「あつ…」


丁度梅雨が開けた快晴の空を見上げ、額を伝う汗を手の甲で拭った。

今年も夏が来た。











  * 太陽の笑顔が口元に降りた *












「おつかれさま」
「おう」

日誌を書き終えた武と海堂先輩が部室から出てきた。
私は洗い終えたボトルのかごを抱えて部室の中にしまう。

「んじゃ、あとよろしく」
「ああ」

部室の鍵を海堂先輩に任せて、武と私は竜崎先生のところに日誌を届けに行く。
これがいつもの流れ。

去年は手塚部長が日誌を届けて、副部長である大石先輩が鍵を閉めてたけど今年はその逆。
武曰く「適材適所だよ!」とのこと…。
確かに、副部長が鍵当番でなければいけない理由なんてないわけで。
朝が早くて遅くまで残ってトレーニングしている海堂先輩は鍵当番にぴったりだし、
先生と話をしたり全体の雰囲気を把握したりが得意なのは武の方だと思う。

武たちの代になったばかりと思っていたのに、あっという間にもうすぐ一年だ。
今年の夏も暑い。

「ワリ、今日結構時間かかった。待った?」

海堂先輩と離れて二人きりになって、武はぽんと頭に手を乗せてきた。
付き合い始めて4ヶ月、
武はこういう些細なスキンシップが好きだなとわかってきたところ。

「ううん、全然だよ」と返した。
全く待たなかったわけではないけれど、
こちらが待たせる側になってしまうと申し訳ないからそれくらいで丁度いいというか。

そういう私も以前はしょっちゅうその“申し訳ない思い”に駆られていたわけで。
懐かしいな。去年私がマネージャーとして入部したてだった頃…。

『それじゃあ手塚、また明日』
『ああ。鍵は宜しく頼む』

部室から出てくる部長と副部長が見える。
鍵が閉められる様子が見えて、
まだ洗い物が終わっていない私は急いで突進。

『これでよし…と』
『待ってくださ〜い!』
『え?』

面食らった様子の大石先輩は
私の顔と掴まれたボトルの籠を見比べた。

『ボトル、これで半分なんですけど、もう半分洗い残りがあって…』
『それは大変だな。俺も手伝うよ』
『えっ!悪いですよ。疲れてるのに…』
『大丈夫だよこれくらい。それよりも稲瀬さんの帰りが遅くなる方が心配だよ』

そう言った大石先輩の笑みは逆に断りづらいほど優しいもので、
結局ボトルを洗うのを最後まで手伝ってくれたに留まらず家の近くまで送ってくれるのだった。
明日こそは迷惑掛けちゃいけない、そう思うのに私の手際もそう簡単にはよくならなくて、
同じようなことを繰り返しているうちに私は大石先輩に恋してしまった。
もう、一年以上前の話。

あれから一年経ってすっかりマネージャー業も板についた。
もう誰にも迷惑は掛けない。

「最近ボールの消耗激しいこと、竜崎先生に伝えるんだよね」
「おっそうだ忘れてた。サンキュー!」

迷惑掛けないどころか、サポートを出来るまでに成長した。
まあ、大石先輩と武は、違う人間だし。得手不得手も違う。

「んじゃ、ちょっと行ってくる」

そう一言残して勢いよく職員室のドアをノックし、
しつれいしまーす!と大きな声を出しながら中に入っていった。
残された廊下は急にシンと静かで、なぜだかため息が出た。

一人になって、考える。
先ほど思い返していた、去年の記憶の続きを。

大石先輩に恋をした私は、毎日が大石先輩でいっぱいになった。
全体を見渡しているフリをしながら大石先輩を盗み見て、
マネージャー業にかこつけて何かと副部長に相談をして、
3年2組が体育の時間割はやたらと窓の外を見て…。

叶わない恋だと思った。
とても届かないと思った。

万が一に懸けて告白するか、
どうせフラれるなら今の関係が続いた方が幸せなのか、
私なんかが想いを伝えたら優しい大石先輩は困ってしまうんじゃないか、
散々悩んだ末、
この思いは秘めたままにしよう、と決心した…のに。

全国制覇をした日の打ち上げの最中、何故かお店の外に出て二人で話す流れになった。
「今までありがとな、稲瀬さんがマネージャーやってくれて助かったよ」、
なんていう社交辞令じみたお礼を言われていたときだった気がする。
でもそれは社交辞令ではなかった(少なくとも私はそうとは信じたくなかった)、
そう思ったのは大石先輩の目線があまりに優しくて、背景の夕日と重なって。

『大石先輩、好きです!』

思わず口から飛び出した言葉に、
大石先輩はきっと頬を染めていた。
「きっと」といって言い切れないのは、あまりに夕日が赤かったから。

今思えば、熱に浮かされていたような気がする。私も先輩も。
沈黙が長いのに耐えきれなくて『付き合ってください!』と頭を下げた。
少しの間があってから聞こえた声に上げた。

『俺なんかで、いいのかな』

信じられなかった。
だけど、いつものその優しい笑顔と一緒にOKをもらえたんだ。

だけど結局、付き合いは二ヶ月と続かなかった。

休日に二人で歩いてるところを目撃されたみたいで
ちょびーっと噂になったりもしたみたいだけど、
その話題でもちきりとなるほどには大事にならなかった。
今でもその噂の存在すら知らない人もいるんじゃないかな。
結局、噂が広まりきる前に私は大石先輩と別れて、
そうこうしているうちに武に告白されて付き合い始めた、と。

それに対して、武と付き合い始めたときは、広まるの一気だったよね。
というのも、

『俺と稲瀬、付き合うことにしたから!
 部活中に公私混同するようなことは絶対しねえから。ヨロシク!』

そうやって堂々と公言したのだ。
あの行動には私もびっくりした。
だけど武らしいなと思ったし、こそこそ隠してるよりよほどやりやすい。

「お待たせ。行こうぜ!」
「うん」

だからこそ、こうやって二人で登下校できたりしている。
部活中はけじめをつけようと敬語を使っていた時期もあるけれど、
やめろと言われてタメ語に変えてしまった。
周りもそれを受け入れてくれている。(と思う)

大石先輩に対しては、二人きりでも敬語で先輩呼びのまんまだったな。
そういうのも含めて、客観的に見て付き合っていたと言える状態ではなかったと思う。

大石先輩と私が付き合ってたこと…どれくらいの人がその噂を知ってて、
どれくらいの人がそれを信じていたんだろう…。
もう今更わからないし、今となってはどうでも良いこと。

だって、私だってよくわからないんだから。
本当に付き合ってたの?って。

何回か一緒に下校して、
休みの日に出掛けたのは一度きり、
私は敬語だしお互いを名字で呼ぶし、
まだ距離を縮めるという段階にすら至っていなかった。

『まだ誰にも話していないんだけど』

付き合い始めて二ヶ月弱、そう切り出されたその瞬間は、
自分だけを特別に信用して打ち明けてくれる…という事実に喜んだけれど、
続きを聞いたら、私のぬか喜びはとんでもない当て外れだと気付かされた。

『俺、外部受験をすることに決めたんだ。
 真剣に勉強に取り組みたくて……別れてほしい』

本当にゴメン、と頭を下げられた。
ガンと頭を殴られたみたいに強い衝撃が走った。
気付いたら泣きながらすがりついていた。

『私、邪魔しないようにします!』
『邪魔だなんて思っていない。だけどきっと我慢ばかりさせてしまう』
『それでいいです』
『ダメだ』

必死に腕を掴む私の手を、大石先輩は振り払った。

『俺が許せない』

ここまで、そしてその後も、
一度も目は合わなかった。

『君を負担に思ってしまいそうな自分が許せないんだ』

大石先輩は思った以上に頑固で、
その後どんなに私が食い下がっても首を縦に振らなかった。
実は別の理由があって単純に私と別れたかったのを
心優しい先輩のこと、なるべく傷つけないフリ方をしてくれた…のかもしれない。
真面目な先輩のことだからそんなことはないと思うけど。
もう本人には聞けないし、私が真実を確信できることはきっとない。

何にせよ、私たちの関係はそこで終わった。
告白してOKをもらえたときはとても嬉しかったけれど、
本当に私たちは付き合っていたのかな…と今になっても疑問だ。


「今日めちゃくちゃ暑かったよな」

武の呟きで現実に引き戻された。
今まで私はどんな顔して歩いていたのだろう。
焦っているのを悟られないように笑顔を作った。

「そうだね。最近涼しかったのに」
「梅雨も明けたし、来週から夏休みだし、いよいよ夏本番ってか?」

そう言う武は、嬉しそうだ。
夏、好きなんだろうな。
わかる、聞かなくても。
武ほど夏が似合う人もいないもの。

その笑みを崩さないまま、でもわずかに何か企んだような目に変えて、
武は私の顔を覗き込んでくる。

「夏休み入ったらさ、アレじゃん」
「アレって?」
「…おい忘れてんのか」

その一言で気付かされた。
そうだ、夏休みに入って数日したら…。

「いや憶えてるよ!誕生日でしょ?何欲しい?」

焦って聞いたら「愛がねぇなぁ」と呆れたように言われた。
う……確かに取り繕うような聞き方だったことは認めるけども…。

そうだなぁ、と顎に手を当てて考え始めた武は、
ニヤリと笑ってこう言った。

「じゃあ、誕生日には愛が欲しい!」

なんつって!と武は笑っていたけど、私は硬直。
漫画なんじかじゃあ見たことあるセリフだけど、まさか本当に言われるとは!?
っていうか愛って何?愛をプレゼント??
「プレゼントは…ワ・タ・シ(はぁと)」みたいなやつ!?
そんな大胆なことできるわけが…!

「冗談だよ。お前がくれたものならなんでも嬉しいよ」

ハハッと笑って、頭をくしゃくしゃに撫でられた。
そうこうしている間に、うちの前に着いた。

「んじゃあまた明日な」
「うん、バイバイ」

手を振って別れると、武は自転車にまたがって漕ぎ出して、
その姿はあっという間に見えなくなった。
そのまま方向転換して、玄関に入った。
日陰になっている家の中は幾分か涼しかった。

「ただいまー」
「お帰りちひろ。今日暑かったでしょ」

お母さんにそう言われながら入ったリビングは、冷房が効いていて更に涼しい。
今年冷房を点けるのは何回目だろう。
もうこれからは毎日、手放せない季節になるんだろうな。

「早く着替えておいで。すぐ晩ご飯だよ」
「はーい」

トントンと階段を登り自室に入り、
クローゼットを開けて制服から私服に着替えながら考える。

『お前がくれたものならなんでも嬉しい』か…。

それが本当だってわかる。
嘘はつかないし、どんなものでもきっと喜んでくれる。
それが武の良いところ。私が武の好きなところ。

それから、『愛が欲しい』ねえ…。
おどけて言っていたけれど、
「今は愛が足りていない」と暗に言われているのではないだろうか。
武は嘘はつかないけど、隠し事を全くしないわけでは、ないからなぁ…。

そう、私は武のことがすごく好きだ。
いつでも明るく元気で、周りも明るくしてくれる。
私は武のそんなところに惹かれて、付き合うことを決心した。

だけど、大石先輩相手に抱いていた感情とは違う。
そのことにも、自分で気付いてる。


『稲瀬、オレと付き合わねえ?』

ある日の部活帰り。
春休み、3年生の卒業式を終えてから学年が変わるまでの間のことだった。
武たちの代に替わって、新体制での練習もすっかり慣れてきた頃。
今みたいに待ち合わせているわけではないけれど、副部長とマネージャー、
帰りのタイミングが一緒になることは度々あった。
その日もそのうちの一日だった。

『え…私ですか』
『おう。オレ、お前のこと好きなんだよ。気付いてるだろ?』
『………』

正直、そうなのではないかと少し察してはいた。
そして前の恋から逃れられていない私は、その事実から目を背けていたのも事実だ。

『オレと一緒に居たら、絶対毎日楽しいぜ?
 落ち込んでる余裕もなくなるっつーかさ』

まるで、心の内を見透かされたみたいだった。
まだ大石先輩にフラれてしまったことを引きずっていた私。
それでも無理して笑っていたけれど、「卒業」というのはやはり大きくて。
認めたくないのに、この気持ちに踏ん切りをつけなきゃいけないと強制されているようで。
その数日は、無理をしても笑顔を作るのが難しいと感じていて、
諦めなきゃいけない、吹っ切って次に進まないとダメだ…と思っていたそのタイミングだった。

『ま、余計なお世話かもしんねーけど。
 でも、オレと一緒に居たら楽しいのは本当だぜ!』

ニカッと笑って自分自身を親指で差す、
底抜けに眩しいその笑顔を、信じてみたいと思った。


そこからは本当に、毎日が楽しいんだ。
笑顔でいっぱいになった。
落ち込んでいる余裕すらない、その通りだ。
武といると毎日が楽しくて、楽しくて…。

いつの間にか、私の中から大石先輩の存在は小さくなっていた。
…小さくなっていったはずだけれど、
「まだ消えてはいない」と実感させられることもあった。

『そういえばよ、前に大石先輩と付き合ってたって噂あっただろ…あれって本当だったのか?』

ある日、武に面と向かって聞かれた。
付き合い始めて一ヶ月くらいして、
すっかり名前呼びとタメ語が板に付いてきた頃のことだった。

『…一応』
『ふーん……』

その質問は、非常に居心地が悪かった。
今カレに元カレのことを聞かれているからそれはそうだ。
でもそれだけではない。

『忘れて。二ヶ月も続かなかったの。ほとんど付き合ってないようなものだよ』
『そっか。でも…』

付き合っていたか、自分でもはっきりわからないようなものだった。
だから聞かれてもうまく答えられない。
これが居心地の悪さの正体。
そして、何より………。

 『 お前は好きだったんだろ? 』

私の胸中を察したように口を噤んだ武の心境が読めたような気がした。
私の想像でしかないけれど。
武は『…やっぱなんでもねぇ』と言葉を濁したけれど、
本当は気になってるんだろうな…とは思った。

でも良かったのかもしれない。
もしもその質問をされてしまったら、私はどんな顔をしたかわからない。

事実だから。
私が大石先輩のことを本当に本当に好きだったのは。
付き合っていたかすらあやふやなのに、
別れてからも暫く続いたその想いは、本物だったから。

うーん……。

「ちひろ、まだなの?」
「すぐ行くー!」

行けない、ぼーっとしてたらまだ着替え終わってない。
急いで着替えを済ませて居間に戻った。

結局決められてないけど、誕生日は何をあげればいいかな。
武に喜んでほしいのは、本当なんだ。



  **



「よっしゃー、夏休みだ!サラバ学校!」

一学期の終業式の日、
学校の門をくぐった瞬間に武は両腕を天に突き上げてそう叫んだ。

「夏休み中も部活で何回も学校来るけどね」
「そんな冷めたこと言うなよ。授業と部活じゃ全然違ぇだろ?」
「それはそうだけど」

カラカラと自転車を引く武。
その横を歩く私。
真上には青い空と白い雲。

「夏休みって、いいよな」
「何が?」
「何がって、そりゃ色々だろ!なんか起こりそうな感じするじゃん?」
「なんかって?」

顔を覗き込みながら問いかけると、目が合った。
武は歩く速度を緩めて、私もそれに合わせる。

「なんかって、そりゃ、例えばさ…」

武の顔が近づいてくる想像ができた。
何故って、この行為はいつの間にか恒例になったものだから。

初めては、付き合い始めて一ヶ月も過ぎた頃。
それこそ、「大石先輩と付き合っていたのは本当か」と聞かれた少しあとくらい。

二人で話していたら、ふと、会話が止んで。
見つめ合ったまま、少し目を細めた武は、私の顔に手を触れて。
あ、これは……と私も察した。

キスをするときは目を閉じるもの。
そういう知識があったから。
…そう、あくまでそういう知識があったから。
少なくとも自分はそのつもりだった。
思いっきりぎゅっと目を瞑った。

『大丈夫だよ』

頬に添えた手を頭の上にポンと置き直した。
目を開けると、武は笑ってた。

『お前がオレのことちゃんと好きになってくれるまで待つよ』

私は武のことが好きじゃないと決めつけたようなその言葉が気になった。
私は反発するように食って掛かった。

『私、武のこと好きだよ?だから付き合ってるんでしょ?』
『そうは言うけどよ…本当は、どっか引っかかってたりしねぇか?』

図星だった。

心を見抜かれたわずかな恐怖、
そして大石先輩を思い出したことによって、
心臓がズキンと抉られる感じがした。

じわりと涙が目に浮かんだ。
だけど溢れるには至らなかった。それは。

『絶対振り向かしてやるから、覚悟しとけよ』

ドーン!
と、胸元を指差しながら武がそう言ってきた。
お陰で私の泣きたい気持ちは引っ込んだ。

『今はこれでガマンする』

そう言って、額にキスをされた。
それが始まりだった。


その後も何回か、武は、私のことを愛おしそうな目で見つめては
額にキスを落としてくる、ということを繰り返してきた。

イヤじゃなかった。嬉しかった。
だけど、唇同士でキスできるか…?
そう聞かれるとまだ自信がない。

なんでだろう。
武のことは好きなのに。
なのにどうして、ふとした瞬間に大石先輩のことを思い出してしまうんだ…。


目が合ったまま、速度を緩めていた足はそのまま停止した。
今日もまた、恒例となったその行為の気配。

武は私の顎に触れた。

…顎。
今までは、頭とか頬とか肩とか。

「(唇にキス、される…!?)」

バクバクと胸が高鳴り出した
ぎゅっと目を瞑ってそのときを待った。
だけど、唇にも額にも、何かが触れることなくて。

そっと目を開けると、武はまっすぐ立って横に首を向けていた。

「……まだダメか」

ぽろりと、そう漏らすのが聞こえた。

「怖がらせて悪かったな」

ポンポンと肩を叩かれた。
肩、に力が入っていたことに気付いた。
それから手も首も口元も、全部。

そのまま武は自転車を引いて歩き始めて、
私は呆然としたまま横を歩いて。

「また明日な」

いつの間にかうちの前に着いていた。
ヒラヒラと手を振って、武は颯爽と帰っていった。
その背中を見つめて、見えなくなるまで見送って、
部屋に上がって泣いた。


どうして私はこうなんだ。

傷つけた。
こんなに私を大切にしてくれる人を。

武はいつだって私のことを考えてくれる。
なのにどうして私は大石先輩への想いを消せないんだ。
大石先輩は、寧ろ私を傷つけてきたのに……。

………それも違うね。

大石先輩だって何も悪くない。
勝手に好きになって、勢いで告白して、フラれて、
私が勝手に傷ついただけ。
寧ろ私だってきっと大石先輩を傷つけた。

被害者ぶってるけど、いつだって人を傷つけてるのは私ばっかりじゃないか。

どうして私はこうなんだ……。



  **



夏休みの部活が始まった。
普段は授業をしている時間も使って、朝から晩まで部活三昧だ。
間もなく関東大会決勝があるし、
その後は全国大会の出場も決まってる。
恋愛にばかりうつつを抜かしている暇はない。

だけどせめて、謝りたい。
この前拒否するようになってしまったことを。
…とはいえ、覚悟ができたわけでもないのに謝りにいくのも間違っている気がして…。

その日の練習も、翌日も、
「今日遅くなるから、先帰ってろ」と言われて別々に帰った。
避けられている、というほどではないけど微妙な距離感ではあった。


結局アレから何の会話もできないまま、誕生日を迎えた。

「武、お誕生日おめでと」
「おう、サンキューな!」

武の誕生日当日は、丁度オフの日だった。
カレシの誕生日にデート、と言ったらもっと晴れやかな気持ちで迎えるべきだと思う。
だけどそうは行かなかった。
今日の天気とは真逆みたいだ。

公園のベンチに腰掛けると、目の前に広がる青空が嫌みたいに目に入った。

「…プレゼント」
「おう」
「…ごめん。考えすぎちゃって選べなかった」
「あー、そっか。でも色々考えてくれたんだな、ありがとな」

本当はショックだったかもしれないけど、武はそんな素振りを見せずに笑った。

『お前がくれたものならなんでも嬉しいよ』って、
そう言ってくれたのに、その”なんでも”すら準備できなかった。
誕生日なのに。
武に一番喜んでほしいはずなのに。
期待に応えられない感じがして、辛い。
なんで……。

「(…………あ)」

もしかしたら、大石先輩もこういう気持ちだったのかもしれない、と気付いた。
こんなときにも大石先輩が浮かぶなんて。
でも、そういうことかもしれない。

もしかして、限界なの、私たち?
別れた方がいいの…?

「なあ、ちひろ」
「………何」
「俺さ、ずっと前からお前に聞きたくて聞けなかったことあるんだわ」

なんとなく、心当たりはあった。
黙ってそのまま続きを待った。

「お前さ、前に大石先輩と付き合ってただろ」
「……うん」
「すぐ別れたから付き合ったうちに入らない、ようなこと言ってたけどさ…」

何を聞かれるのか、だいたい予想ができた。
予想できたから、予防線張って、
ダメージを受けすぎないように、したかったのに。


「本当は、別れたくなかったんだろ?」

ドキン。


心臓が爆発したくらい、大きく鳴った。

予想していた内容だったのに、
守りきれなかった。
胸が痛い。
まだ傷は癒えていなかった。

そうだ。
私は別れたくなかった。
どんなにみっともなくても、
人生で始めて泣きながらすがりつくくらい、
本当は別れたくなんてなかった。
この恋を諦めたくなかった。

「ワリ、答えなくてていいや」

武は、手のひらを広げてこちらに向けた。
そして情けなく笑った。

「顔見てたらわかった」

…ああ。
私はまた、この人を傷つけてしまった。

「オレにもわかるしよ。お前がどんだけ大石先輩のこと好きだったかくらい。
 …ずっと見てたからな」

勝てねえよなー!
武はそう言って両腕を伸ばした。
そして片眉だけ下げて笑った。

「あの人が相手じゃ仕方ねぇな」

仕方ねぇよ…。

繰り返された言葉は、ひとり言よりも小さいくらいのわずかな音量で囁かれた。

そんな風に思ってほしくないのに。
自信も元気も一杯、太陽みたいな武が好きなのに。

「そんな顔しないでよ」って言いたい。
でも私なんだよね。私だ。
そんな顔をさせているのは。

そう思っていると。

「そんな顔すんなよ…って言いてぇけど、
 させてんのは俺の方なんだよな。ワリィ」

武は笑ってそう言った。
笑っているけれど、こんなに寂しそうな顔があるだろうか。

「そんな顔しないでよ…」

じわりと、涙が浮かんだ。
武は目を丸くしている。

「笑って、武。お願い」

どんどん視界が揺れる。
目の前に海が溜まって、溢れた。
頬をどんどん伝って濡らしていく。

「武には笑っててほしいの。私は、笑ってる武が好きなの」

そんな顔させてるのは私なのに、なんて自分勝手。
わかってるけど。わかっているけれど…。
どうして私はいつもこうなんだ……。

私はメソメソ大号泣。
対して武は、大爆笑。

え?

「な、何笑ってんの…」
「ちひろ…お前なあ、その言葉そっくり返すよ」
「……へえ?」
「お前、自分で何言ってっかわかってる?」
「あ、そっか……ハハハ…」

始めは乾いた笑いだったけれど、
武があまりに爆笑するもんだから、
私も釣られて本気で笑ってしまった。
暫く二人で大声出して笑った。

「アッハハハハハハ!」
「ハ、ハハ……アハハッ!」

なんでだろう。
さっきまであんなに辛くて。
辛かったはずなのに。
傷つけてしまったこと、反省しなきゃいけないはずなのに。

どうしてこんなに楽しいんだろう。

「やっぱ、いいな。オレ、笑ってるお前が好きだわ」

そう言って、ほんの少し下がり眉で目を細めて、武は柔らかく笑った。

心が ふわっ として。

ああ、
やっとわかった。

私。

「私も、武が好きだ」

立ち上がって、方向転換して、座っている武の正面に立った。

最短距離で目が合った。
そういう雰囲気、になった気がして顔を近づけた。
けど向こうは1ミリも動かないから、
初めて私から、
額に目がけてキスをした。

「…えっ!?」
「じゃ、これプレゼントってことで」
「ち、ちょっと待てー!!」

照れのあまりに歩き去ろうとする私の手首を武は掴んだ。
腕に重みが加わって、武も立ち上がった。

「本当に?」
「本当だよ」
「オレのこと、好きって?」
「ずっとそう言ってるじゃん…そうじゃなきゃ付き合わないよ」
「未練タラタラだったくせによ!」
「タラタラって…!」

否定できないのが辛い。
口ごもる私だったけれど、武は一つため息をつくと笑った。

「でも、信じるわ」

そう言って立ち上がった。

「さっきのお前いい顔してたから」

にこりと笑った笑顔が斜め上に見える。
青空と太陽を背負った武の表情は、逆光で少し見えづらい。

「ちひろ」

名前を呼ばれて目元を覗き込む頃には
少しずつ眩しさに慣れてきていて、
いつもみたいに目が合って、
いつもみたいに頬に手を添えられて、
いつもはゆっくり降りてきた顔が、もっと目の前までやってきた。
そしていつもはなかった確認をされる。

「大丈夫か?」
「…大丈夫じゃないかも」

武の表情が曇るよりも、私の顔が真っ赤になる方が早かったと思う。

「心臓、バクハツしそう…っ」

言い終わるとどっちが早かったか、口を塞がれた。

ファーストキスだ。
こんなにも幸せな気持ちになるだなんて。
幸せと同時に顔が熱くて熱くて、夏の暑さを忘れそうだ。

「最高のプレゼントだぜ!」

顔を離して目を合わせると、武は満面の笑みで笑った。

こんな、君ほど夏が似合う人はいないよ。
笑顔が太陽みたいに眩しいよ。

もう迷わない。
君が好きだから。
たまに思い出が懐かしくなることもあるかもしれないけれど、
そのときは君の笑顔を思い出すから。

「お誕生日おめでとう武。大好きだよ!」

改めてお祝いの言葉を伝えた口元に、もう一度唇が降ってきた。
























大石の元カノ世にはびこるシリーズ一弾(なんちゅーサブタイ)

過去に囚われてる系主人公なので半分くらいが回想ですね。
桃夢書いてるはずなのに3分の1くらいは大石に対する激重感情を綴ってて
「私は今、一体何を…?」という気持ちに駆られた笑(桃夢を書いてます)

”忘れたい”と思ってるうちは忘れられないよという話。
過去を思い出として抱えていくことにしたら、急に今が輝き出すんだねぇ。

誕生日当日、桃ちゃんは別れる覚悟をしてたんだろな。
というかその少し前から「これでダメなら諦めよう」「でもやっぱ好きだ」の繰り返しで、
決心がつかないだけで主人公ちゃんを振り向かすことに絶望を感じかけてたと思うの。
うまくいって良かったねぇ(号泣)

こんな作品だけど桃ちゃんお誕生日おめでとう!
30%くらい大石夢な気がするけど許して!(笑)


2020/06/30-07/23