* 12月9日の桜の景色 *











“青学のとある桜の木の下で告白すると恋が叶う”。

みんな知ってる、願いが叶う桜の噂。


木の幹に手を当てて、目を閉じて、大きく深呼吸。



今日、私がここにいる理由。

時は、1ヶ月前に遡る。






  **






「引っ越し!?」



素で驚いた私は自分でもびっくりするくらい大きな声を出してしまった。
引っ越しをする。その事実を伝えてきたお母さんはこちらを申し訳なさそうな顔で見てきて、後ろのソファでお父さんは眉をしかめていた。


「お父さんの転勤が決まったの…アメリカに」

「えっアメリカ!?いつから!」

「来年の1月から」

「1月…」


今は11月。もう、2ヶ月しかない。
しかもアメリカなんて。まさか自分が海外留学することになるなんて微塵も考えたことがなかった私は突然告げられた事実に動揺するしかできなかった。


「ごめんね、中学受験も頑張ったのに」

「それはいいけど…向こうの学校は?」

「学校のことはお父さんが色々調べてくれてるから。日本人学校もあるらしいし」


頭がグルグル。
もしかしたらもう少し落ち着いたら楽しみなことも色々浮かんでくるかもしれない。
でも今は。とにかくショック過ぎて。不安ばかりが襲ってきて頭の中はパニックだ。
私、英語喋れないよ?危なくないの?帰ってくるのはいつなの?友達できるかな?部活はもう引退?習い事は続けられる?青学で卒業できないの???
疑問が一斉に浮かびすぎて、脳みそがパンクして一つも口から出せなかった。
そして最後にもう一つ。


この恋は、どうなるの?


私には、好きな人がいる。一学年年上の大石先輩。
出会いは去年の4月。私が新入生として青学に入学してきたときのことだ。
まあ、出会いといっても、当時は名前も何も知らなくて、ほんの数分間喋っただけの関係だけれど。


もう、あれから一年半以上が経つのか…。






  **






「(学校広すぎない!?ムリ!!!)」



ついこの3月に小学校を卒業してきた私は、今日から晴れて青春学園の生徒となった。ただのしがない公立小学校と違って、有名私立中学である青学は生徒数もクラス数も多くて、それに伴って校舎は大きいし学校の敷地面積はとんでもなく広い。今日は入学式で、クラスにも早速お友達はできて、これからの学校生活に胸を馳せていたところではあった、が、まさか帰り道に躓くことになってしまうとは。


「(この景色には見覚えがある…気がする)」


キョロキョロとあたりを見回しながら、私は自転車置き場を探している。朝は校門をくぐると優しく案内をしてくれる上級生が居たけれど、帰りの今の時間はもう案内の人はいてくれなかった。記憶を頼りになんとかたどり着きたい……けど実は、私は方向音痴である。
他にも自転車置き場を目指している人がいれば良いけれど…。でも、自転車置き場の広さや朝すれ違った人数から想像するに、学校全体の人数に比べて自転車通学の人はかなり少ない。電車やバスの人が圧倒的に多いようで、誰かがすれ違って私を自転車置き場まで誘導してくれる希望はやや薄め。いや、ここが校舎からの最短経路上ならもう少し期待できるけど、すでに普通の人がよく通る道から外れてしまっているかもしれない。
その確信が深まってきたのが、今まで歩いてきた道が途切れてしまったから。

なんか、裏庭っぽいところに着いてしまった…。
と。


「わっ!」


私の横にぶつかりかけるようにしながら、女の人がものすごいダッシュで通り過ぎていった。
びっくりしたぁ。なんかすごく焦ってる風だった。どうしたのかな。とても道を聞けるような雰囲気じゃなかったしそんな暇もなかった。
でもこっちから人が来たということは、この先に誰かが居る可能性が高いのでは…と期待を持ってもう少し進むと。


「(あ、やっぱり誰か居る)」


そこには、裏には勿体ないような立派な桜な木が立っていて、その下に坊主頭の男の人が一人立っていた。上級生かなぁ。
何をしているんだろう。でも、忙しそうには見えない。助けてもらえるだろうか。


「あのー…すみません」

「わっ!!!
 っと、びっくりしたー…。どうしましたか」


こっちこそびっくりしたよ…と言いたくなるくらい大きな声をその人は出した。
どうしたんだろう…。


「あの、私、新入生なんですけど、道に迷っちゃって」

「あ、そうなのか。どこに行きたいんだい?」

「自転車置き場に…」

「えっ。自転車置き場は反対側だけど」

「ええ!」


どうりでたどり着けないと思った!景色に見覚えがあるような気がしてたけど気のせいか…まあ学校の中の風景なんてどこも似たようなもんだよね…。
こんなわかりやすい目印でもあればいいけど…と桜の木を見上げると風と一緒に花びらがひらひらと舞い降りてきた。その桃色の景色の中で、その人は柔らかく笑った。優しい笑顔をする人だなぁ…。


「俺も近くまで行くから、良かったら途中まで一緒に行こう」

「本当ですか!ありがとうございます〜私、方向音痴で…」


その先輩らしい男の人は、「こっちだよ」と私が元来た方向に歩き始めた。
この奥にはもう何もないのかな…。さっき走り去った女の人は、この先輩と何か話してたのかな?


「何してたんですか?」

「いや、その、ちょっと…」

「も、もしかしてコクハクってやつですか…!」


興奮する私に対して、その先輩の表情は冴えなくて「告白されたのか、フラれたのか…」とか言いながら手元にある手紙を見下ろしている。なんかあいまいなこと言ってるけど、きっとラブレターってやつだよね…?さすが、中学生って進んでる…!
話題を変えたかったのか、先輩は全然違う話を投げかけてきた。


「入学式、緊張したかい」

「えー、緊張とかないですよ!ほとんど座ってただけだし」

「そうか。俺は去年緊張したから」


そういって先輩は笑った。なんか、めっちゃいい人そうだな、と思った。まあこんな見ず知らずの後輩の私にこんな親切にしてくれてる時点でもういい人なんだろうけど。爽やかで、青春って言葉がすごく似合う人だと思った。
結局学年も名前もわからないままだったけど、その人のお陰で私は無事岐路に着くことができて、なんだか素敵な入学初日を過ごすことができたのだった。

それが“大石先輩”だったと認識したのはそこから半年ほど経ってのことだった。






  **





それは生徒会選挙に向けての立候補演説の日のこと。


「保険委員長に立候補します、大石秀一郎です」


あ、あのときの爽やか先輩だ!!!
壇上で凛とした姿で発表をする先輩を見て、私は勝手に誇らしい気持ちになった。
私、入学式の日からこの人のこと知ってます!みたいな。こんな特別感を味わっているなんて私くらいなんだろうなあ、と思っていたけど周りからは「テニス部レギュラーだ」とか「新副部長だ」とかぼそぼそと聞こえてきて、あれ、もしかして有名人なんだ…?と気付いた。

なんだか急に、遠い人に思えて。

別に何も近い人ではなくて、なんなら私も入学式の日に喋って以降一度も関わってなかったのに、なんだか急に遠く感じて、寂しくなった。なんで寂しくなったのかもわからないまま。

その寂しさを抱えたまま。



「(テニス部…)」



今日得た情報によると、大石秀一郎と名乗っていたあの先輩は、テニス部のレギュラーであり新副部長らしい。下校時、自転車置き場から少し奥に行けばたどり着けるけどわざわざ向かうことは一度もなかったテニス部に、初めて足を運んだ。
何故だか、大石先輩を、もっと近くに感じたくなって。

……居た。
しばらく観察させてもらうことにした。

テニス、すごく上手だ。常に周囲を見回してたくさん声を出して全体を統括してる。


「(遠いな…)」


姿は見えるのに、すごく遠くに感じた。距離もだし、急に手の届かない人になったような気持ちになった。
あの桜の木の下で見た柔らかな笑顔を思い出した。あの笑顔は、あの景色は、私だけが知っている世界だった。

どうしてこんなに独り占めしたい気持ちになるのか。
考えながら
自転車全力で漕いで
帰宅して
布団に寝転んで
天井見上げながら


「(大石先輩…………スキっぽい)」


気付いてしまった。
恋に落ちるって、もっとロマンチックなものだと思ってた。何か劇的なきっかけがあったり、運命的な理由があったり。でもそうじゃなかった。恋に“落ちる”という言葉に、なるほどなって思った。恋って落ちるものなんだ。こんな急に。こんなにも簡単に。






  **






そうやって恋に落ちて、1年以上が経過した。その間、具体的に何かするということはなかった。たまにテニス部の練習を覗きに行ったり、朝礼で保険委員長からの報告があると嬉しくなったり、廊下ですれ違ったときにこっそり目で追ったりしていたくらいで。

今にして思えば、もっと何かすれば良かったな。
もっと積極的にテニス部の応援に行ったり、保健委員会に入ってみたり、廊下ですれ違ったときに話しかけたり。近づこうと思えばいくらだって近づく方法はあった。
だから、これは、“引っ越しが決まったから私はこの恋を諦めざるを得なくなってしまった”っていうのはただの言い訳で、本当は、今の今まで動けてなかった時点で私はダメなんだ。


「(このまま終わってしまったら…ダメなままだな、それは)」


大石先輩。
遠巻きに見るだけで幸せな気持ちをくれた大石先輩。
私の青学での生活を楽しい思い出でたくさんにしてくれた大石先輩。

逆に、この、引っ越しという状況はチャンスなのでは?と思えてきた私は便せんとペンを手に取った。





  **






そこから1ヶ月。12月9日。
私は大石先輩を手紙で今日ここに呼び出した。

手を当てた木の幹の表面はひんやりと冷たかったけれど、数秒間そうしていると少し温もりが伝わってきたような気がきた。
立派な木だ。春には一面をあんなに美しい淡紅色の世界にしてくれた。まさか、入学式の日に迷い込んだことで目撃した桜の木が“噂の桜”だなんて想像できなかった。再び、意図してここに来ようということも、想像なんかできなかった。

でも私はきっともう二度と、ここでこの桜が咲きほころぶ姿を見られないのだ。

青学のとある桜の木の下で告白すると恋が叶う。みんな知ってる、願いが叶う桜の噂。
枝しかない冬の桜でも同様に願いは叶うのだろうか。

大石先輩……。



「君だったのか」



丁度心の中でその名前を呼んだときに、後ろから声を掛けられた。
来てくれた。


「大石先輩、私のことわかるんですか…?」

「わかるさ。去年の入学式の日にここで話しただろう?」


憶えててくれたんだ…。
その事実だけで胸が一杯になった。


「まさか手紙の主が君だなんて」


大石先輩の手には、私が渡した手紙が。
名前もない。気持ちも書いていない。ただ、12月9日、放課後に裏庭の桜の木の下に来てくださいと。それだけ伝えた手紙だった。

大きく息を吸う。吐く。


「大石先輩…………スキです」


どう伝えようか、色々考えてたけど結局直球になった。それに対して、大石先輩はわずかに頬を染めて、口を開いた。私は何か言われる前にと急いで制する。


「あ、待ってください。別に何か返事を求めているわけじゃないんです。伝えたかっただけなので」


そう伝えると、大石先輩はキョトンとしてから、苦笑いを浮かべた。


「告白されたのか、フラれたのかわからないな」

「え……え?」

「ごめん、こっちの話だ」


そういえば、初めて会ったときもそんなことを言っていたような…。あんまりよく憶えていないけど。1年半以上も前の話だし。
それよりも、伝えたいことを伝えて、次に進まないと。


「実は私、来月から海外に引っ越すことになったんです」

「え、海外…どこに?」

「アメリカです」

「アメリカ…か」


大石先輩はそれ以上何も言ってこなかった。私が、返事はいらないと言った理由もわかってくれただろうか。
風が冷たい。これからどんどん寒くなる季節だ。


「大石先輩が卒業する姿、桜と一緒に見送りたかったけど、叶いそうにないです」


本当は、桃色の中で叶ってほしかったその願い。
だけど今の私にはこれが私の精一杯だ。


大石先輩は桜の木の幹に手を当てた。そして目を閉じて、大きく深呼吸をした。さっきの私みたいに。
そして「なんだか温かく感じる」と言った。本当に、さっきの私と同じだ。


「桜の木って、花が咲いている期間が過ぎると桜ってわかりづらいよな。冬に至っては葉すらない。だけどその間も、枯れているわけではなくて、ちゃんと生きている。そしてまた来年花を咲かす準備を一生懸命している…冬の桜を見るとそんなことを考えるよ」


大石先輩…。

私、実は大石先輩のことそんなに知らない。遠巻きから見た姿に憧れていただけで。
だけどもっと知る努力をすれば良かったと今思った。こんなに素敵な考え方をできる人だって知らなかった。
これは、伝えるつもりはなかったけど、伝えることにした。私が、今日、大石先輩を呼び出した理由。


「大石先輩」


名前を呼ぶと、大石先輩は顔と目線とこちらに向けた。


「……実は私、今日誕生日なんです」

「えっそうなのか」

「でもなんか、冬って寂しいなって思ってたんです。春生まれの人が羨ましかった」


暖かくって、明るくて、色鮮やかで、咲き誇る花たちが祝福しているようで。新しいことを始まるのに適している春という季節に憧れがあった。
でも。


「だけど…なんだか、冬が少し好きになれました」


私も木に手を当てた。
やっぱり、温かい。そんな気がした。


大石先輩は、笑った。その柔らかい笑顔は、1年と9ヶ月前に見た笑顔そのもので。


「誕生日おめでとう。応援しているよ、君の新しい生活を」

「ありがとうございます」

「大丈夫。アメリカでも桜は見られるさ。アメリカの桜は、日本との友好の証だ」

「…そうでしたね」


あまりに優しい気遣いに胸が温かくなった。

やっぱり私は、大石先輩が好きだ。
大石先輩を好きになって良かった。



“青学のとある桜の木の下で告白すると恋が叶う”。

みんな知ってる、願いが叶う桜の噂。



成就はできなかったけど、きっと私の恋は叶ったのだろうと思った。

だって、冬の桜だって、熱を内に秘めて今日も生きているのだから。























テーマ:
冬の桜

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2019/12/09