「大石って初恋いつ?」 「え?」 その質問はあまりに急に降ってきて、聞こえなかったわけではないのに思わず聞き返してしまった。 今日は一人暮らしをしている俺の家に英二が泊まりにきていて、恋愛トークがお泊まりの定番の話題といえばそうかもしれない。しかし「好きな人いないの?」とか「付き合ってる人いないの?」とかならわかる。初恋について聞かれるとは。 「急にどうした」 「大石ってさ、モテるのに誰とも付き合わないじゃん。そもそも今まで人のこと好きになったことあんの?それっていつ?って思って」 「…なるほど」 俺が本当にモテるかはさておき(確かに、女性の方から告白されたことはある。ありがたいことに)、英二の中ではそういう認識になっていることに驚いた。 そういう英二は、中学から付き合ってる彼女とかれこれ5年続いてるんだよな…。気まぐれに見えて、好きなものにはどこまでも愛着を沸かせる英二らしい。 「ちゃんと人も好きになるし、一応……彼女もいたことはあるよ」 「ウソーー!?聞いてない!!」 いついつ!?と英二は布団から這い出て身を乗り出してきた。 「中学のときだよ」 「…青学にいた頃じゃん」 「そうだよ」 「えー!?ぜんぜん気づかなかった…」 この話は、一生胸に抱えて墓場まで連れて行くのでは…と思っていたが。 一人の人間の顔を思い浮かべて、話そう、と覚悟を決めた。 「…英二」 「ん?」 それは胸に抱え込んできた重荷を下ろすような、ずっと秘めてきた内緒話を明かすような。…ような、ではないな。実際にその通りなのだから。 少し苦しくなった気がして深呼吸をしてから、話し出す。 「少しびっくりするかもしれないし…時間もかかるかもしれないけど、聞いてくれるかな」 「もち!なんたって今日は泊まりだもんね!時間はたーっぷりあるし、なんならオールしちゃおう!」 英二はそういって楽しそうに布団にうつ伏せに潜り直すと両肘をついて顎を支える体制になった。 俺も布団に潜る。俺は仰向けに寝て、天井を見上げる。もう一度、ため息のような深呼吸をした。 そして俺は語り始める。 この、おとぎ話のような話を…。 |
「こんばんは!」 「……こんばんは」 それは俺が中学2年生の大晦日の晩のこと。 その人物…自分と同程度の年齢と見られる少女は、年の暮れの冷え込んだ陽気の中で薄い肩出しワンピース一枚という姿で玄関の前に立っていた。 「…どちらさまでしょうか」 西洋人のような、白髪に近い金髪、色素の薄い目、透明感の高い肌。言葉こそは通じるものの、一言目で日本語で喋りかけられていなかったら外国人だと思ったことだろう。こんな人、知り合いに居ただろうか。 人違いではないか…と思っていたが、「やだーシュウイチロー、忘れちゃったの?」とこちらのことを認識している発言をして、残念そうに口を尖らせ、 「だよ」 と名乗った。 。…。 頭の中のさんリストを検索すると、今とは正反対、真夏の風景が眼前に浮かんだ。ヒマワリ畑で微笑む、その少女。そう、確かにその少女は「」と名乗っていた。 「も、もしかして…」 「もしかする」 そう言うとにっこりと満足げに笑った。 時は遡ること、そこから更に3年ほど前の夏休み。俺は親の実家の田舎に行っていて、昆虫採集をしようと野原へ遊びに行った。だだっ広い原っぱだったはずが、虫を追いかけることに夢中になっていたのかいつの間にかヒマワリ畑に迷い込んでいた。そこから出る方法を教えて助けてくれたのが、突如として現れたこの子、だった。 急に色々思い出してきた。そのとき、お願いをされた。一つ目が、風が止むまで目を閉じること。二つ目が、また遊びに来てね、とのこと。 『約束破ったら、私から会いに行っちゃうから』 その言葉を聞きながら、辺りを取り巻く突風に耐え、止んだことを確認してそっと目を開けると、そこはヒマワリの一本も生えていない、元のだだっぴろい野原だった。 思い出した。確かにそんなやり取りがあった。今になって思い起こせば不思議だけで済ませられる体験ではない。子どもというものは大人(まあ、中3でも子どもだと思うが)には通用する常識に縛られないもので、その奇妙な体験を「不思議なこともあるもんだ」と納得して、それ以上はきっかけもなく思い返すこともなかった。 しかし、3年も前だ。中学に入ると俺は部活が忙しくなって親の実家への帰省に付き合わなくなって、野原へ遊びに行くこともなかったし…というか正直、今の今までそんなことすっかり忘れていた。 しかしは、忘れた頃に急に現れたに留まらず、「ね、外寒いの。中入れて」と言って家に上がろうとした。まさか、「数年前の夏に田舎で出会った謎の少女」だなんて親に説明できるわけがないし、理解してもらえるわけもない。なんなら俺も名前しか知らないような子だ。家に上げる義理はない。だからといって、こんな寒そうな格好なのに外に追い返すのも気が引ける…。 一瞬の間にいくつも問題が頭に浮かんで混乱している俺に対して、は笑った。 「大丈夫。黙ってれば、親御さんたち何も言ってこないと思うよ」 意味がわからないまま、戸惑っている俺の横をすり抜けて居間に向かおうとした。せめて俺の部屋で静かにしててくれ、と頼んだがいうことを聞こうとしない。このままでは、本当に面倒なことになる…!そう思って 「ちょっと待て!!」 と声を掛けて肩を掴もうとした。は俺のその手をパシッと払って、偉く驚いた顔をした。 ん、なんだ? 「分かった。大人しくしてるよ」 途端、急に言うことを聞くようになって、納得して俺の部屋に向かってもらえた。 しかし困ったことになった。きっと、家出少女か何かで家に帰れない事情でもあるのだろうと想像できた。一晩預かるとか、長くても数日とか…その時はそういうつもりでいた。 ** 「どういうことなんだ?」 「えー、説明したら驚くでしょ?」 居間で家族団らんを終えてから、不自然にならないタイミングで自室に戻った。は初めて上がった俺の部屋ですっかりくつろいでいた。ベッドに寝転んで。質問に対して飄々として答えただけでなく、堂々と指摘してくる。 「っていうか、シュウイチローが悪いんだよ!約束破るから」 約束。例の「会いに来てね」というやつだろう。でもそれは社交辞令のようなものだと思ったし、破ったところで罰則があるほどの約束でもない、と思っていた。少なくとも俺は。確かに「約束破ったら私から会いに行く」とは言っていた…でもそれもまた社交辞令のようなものだろうと。将来のことを十分に想像できない子どもの言うことだろうと。そうとしか思えなかったのに…。 「悪い夢でも見てるのだろうか…」 「夢じゃないよ!」 俺のひとり言に過敏に反応して、は大きな声を張り上げた。声が他の部屋にも届くかもしれないから勘弁してほしい…胃が痛くなる思いだった。 「とりあえず…今日は疲れた。もう寝るよ」 「うんオヤスミ」 ……ちなみにそこは俺のベッドの上なんだが。 「あの、そこに居られると非常に困るんだけど…」 「じゃあ廊下に出ろっていうの?」 「そうじゃなくて…」 考える。 俺がベッドで寝て、この子には床で寝てもらう。それはあまりに申し訳ない。かといってじゃあ、正体不明の、年頃の、女の子と同じベッド……。 ……危険しかないだろ! 「じゃあ、こうしよう。君は俺のベッドで寝てくれ。俺は床で寝るから」 「えー!」 不満な様子を見せるものだから。 「…一緒に寝たいか?」 最大のカマ掛けのつもりだった。このとき、「うん」と答えていたら俺はどうしていただろうな。 実際、そうはならなかったが。 「それは困る!!」 「だろ。俺は床で構わないから。その代わり、極力部屋からは出るなよ?」 「はーい」 がベッドに潜り込んだことを確認して、電気を消した。俺はベッドを背にして床に寝転んだ。 水槽の音がコポコポとやけに響く気がして、慣れたはずの生活音に神経を逆撫でられた。早く朝になれ、と目をぎゅっと瞑ったけどなかなか寝付けないまま空が白んじてくるまでは意識があった。翌日は寝不足でしんどかったことを覚えている。 それが、一年の幕引きと幕開けとなった。 ** 翌朝、の提案で初詣に行くことになった。昨年一昨年と一緒に行っていた英二が「今年は彼女と二人っきりで行くにゃ!」と言い出したから今年は家族と行こうかと考えていたのだが。どうしても行きたいと騒ぐを制止する由もなく、二人で行く運びとなった。 何故俺は、正体不明の謎の少女と一緒に二人で初詣へ向かっているのか…いう気にもなった。もしかして、は一緒に初詣に行きたくて昨夜現れたのか?とも考えたが、そういうわけでもなさそうだ。何度も説明を促したが、ひらひらと交わされてしまい、一向にまともな返事が得られない。 途中でクラスメイトにすれ違って「いつの間に彼女なんて作ったんだよ」「外人!?」なんて茶化された。は俺の後ろ側に回り込んで、微笑んでいた。 「あ、大石ぃ〜!」 しばらくすると、聞き慣れた声に遠くから呼ばれた。英二だった。隣には当時まだ付き合い始めたばかりだった彼女を連れていた。 「あっけおめ〜!!!」 「あけましておめでとう。どうした、いつもに増してご機嫌だな」 「んっふふ、そう見えるー?実はさ、昨日の夜初めて…」 「ちょっと、英二!」 「あ、ごめんにゃ」 機嫌よくしゃべり始めた英二は、横からの制止の声に片目を閉じて謝罪した。その制止によって以降の言葉は聞けなかったが。 昨日の夜初めて…それに続く言葉といったら……。 いや、余計な詮索はやめよう。 「今帰りか?」 「うんにゃ。結構混んでたよ〜」 「そうか」 「ところで大石、一人で初詣なんて寂しいことはやめろよ〜」 にゃははっ!という笑いを残して、英二たちは去っていった。元はといえば英二が急に彼女と二人きりでいくと言い出したんだろう…と腑に落ちない気持ちになったが。アレ? ばっと後ろを振り返った。 目が合うと、はにこりと微笑んだ。 …居た。 「(英二、全く触れなかったな。気づかなかったのか?いやまさか…)」 まあ、細くて小さい体付きだし、俺の陰に隠れてしまえば見えない…か。 「ね、結構混んでたって言ってたね」 「あ、ああ」 「ねえ、行くのやめない?」 俺の袖を引きながら、上目遣いではそう訴えてきた。昨日からお気楽すぎるような態度ばかりだったから、そのような表情を見るのは初めてだった。 「どうした、並ぶの嫌なのか?」 「………うん」 「そうか」 退屈だから、とか、それだけの理由だろうか。あまりに思いつめた表情で、何か変な感じはした。しかし、元々は初詣に行きたいと言い出したのはの方だったのに。 「一応様子だけ見に行ってみないか」 俺がそう提案すると、は力なげに頷いた。 足並みそろえて神社に向かうと、なるほど、人が溢れかえるほど混んでいるというほどではなかったが、待たずに参拝できるという雰囲気ではない。ざっと見積もって、一時間弱は並ぶだろうか。 「あーやっぱり結構並ぶな」 横のを見、「やめとくか?」と問うと、声を出さずに頷いた。目は合わない。 「どうしたんだ。もしかして体調悪い?」 「あんまり私に話し掛けないほうがいいよ」 俺の質問に対してまともに回答もせずに、は今歩いてきた道を引き返し始めた。 …どういうことだ。俺には意味がわからなかった。 「おい、!」 声を掛けて背中を追ったが、は振り返らずに「いいから静かにして!」とだけ言い放つとどんどん進み続けた。心なしか、周りの目線が冷たいようにも感じた。何だ。何か、おかしい。 近くを走っていた少年に「兄ちゃん、カノジョとケンカかよ」などと言われてしまい俺は苦笑いを返したけど、その方が随分マシだった。 しばらくそのまま歩き続けたが、人通りの少ない道に入ってようやくは歩く速度を緩めて話しかけてきてくれた。 「ごめんね。私が無理言って連れて来てもらったのに…」 「いや、調子が悪いんだったら無理をすることはないよ」 ありがと。優しいね。 はそう言って力なく笑った。その時のが、俺には非常に綺麗に見えた。 『チクン』 ん……? 「(なんだ、胸が)」 「あー憧れだったんだけどな、初詣。シュウイチローと行きたかった」 は少し眉を下げた笑みを見せるとそう言った。そこまでいうなら並んでも良かったんじゃないか…とも思うが、人混みに入ると人負けするとか、そういうことだろうか。少し引っかかる感じはしたが、強くは気に留めなかった。 「は、一緒に初詣に行くために俺に会いにきた…わけではないよな」 問うと、はしばらくの間を空けたあとに、頷いた。 「…お前の目的は、なんなんだ?」 聞いても、目は合わない。だけど俺とて、その理由もわからず押し寄せてきた少女を、一晩部屋にだって泊めたんだ。聞く権利はあるだろう。泣きそうな顔をするを見ていたら胸は痛んだが、さすがにこれだけは聞きださないと。 「シュウイチロー、どうしても!どうしてもお願いがあるの!」 やはり質問には答えずに、は鬼気迫った表情でそう言った。なんだ、そのお願いはが俺に会いに来た目的と関係があるのだろうか。 「なんだ」 「しばらくシュウイチローの部屋に置いてほしい!」 「…え!?」 昨日一晩だけでも、俺はまともに寝られなかったというのに…。同い年くらいの女の子を?しばらく?部屋に置く?親にはどうやって説明するんだ?しばらくってどれくらい? 「む、無理だよ!」 「お願い。どうしてもシュウイチローと一緒に居たい!」 「いや、おかしいだろう。自分の家族はどうした?どうして俺と一緒に居たいんだ?何が目当てだ?それだけは教えてもらわないと」 これだけは絶対に譲るまいという姿勢を貫いた。いつもだったら、もう少し優しく問う余裕があっただろうか。普段ないくらいに声を荒げる自分が居た。 それに対しては口を一文字に固く結んでいたが、口を開くと想像以上に大きな声を張り上げた。 「私と付き合って!」 …なんだって。 「……え?」 「今彼女とかいないでしょ?お願い!私と付き合ってほしい!」 「そうは言うけど、俺は君のことを何も知らないし…」 「だから、これから知ってほしい」 つまり、は俺のことが好きで、どうしても俺と付き合いたくて家まで押し掛けたということか?といっても今までにかかわったのは3年前の数分間だけだったのに?が俺と付き合ったところで、家に置くことには正当性はあるのか?自問自答を繰り返したが、いずれも納得のいくものではなかった。 断ろう、と思って口を開きかけたときに、は俺の手を取った。その細い腕からは考えられないような強い力で握られた。の細い指は、ひんやりと冷たかった。 「お願い…どうしても好きになってもらえなかったら、諦めるから……」 そう言って涙を浮かべさせた。別に、泣かれそうになって焦ったというわけではなかったが、心を揺るがされたのは事実だ。何故、ここまで必死になるのだろう。普通ではない。なんとなくそれだけは感じていた。 結果、この言葉に従うことが最適なような気がしたんだ。 「わかった。付き合おう」 そう伝えると、は嬉しそうに俺に抱き着いてきた。戸惑いはあったが、悪い気はしなかった。まあ、女の子の方から抱き着かれて悪い気など普通はしないのかもしれないが、それ以上に、どこか心地よい感じがした。 こうして、俺とは付き合うことになった。 ** 「…どういうこと?」 「話した通りだよ」 英二は納得いかない様子で口を尖らせた。でも、ここまで事実しか伝えていない。俺の記憶の中に残る限りの、事実。 「だって大石がそんな得体のしれない人と付き合うとか信じらんない…」 首をかしげながら英二は俺の顔を覗き込んだ。確かに、英二は今までの俺を見てきている。俺の性格からしたら、ここで付き合うという判断をしたのは異様に感じただろう。 「っていうか、俺、すれ違ったことあるってこと?」 「まあ、そういうことになるな」 「えー全然気づかなかったーってか憶えてもないや」 英二はそう言った。そうであろう。英二からしたら、毎年の初詣のうちのたった一回、しかも、英二にはどうしたって記憶に留まりようもない。 「英二。この話には、まだ続きがあるんだ」 そう伝えて、俺が体験した夢のような物語を再び話し始める。 ** 「……、どこ行くんだ?」 「居間」 と俺は付き合うことになった。だからといって、家にしばらく泊めるということに納得したわけではなかった。しかしは、とりあえずゆっくり喋りるためにもうちに戻りたいと言い出した。俺としては親になんと説明すれば良いかわからないから家は避けたかったんだが…。 せめて俺の部屋でおとなしくしていてほしい、と考えていた俺の心境も知らず、は家に上がるとずんずんと廊下を直進した。 「ちょっと待て!!」 俺はの肩を押さえた。すると、はビクッと肩を奮わせた。それに対して俺もまた驚いて手を退かした。どうした。何か、怯えている? なんとも言いがたい沈黙。それを破ったのは、パタパタというスリッパの音。 …しまった。 「秀一郎、何ひとり言言ってるの」 「か、母さん!」 ついにと母さんが対面してしまった。なんと言われるか、と思ったのに。 「随分大きいひとり言だったわね、誰かと喋ってた?」 ちょっと待て。普通だったら、俺のすぐ横に立っているこの少女のことを聞いてくるんじゃないのか。 でも例えば、俺にしか見えていないとしたら――…? 「気のせいじゃないかな」 「そう。ならいいけど」 会話の様子を聞きつけて父さんもやってきたけど、やはりには触れなかった。というか、本当に見えていない気がした。 「(まさか、そんな夢のようなことが…)」 ちら、と横を見た。目が合うと、はにこっと笑った。 「後で詳しく説明しろ」 耳元で小さくそう囁いた。父さんに「何か言ったか?」と聞かれたので、ただの独り言だといって誤魔化した。 しかし、そんなも。 「……あ!」 「?」 突然走っていなくなった。なんなんだ…? ほぼ入れ違いで俺の妹の美登里が二階から降りてきた。 「ね、今なんか足音した?」 「え、気のせいじゃないかな」 誤魔化すのも必死だ。本当に、胃が痛む……。 しかし…なんだ?父さんと母さんには、が見えない?美登里には見えるのだろうか。言われてみれば、やはり英二には見えていない様子だった。クラスメイトたちには見えていたはずだ。 見える人 と 見えない人 の 違い は ? ** 「どういうことだ!」 「えー、説明したら驚くでしょ?」 俺の部屋に上がるなり問い詰めると、は飄々とした態度でそう答えた。昨晩と全く同じセリフを繰り返していることに気付いた。はぁ、と俺は深く溜息を吐いた。 「これ以上驚きようがない。説明してくれ」 「えー…」 はあからさまに嫌そうな顔をした。文句を言いたいのはこっちの方で、と言いたかった。 「じゃあ、俺が質問することに答えるだけでいいから」 「答えられる範囲でね」 ……抜け目がない。 「まず…俺はお前のことを家出少女だと思ってたんだが、違うんだな?」 「違う」 「じゃあなんなんだ」 「教えない」 やはり一筋縄ではいかなかった。 「それじゃあ…」 「ぶぶー。質問多過ぎ!あと一つだけ」 …釘を刺されてしまった。これだけは、このあり得ないような現象だけは、確認しておかないと。 「お前のことを見える人と見えない人がいるのか?」 は一瞬眉を顰めてから「そうだよ」とだけ答えた。幽霊とか、そういう心霊系のものなのだろうか。お化けだなんだというものはあまり信じていないタイプであったが、事実、超現象が目の前で起きているのだ。見える人と見えない人がいて、俺が見える側の人だということがわかった。しかし、その境界は? 「(状況が大して変わってないぞ…)」 俺が頭に手を当てたとき、が言った。 「そういえばさ、シュウイチロー妹居るんだね」 「ああ」 「見つからないように気を付けないと」 気を付ける…?つまり、美登里はのことが見える人、か。 その境界について、見えていそうな人と見えていなさそうな人の共通点から探ってみようかと思考を巡らせ始めたとき、の提案に遮られた。 「シュウイチロー、今日から私が床で寝るから」 「え、でも」 「だって、これからずっと私が占領してるわけにはいかないでしょ?」 少し考えたのち、それもそうかと了承した。自分がベッドに寝てお客さんが床というのはどうもすっきりとしなかったけれど。お客さんというよりかは、居候だからなぁ…。事情がはっきりとは分からないけれど、これからずっと、ずっと……。 ん?ちょっと待て。いくら事情が特殊だからとはいえ…。もしかしたら普通の人間ではないのかも知れないとはいえ…。 同年代の女の子と一つの部屋で共に暮らすわけか!? 「シュウイチロー、一つだけ約束!」 また約束か…と、頭が痛くなる思いで「何だ」と聞いた。 「襲うのだけは禁止ね!」 は笑顔でそう言ってのけた。頭痛がした。 「絶対そんなことしないから…」 「約束だからねー!」 絶対そんなことをしないとは言ったものの、一体これからどうなるのか、これはいつまで続くのか…頭も胃も痛い日々が始まることとなった。 ** が住み着いて以降、毎週末自分で掃除機を掛けることが習慣になった。それも「俺の部屋には自分で掃除するから入らないで」と母さんにお願いするためだ。父さんと「秀一郎もお年頃ね」なんて話をしているのが聞こえたが、もはやなんと思われようといい。 「(この状況を説明する方が大変だ…)」 模様替えをしてできたベッドと壁の隙間に、こっそり引っ張り出してきた客用の布団を広げ、その上で過ごす自分と同い年程度の外国風の見た目をした少女。……問題要素があまりに多かった。 しばらくは、寝付くだけでも大変だった。修学旅行なんかの団体部屋で眠るのもあまり得意な方ではない。それが、自分の部屋に、女の子が寝ている。意識しないように努めても、意識してはいけないと考えるばかりで、結局ずっと意識してしまっていた。 だけど、そんな日々でも少しずつ、俺たちは距離を縮めていった。始めは勢いで付き合い始めたものの、一緒に過ごす時間は楽しかった。人によって見えたり見えなかったりしてしまうと一緒に出掛けられる場所は限られていて、例えば映画館とか、動物園とか、沢山の人が集まる場所には行けなかった。近所を散歩したり、公園のベンチで肩を寄せ合ったり。それだけであったが、そんな時間がとても大切だった。学校や部活であったことを報告したり、たまに愚痴を言ったり、相談に乗ってもらったり。は俺のどんな感情も笑顔に変えてくれた。 確かには人によって見えたり見えなかったりするというその特性はある。でもそれさえ除けば、どんなことにもネガティブな感情を見せない、明るくて笑顔の可愛い女の子であった。初めは悩みの種でしかなっただったが、いつの間にか俺の救いであって、支えであって、何より大切なモノになっていた。 ** 中学3年になって、俺は前より更に忙しくなった。先輩が引退した時からテニス部の副部長も務めていて、新入生がたくさん入り部をまとめるのは大変になった。クラスでは学級委員になった。中学の最終学年ということで勉強にもより集中する必要があった。 部活。学級。勉強。恋愛。俺の頭の中は、色々なものに支配されていて、その中で、の存在は大きな部分を占めていた。 早足で出かけた俺は、駆け足で帰ってくる。 「ただいま」 「あ、お帰りー!」 日が沈む頃に帰ってくると、は窓の外を見ていた。 「何してたんだ」 「ん、夕日が綺麗だなと思って」 どれどれ、と俺も外を見ると、真っ赤な太陽が西の空に沈んでいくところだった。 「確かに綺麗だな、夕日」 「うん。私は昼間の太陽の方が好きだけどねー」 「そうか」 らしいな、と思った。と初めて会ったときの、高い位置でカンカンに照った太陽を思い出した。 「俺は、夜の月とかも結構好きだけど」 「えー、アクシュミ〜」 「悪趣味…」 思わず苦笑。そんな悪趣味だろうか。俺は綺麗だと思うんだけどな、銀色の光とか。にとってはそうではないらしい。 考えていると、は窓を閉じた。 「綺麗だけど…キレイだから、嫌い」 その言葉の意味は、言われた瞬間には理解が及ばなかった。綺麗だから、嫌い。まあ、綺麗=好き、綺麗じゃない=嫌いと結び付けるのもどうかと思うけど。 何か、月が好きになれない理由があるのだろうか。美しすぎるがゆえの。 「あーあ、早く週末にならないかな。そうしたらシュウイチローと昼間の公園に遊びにいけるのに!」 ボスンとは俺のベッドに倒れ込んだ。 整った穏やかな顔付きに、伏せられた長い睫毛。半開きの整った形の唇。透き通るように白く滑らかな頬。すらりと長く伸びた手足。 込み上げてくる衝動から意識を背けるべく、目を逸らして頭を横に振った。これをあらわにすることは許されない。それは裏切りに当たるから。約束を破ることになってしまうから。 キミを傷つけることなんてしたくない。そのときの俺の思いはそれだけだった。 「、寝るなら自分の布団にしてくれ」 「あ、ごめーん」 ころりと寝返りを打って、そのまま布団に転がり落ちた。無意識に溜息が出た。 早く週末になってほしいと思った。昼間だったらば、思い切り触れることができるから。月明かりの下ではなく、陽光の下だったら。無邪気に笑うキミの手を取って走り回ることができるから。 だから早く週末になってほしいと思った。 ** その週末。「わーいい天気になったねー!」と窓の外を見て笑顔でそう言った。直後にこちらを振り返ると… 「…なんて言うわけないでしょがー!!」 怒りに任せた大声で叫んだ。 こら美登里に聞こえるだろ、と焦って手で口を塞ぐと、これでもかというほど眉を潜めて悔しそうな顔をした。今にも泣きだしそうに瞳が潤んだのが見え、俺は焦って代替案を提案した。 「夜…じゃダメかな」 「夜?」 「ああ。夜の公園っていうのも、結構いいものだぞ」 俺の提案に対し、は少しだけ潜めた眉を解いた。 「月は?」 「今日は三日月だから、夕方には沈んじゃうよ」 「あ…そっか」 は胸を撫で下ろして「じゃあ行く!」と笑顔で答えた。この前も言っていたけど、本当に月が嫌いなんだなと思った。何故そこまで嫌がるのだろうか。 考えているうちに、もしかしたら、満月の夜だけは本性が現れる…とかそのようなことに思想が及んだ。 「…気になる?私と月の繋がり」 正直、気になった。今までずっと伏せられてきたの正体と関係があるかもしれない。俺は首をこくんと頷かせた。 はにっと口の端を上げると言った。 「実はね、満月の夜だけは本性を現さなきゃいけないの」 やはり、そうなのか。 実は今見えているの姿はまやかし、で本当は妖怪らしい恐ろしい姿をしている…とか。満月の夜に血を求める吸血鬼かもしれない。 そんなことを考えて床の一点を見つめる俺に対し、は笑った。 「っていうのは冗談なんだけどね」 ……やられた。どっと疲れが押し寄せてきた。あり得てしまうだけに、シャレにならない。 「本当のことを言います」 「そうしてくれ…」 「あのね」 立ち止まったは、空を見上げた。 「月明かりは理性を取り払って混乱を招くから。だから…月夜は危険なの」 「特に、満月の夜はね」。はそう言った。ぞくっとした。何故だろう。妙なほどに説得力があった。この姿に月光が重なったらどうなるだろうと思った。 ** 期待していた通り、夜には雨も上がって星が見えるほどの晴天となっていた。 「わー、夜にシュウイチローと外歩くなんて初めてだ!」 「そういえばそうかもな」 は嬉しそうに、俺の数歩先をちょこまかと走った。それに追いついて、俺はの手を取った。二人肩を並べて、公園へ向かった。 公園についてからは、ベンチに座って二人で空を見上げた。俺はに春の星座を教えてあげた。一緒に居られて幸せ…なはずなのに、どこか落ち着かなかった。至福のひと時、というニュアンスは合わない気がした。 夜だからだろうか。陽の当たらない、夜だから。 「静かだね」 「…そうだな」 「春の虫は鳴かないよねー。チョウとかさ」 「確かにな」 確かに、夏だったらセミの声、秋だったらスズムシの声でも聞こえたのだろう。その発想が面白くて、俺は思わず笑いを零した。だけど横に座るは、至って真面目な顔だった。 「夜の間、チョウはどこに居るんだろ」 その真剣な表情に釣られて、俺も空を見上げる。 そんなこと考えたこともなかったけれど。静かにしている虫たちは、今どこにいるのだろう。草花の中に身を潜めて、眠っているとでもいうのだろうか。昼間は可憐に舞っている蝶だって、夜には休んでいるとははずだけれど。 ごそ、とが指をうごめかせるから、繋いでいた手を解いた。は腕に絡みつくと、ぎゅっと力を込めた。 「シュウイチローの誕生日、再来週だっけ」 「ああ」 「私がここにきて4ヶ月くらい経つね」 「そうだな」 「…私さ、もし会いにきてもシュウイチローがもう私のことを見れなくなってたらどうしようかと思ってたんだよね」 見れなくなってたら? の言葉を頭の中で復唱し、顔を見た。は苦笑いを浮かべて、目線を外した。腕の力だけが強い。 「ちょっと待て。俺は、のこと…見えなくなるかもしれないのか?」 「………」 は、「うん」とは言わなかったけれど、「ううん」とも言ってくれなかった。どうやら俺は“見える側”の人間だと思っていたが、“いずれ見えなくなる”こともありえるらしい。そんな…がいずれ見えなくなってしまうなんて。その時は考えたくなかった。いずれ、というが、年齢ではないことは、俺が見えて英二が見えていないことから推測できていた。 一体、境界は、どこにあるのか。きっと目には見えないその境界線は、どこに引かれているのか。それがわかれば、回避できるかもしれないが…。 「…ごめん、続きは今度ね。そろそろ帰ろ」 「そうだな」 やはりは、それ以上は語ろうとしなかった。最近では無理に詮索しようとしていない俺もいた。のことを厄介者だと感じなくなってからは、もう、俺に会いにきた理由、どうして人によって見えたり見えなかったりするのかは、聞かなくなっていた。 だけど…見えなくなることを回避できる方法。これだけは、早く知りたい。のことを見えなくなってしまう前に。今度改めて聞こう、と胸に刻み込んだ。 手を繋いでの帰路は、やはり静かだった。嵐の前の静けさだろうか、などということを考えたことは憶えている。 そしてその二週間後、結局その境界を知らないまま迎えた俺の誕生日当日、は俺の前から突然姿を消すことになるんだ。 ** 「えー!それじゃあ、大石が15歳になったら見えなくなっちゃったってこと!?」 いつの間にか身を乗り出して俺の話を聞いていた英二は大きく声を張り上げた。 「まあ、そういうこと」 「そうなんだー…」 本当は、端折った部分がある…というか、ここからが、重要な部分だったりするんだけど…。 「なんか、大石かわいそう」 「もう5年も前の話だよ。さ、もう遅いしそろそろ寝ようか」 そう促すと、英二は腑に落ちないような表情をしながらも、大人しく布団に潜っていった。いつの間にか、夜はかなり更けている。 俺もそっと目を閉じた。閉じながらも、英二には話さなかった、が見えなくなってしまった理由を一人で思い起こした。 ** 俺の15歳の誕生日当日。 その日、は朝から元気がなかった。布団から顔を出さない。体調が悪いのかと聞くとそうでもなさそう。ただ、出掛ける直前に「お誕生日オメデト」と呟くような音量で言ってきた。 に言われるまで自分の誕生日だとすっかり忘れていたが、は覚えてくれていた。しかしそのは、明らかに元気がない。心配を抱えながら出掛けることになった。 の態度も気にはなったが、その日は良い日だった。色んな人に誕生日をお祝いしてもらえたり、夕食が俺の好物ばかりだったり。 も元気出してくれるかな…とケーキを部屋に持って上がったが、の顔を見た瞬間、全て吹き飛んだ。 「!?どうしたんだ」 「シュウ、イチロ……っ」 は赤く腫らした目から涙をこぼし、しゃくり上げるほどに泣いていた。 どうして。何かあったのか。もしかして、俺の誕生日は何か悪いことが起きる日なのだろうか。そうだとすると、誕生日を祝ってくれながらも、嬉しそうな表情をしないことも頷ける。良いことは起きていない。それだけはわかった。 胸がドキンドキンと強く響いた。嫌なほどに。恐る恐る、問いかけた。 「…俺の誕生日、来てほしくなかったのか?」 は首を横に振った。だけど直後に縦向きに変えた。最終的には斜め…というか、ぐるぐると回していた。 「と、とにかく落ち着け…な?」 「う……ゴメ」 ずずっと鼻を啜って、は肩を撫で下ろした。宥めるように両肩を掴むと、あまりの細さに驚いた。よく英二なんかの肩を抱くことはあって、英二は非常に痩せ型だからそのたびに細いなと思っていたが。全然違った。女性特有の線の細さを急に体感した。 両目を拭うと、はそっと俺の手を外させて、目は合わないものの体はこちらに向けてきて「ね、今日はもう寝よ」と言った。 「うん。疲れたんだな、お休み」と言う俺に対して、今度は泣き腫らした目をキッとぶつけてきて、 「違う。シュウイチローも寝るの!」 と言った。え…? 言われるがまま、誕生日の晩だというのに、余韻に浸る間もなく寝る支度し、10時はもう床に就いていた。 「(なぜだ…)」 いつも通りにコポコポと水槽の音がする、真っ暗な室内。ゴソゴソとが布団の中で体勢を変える音が加わった。そして、話し声。 「シュウイチロー…あのね」 「ん?」 聞き返したが、が喋り出すまでに数秒の間があった。 「私ね、シュウイチローが、15歳になったら伝えようって、前からね、決めてたんだ…」 「どうしたんだ、言ってみろ」 は必要以上に言葉を区切ってしどろもどろ話した。話すように促すと、が体を起こす音がした。俺は布団の中から首だけをそちらに向けた。 まだ目は闇になれていなくて、その様子を捕らえることはできなかったが。しかし直後、光の筋に照らされるの姿をはっきりと捉えた。 は、カーテンを開けたのだ。銀色の光が差し込んできた。満月だ。 「…?」 「全部教えたげる」 全部。というのは、それが今まで疑問に思っていたこと全て、だろうか。考えていると、は言葉を続けた。 「誕生日が来たら話そうって、決めてたんだ」 「そうか…でも、無理に話す必要はないからな?」 これまでは、聞き出そうとするといつも嫌がった。現状に幸せを見出し始めていた俺は、無理に聞き出したいとは思わなくなっていたためそう諭した。しかし、は目を伏せて首を横に振った。 「今日話すって決めてたから」 強かな声でそう言った。その言葉からは、の覚悟が感じられた。が話そうとしていることは、これからの俺たちの関係に大きく関わってくる…そんな気がした。 「まず一つ目…私の正体」 思った以上に早く真髄にたどり着いて驚いたが、大詰めにもなりそうな話題がまず一番にやってきた。は話しづらそうに間を空けながらも、ゆっくりと話してくれた。 「私ね、実は……妖精、ってやつなんだ」 「…えぇっ!?」 これには、俺も思わず声を張り上げずにはいられなかった。突然そのようなことを言われて納得できるわけがない。しかし、それまでの不思議な現象を思い起こせば、寧ろその方が納得いくくらいではあった。 「今は人型に変身してるけど、本当は羽も生えてて体ももっと小さいんだよ」 「そ、そうなのか…」 予想だにしなかった情報が次々と追加されて、俺は驚きと戸惑いを隠せなかった。気にせず、はどんどん続けた。 「それでね…普段は、蝶の姿をして飛び回ってるんだ」 「チョウ……」 蝶。といえば、心当たりが一つあった。3年前の夏に追い掛け回して捕まえた、珍しい色の蝶。捕まえたその直後に俺はヒマワリ畑に迷い込んだ。そこでに出会った。 え。もしかして……? 「捕まっちゃった時は焦ったなー」 「やっぱり、あの時の!?」 話しているうちに色々と鮮明に思い出してきた。乳白色に近い、半透明の羽。そうか、人型すらしていなかったものの、あの不思議な羽は、妖精であるからこそのものだったんだ、と。 「そう。シュウイチローが捕まえたのが、私だったってわけ。でもね、普通なら捕まらないはずなの」 「え、どうして…」 「人は、私のことを見れても触れられないから」 そうだったのか。 だとしたら…。 「それじゃあ、俺は?」 「そう。それが不思議なんだよね〜」 の方も、腑に落ちない、という声を出した。 捕まえたそのときだけではない。俺はこれまでに何度も、の体に触れた。手を繋いだこともあったし、抱き締めたこともあった。言われてみれば、俺がの肩に手を乗せたときなど、想像以上に驚くことがあった。人から触られるということに慣れていなかったのか。手を繋ぐと心底幸せそうな顔をしていたのはそのためだったのか。 しかし、これはまやかしだったのか?それとも、俺だけに与えられた何か特別なものなのか?疑問ばかりが浮かんだ。 「というわけで二つ目、シュウイチローが私に触れた理由」 これは私の勝手な予想なんだけどね、と前置きを加えた上ではその仮説を教えてくれた。 「きっと、心がキレイなんだ、シュウイチローは」 はそう言った。心がキレイ…。そういうものか?自分では、とてもそうは思えなかった。他人には確かに「優しいね」「真面目だね」などと言われることはあるが、普段人に見せている部分だけが全てではない。イケないことを考えては罪悪感に苛まれる日も多い。俺の心に、醜い部分などいくらでもある。だから心がキレイなどと言われてもすんなりと納得のいくものではなかった。 でも何故? 「私のことを見えるには…っと、これは後で話すけど」 「ん?」 「まあ、それに対して…っていうか、加えて?私に触れるためには、心がとーってもキレイじゃないといけないんだと思う」 言葉に何度か引っ掛かりながら、はそう説明してくれた。 「今まで何度も虫取り網に追っ掛けられたけど、通り抜けられなかったのはあの時だけ」 「そうだったのか」 「うん。それで…さ」 運命感じちゃったヨ。はそう言った。 運命…なんて。そんな言葉、普段は信じるような俺ではないけれど、少し、信じてみたくなった。心がキレイだからなんていう曖昧な理由で納得がいかない部分もあったけれど、何か、と俺の間にある、運命的な何かがあったとしたら…。 そんなロマンチックな思考が生まれ始めたときに、は張り詰めた声で喋り始めた。 「私…シュウイチローのことが、好き」 「……」 「好きすぎて、もうダメ」 「ホントウは、こんなにスキになったらいけなかったのカモ」。暗闇の中で、が言ったその言葉の意味を、自分の中で咀嚼する。 言葉約束で「付き合っている」と定義される状態にはなっていた。だけど、思い返してみれば、お互いのことを好きだという話をしたことはなかった。はどうしても俺と付き合いたいとは言ったが、その目的は今の今までずっと疑問のままであった。手を繋いだり、体を寄せ合ったり…それだけで幸せを感じることはできていたが、それは俺の話で、今日、初めての想いを言葉として聞いた。 ズズッ、と、沈黙の中で鼻を啜る声が聞こえてきた。、泣いてる……? 視線を横に向けると、月の薄明かりで、の姿は確認できた。細かい表情までは見えない。 手の甲を目に当てているは話す。 「最後…に教え、るね。私のこと、見える人…と、見え、ない人の…境目」 しゃくり上げて何度も言葉を詰まらせながら。その姿を見ようとはせずに、目を閉じて耳を傾けた。眉間に力が籠もっていることに気付いた。 はこう言った。 『コドモだけ、なんだ』 コドモ……? それだったら、俺も何度も仮定した。だけど、俺より誕生日が後の英二を例に取ると、その説は否定される。 では年齢のことじゃないとしたら?例えば、精神的なこととか。俺は英二より精神年齢が低いことになるが、それが事実ならば認めるしかない…。 と、思っていたら。 「さっき、私に触れられるのは心がキレイな人って言ったでしょ」 「ああ」 「それに対して、私のことを見れる人はね」 その続きの言葉を聞いたとき、思わず身体を起こしてしまった。の顔を捉えてしまった。 はまっすぐに俺を見ていた。 『カラダがキレイじゃないと、いけないんだ』 その顔を見れば、説明されずとも意味はわかった。のことが見えるのは、カラダがキレイな、コドモ、だけ。 の体は、綺麗だ。もちろんはそんな話をしているわけではなかった。わかっていた。それでも、君の体は、あまりに美しかったんだ。 その体は月夜の薄明かりに照らされて。元々透明感の高い肌は、透けて反対側が見えそうで。長い髪は肩を辿って体の輪郭通りに湾曲して。唇は色味がないのに艶めかしくて。 …見てはいけないものを見てしまっているようで、顔ごと目線を逸した。 「シュウイチロウ…」 囁くように名を呼ばれ、体がビクっと震えた。 これは、恐怖だ。本能的に恐れている。例えるならお化け屋敷で、この扉を開けたら確実に何かが居るだろうと確信しているときのような。名を呼んできた、その人物を、見てはいけないと 「―――……それでも」 恐怖に慄きながらも、本能的に避けたいと感じながらも 『私のこと、アイシテくれる?』 月光に照らされる、涙に潤んだの眼を、覗いてしまったんだー…。 言うとおりだった。闇の中に差し込む光は理性を失わせる。月明かりと蝶は混乱の素、というの言葉を思い出した。 考えるより先に、俺はベッドの上から引き寄せるようにの体を抱き締めていた。強く強く。そのまま無我夢中で、に口付けた。涙に濡れた頬が、俺の頬に当たった。 初めてのキスだった。唇同士を触れさせた瞬間に、脳に閃光が走ったように感じられ、頬に添えた手を頭の後ろに回した。抱え込みながら、より深く口中を重ね合わせた。相手の体温、絡みつくような舌のうねり、唾液の粘度、唇の柔らかさ…全てが想像を遥かに凌駕していた。無我夢中で貪っているとは「…んっ!」と喉の奥で声を上げた。普段の喋り声よりも少し高い、艶がかった声だ。その声は俺を欲情させた。下半身が苛つく。押し留めろ、押し留めろと考えるばかりで尚意識していた。 俺は…のことが、好きだ。本当は、こんなに好きになったらいけなかったのかもしれない。…何もかも言うとおりだった。 一度離した後、再び口づけようとすると、は左手を翳してストップのサインを出してきた。 「シュウイチロー…わかってる?これが、どういうことか」 胸元を掴んで制止してくるの手を掴んだ。その腕を引くと体は軽々と持ち上がった。ベッドに手繰り寄せて、上半身を押すと、そのまま仰向けに倒れ込んだ。俺の腕の下の存在は、無防備で、あまりにか弱く見えた。 「わかってて煽ってきたのはそっちだろ」 下からは不安そうな顔で見上げてきた。怯えているのだろうか。これから起きることに。 ……俺も怖い。どうなってしまうのだろう。は……俺の前から消えてしまうのだろうか。 それでも。 「ゴメン。でも、もう抑えられないぞ」 は頷いた。 それ以上は拒まれることもなくて、再び付けられた口は、どこまでも深く交わった。 皮肉なものだと思った。今までずっと、込み上げてくるものがあっても、押し込めてきた。目を逸らしてきた。これほど長く一つ屋根の下、一つ部屋の中で暮らしてきて、どのような結末に続いているか分かって初めて、行為を進めることになるとは。 皮肉。それも、相当意地の悪い皮肉だと思った。 でも、俺はもう、目の前にあるこの体から目を背けることができない。いつの間にか俺は、初めは厄介者だと感じた、勢いで付き合い始めたのことを、一人の女性として愛するようになっていたんだ。大切にしたい。…だったらこの行為はなんだ。わかっている。最終的にどうなるのかは。 「…好きだ。愛してる」 「私…も、シュウイチローのこと…だいすき」 長いキスからようやく口を離して顔を持ち上げて、その顔を見つめながら話した。見つめていたのに、の姿が、霞んだ。もう、居なくなってしまうのか? …違う。それは俺の、涙だった。視界が、世界が、容赦なく歪んだ。 本能に任せて、の体をまさぐった。その腕も足も腰も…全て細くて、こんなに弱々しい体をしていたことを今更知った。 服を少しずつ取り払っていくと、細身の体が月明かりに露になった。 全身に滑らせていた指を、下腹部へ運んだ。の身体がビクンと跳ねた。水から上げられた魚のように。水槽のことを思い出したお陰で、一瞬コポコポと音が聞こえた。だけどそれもすぐに消えた。 湿り気の中に、指を差し入れた。かき回すようにまさぐり、中心の入り口を、捉えた。様子を見ながらそっと一本挿し込むと「ん……」と、苦しそうな、でも甘ったるい、声が聞こえてきた。出し入れをするごとに声は大きくなり、より艶を増し、その部分も滑りがよくなっていった。指の本数を増やすと、から聞こえてくる声は上擦った。 「んっ…ふ、んぅ……!」 「大丈夫か、?」 気遣いながらも、俺自身も気分が高まり、中心部が存在を強く主張しているのを充分過ぎるほどに感じていた。今すぐにでもそこを弄りたい、そしての中に入りたい…その感情はあった。 だけど、ゆっくり、少しずつ。傷付けたくないから。と自分の行動を正当化しながら、タイムリミットを少しだけでも引き伸ばそうとしていたんじゃないかな。 「シュウイチロ…っ、もう、いいから…早く…んぅっ!」 そう言うの声と、自分の思いとでせめぎ合った。引き伸ばしたい。早く挿れたい。少しでも引き伸ばしたい…でもいつかは終わりがくる。 引き伸ばしている時間は、何も前に進んでいない。…そんなことはわかっていた。 「…挿れるよ」 「うん……早く…」 唾液で濡れた口元から、甘く零れたその懇願に、ドクンと、血流が一層激しくなった。そそり立った自身を取り出して、そっとの入り口にあてがった。 触れさせただけで、淫靡な快感に思考が一瞬停止したように感じた。全身の血がそこに集まったようで目眩がした。 ここに体重を掛ければ、いつでも、俺は―――。 「…よかった」 そのとき、涙交じりの声が聞こえてきた。 「よかった。シュウイチロウに会えて」 次に、涙でぐしゃぐしゃになった顔が目に入った。 「よかった…っ!」 「…俺もに出会えて、よかったよ」 嗚咽に震える体を抱きしめた。 出会えたことへの感謝。そうだけれど、それだけじゃない。これは別れの準備だった。 今までも好きな人ができたことはあった。実は人並みにも初恋は保育士さん。保育園、小学校、中学校…と恋は何度もしてきた。 に対する感情は、それらの恋とはどこか違った。誰かを好きになるという幸せ、嬉しさ、甘酸っぱさ、くすぐったさ…そんな温かい感情だけではなかった。不安になったり、苦しくなったり、時に煩わしかったり…だけど、誰よりも何よりも大切だった。 は、俺に“愛”を教えてくれたんだ。 それなのに、愛し合うことが直接別れに繋がっていたなんて…なんて皮肉だろう。頭の中ではそんなことばかり考えていた。 それでも…いつまでもコドモのままでは、居られない。 漸く一緒になれるというのに。心の中、俺は「サヨナラ」と言っていた。 身体を中に、進めた。 「……ぁ、アアァっ!!」 「…ちょっと力、抜けるか」 「む、無理…やっ、ぁ……はんっ!」 苦しそうに身悶えしつつ、は鳴いた。目は閉じっぱなしで、涙が溢れていた。痛さからくる涙ではないと信じたかった。 でもきっととても痛かったのだろうと感じた。俺も、本当のことをいうと、痛くて痛くて、張り裂けそうだった。だけどそれを押し込めるためにも、身体を進めた。その行為こそが、また痛みの対象になるとは分かっていたけれど。それでも、そうせずには居られなかった。 強く締め付けられて、今すぐにでも体内に溜まっている欲望を吐き出したい気分だった。でも、それは“終わり”を示すことだから、それはできなかった。 ゆっくりと体を前後させた。始めはきつかったが少しずつ滑りが良くなってきて、最終的には奥まで入った。 「…奥まで、入ったよ」 「うん…感じるよ。中に、シュウイチローが…いる」 ドクンと。また、自身が膨大化していくのを感じた。目の前では苦しそうで、それと同時に切ないような、そんな表情をしていた。 目がチカチカした。意識が飛びそうだった。自分が自分でなくなってしまっているような、変な感覚だった。これは、が人ではなくて妖精だからなのか。それとも愛する女性を前にしての当然の反応なのか。このときの俺にはそれすらわからなかった。 朦朧とした意識の中でもっと刺激を得たくなって、身体を少しずらした。今まで以上に甲高い声で「あっ!」と聞こえた。 「…だいじょうぶか…?」 「そ、こ…………キモチィ…!」 聞き取るのがギリギリなほどの、喉の奥から振り絞った声だった。でも、初めて明確に、その言葉が聞けた。が、俺と繋がって、気持ちよくなってくれている……胸が一杯だ。 ……苦しい。 「ここが、イイのか」 「ヤ…待って、あっ、やん、やめ、て……っ!」 本当に、ここで止めたら、全て帳消しになるのだろうか。そうしたら、俺の前からは消えずに済むのだろうか。そんな思考も頭をよぎった。 だけど…それは無理だった。いくらが愛しくて、でもこの行為によって手が届かない存在になってしまうとしても。快楽に手繰り寄せられながら愛を確認するこの行為を、途中で止めることはできなかった。 体を往復させるたびに快感が増した。どんどん息が荒くなった。体中が熱くて沸くように汗を掻いた。眉間に力が籠もって、目の前の存在を見るために瞼を持ち上げることですら困難になってきた。限界が近い。 「、もう俺……」 「……イヤ。シュウイチロー……ヤダよぉ……」 「……ごめん。ゴメン、…!」 「謝らないで」。ボロボロに泣き崩れながらもそう告げて、は頬に手を添えてきた。嗚咽で体は不定期に上下していた。 大きく深呼吸。時間を稼いでいる自覚はあった。だけど、刻一刻とその時は迫っていることにも気付いてた。 「…あ、そうだ」 「ん、どうした…?」 こんな時になっても、は「ヤクソク」と言った。いつもみたいに。 「1つ目。満月の夜、窓を開けてね」 「え、どうして…」 「いいから」 よくわからなかったが、考えるより先には次に進んだ。 「2つ目。私のこと…忘れないでね」 「……勿論」 声が、少し震えた。情けないような気がしたけど、決してそんなことはないと自分で言い聞かせた。 「3つ目。いつまでも、キレイな心、大切にしてね」 何も言えなかった。 結局わからなかったままだ。俺がに触れることができたのが、本当に心がキレイだったからなのかは。 だけどは、俺の心はキレイだと、そう言ってくれたんだ。 言葉では答えずに、笑顔を見せた。月明かり程度の明るさで、果たして見えただろうか。 「分かった。約束、全部守るよ」 「本当だよ?」 「ああ…ヤクソクだ」 小指を絡めて、数回揺すった。 「ありがとうね」 はそう言った。約束を守ると言ったことに対してだと思ったが、それだけではないと、表情でわかった。 嬉しそうで、幸せそうで……なのに、どうしてこんなに悲しそうなんだ。。 「シュウイチローの前から私が消える原因が、私で良かった」 違う。どうして。こんなに悲しそうな思いをさせなきゃいけないんだ……。 「愛してるよ」 そう言って、力なく笑った。俺はのこの表情、そして自分の感情を、一生忘れられそうな気がしない。 「俺も愛してるよ」 嬉しくて、幸せで………悲しみに潰されて消えてなくなりそうだった。まるで忘れるためみたいに、身体を動かした。口付けて、抜き差しして。快感と、切なさと、少しの痛みが走って。 「(サヨナラ……)」 心で呟いたと同時、体が弾けていった。そしてそれ以降の記憶が、俺にはない。 気付いたら朝になっていた。 「……おはよう、」 返事はなかった。いや、あったのかもしれないが、俺には聞こえなかった。 俺の15歳の誕生日。それは、が俺の前から消えた日となった。 ** 「(…うん。言えないな)」 「おーいし、まだ起きてる?」 「ああ」 俺の呼吸が寝息になっていないことでも察したのだろうか、英二が声を掛けてきた。会話が止んでからしばらく経っていたが、英二はまだ起きていて、どうやら俺の話について考え直していたようだ。 「15歳の誕生日に見えなくなったのはわかったんだけどさ、15歳以下でも見えない人もいたんだよね、オレとか」 …鋭いな。ちゃんと話をよく理解してくれていたようだ。 「ようは、精神的に大人かってことさ」 「じゃあ、中3ンとき大石よりオレの方が精神的にオトナだったってこと?」 「そうなんじゃないか」 「ふーん……」 あまり納得がいかないように英二は口を突き出した。とはいえ、精神的にオトナか、なんて。数字で測れるものでもないし証明のしようもない。咄嗟の出まかせだったとはいえ、我ながら絶妙な嘘をついたものだ。 いつか、本当のことを話す日が来るだろうか。例えば俺は、以外の女性と経験をして、が過去の人になって、実はこんなことがあったんだと昔話ができるようになるような日が。 …そういう意味では、今日英二にした話は、時は経っているもののまだ「昔話」ではないのかもしれない。 「それに、は消えたわけじゃないんだ。見えなくなっただけなんだ」 「つまり?」 「今もここに居る」 「…いい病院紹介しようか?」 「英二」 「あ、そうだよね。病院なら大石のほうが詳しいよね、にゃはは…」 「こら」 まともに信じてもらえなかった。それがある意味“大人の反応”かもしれないな、などと思った。 でも実は、もう俺もわからないんだ。が本当に居るのか、居ないのか。 が俺の前から姿を消したその日からも、しばらくは月に一回君に会えた。「満月の夜は、魔力が一段と強まるから」という説明を添えて。満月は魔力と共に魔性が増すため、間違いを起こさないために避け続けていたと言っていた。だけど本当は月明りが好きだと教えてくれて、朝になってが姿を消すそのときまで、一緒に月を眺めながら寄り添ったものだ。 でももう、最後にそうしてから数年が経っている。 「本当のことを言うと、実はわからないんだ。もう居なくなったのか、居るのに俺には見えなくて触れなくなったのか」 これは、失恋だ。好きな子のことを見ることも触ることもできない……この状態を失恋以外になんというだろう。 「辛かったんだね、大石。妖精なんかに恋をして」 首を横に振る。 「妖精だからじゃないよ」 もし俺も人並みにクラスメイトなんかと付き合ったりしていても、数年以内に別れていた可能性はある。妖精だから、とは限らない。 だからもし、君が実はここで俺の話を聞いているとしたら、恨まないでほしい、次に進もうとする俺を。嘆かないでほしい、妖精であるという自分を。 「どんな理由でも失恋は辛いし、相手が人間でも妖精でも同じだよ」 「…そっか。失恋か」 「うん。失恋だ」 「……俺もアイツのこと見れなくなったり触れなくなったら死ぬ〜!」 彼女のことを思い浮かべている様子の英二はそう言って枕をぎゅっと抱き締めた。 俺は一旦布団から出て、カーテンを引いた。今日は見事な満月だ。 満月の力を借りても君に会えなくなって随分経った。もう見えない。触れない。形に残るようなものは何も、写真の一つすら残っていない。もしかしたら全て俺の妄想だったのではないかと考えることもある。でもすぐに、そんなことはないと思い直して記憶の中の君の姿を反芻してきた。忘れないように、何度も。だって、誰とも触れ合わずに生きる君は、俺が忘れてしまったら、始めから存在しなかったことになってしまう。 「今夜は月が綺麗だな」 窓も開けて、しばらく夜風に当たりながらその光を浴びた。だけど何も起きなかった。もう、何も起きない。 覚悟を決めた。いや、正確には、もう覚悟はできていた。5年間誰にも匂わせることすらなく内密にしてきたこの話を、初めて、人に話したんだ。その時点で俺は胸の奥では決心していた。 深呼吸。 「…英二」 「ん?」 「実は俺…最近ちょっと気になる子がいるんだ」 「へぇ〜そうなんだ!どんな子?どこの子??仲良しなの!?」 一気に質問攻めしてくる英二には笑顔を向けて落ち着かせて、一つ深呼吸。 「共通の趣味を介して少しだけ話すようになった子で、まだ付き合うとかそういう感じじゃないんだけど…」 「だけど?」 目を爛々とさせて話を促してくる英二。俺は、満面の笑みとはいかなかったが、笑って言えたとは思う。 「ちょっとだけ、に似てるかな」 君はこの言葉を聞いているのだろうか。聞いたとしたら嘆くのだろうか。全て俺の想像でしかない。 だけどわかるのは、俺の記憶の中の君はいつも必ず笑っていたということだ。昼間の太陽の下で元気に。満月に照らされて妖艶に。 、これからも俺は絶対に君を忘れない。 だってそれが、君とのヤクソクだったから。 そうだろう?と、返事がないのをわかりながら月明りに語り掛けた。 |