に、俺たちは付き合いを一年ほど重ねた年頃の男女であった。ふと雑談が止んで沈黙が生まれたとき、どちらからというわけではなく、自然と引き寄せられるように、俺たちは手を重ね合っていた。触れ合いたいという感情が共通のものだとわかって俺も舞い上がってしまったように思う。もっと触れたくなった。視線を確認しながら唇同士を重ねる。抵抗される気配はない。少しずつ、触れ合わせる時間が長く、角度は深くなっていく。じんわりとにじむ汗が、動き出した冷房によって冷やされていく。背筋はヒヤリとするのに頭は沸騰しそうで、俺は自らの手を目の前のふくらみにそっと重ねた。一度触れるともう歯止めは利かなくて、その甘美な感触を堪能したくて夢中になった。勢いに任せてしまおうか、できるのか今の俺に―――狂気のはざまに理性が顔を覗かせたのと、「秀一郎、勉強」と冷静に制してくるの声で目が覚めた。俺は今、何を。
 何事もなかったかのように勉強に向き直った。だけど俺には自信がなかった。自制心を保ち続けることに。一度触れたらタガが外れたようで、もっと触れたくなった。このままだと勉強に手がつかなくなる。それが恐ろしくて。受験に失敗する。もしもそうなったとき、俺は原因を相手に求めてしまうのではないだろうか。それが何よりも恐ろしかった。
 励まし合いながら切磋琢磨する…本当はそれが理想の関係なのかもしれないけれど、俺たちは別れる選択をした。いや、俺からの一方的な通告だったかもしれない。だけどは文句一つ言うことなく、「そうだね」と言って、笑った。その笑顔は、笑っているのに、あまりに寂しそうで胸に刺さった。
 そこからの一年半、本当はずっと恋しくて仕方がなかった。前言を撤回して迎えに行きたい衝動に幾度と駆られた。廊下でのすれ違い際、微妙な笑みを交わしながらすれ違うだけでなく、もっと近くでその存在を感じていたいと。しかし、自ら離れることを決意した俺にそんな資格はない。終わったら会えることを心の励みにして、今頃もどこかで頑張っていることを想像しながら受験を乗り越えた。
 結果発表。俺は合格。向こうは、不合格だった。
 関係を一度は終わらせた俺たちだったけれど、受験が終わって一息ついたらまた考え直そうとは約束していた。しかし俺にはどこか引け目があった。自分の欲を抑える自信がなくて一方的に別れを告げたこと。自分だけが合格していたこと…。本当はと元の関係に戻りたかった。だけど元通りになるとも思えなかった。もし、今まで俺たちが何の関係もなかったのならば、「付き合おう」と告白できたのかもしれない。だけど今の俺に「復縁しよう」と言うことはできなかった。
 それでももしも、の方から「復縁しよう」と言ってくれたら…もちろん俺は喜んで受け入れるつもりだった。しかしは「お互いの道を歩もう」と言った。心臓が握り潰されるように胸が痛かった。だけどの心境を想像すると何も言えなかった。「そうだな」と発した自分の声が涸れていたことを憶えている。
 その後は会話をすることもなく高校を卒業して、数週間後には新しい生活が始まった。医学部の勉強は忙しくて、受験期ほどの切羽詰まった心境ではないものの日々忙しく勉学に励んでいる。そんな中でも、への想いがなくなることはなかった。寧ろ、会えない時間が嵩むごとに恋しい気持ちが膨らんだ。
 は、青学での大学生活をどのように過ごしているだろうか。仮面浪人して受験勉強に再び励んでいるのだろうか。そんなこともたまに考えながら自習に向き合っていた、ある日のことだった。
 「(ん、着信…?)」
 画面に大きく表示された名前を見て、心臓が跳ねた。それはからの電話だった。もしも、も俺と同じように感じていたら。向こうから「復縁しよう」などという言葉が出ることがあったら…。俺は、喜んで首を縦に振るだろう。
 いや、そんなに都合よくいくとも限らない。もしかしたら受験勉強に関する相談かもしれない。他に心当たりはあるか…考えながらも、あまり待たせないように通話ボタンを押した。
 平然を装って電話に出ながらも、一言目で胸がいっぱいになった。久しぶりに聞くの声。
 青学での学校生活はどうか。新しい生活様式に体調を崩すようなことはないか。友達はできたか。勉強は順調か。ご家族は元気にしているか。聞きたいことが一気に溢れてくる。
 しかし、電話を掛けてきたのはの方。まずの話を聞くことにした。は前置きを重ねながら、しどろもどろに近況の報告を開始する。
 「菊丸英二くんと仲良くなってさ」
 「ああ、英二と!」
 「そう、その“エージ”なんだけどさ、実は……」
 その次の一言を聞いた瞬間、それまでの俺の思考は全て消し飛んだ。
 「英二と付き合ってるだって!?」
 驚きのあまりに声を張り上げてしまった。英二とは先日会ったばかりだ。大学のクラスメイトで同じアイドルを好きな女の子と仲良くなって付き合い始めたと長い長い話を聞かされた。いや、話と言っても実のある内容はほとんどなくて、どんなところが好きだとかどのくらい好きだとか、“ただひたすら惚気られた”という印象だった。よほど嬉しいんだな、と微笑ましく思っていたけれど。まさか、その相手が俺の知り合い…元恋人であるだなんて。なんという運命のいたずらだろう。
 「(英二は、気付いているのだろうか…。このように連絡をしてきたということはは俺と英二につながりがあることはわかっているはずで、となると英二経由で知った可能性が高いから…おそらく英二も気付いているのだろう)」
 は英二と付き合っていて。英二はと俺が付き合っていたことも知っていて。別れて以降交流が途絶えていたが急に電話を掛けてきて。……糸が繋がり始めた。
 「この前英二と会ったけど、新しく出来た彼女の惚気を散々聞かされたよ。やたら強調して『俺たち超ラブラブなんだぜ!』とか言ってたけど…もしかして対抗心燃やされてたのかな」
 「あー…やるかも…」
 のその声色から察せられた。これはどうやら、英二のやきもちに手を焼かされている。悔しいかな、の心境も英二の行動も手に取るようにわかった。
 「で、喧嘩でもしたのか?」
 「よくわかったね」
 「付き合ってるだけの報告で掛けてくるタイプじゃないだろ」
 「う…」
 言い当てることができて誇らしい気持ちもあるけれど、それはただの自己満足で。状況としては。
 「(英二と…付き合っているのか、)」
 胸が張り裂けそうだった。だけどそれを表出しすることは許されない。平静を装って喋り続けた。もっともらしいアドバイスをする、現恋人の親友兼、元恋人として。
 話せば話すほどに思い出す。俺は、どれほどのことを大切に思っていたか。もう時は流れている。俺たちの関係は変わっている。には新しい相手がいる…それはわかっているのに、二人で話していると気持ちはあの頃に戻ってしまうようで。
 だって、困っているのだろう?英二のやきもちに手を焼かされているのだろう?俺ならそんなことはしない。そう言いたい。英二は俺の大切な友人ではあるけれど、だって俺の今までの唯一の恋人で、いつまでも大切な女の子なんだ。自分で突き放したくせに自分勝手だと思う。それでも、への想いが途絶えたことは一度もないんだ。
 また君に、触れたい。強制的に打ち切られたあの日の続きの夢を見させてほしい。
 「また困ったことがあったらいつでも掛けてくればいいよ」
 「ありがと」
 「ああ。さえ良ければ、直接会ってもいいし」
 下心が、こぼれた。ただ、非常に自然な流れではあったと思う。罪悪感で胸は警報を鳴らしてくるのに、あたかも善意で言っているような毅然とした態度を貫く。これでもし、君が釣られるようなことがあれば…。
 だけどは、「会えない」と、そして「英二のことが好きだ」と言った。
 ショックを受ける以上に、驚きの方が大きかった。
 はこんなに、はっきりと物事を言う子だっただろうか。こんなに感情を露わにする子だっただろうか。いつも、秘めているように見えた。面白いことがあったら、声を上げる前に周りを見渡す。悲しいときほど、笑顔を作る。気に食わないことがあると、自分の中に原因を見つけて歯を食いしばる。一人で居るほうが楽だと言いながら、ふとしたときに寂しそうな眼をして遠くを見ていた。そんなが今、俺の申し入れを拒絶して、泣いている。こんなは初めて見た。俺は今までどれだけの本音を聞き出せていただろうか。
 なあ、。俺の「一旦距離を置こう」に対する「そうだね」は、あの日の「お互いの道を歩もう」は、本当に君の本音だったのかい?
 あのとき俺が別れを告げなければ。あのとき俺が復縁を願うようなことを言えば。もしもあの日、うだるような暑い夏の日、そのまま熱に流されるようなことがあれば。俺たちの関係は今頃どうなっていたのだろう。
 想像するしかできない。真実を知ることは一生ない。もう俺たちは、違う道を歩き始めた。
 本当は一緒に幸せになりたかった。だけどきっとそれは叶わない。
 「俺はまた、惚気を聞かされるために呼び出されたのかな」
 「あ、ごめん!」
 焦るに対して「冗談だよ」と笑って返しながら、胸の内に杭が打ち込めたならせめてもの反撃は成功だと思っている自分もいて。
 笑っていよう。そして祈ろう。俺の大切な人たちの幸せを。
 さようなら、。幸せになってほしい。たとえその相手が俺でなくとも。「幸せになってほしい」というその思いだけは、一度も変わることのない真実だから。

























大石元カノシリーズ英二編の大石視点を想像したらあまりに辛すぎたので書いた(←)

英二編本編を書いたとき、主人公ちゃんが大石に電話掛けたとき下心は5%くらいあって
電話に応じた大石は5%と言わず10%ある…というつもりで書いてたのだけれど
いざ大石視点で書き始めたら90%くらいあるじゃないの。びっくりした(笑)(…)

本編を感情込めて書いたら私の中で英二の夢女度が急上昇したけど
こんなの書いたらやっぱり「大石ぃー(ToT)(ToT)」ってなっちゃうよね笑
んでこの大石視点読んだ上で本編に戻ったら複雑な思いになるよねw
うわーん大石も幸せになってくれwww


2020/11/25-29