* キスをしたいけど。 *












 「おーいし、もっかいだけしよ?」
 「……ん」
 求められるがままに、掴んだ肩を引き寄せて唇同士を重ねた。普段は会話が絶えない俺たちだが、この行為の間だけは部屋が静寂に包まれる。
 そっと顔を離すと、英二はふふっとくすぐったそうに笑った。
 「大石、結構まつげ長いね」
 「あっ英二、目開けてたのか!」
 まさかそんな間近で顔を凝視されていたとは知らず、一気に羞恥心に苛まれる。
 かたや自分は、ずっと目を閉じていた。あまりの心地好さにうっとりとしていたというのが、恥ずかしいながら本音だ。英二とのキス、好きな人とのキスは、どうしたって気持ちがいい。
 俺が英二への恋心を自覚して日も浅いある部活帰り、初めてキスをした。俺が英二への想いを告げた直後のことだった。結局、英二の俺に対する感情は恋愛感情ではないのではないかという疑惑も晴らせないまま、俺たちは唇同士を触れさせてしまったのだ。その翌日、どんな顔をして英二と対面すれば良いのかと案の定一晩中悩んでしまった俺に対し、英二はいつも通りに「おはよーう!」と元気よく挨拶をしてきた。俺は拍子抜けした。
 しかし直後に、ズンとした黒いものが腹の中に溜まるような感じがした。やはり英二にとっては、キスという行為でさえ「少し過剰なスキンシップ」程度なのだろう、と再確認できてしまったからだ。
 驚いたのは、その日の部活後のことだ。桃からのハンバーガーショップへの誘いを断る様子が見えたから珍しいなとは思った。まあ英二にも都合はあるだろうし別段「どうかしたのか?」なんて聞くことでもないだろう…深く気に留めずに帰ろうとした。すると、その英二は小走りで俺に近づいてきて「ね、大石。これから大石ンち行っていい?」と様子を伺うような上目遣いで聞いてきたのだ。昨日の俺の告白についてか、キスという行為についてか、どちらかについて話があるのだろうとすぐに理解した俺は首を縦に振った。
 俺の部屋に来て、どう話を切り出してくるか…と思ったが英二は雑談しかしなかった。今日の授業中にあった面白い話だとか、部活でのコンビネーションの改善点だとか。痺れを切らして俺の方から「英二、今日は何か話があって来たんじゃないのか?」と聞いてしまった。
 「あっそうそう、そうだった」と英二は偉く軽い調子で。どう切り出してくるものかと思ったら瞳をキラリと光らせながら俺の袖にしがみつくと「ね、大石。また、しよ?」と言った。
 意味がわからなかった。いや、何を指しているかはわかった。また、キスしよう、と。そこはわかったのだが、意図が全くわからなかった。
 また、英二とキスできる。そう思うと全身の血流が上がった気がした。昨日唇が触れたのは、思考が及ばないほどのほんの一瞬だった。にも関わらず、俺はその後何度も、その一瞬を思い出しては全身が震え上がるような、しかしどこかに罪悪感もあるような、得も言われぬ気持ちになるということを繰り返していた。
 本当は拒否しなければいけない。そう頭の片隅では考えているのに、否定しないことを肯定と取ったらしい英二の顔はもう既に俺に近づいてきていて、そのまま受け入れるようにすっと瞼を下ろすと、昨日よりはわずかに長く唇が合わさって、離れた。
 「大石とのキス、きもちい。クセになっちった」
 そう述べると舌をぺろりと出し英二はいたずらな表情をした。頭がクラクラした。
 それが始まりだった。
 その後も何度も、定期的に、英二はうちに来てはこの行為に勤しむようになった。俺は罪悪感も疑問もあるのに、誘われる快楽から身を引く決心はすることができないまま今に至っている。
 その行為は、あまりに心地好くて、耽美だ。俺は、相手が英二だから気持ちがいい。そう思っている。英二もそうであってほしい…とは願うけれど、実際は恋愛感情とは切り離して本能的に快感を得ているだけなのではないかという疑いが止められない。
 本当は俺だって、もっと英二とキスしたいし、できればその先だって…と考えている。でもこれ以上は望んではいけない。英二も同じ思いでない限り。俺が止めなければ、きっとこの関係はこのまま続く。俺にしてみれば願ってもいないような幸福である。しかし一方で、騙しているような穢しているような罪の意識を消すこともできなかった。意を決して、切り出した。
 「英二、もうやめないか」
 さっきまでご機嫌だった英二の表情が、一気に無になる。怒っても悲しんでそうでもない。しかし笑ってもいない。それはまさに“無”であった。
 「どういうこと?」
 「あの日から流れでこういうことするようになっちゃっただろ。キス、とか。軽い気持ちでしていいものじゃないと思うんだよ」
 「…大石、オレのことイヤんなったの?」
 「そんなわけないだろ!俺は英二のことを大切に思っているから…」
 「大切に思ってるからキスできないっていうの?」
 「……そうだ」
 だって、俺たちはまだ子どもで。友情と恋愛の線引きですら曖昧で。俺は本当に恋愛対象として英二のことが好きだと思っているが、自覚したのは最近だし、いつまで続くかもわからない。英二に至っては、どうしても俺に対して恋愛感情を抱いているとは思えない。そもそも同性なのだ、俺たちは。
 友達の中でも、少し特別な友達である。そもそも触れ合うことが好きである。そんな要素も相まって始まってしまったこの行為を、「なんとなく気持ちがいいから」でずっと続けていいはずもない。大切に思っているからこそ、容認するわけにはいかないんだ。
 俺の言葉をしっかりと受け止めてくれたのか、英二はしばらく考え込んだ。次に言葉を発するときは「そうだね」と笑うか、「なんで?」と食い下がってくるか…予想をしながら英二の声を待っていると、選択肢に上がらなかった行動に出た。
 「ばからし。帰る」
 「えっ?英二!?」
 「じゃあな」
 立ち上がった英二は目を合わさないまま部屋を後にしようとした。腕をつかんで引き留めようかと思ったけど、できなかった。触れて良いのかわからなくなってしまった。今まで自然にできていたはずのことが、急に自然ではなくなってしまったのだ。宙に浮いた自分の手を、俺は信じられない気持ちで見つめた。
 バタンと扉の閉じる音ではっとして後を追うと、「おばちゃーん、オレ帰るね!」と声を張りながら靴を履いている様子が階段の上から見えた。
 「あらそうなの。秀一郎は?あの子ったらお見送りもしないで…」
 「部屋にいる!オレ、急ぎの用事思い出したから。じゃね!」
 そう残して、文字通り逃げるようにして、家から飛び出していった。俺が一階に足を着けるのと玄関のドアが閉まるのは同時だった。
 「随分と忙しそうだったわね」
 「あ、ああ…」
 母さんは特に疑っている様子もなく、晩ご飯の支度に戻っていった。学校を出る前、急だけど英二が来ることになったと伝えると「あらそうなの!」と少し楽しそうな声が電話越しに聞こえたのを思い出した。今日の晩ご飯にはエビフライでも出るかもしれないなと思いながら、重たい足取りで自室へ戻った。

























大菊ワンライ『キス』の続きの続き。
考えていないようでちゃんと考えてる英二と、
考えすぎてお互いの悪い方に持っていってしまう大石。
すれ違い書くの楽しいけどやきもきする(笑)


2020/08/23