* 振り向けば君はそこに *












朝練がない日は、少し早めに教室に着いて授業の予習復習や読書をするのが習慣になっている。
時間が経過するにつれて賑やかになっていく教室が好きだ。

そして一気に賑やかさが増すその要因は…


「っはよ〜大石!」


隣の席のさんだ。
今日も朝から元気な挨拶で気持ちが良い。


「おはようさん。今日も元気だな」

「おう。バリクソ元気」

「ははっ。それは何よりだな」


言葉遣いは…お世辞にも綺麗とはいえないが、飾らない姿は好印象で、
本心からくる笑顔とわかるからこちらまで釣られて笑みになる。

さんは楽しそうにクラスメイトたちとおしゃべりを開始して、俺は本に戻る。

チャイムが鳴るまで、あと15分。
できればこの章まで読み終えたい。

………。

………。

………。



「ええええええー!?!?」

「(おっと…)」



本に集中しきって周りの音が気にならなくなっていた俺の耳にも届くほどの叫び声が教室中に響いた。
声の出元である教室の隅に一瞬目を向けたが、なんてことはない、女子のおしゃべりの様子。

事件…ではなさそうだな。
また視線を本に戻して続きを読む。

………。

………。



『キーンコーンカーンコーン…』

「(あ……)」


チャイムが鳴った。
ここまでか…続きはまた今度だな。

しおりを挟んで本を閉じて教室を見回す。
教室の隅に固まっていた女子グループは解散して、
その中から出てきたさんもこちらに向かってきた。
あの輪の中に居たのか。


「なんだか、盛り上がってたみたいだな」

「いやー朝からテン上げハンパなかったわ」


わずかに顔を上気させてそう笑った。
何の話をしていたかはわからないけれど、
楽しかったということはよく伝わってきた。


「女子のおしゃべりって、いつも楽しそうだよな」


なんだろう、女子の会話は男子の会話とは種類というか質というか…何かが違う気がする。

自分は普段どんな会話をしているだろうと思い返す。
手塚と…部活の方針についてばかり話しているな。
英二と…英二と?何を話しているっけ?
考えてみれば英二といると英二ばかりが喋っている気もするな…。


考えていると先生が教室に入ってきて、朝礼開始の号令がかかった。
さあ、一日の始まりだ。




  **




社会、理科、英語。
いつも通り授業は進んでいった。
使い終えた教科書やノートを机にしまって次の授業の準備をしようとすると、
横から様子を伺うように声を掛けられた。


「…あのさ」

「ん?」


呼ばれた声の方を見ると、
さんが今の授業でやった教科書のページを開いて
至極申し訳なさそうな顔をしてそこにいた。


「ちょっとわからないとこあったから教えてほしいんだけど」


とのことだった。

さん、やんちゃな性格だしお勉強はあまり得意じゃないみたいだけれど、
意外とこうやって真面目なところあるんだよな。
おっと、意外なんて思ってしまっては失礼だな。ごめんな、さん。


「ああ、どうした?」

「あのね、ここから置いてかれちゃって…」


指差された場所を確認し、
お安い御用だよ、と添えて説明を開始した。
俺は英語は得意だから、頼ってもらえるのは嬉しいものだな。

この文を過去完了形にしたいから…。

ここは過去分詞を使って…。

語順はこうで…。


「…って感じだけど、わかったかな?」


説明し終わって顔色を見ると、
さんは鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をしていた。


「ごめんもう一回!」

「どこからわからなかった?」


少し説明が速すぎたかと思って問うと「全部」と返ってきた。
正直過ぎて、思わず笑ってしまった。

そうだよな、わからないから聞いてるのに
授業と同じ説明の仕方じゃいけないかもな。
ゆっくりめを意識しながら、少し順序を変えてもう一度説明した。


「めっちゃわかった。ありがとー」

「良かったよ」

「ありがとね」


丁寧にお礼を重ねて、さんは教科書を机にしまってどこかへ行った。

本当に素直な良い子だなぁ、と思う。
いつでも明るくて、周りも明るくしてくれて…。

常にあっけらかんとしていて悩み事なんてなさそう…に見えるが、
さんにも悩み事はあるのだろうか。
誰にでも悩み事の一つや二つはあるというが…
それだったら、どうしてあんなに常に明るく生きられるのだろう。
秘訣を教えてほしいくらいだ。

…なんて考えている時点で、本当に俺は悩み事ばかり抱えるタチだな。
そう思って苦笑して、次の授業の準備を始めた。






  **






さあ午前の授業も終わって昼休み。
昼食を終えたあと、俺は保健室に行くのが日課だ。
委員長として、各クラスの委員から保健カードが提出されているかの確認を行う。

特に問題はなさそうだ、と確認を終えたタイミングで戸が開く音がした。
ん、誰か体調が悪いのだろうか。

と思って見てみると…そこにはさんが居た。
どうしたのだろう。さっきまで元気そうだったけど。


さん、どうかしたかい?今先生いないけど」


保健の先生に用事があるのかもしれないと思ってそう伝えたけれど、
さんはあたりをぐるりと見回すと
あまり見覚えのない表情を見せてきた。
なんというか、気取った笑顔というか。


「ううん、大石くんに用事があって探してた」


さんはそう言った。
表情だけでなく、喋り方まで普段と違う。
なんだろう。


「…何かたくらんでるのか?」

「ちっ、違うよ」


一瞬目を白黒とさせて焦った様子を見せたが、
またすぐにさっきの表情になった。
いつもの様子と違うのは間違いない。
なんなのだろう…。

勘繰る俺に対し、
「えっと…さっき教えてもらった英語、また質問があるから聞きたいと思って」
と、ごく自然に言ってきた。

俺の考えすぎ…か。
自分の悪い癖だなと苦笑い。


「なんだ、わざわざこんなところまで来るくらいだから急ぎの用事かと思ったよ」

「あはは。ごめんね大石くんも委員会の仕事で忙しいのに」

「いや、俺は構わないけど…」


構わないけど……ちょっと違和感あるな。
なんだか話しづらい。

大石くん、なんて呼ばれたこと今まであっただろうか?


「その呼び方、なんか慣れないな。いつも呼び捨てだっただろ?」

「うん。変かしら?」


変かしら…?
正直、少し…いや、かなり変だ。
さんらしくない喋り方だと思う。

確かにさんは元々丁寧な言葉遣いをする方ではないけれど…
周りに言われたか、自分で思いついたのか、
理由はわからないけれどそれを変えようとしているのかもしれない。


「変、というか…あんまり聞き慣れないなと思って。
 何か心境の変化でもあったのかい?」


あまり問い詰めるのも悪いと思いつつ、
雑談を振るくらいの気持ちでそう聞いた。


まさかこんな返事が来るなんて。



「大石くんは、清楚な感じの子がタイプなのかなー、って思ったから」



俺が清楚な感じの子がタイプ?

それの真意はさておき。

つまり、さんは?

俺のタイプになろうとして?

清楚な感じの子、になろうと…

してるってことなのか!?


「えっと、さん、今のはつまり…」


言葉の意味を確認しようとすると、
目の前でさんの顔はみるみる赤くなった。


「ちょっとタイム!ワリィ!ナシ!いやマジでないわ!!!」


やっといつも通りの喋り口調が聞けた、
などと安心している暇もない。

え、これは…
告白、というやつなのだろうか。

初めてだ。告白されるのなんて。
つまり、さんは俺のことを好き…?
いや、はっきりそう言われたわけじゃない!うぬぼれるな秀一郎!
でも、どう解釈し直しても、先程の一言からはそうとしか想像できない。


「ええと…その、それは…俺に好意を寄せてくれてるって解釈していいのかな…。
 ごめん、こういうの慣れてなくて…」

「………」

「えっと………何か返事みたいなの必要なのかな」

「………」


さんは何も言わない。
ど、どうしよう…。

とりあえず、誤解だけでも解いた方が良いか。
俺は清楚な感じの子が好きそうとのことだったが、
別に必ずしもそういうわけでもない。
ありのままのさんがとてもいいと思っている。


「俺は…さんのいつでも元気なところ、すごく良いと思ってるよ」


誤解のないよう、それだけは伝えた。
さんは良い子だ。それは間違いない。
俺自身、尊敬している面もある。

でもそれは、恋愛感情とは違う。これもまた真実だった。

もし仮に、さんが本当に俺のことを好きだとして、
俺は……どう返すべきなのだろうか。
俺はどうしたらいいのだろう。
これ以上、何を言えばいいのか。何か言うべきなのか。



「大石のことが、好きだ」



頭を悩ませているうちに、ついにはっきりと言われた。
その目からは涙がこぼれ落ちた。

これは、本気だ。


実際に伝えられてわかった。
先程までの思考など無意味だった。



「ありがとう……でも、ごめん」



俺には、このまっすぐな感情を受け止めることができない。
それだけだった。


「気持ちは嬉しいけど、応えることはできない」


さんは首を大きく縦に振った。


「…ごめんな」


今度は横に。


さんの笑った顔、怒った顔…色々な表情を見てきたが、
こんなにも悲しそうな顔は初めて見た。
しかもその表情をさせているのは自分だ。
ひどく胸が痛んだ。

何か、伝えたい。


「ただ、誤解しないでほしいことがあって…
 さんだからとかじゃなくて、今、誰とも付き合う気がないんだけなんだ」


泣き腫らした目のまま、さんは顔を上げた。


こんなことを言うのは、無責任かもしれない。
自分で泣かせておいて、悲しませておいて、
なお君には笑っていてほしいだなんて思うのは。

それでも君に笑ってほしい。



「さっきも言ったけど、俺は、さんのいつも元気で、
 周りにも元気を与えられるところ、すごく良いと思ってるよ」



相手の気持ちを気遣って、顔色を伺って、
年を取るほど本心を曝け出すことが苦手になっていく気がする俺だけれど。

どうか、どうかこれは本心なのだと伝わってほしい。


「…ごめん、今の俺にはこれ以上は言えない」


それ以上の言葉を失って口を噤む俺に対し、
ありがとう、と言うようにさんは首を縦に振った。
そして笑顔を見せてきた。

なんて気丈な人だろう。

その笑顔に応えたい。
そう思って笑い返した。
だけど。


「(なんだか、俺が励まされているみたいな気持ちだ)」


どこか、情けない気持ちにもなっていた。
俺は、さんに何を与えられているだろう。

考えている間も、さんは涙を溢れさせていて、
制服の袖で目元を拭う姿が見えた。
可哀想に…なんて、思える立場ではないけれど。
目も鼻も、真っ赤だ。


「目…少し腫れちゃうかもな、冷やした方がいいんじゃないか。あ、氷嚢あるぞ」


保健委員に入っていることは思いも寄らぬところで役に立つもので、
俺は引き出しから氷嚢を取り出して氷を詰めた。
少し水を足して温度を確認して手渡すと、さんは

「…そういうことするから、もっと好きになるだろ!バカ!」

と言いながら氷嚢を受け取った。
はは、こりゃ大変……。


怒った態度を取りながらも「ありがとー」と言う、
こんなときでも人への感謝を忘れない、さんらしいと思った。

氷嚢を目を押し当てながら、さんは背を向けた。
そしてベッドに向かって歩き出す。
「…ちょっと寝る」と言うので、先生にその旨伝えることを約束して保健室を出た。




  **




「………フゥ」


戸を閉めてから、無意識に深いため息が出た。
あ、先生に伝えないとな。職員室に居るだろうか。

廊下は静かだった。



告白された。

そして、フってしまった。


人に好かれるというのは嬉しいことだと思っていたが、
それ以上に申し訳なさも募るものだと知った。


「(さん…)」


これからも今まで通り、笑ってくれるだろうか。
昨日、今朝、さっきまで…あたりまえに元気で居てくれた君は、
これからも、俺の前で笑ってくれるだろうか。

中途半端な気持ちで付き合うなんてできない。
だから自分のした返事には後悔はないが、
もしもあの笑顔が見られなくなるんだったら、それは淋しくなってしまうな…。
なんて、フった側の俺に嘆く権利はないのだろうが。






  **






考え事をしているうちにチャイムが昼休みの終わりを告げた。
隣の席は…空席。
胃が、キリッと痛んだ。
先程飲んだ薬はそろそろ効いてくる頃だと思うが…。

遠くから足音が聞こえてきて、先生が来たかと思ったが
それはあまりに大きくて勢いのある足音だった。

バンと教室に飛び込んできた。


「間に合ったー!!」


さん。

ドキンと心臓が鳴った。


、目ェ赤くね?泣いとるん?」

「ウッセー泣いてねーし!花粉だよ!!」


俺の後ろ、との会話が耳に入った。
俺はそちらを見られない。
目、赤いのか…。
俺との会話が終わってから30分は経っている。
ギリギリまで泣いていたのだろうか…。


「起立」


先生が入室してきて、日直の声で立ち上がり、礼をする。
着席をして、いつも通り授業が始まる。

さんは…気になるけれど見てはいけない気がして、様子は掴めなかった。


やめよう、授業に集中しよう。
さあ、数学の授業だ。
最近難しくなってきたからな…しっかり聞いていないと。

そう思うものの。


たまに鼻を啜る声がするけど大丈夫だろうか。
俺のこと恨んでいるのだろうか。
この後何か声を掛けた方が良いのだろうか。
掛けない方が良いのだろうか。
またあの笑顔を見られることはあるのだろうか……
様々な思考が波のように押し寄せてくる。


…ダメだ授業に集中しろ!
そう自分を律したが、何度も意識が逸らされては戻してを繰り返した。


「はい、じゃあ今日はここまで」


ようやく授業が終わった。
礼をして、着席して、先生を見送った。

なんとか最後まで理解がついていったものの、
いつもの倍は疲れてしまったな…。


ふー…、と深呼吸をしたとき、隣から声が。


「大石ぃー」

「ん?」


呼ばれた声の方を見ると、
それはさんだった。

さんは、今の授業でやった教科書のページを開いて
至極申し訳なさそうな顔をしてそこにいた。


「ちょっとわからないとこあったから、教えてほしいんだけど」


申し訳なさそうに眉を潜めたものの、口元は笑っていて、
わずか、言われなければ気づかれない程度わすかに腫らした目でこちらを見上げてきていた。

……本当に、敵わないな。


「数学はそんなに得意じゃないんだけどな」

「つっても私よりはマシだろ!?頼むよ大石!」

「…で、どこなんだ?」

「神!!!」


肩は横に並べられて教科書の中身を確認し始める。


『これからも今まで通り、笑ってくれるだろうか。』なんて、
どれだけ野暮なことを考えていたのだろう。

始めからわかっていたことじゃないか。
さんのいいところは、いつも元気なところ。
そしてそれ以上に、周りにも元気を与えられるところだ。

そして、どんな感情も隠さずに表に出せるところも。
感謝も、怒りも笑いも、涙さえも。


「めっちゃわかった!サンキュー!」


歯をむき出しにして笑うその姿に、俺もつい釣られた。



寧ろ、俺の方が感謝したいくらいだよ。

そう思いながら「どういたしまして」と笑顔で返した。
























『大石くんを振り向かせたい!』の大石サイド。
はーーー大石にフラれても気丈に振る舞って大石のハートを揺るがしたい人生だった!

この主人公めっちゃ気に入ってしまったので最終的にうまくいってほしいな…。


2020/05/28