恋をしてしまった。部活でのダブルスパートナーに。同性の。 元々悩み事を抱え込みやすい性分だという自覚はある。しかし他の悩み事が些細なことに思えるくらいここ数日の俺の思考はそのことに支配されていた。生活には支障を出さないようにと普段通りを意識して振る舞ったが、無理をすればするだけ皺寄せが来て、その事実に気付いてしまってからというものの胃薬を飲む回数がより増えた。 「大石、またため息」 掛けられた声に、はっと顔を上げる。ドキンと胸が跳ね上がった。何故ならそこに居たのは、まさにその、俺の恋の対象であるダブルスパートナーであったのだから。 「そいえば今日コンビネーションもちょっとイマイチだったよね。またなんか悩み事?」 「いや、大したことじゃないよ」 笑ってはぐらかそうとしながら、心臓はドキドキしていた。まともに顔を見られない。視線を逸らしてしまったことを誤魔化すために、こんなところにひまわりが咲いているな、などと言ってその場を切り抜けようとした。しかしそれを阻止される。 「そうやって、大石はいっつも抱え込みすぎるんだからな!」 英二は俺の両肩を掴んでそう声を張り上げたのだ。一文字に結んだ薄い唇に目線が奪われる。顔と顔の距離、約50cm。 「(って、何を考えてるんだオレは!)」 「ね、オレにくらい心配事打ち明けてよ」 ダブルスパートナーなんだからさ!と、いつもの底抜けの明るさで英二は告げた。 実は最近恋を自覚してしまったんだ。そしてその相手は同性なんだ。なんて、ダブルスパートナーだからといって、そう気軽に打ち明けられるはずがない。しかもその相手が君なんだよ、なんて。 「…ごめん、言えない」 「なんで!」 「ごめん英二、これだけはどうしても言えない」 告げてから少し後悔した。始めから「悩み事なんてないよ」と伝えるべきだったのかもしれない。もしくは「最近暑いから食欲なくて」とか適当な理由を付ければよかったのかもしれない。そうでもしないときっと納得行くまで問いただされてしまう。だけど俺の頭の中は英二で一杯で、目の前の英二で一杯で、嘘をつく余裕なんてなかった。かといって誤魔化しきる技量もなかった。 しかし予想に反して英二から返事が返ってこなくなったから、先程の一言で納得してくれたのかもしれないことを意外に思いながらゆっくりと視線を正面に戻して、目に入った光景にぎょっとした。英二は溢れる寸前まで涙を目元に溜めていた。 「えい…」 「なんで…なんで大石はいつもそうなの」 いつも…。そう言われる心当たりはあった。先日の大会、怪我の回復が思わしくなかったことを理由にほぼ辞退するような形で欠場した。その俺の勝手ともいえる行動に不平を訴えてきた英二の目にも涙があったことを思い出した。 「大石はオレとか、みんなの相談乗ってくれるのに、大石の相談は誰が乗るんだよ。それがオレじゃあどうしてダメなんだよ!」 英二がこんなにも俺のことを気遣ってくれていることが不謹慎にも嬉しくて。俺のために笑ったり泣きそうになったり、一生懸命になってくれている姿が愛しくて。 「(やっぱり、英二が、好きだ。)」 せめて、伝えるなら全国大会が終わってからにしようと思っていた。プレイに悪影響を出すわけにはいかない。だけど既に悪影響は出ていた。最近の俺が集中力に欠けることは自覚しているし、英二にも気づかれてしまった。 なら、もういいんじゃないか、なんて。 「英二…俺、英二のことが好きなんだ」 告げたあとの、沈黙の中に、心臓の音がうるさいくらいに鳴り響く。この音が英二には聞こえていないのだろうかと考えてしまうくらいに。 しかしそんな俺の心配を知る由もなく、英二はあっけらかんとしていた。 「なーんだ、そんなことで悩んでたの?」 「そ、そんなことって…」 「だって、オレも大石のことスキだし」 あまりに軽い口振りに拍子抜けしてしまった。恋とは、愛とは何なのか。俺だってよくわかっていない。それにしたって、英二の発言はあまりに軽く聞こえてしまったのだ。 「英二のいう”スキ”は、俺の思っている好きとは違うんじゃないか」 「どうしてそう思うの」 「それは…」 どうしてと聞かれると具体的に説明をするのは難しい。だけど感覚的に、違うということはわかった。俺は恋愛感情で、英二はあくまで友情の延長である、と。 英二も俺のことを好きでいてくれるのであればそれほど喜ばしいことはないが、そこに好きは好きでも食い違いがあると思うと手放しに喜べない。自らフラれることを望んでいるかのように、俺は英二を試すようなことを言ってしまう。 「じゃあ…例えば、英二は俺と、キスとか、できるのか?」 そんなの無理に決まってんじゃん、キモチワリー!と嫌悪感を示される想像をして身構えた。しかし目の前の英二は、顔を歪ませすらせずに、いつものように頭の後ろに手を組んだ体勢で「できるっしょ」と言った。あまりに軽い口ぶりに、俺のほうが焦ってしまったくらいだ。 「ほっ、本当に言ってるのか?」 「だってキスでしょ?それくらいできるよ。さっきも言ったけど、オレも大石のことスキだしさ」 英二はそう言った。しかしにわかには信じがたかった。何度肯定されようと「でも…」と口ごもる俺に対して、初めて英二が不機嫌な顔になった。 「なに、するのしないの!?」 その言い方は…つまり、今すぐにキスする覚悟までできているっていうのか、英二は!? 「いやっ、そのっ、英二がしていいって言うんだったら」 俺は大歓迎だけど…。そこまで言いかけて口を噤んだ。 同じであるわけがない。この気持ちが。キスくらいできるという英二の言い様は、きっとその行為をそれほど特別なものと認識していないからで。気軽にハグしたりとスキンシップの激しい英二のことだ、触れる場所が腕や肩から唇になったただそれだけのこと、なのかもしれない。そんな気持ちであるならば、尚更できない。キスすることなんて。俺は英二のことが好きだから、できない。 ただ一方で、どうせこのままでは恋愛対象として見てもらえないのであれば、一度でもしてもらえるなら儲けものではないか…なんていうよこしまな考えも浮かび。更に言えば、それをきっかけに英二も俺のことを真剣に意識してくれるようになれば…なんてことを夢見てしまう。でもそれはあまりに利己的で英二の都合を考えていない行為ともいえる。 考え込む俺にしびれを切らしたらしい英二は、俺の真正面に回り込んできた。 「じゃあ、してみようよ」 「今すぐにか!?」 「だって大石が言い出したんじゃん!」 ほら行くよ、と言って先程のように英二が俺の両肩を掴んだ。ちょっと待て、と止めようと思う頃にはもう英二の顔が目の前にあった。 ちゅっ…という、音すらしなかった。一瞬触れた唇は瞬きをする頃には離されていた。ファーストキスはレモンの味だなんて、いつどこで聞かされたのかわからないイメージを固定観念として抱いていたが、そんなことを考える暇すらなかった。気付いたら付いて、離れていた。これが俺のファーストキスだった。 「ほらできたじゃん。オレ、全然イヤじゃなかったよ」 英二はそう無邪気に笑う。頭が爆発しそうだ。 「てか、ちょっと嬉しかったかも」 そう言って英二はわずかに頬を染めた。きっと俺はそれどころでは済まされないほど顔全体が真っ赤になっていたのだろうけれど、この昂揚した気持ちが、わずかでも、英二と共有できているものであれば良いなどと願ってしまった。 これは、英二も俺のことを、本当に好きでいてくれているのか?それとも、キスしてもイヤではない、寧ろ嬉しい程度には、友人として好きでいてもらえているというこのなのか? わからない。英二の気持ちはわからない。 わかるのは、今、どうしようもなく胸が高鳴っているというそのことだけ。 「よっしゃ、これで明日はコンビネーションばっちりだな!だろ、大石?」 「あ、ああ。そうだな」 一歩前を歩き出す英二の背中を追って歩き出す。俺は同意の声を上げながらも 今夜も寝不足かもしれない などと考えていた。 |