* カウントダウンが鳴り始めてる *












 「え、誕生日会えないの?」

 私の誕生日を約一ヶ月後に迎えたその日、晴天の下の和やかな雰囲気でのデートが唐突に不穏な空気に変わる。
 今年の私の誕生日は日曜日だ。その事実には前々からカレンダーを確認して気づいていた。ハタチで過ごせる最後の日を大切な人と一緒に過ごして、更に誕生日を迎えるその瞬間も一緒に居られるかもしれないという事実には胸が踊った。
 今更、年を取ることにそんなに喜ぶ年齢でもない。それでも、横に「大切な人」を添えるだけでこんなにも特別なものになるのだと数ヵ月前から予定を立てて楽しみにしてきた。
 なのに、まさかの会えなくなった宣告。それもドタキャンでもなくこんなに前もって。いや、前もってとは言うけれど、数ヵ月前から色々予約したり準備したりと着々と計画を進めていたことを考えれば、決して早すぎる宣告ではなかった。誕生日がこんなに綺麗に土日ハマることだって滅多にない。次の機会はいつになってしまうのか。

 「本当にごめん…その週に地方で学会があって、泊まりの出張が決まってしまったんだ」

 そう説明が入った。悲しさが爆発して怒りに発展しそうになるものの、あまりに申し訳なさそうな表情を見ていたら自分が悪者に思えてきて口を噤む。そう、悪くないのだ。私も。彼も。
 彼――秀くんとは付き合い始めて数年が経つけれども、このようなすれ違いは度々発生した。
 思い返せば出会った瞬間からそのすれ違いは始まっていたのかもしれない。それは私がまだ高校生で彼が大学生だったときのこと。部活に所属していなかった私は週に4,5回その本屋でのアルバイトのシフトに入っていたのに対し、彼は週に1回程度だけ現れた。医学部なんていう超頭が良くてめちゃくちゃ勉強する人しか入れないような学部に所属しておきながら、趣味のテニスのサークルにも顔を出しているのだと耳にした。しかしたまにしかシフトに入らないのに仕事は的確で、他のバイト仲間やお客さんにまで慕われる彼を私も例に漏れずすっかり気に入り、そのまま密かに恋をした。
 しかしそのような状態では会える頻度はそんなに多くなくて、シフトが噛み合わないときは勝手に店長を恨みながら2,3週間顔を見られないような時を過ごすこともあった。私には思いを伝えるような自信なんてなくて、だからせめて一方的に見つめることくらい許してほしい…と思うのにそれすら許されない。空想の中での彼の存在ばかりがどんどん大きくなっていくような時間を長らく過ごした。
 そんな中で、偶然にも彼と私の好きな本が同じだということをきっかけに、距離が接近することになる。見かけによらない…と言っては失礼かもしれないけれど、コッテコテの恋愛小説を嗜むということにはその時は驚いた。尤も、後に付き合うことになってからは、ロマンチストな彼らしい、と思うようになった。
 共通の本の話題で仲が良くなって、二人で食事に行くようになって、彼からの告白でお付き合いに至った。週末だったり平日の夜だったり、過ごせる時間もまちまちだったけど、週に一回程度の会合を楽しんだ。付き合いたてのカップルにとっての満足して会えているという状態からは少し遠かったように思う。周りの友人には「淋しくないの?」と聞かれることもあったけど、これが私たちのスタイルだからと軽く流した。噛み合わないシフトに嘆いていたことを思い返せば、バイトのシフト提出をどうしようかと二人で相談できるようになった状況は幸せ以外の何でもなかった。
 程なくして私も大学生になって、彼も学年が上がった。自分で持てる自由時間が増えた気がする私に対して、彼は実習などが増えてより忙しそうになった。バイトも辞めた。反して、私はシフトを前よりも増やした。彼の予定を基準に立てるデートの頻度は半減していた。
 ふとした瞬間に考える。「淋しくないの?」。友人に問われた質問を、見栄も建前も取り払い本心に立ち返って自問自答する。だけどやっぱり、大丈夫淋しくない、と再確認する結果になった。元々会えていたのは数週間に一回程度、しかも見かけるだけで会話すらできなかったのだ。そんな片想いの日々を思えば大きな問題ではなかった。何より、忙しい時間を縫って私のための時間を作って一緒に過ごしてくれる彼には感謝しかなかった。
 そう。このようにずっとすれ違いは私たち二人の間に存在し続けていた。より明確な形として表面化するか否かだけで。
 ただ、そんな余裕を持っていられなくなったのが去年の4月。一足先に社会人になった彼は、どうしたって学生の私よりも時間的制約も多い。元々会える時間は限られていたけれど、拍車がかかって頻度が減った。一年間で会えた回数は両手で収まってしまうのではないだろうか。
 余裕がなくなってくると、“一緒に居られる感謝”の比率が“一緒に居られない悲嘆”に押し負けるようになっていった。「淋しくない」という言葉は、自問自答の結果ではなく、言い聞かせるためのおまじないのように自分の胸の内に現れることになった。
 そんな日々の中だったのだ。
 今年の自分の誕生日は日曜日だと気づき、早いうちから約束を取り付けた。泊まりで時間を共にしたことは今までにもそんなに多くなくて、その日が自分の誕生日とあればどれだけ特別な日になるか、子どものように無邪気に楽しみにしてしまったことも許してほしい。今、こんなに落ち込んでいることも。

 「出張じゃあ、仕方がないよね」

 声が僅かに掠れた。些細な変化ですら見逃す彼ではない。何より、私の心境は想像できているはずだ。
 「私より仕事が大事なの!?」とか怒る面倒くさい女になりたくない。「そんなのヤだよ」と駄々をこねる子どもにだってなりたくない。だからといってそう思っていないわけではない。その証拠に、それらの言葉は先程から何度も私の頭に浮かび上がってくる。

 「ごめんな…」
 「ううん。秀くんも、お仕事頑張ってね」

 優しい彼を、これ以上困らせてはいけない。精一杯の労いの声を掛けて、なんとか空気を持ち直してその後のデートは継続した。だけど私は、ちゃんと笑えていただろうか。
 まだ自分の誕生日まで1ヶ月あるのに、絶望へのカウントダウンが始まっているように思えた。こんな心境のまま誕生日を迎えたら、辛くなってしまう…。

 **

 もちろんその後も誕生日に会えないという予定が覆ることもなく、自分の誕生日の前日を迎えてしまった。予定通りならこの土日は…と考えるだけで悲しい気持ちになる。
 本当だったら、世界一楽しいバースデーガールなってたはずなのに。

 『ピンポーン』

 ん、なんだろ。
 身に覚えなくチャイムが鳴って、勧誘とかだったら嫌だな…と思いながらモニターを確認すると宅配業者のようだった。何も発注した覚えはないし、間違いの可能性も疑いながら玄関を開けて荷物を見ると、確かに私宛。差出人は……大石秀一郎。

 「ありがとうございました」

 荷物を無事受け取って、予想だにしていなくて、ぽかんとしてしまった。
 でもきっとさすがにこれは誕生日プレゼントだろう。敢えて当日ではなく前日に届けるというあたり、万が一にも遅れることのないようにという彼の配慮を感じる。
 部屋に戻ってきて、箱を開けた。ダンボール箱の中には私の好きなブランドの小箱が入っていた。中には青を基調として差し色に赤の入った花柄のツイリースカーフが入っていた。これは、私が以前に「可愛いけど、ちょっと高いな」とため息をついたことを憶えてくれていたのだろうか。
 誕生日プレゼントが届いた。嬉しい。そう素直に喜ぶべき場面なのだろうけれど。

 「(…会えないってことじゃん)」

 誕生日の前日に郵送で手元に届いたそいつは、当日に会えないという事実を確定させてきたように思えてしまって素直に喜ぶことができなかった。こんなものじゃない。私は欲しかったのは。そんなことを思ってはいけない。それもわかってる。
 ……辛。
 それでも、こんな状況の中でも最大限祝ってくれようと彼が努力した結果なのだと受け止めることにした。会えないことは確定事項で、それは仕方がない。優しさに対してネガティブな感情を抱いてしまうなんて申し訳ないし、勿体無い。

 『秀くん、プレゼント届いたよ。ありがとう。欲しいって言ったの憶えててくれたの?』

 そうメッセージを送ったのは午前中のことだったけど、返事が来たのは夕方だった。日中は仕事で忙しかったのだろう。自分のことばかりで、相手を労った一言も差し込めなかった自分の浅はかさを呪った。でも返されたメッセージには、そんな私の心境を察する気配すら感じられなかった。

 『無事届いて良かったよ。丁度俺からも連絡しようと思ってたところだ。今日の夜、少し話さないか?』

 **

 日付が変わる少し前からテレビ通話をすることになって、その準備に勤しんだ。画面をセッティングして、髪型を整えて、少しだけメイクもした。着ているものも部屋着ではあるものの一番可愛いものを準備した。
 約束の時間ピッタリにテレビ電話が掛かってきた。通話に出ると、いかにも慣れていなさそうに相手の画面は何回か90度回転して、ガサゴソと音が落ち着くとようやく会話が始まった。

 「もしもし。聞こえてる?」
 「もしもーし。見えてるし聞こえてるよ」

 その声が聞こえて姿が見えると、なんだかほっとした。電話だけだったら声しか聞こえなかったところ、文明の利器に感謝。彼の落ち着いて爽やかな声はもちろん大好きだけれど、やっぱり、この穏やかな笑顔が、好きだ。こんな形でも、繋がれたことはありがたい。

 「今日ありがとうね、プレゼント。前に欲しいって言ったの、憶えててくれてたの?」
 「ああ、そうなんだよ。その場では買って上げられなかったけど、いつかあげられたらってそのときから思ってて…」
 「うれしー。…あ、ちょっと待って」

 一回立ち上がって画面外に外れて、先程開封してまた丁寧に梱包し直した箱から、例のスカーフを取り出す。今着ている部屋着にはあんまり合わないのもわかっていたけど、取り急ぎ首の周りに巻いてみた。
 ジャーン、と言いながら画面内に戻った。

 「…どうかな?」
 「すごく、似合っているよ」

 秀くんは笑顔でそう言ってくれた。
 本当は手渡しで受け取りたかったな。本当は直接見てほしかったな。本当は秀くんの手で巻いてもらいたかったな…。
 様々な感情が脳裏に浮かんでは、それを掻き消して、「ありがとう」とだけ返すと秀くんは眉を顰めた。

 「本当は、こんな形じゃなくて…直接会って渡したかったけどな」

 私の心境と同調したかのような彼の一言に心臓が抉られる。
 だったら、そんな言葉じゃなくて、今すぐ会いにきてよ。とか言いたい。言わないけど。わかってる。秀くんは一度だって悪くない。

 「あ、そろそろ時間だな」

 時計を確認した秀くんが声色を明るく変える。日付変更に向けてのカウントダウンが始まった。

 「3…2…1……お誕生日おめでとう!」
 「…ありがとう」

 電波越しのお祝いに胸が揺れて、ああ、涙が溢れそうだ。わずかに滲んだ滴を、指の端で拭った。

 「…大丈夫?」
 「え?」
 「、泣いてる?」
 「あ…」

 画面越しでははっきり視認できないと思いきや動きで察知されてしまったようだ。泣いているのに気づかれてしまって恥ずかしいなという照れ笑いで、えへへとはにかんで見せる。

 「こんなに忙しい中なのに祝ってもらえたのが、嬉しくって」

 これは、本当。
 嘘偽りない真実。

 「数週間に一回会って一方的に見るしかできなかった頃のことを考えたら、今は夢みたいだよ」

 本心を伝えた。のだけれど、言い終えてから、しまった急にこんな昔のことまで遡って重いとか思われた?ちょっと気持ち悪かった?と不安になる。
 そんな私の心配を増長させるように、画面の向こうの秀くんは眉を顰めて辛辣そうな表情をしている。そして小さく口を開く。

 「…帰ろう」
 「へ?」

 小声でボソリと呟くものだから、聞き間違えかと思って聞き返した。今、帰ろうって言った?

 「、俺帰るから、今日会おう」
 「え……は?」
 「始発で帰れば、午前中にはそっちに着けるな」

 そんなことを言いながら腕時計を手に乗せて何やら計算を始めてる。
 え?え???

 「ちょっと待って…仕事は?」
 「俺たちの発表は昨日終わったし、今日の予定は他の発表を聞くだけだから適当に理由つけるさ。後で先輩に頭下げるしかないな」
 「ええっ!?」

 真人間で、誠実で、嘘がつけなくて…そんな秀くんがそんな無茶をしようとしていることに驚いた。嬉しい。正直めちゃくちゃに嬉しい。けど、ここを止めるのも私の務めな気がして。

 「私は大丈夫だよ。大事な出張なんでしょ、っていうか仕事なんだし…」

 数ヵ月前から決まっているような仕事だ。断れるものだったら早々に断っていたはず。しかも私は秀くんの性格はよく知っている。今回の仕事だって、きっと嫌々ではなくて楽しみにしていたと思う。
 せっかく会えるって言ってくれたのに、断るみたいなことして。私も意地っ張りだなぁ…って苦笑して、それでも自分のしたことは間違ってない、って言い聞かせたのに。

 「両方大事だよ。だから、俺は後悔しない方を選びたい」

 そうやって秀くんは、私の心を揺らすようなことを言う。画面越しだけど、まっすぐに目が合っているのがわかる。つまり、私と今日このまま会わなかったら後悔すると…そう言ってくれているの?

 「やっと気づいたんだ。いや、前から気づいていながら、きっと俺は甘えてた。今回のことだけじゃない…今までずっと、文句の一つも言わずに笑っていてくれるの優しさに甘えてた」

 それは…確かに私は、秀くんに迷惑を掛けることはあってはいけないとか、昔は手に入らなかった今の幸せを大切にしようとか、そうやって考えて生きてきた。それは私が秀くんを好きだからで、秀くんも私のことを好きでいてくれてるって度々感じさせてくれてたからで。だから、これ以上は望んではいけない、と、思っているのだけれど。

 『淋しくないの?』
 「――…っ」

 久しぶりの自問自答が頭を過って言葉に詰まる。

 私が無言を決め込む間、画面から視線を外して時計を確認した秀くんがガタガタと動き出して急に耳が騒がしくなる。

 「もうこんな時間だ。それじゃあ、俺もう寝るから。もあまり遅くならないようにな」
 「えっ、秀く…」
 「おやすみ」

 おやすみ、と返した私の声は聞こえたか否か、通話がプツンと終了した。
 ………ホントに?

 カレンダーを見る。
 赤い丸の上に、大きくバツを付け直した今日の日付。上からなぞって星に直すと、ハハッと笑い声が勝手に零れた。

 そっか。私、淋しかったんだ。

 相手の気遣いによってその感情が言語化して、お陰で気づかされてしまったけど、その感情はあと12時間後くらいには解消されているんだ。
 そう思ったら胸が高鳴り始めて、寝ないといけないのに寝られそうにない。心構えもできずに訪れることが決まった誕生日デートに向けて、どこへ行こうか、どんな服を着ていこうか、一日で何ができるか考え始めたら心拍数がどんどん上がってきた。私の心臓が早く進んだところでカウントダウンが進むわけでもないのに。落ち着け落ち着けと繰り返しながら、寝て起きたら迎えられるであろう幸せな未来に向けて忙しなく心の準備を始めた。

























ド…はなくなってしまったけど大石秀一郎は常にアナタの心と共にあります(宗教)(秀狂)
しらすちゃんお誕生日おめでとう!


2020/05/23