* 面白い男 *












「大石秀一郎がオーダーに入ってないですって?」

それは、関東大会初戦の日のこと。
氷帝学園女子テニス部の部長を務める跡部景子は、
同男子テニス部のコート付近に来ていた。
朝一で因縁の青学テニス部との試合であるという。
自らの試合までは時間があるため試合を観戦することにしたのだ。

とはいっても、ただの応援ではない。
女子テニス部はダブルスのレベルをもうワンランク上げたいという課題を抱えていた。
何かヒントが得られるものがあるかもしれない…と、
男テニにおいて全国でも名の通った青学ゴールデンペアの試合に着目していた。
しかし。

「菊丸さんはD2で桃城さんと一緒に出場するみたい…です」
「何かトラブルかしら…アレ程の男が実力でメンバー落ちしているとは思えないわ」

ゴールデンペアというと、菊丸の方が派手で華のあるプレイをすることで有名だった。
得点を決めることも菊丸の方が多い。
しかし跡部は大石の方にこそ一目を置いていた。

常にコート全体を見渡す冷静さと視野の広さ。
味方と敵の状態それぞれを把握した試合メイク。
パートナーの鼓舞の仕方。
全てが完璧であった。
そして、それを実現するだけのテニスの実力もあった。
派手さはないものの基礎に忠実で堅実なプレーは、
力を付けてきた者こそ一度立ち返って見習うべきであるお手本のようであった。

その大石が不在となると氷帝にとっては有利な展開であるが、
陰の目的を持って試合を観戦しに来た跡部にとっては都合の悪い状況である。


監督の座るベンチの背後に、応援団たちは何層もの列をなし取り囲んでいた。
「ちょっと失礼」と声を掛け指を軽く鳴らすと即座に道が出来た。
その間を通り抜け、準備をしているレギュラーメンバーに声を掛けた。

「ねぇ。青学のオーダー、どういうことなの」
「おう跡部!なんか大石の代わりに2年の桃城が出るらしいんだよな。
 てっきり黄金コンビはD1に来ると思ってたから、
 俺は直接菊丸を倒せてラッキーだけどよ!」

そう言うと向日はその場でぴょんぴょんとジャンプをしてみせた。
序盤から飛ばして途中でバテなければいいけれど、
と思いながら跡部は横の忍足に声を掛けた。

「トラブルかしら」
「せやろなぁ。青学のエントリーギリギリだったみたいやし」
「……そう」

これまでも大石秀一郎の存在には着目してきた。
寝坊のような理由で遅刻する者ではないことはわかっている。
身内に不幸があったか、もしくは、本人に何かが……。

想像はしてみたが、真実のわからない想像に意味はないと判断して思考を中断させた。

「負けたら承知しないわよ」
「負けるわけないやろ、大人しく見ときや」
「お生憎様、私の試合もあるから途中で抜けさせてもらうわよ」
「さよか」

それだけ告げ、応援団からは離れた空席に腰掛けた。
樺地が後ろから日傘を差し出し、影となったその場で腕と足を組み、
思考を巡らせながら間もなく始まった試合の行く末を見守った。




  **




「(……こうなることは見えていたわよね)」

試合は氷帝の圧倒的有利で進んだ。
ダブルス慣れしていない存在、練習していない組み合わせ。
ちゃんとした試合になっているだけでも相手を褒めなくてはならないくらいであった。

「(大石秀一郎が出ていないのでは、これ以上見る意味もないわね)」

コート内と青学側ベンチをもう一度見渡し、その場を後にした。

「行くわよ、樺地」
「ウス」

その後間もなくして始まった女テニの試合は、氷帝の3勝で早々に決着が着いた。




  **




「(さあ、男子テニス部の方はちゃんと勝利を収めたかしら)」

そう思いながら覗き込んだ得点ボードで、信じがたいものを目にすることになる。

「2勝2敗1引き分けで補欠戦ですって!?」

引き分けがあるだけで珍しい。
補欠戦などそうそう見られるものではない。
何より。

「D2……負けてるじゃないの」

大石秀一郎の居ない急増コンビに、うちのダブルスが負けた…?
この場を後にするまでは、完全に優勢であったのに。
信じられない思いで、直接試合をしていたそのメンバーたちに声を掛けた。

「忍足、向日!どういうことなの!?」
「跡部……すまん、負けてもうた」
「あとは日吉を信じるしかねえ」

そう言うと、震える手を握りしめコート内を見据えた。
現在の試合も有利であるとはいえない。

「あの状況からどうしたら逆転されるっていうの!?」
「俺らにも課題はあった…でもそれだけやない。
 結局、黄金コンビは崩せんかったっちゅうことや」

忍足の発言が気に掛かり、青学ベンチを見た。
そこには、レギュラージャージではない服に身を包み、
菊丸と桃城の間に立つ大石の存在があった。
目元に指を寄せ、その様子を凝視する。

「…なるほど。彼らは”3人でダブルスをしていた”っていうのね」

大石の右手首に包帯が巻かれている。
治療のためか、怪我をした原因そのものが理由で朝は遅れて来たのだろう。
大石の存在に精神的に支えられ、
コート内の2人も実力以上のものを発揮するに至った、と。
そこまでが推察された。

「お見通しかいな。さすがやな、跡部」
「それから向日、貴方が途中で体力切れを起こしたこともね」
「ゲッ……マジかよ」

体力をつけろなどと今更文句を言ってももう遅い。
ここまでくれば、もうコート内に居る存在に頑張ってもらう他はないのだ。

「(なんとしても勝ちなさい、日吉。
 私たち氷帝がこんなところで終わるわけにはいかないわ)」

しかしその想いも虚しく、氷帝は2勝3敗1引き分けで青学に敗れることとなった。




  **




「情けないわね、男子テニス部。まだコンソレーションがあるからいいものの、
 今のままで全国制覇ができると本当に思っているのかしら」
「……」
「私たちはこのまま行くわよ」
「ウス」

女子テニス部の閉会式も終え、その日は解散となった。
徒歩組から離れ駐車場に足を進めた。

歩きながら、考える。男子テニス部の試合のことを。
自分がその場を離れてから、実際にどのような試合展開だったのか。
その存在だけでチームメイトを支えることのできる
大石の精神的強さとダブルスのプレイヤーとしての資質に尊敬の念を抱いた。

「(さすがだわ、大石秀一郎。私が見込んだだけのことはあるじゃないの)」

やはり侮れない。
その実力と存在価値は再度噛みしめることとなったものの、
彼がプレイする姿を見られなかったことはやはり痛かった。
そう思って歩いていると。

「(大石秀一郎…!)」

正面から歩いてきた大石のその姿を目にした途端、心臓が跳ね上がるのを感じた。
男子テニス部は間もなく閉会式の時間であった。
試合出場メンバーではない大石は他のレギュラーたちとは離れていたのだろう。
跳ねた心臓は、バクバクと血液を頭にまで昇らせてきた。

「(何なの…この感覚は……っ)」

苦しいほどに胸が締め付けられ、ドンドンと叩かれるよう。
これがもしかして…恋!?

自分はどちらかというと目立つ存在であるし、
地位も権力も実力も有している自負があった。
ゆえに他人に巨大な感情を向けられることも多々あった。
しかし、自分が他人にそのような感情を抱いた経験がなかったのだ。

「樺地、少し下がっていなさい」
「ウス」

二人分の荷物を持つ樺地は、そのまま数歩後ろに下がった。
跡部は一人、一歩一歩と足を前に進めた。

胸の奥から溢れてくる感情をどのように制御して良いかわからず、
湧き上がる衝動の赴くがままに
跡部は大石の前に立ちはだかり声を張り上げた。


「大石秀一郎!私と付き合いなさい!!」


腕を組んでふんぞり返ってそうのたまう同い年程度の女子に、
大石はどう対応して良いかわからず困惑した。
なるべく穏やかな笑顔で返答したつもりであったが、その笑みは苦笑いそのものであった。

「えっと…まず、君は誰だい」
「なっ!わからないですって!?」
「ご、ごめん…」

大石は申し訳なさそうにしたが、跡部はこれまで感じたことのない屈辱であった。
勉強でも課外活動でも家柄でも、人々のトップに立つ存在であった。
校内はもちろん学外でも一目置かれた存在である。
知らない人物に声を掛けられることもあるくらいだ。
それが、存在がわからないと。

しかしそれが更に跡部を燃えさせた。

「フッ…私を知らないだなんて、面白い男」

バサッと髪を払った。
片手を腰に当て片足に体重を掛けるその立ち姿は、
跡部のスタイルの良さを際立たせた。

「氷帝学園女子テニス部部長、跡部景子とは私のことよ!」

納得して手をぽんと打ち、大石は嬉しそうに笑った。

「女テニの部長さんか!氷帝は女テニも強いからな。
 特に部長は実力者だと耳にしたことがあるよ…それが君なのか」

褒められて素直に悪い気はしなかった。
特に、自分が見込んだ男である大石に褒められているのだ。

「今日の試合はどうだったんだい」
「もちろん、3-0で初戦突破に決まってるでしょう」
「さすがだな」
「男子テニス部と違いまして、私たち女子テニス部には
 不甲斐ないチームメイトはおりませんから」
「そんなことはないぞ」

その言葉に、ドキリと心臓がなった。
自分の発言を否定されることは、日常生活であまりない。

「男子テニス部のみんなも強かったよ…本当に苦しめられた。
 俺たちだって勝てるか最後の最後までわからなかった」

まるで自分が戦っていたみたいに言うのね、と、思ったが跡部は口に出さなかった。
気付いたのだ。
この男は、実際に共に戦っていたのだろう、と。

「…本当に面白い男ね、大石秀一郎」

もっと知りたい。
もっと近づきたい。
もっと一緒に居たい。
その思いはどんどん強くなった。

「それで、どうなの?私と付き合ってくださるの?」
「え……ええ!?本気かい!?」

自分が存在も知らない他人から巨大な感情を向けられた経験のない大石は戸惑うしかなかった。

声が聞こえない程度の離れた位置に立ち、やり取りが終えるのを待つ樺地は
いつになく楽しそうにしている跡部をそっと見守るのであった。
























この世界線に跡部景吾様♂はいるのかとか細かいツッコミはやめてください。
なお跡部景子様に紛れてさり気なく樺地崇美が発生している事実(←)
あと忍足の関西弁はごめんなさい勘弁してください…なんなら教えてください(生粋の東京人)

この二人が結婚したら大石は婿入りして跡部財閥の跡取りになるん?(…)

本当な高飛車お嬢様主人公の夢小説として閃いたんだけど
考えてるうちに「これは跡部様の方がいいな!?」と思ってこうしちゃいました。
関東大会で「大石を出せ」とか言ってる跡部様の大石へのクソデカ感情大好きマンなので…。
(もう試合始まってるのに今更どうするんだよって感じだけどw)
跡部様ほどの実力者に認められてる大石を見ると嬉しくなってしまうよね。


2020/10/01-04