* 「あの時の風は幾度でも吹く。」 *












人生で初めて彼女ができた。
そもそも、人を好きになったこと自体が初めてなのだけれど。


「大石ー、帰る?」

「あ、ああ」


週一の部活が休みの日、俺はその彼女であると一緒に下校している。


付き合い始めて半年が経った。
こうして一緒に帰ることも数えきれないほどになったし、
休みの日にデートだって何回もした。

今更、一緒に帰ることに特別感などない。はずなのに。


「…ね、大石。なんか緊張してない?」

「えっ」


図星。


「ど…どうしてそう思うんだい」

「は?だってなんか表情硬いしぜんぜんしゃべんないし
 謎にかばんのストラップ両手でつかんでるし」

「あ」

「それにー」


ぴょんと大きく一歩俺に近づいてくると、
肩と腕がぶつかるくらいの距離で手を掴んできた。


「なーんか、いつもより遠いし」

「!」


手を繋ぐくらいは、慣れた。
でもここは、学校で。

………。


「こら!学校の中ではやめろ」

「へへへっ」


腕を揺すって抵抗すると、元々振り払われる前提であったかのように
あっさりと手を離したはいたずらな顔で笑った。


緊張している。

図星であった。


何故、付き合って半年も経つ彼女に対して今更緊張しているか。

その理由は、先週末に遡る。





  **





「秀一郎ももうすぐ中学卒業か。勉強の方はどうだ?」

「順調だよ」

「そうか」


それは、いつも通り章高おじさんのところへ行って
色々と話を聞いたり聞いてもらったりしたときのこと。


「ねえ、おじさん」


俺はある疑問を持ちかけた。


「学生のうちにやっておけば良かったって思うことはある?」


将来医者を目指している身としては、
既に医者として活躍しているおじさんの話を是非参考にしたい。


おじさんは顎に手を当てると真剣な表情で天井を見上げた。
そうだなー…と顎を擦るおじさんの話に身を乗り出して耳を傾ける。

暫く考えた末に口を開いたおじさんからは、想像とは全く異なる返事が返ってきた。



「当時の彼女と学校でスケベなことをしなかったことかな…」



…………。
えぇっ!?


「えっ、章高おじさん!?」

「なんだ、俺は真剣だぞ」

「えー…」


どういうことだ。
いつも真面目な章高おじさんからそんな言葉が出てくるだなんて。
にわかには信じがたかったが、
単なる冗談…というわけではないみたいだ。
俺は耳を傾ける。


「いいか、勉強なんてのはな、年を取ってからも
 いー…っくらだってできるんだよ。だけどな、
 生徒という立場で、学校という場所で、
 そのときしか出来ないことっていうのがあるんだよ。
 そして大抵そういうことは、出来なくなってから気付くものなんだ」

「…おじさんの場合はそれが、その……エッチなことだってこと?」

「そうだ。学校でっていうのがポイントだぞ」

「はあ……」


おじさんには俺は小さい頃から色んな話を聞かせてもらってきたけど、
この手の話をするのは始めてだった。
俺がそういう話が通じるような年齢になったってことなんだろうけど、
正直、この話題は居心地が悪いな…。


「卒業式まであと2ヶ月か、頑張れよ」

「俺に…そういうこと、しろって?」


はははとおじさんは大きく声を上げて笑った。


「それはお前次第だが、後悔だけはするなよ」

「……ありがとう」





  **





とまあこういうわけなんだ。

と…学校で…エッチなこと………。


想像するだけで顔が熱くなって、
首を横に振って思考をかき消した。


「何やってんの?マジ謎」


そんな俺の奇行を見、ケラケラと笑った。


二人で帰るときは、少し寄り道をしながら帰るのが常だ。
通学路を逸れた道に入ってから、の方から手を取ってきた。


もっと、距離を、近づけないと…。
物理的にも、精神的にも。

ぷらぷらと揺すられる繋がれた手と手。
それを解いて、指、と、指の間に、指を滑り込ませた。

初めて、いわゆる“恋人繋ぎ”をした。


改めて繋がれた手元に視線を落とし、
次は俺の顔を見上げ、
は不思議そうに聞いてきた。


「…もしかして、これやりたくて緊張してた?」

「違うけど……まあ、大体そんなとこかもな」

「ふふっ、ウケるー」


ご機嫌そうに腕を大きく振った。

そういえば初めて手を繋いだとき、
そのときは指を絡ませたりなんかしなくていわゆる“おててをつないだ”状態で、
は「こんなことするの小学生以来ー!」なんて言っていた。

そこから考えれば進展だとは思うけど。
しかし反応が「ウケるー」とは…。


エッチなことどころじゃない。
どうしたらもっと恋人らしくなれるのか…。



そう、おじさんには彼女が出来たことは話したけれど
俺たちが現在こういう状態だということは話していない。
付き合っているけれど、恋人らしい状態とはとても言える状態ではない。


「(エッチなこと…)」


そんなのできるわけないよ、章高おじさん。
まだキスすらできてないのに…!


「それじゃあ、またね」

「ああ。また明日な」


の家の前で見送って、俺も自分の帰路に就く。

どうしてこんな感じなのか…。
どうしたらいいのか…。
悶々と考えながら、家に辿り着いた。


「ただいま」

「お帰りなさい」


帰宅し、自身の部屋に入り、鍵を閉める。
鞄を下ろし机に座ると、ふう、と大きめの溜め息が出た。


一歩ずつ進展している、と言えるのだろうか。
もっと色々したいという感情はあるが、
なかなかそういう雰囲気に持って行けない。

俺が悪いのか。
の性格のせいもあるか。
そもそもは何も求めていないのかも知れない。

今日…俺は内心ドキドキしていた。
はどう感じていたのだろう。


の手、柔らかかったな。
指も細くてスベスベだった。

……。



考え始めたら、体の中心部に熱が集まってくるのを感じた。
ズボンのベルトを緩め、チャックを下ろす。
制服の少し硬い布地から、ゴソ、と自分のイチモツを取り出した。
熱を帯び始めていたそこは、少し刺激を与えるだけで
みるみる大きくなり存在を主張した。


……。


自分の彼女をオカズにすることに抵抗がないわけではない。
だけど、いずれ実際に“そういうこと”をするのであれば
ある程度想定しておかなければならない…という
言い訳めいた理由付けにより、その行為は続いた。
いつも無邪気に笑う君が、快感に表情を歪める想像をしながら。

場所は?
学校だとしたら?


保健室のベッド…
体育倉庫…
昼休みの裏庭…
授業をサボって屋上…
滅多に人の来ない視聴覚室…
使われることの少ないトイレ…
それともやっぱり、放課後の教室…?



…」


その名を口にすると、
まるでそこに居るかのように脳が錯覚して。

熱が加速していく。


「ハァ…」



気付けば息が荒い。
力が入りすぎて
腰が重たくなってくるような。
何かが込み上げてくる。


「ハァ……ハァ…っ!」



………ッ!




全てを放り出して、
さっきまではなかった罪悪感。



「………」



笑っちゃうよな。
実際はまだ、キスも出来てない。
呼び方だって名字のまま。
恋人らしい雰囲気にもなれてないのに、
一人のとき、想像の中だけでは
俺は君を自由に操っている。


「………はぁ」


卒業まであと2ヶ月、か。





  **





と一緒に過ごせる学校生活の最後の2ヶ月だ。
エッチなこと(…)も出来るならしたいというのが正直な気持ちではあるが、
それ以上に普段の日々も精一杯楽しみたいと思ったし、
実際そう出来ていたと思う。


だけど俺たちの仲が進展できたかというと、そうではなく、
ただただ俺の中の空想でだけ関係が発展していた。
もう、校内でと触れ合わなかった場所はないのではないだろうかというくらい。
…空想の中ではな。



思い切って誘ってみる?
そういう段階じゃないだろ…。

いきなり押し倒してみる?
いやいやそんなまさか!


もう無理なんじゃないか…
何度も諦めようかと思ったけど。


『後悔だけはするなよ』


章高おじさんの一言が、
俺の胸に棘のように引っ掛かり続けた。



この先もずっと君と居たい。だから、
青春学園の生徒として一緒に過ごせたこの時間を
思い出として後にも残せるように。

そして願わくば、恋人同士としても進展できるように…。





―――…しかし結局悶々とするばかりで具体的な進展がないまま2ヶ月が過ぎた。



胸元に花を付けられ、
紅白の横断幕で覆われた体育館の前方に座っていると、
いよいよ卒業するんだな…という実感が増した。


式は滞りなく進んだ。

石川校長からの祝辞。
来賓の方々からの祝辞。
卒業証書の授与。
卒業生の合唱。
手塚の卒業生代表挨拶。
在校生からの代表挨拶。
在校生からの合唱。
青春学園中等部校歌斉唱。

そして最後の、蛍の光。


様々なことが頭を巡る。


外部受験をした俺は単に中等部からの卒業ではない。
青学から卒業だ。
4月からは、より一層身を入れて勉学に励むこととなる。

ここでは様々なことを学べた。
勉強だけではない。
やはりテニス部は大きかった。
委員会活動も3年間やり続けた。
たくさんの友人を得た。

そして、君に出会えた。


俺は、青学に入って良かった。

ここに通えたことを誇りに思う。



「卒業生、退場!」



胸を張り、誇らしい気持ちで体育館を後にした。





  **





教室に戻ると、集まった人から随時どんちゃん騒ぎが始まっていた。
朝の段階でクラス全員の集合は終わっている。
卒業式が終わり次第流れ解散ということになっている。

卒業したんだな、俺たち。


「大石!学級委員お疲れ!」

「みんなも一年間ありがとう」

「もう学ラン着るのも今日で最後なんだろ?」

「大石くんが高校にいないの寂しくなるよ〜」


俺は外部受験したこともあって、多くの人から声を掛けてもらえた。
そのまま軽い談笑を交わしていると、
「ほら彼氏様だよ」と肩を叩かれた。

振り返ると、女子の輪の中で慰められている号泣状態のがいた。


こんなに泣くようなタイプだったか。
可愛い…。


「どうした、大丈夫か?」


問いかけると、目を合わせないまま首だけを横に振った。
ダメかー…。

再来週からはみんなと一緒に高等部。
ここまで泣くだろうか。
…俺との別れを嘆いてくれたりもするのかな。

そのまま抱き締めたい衝動に駆られた。
でもここは教室。みんなも居る。
衝動を誤魔化すように、ハハと笑った。


気を遣われたのか、他の子たちは少し離れた位置へ行った。
と色々話したいことは、ある。
でも色々ありすぎて、今ではない気もする。
あとでまた話したいな、二人で。


「今日、一緒に帰ろう」


それとも他の友達と約束があったりするだろうか、
と思ったがはこくんと頷いた。
良かった。


「他の友達とも色々あるだろ?
 俺もテニス部のみんなと会ってくるから。
 全部終わったら、また教室に戻っておいで」


頭に手をポンと乗せた。
本当は、そのまま胸に抱き寄せたかった。
…また後で。


荷物は持たないまま、教室の出口に向かう。
振り返る。


「それじゃあみんな、今までありがとう!」


今まで学級委員としてクラスを取り仕切ってきたときのように声を張った。
これも最後だ。


「大石またな!」

「大石くん!こちらこそありがとー」

「元気でね!」

「達者でな〜」


みんなの笑顔に見送られ、教室を後にした。

ありがとう、3年2組。





  **





きっと誰かいる…と思ってテニスコートに向かうと、
想像よりも多い人数がそこに居た。


「あっ!おおいっせんぱい来た来た!打ちましょー!」

「遅いぞっ、大石ぃー!」


そこにいたのは、3年のみんなと、
担当の片付けが早めに終わったらしい下級生がちらほら。
打ち合っていた英二と桃が俺に気付いて声を張り上げた。


「制服のままなんてお行儀悪いぞ」

「固いこといいっこなしだよ!」


歩み寄ると、英二はラケットを渡してきた。
これは…桃の予備ラケットか。


「汚したって、もう着ることもないっしょ」


ね?と首をかしげる英二は
笑顔だったけれど憂い気な表情をしていた。


そうか。

ごめんな、英二。


「…そうだな」

「そう来なくっちゃ!」


ラケットを握り直して力を込める。
英二は調子よくラケットを回した。


「やるからには本気で行くぞ!」

「よっしゃ!誰でもいいぞぉ、掛かってこーい!」


そうして1ゲームマッチのダブルス勝ち抜き戦が始まった。
あんまり長引かせてを待たせたら悪い。
「負けたら帰るからな」と宣言していたものの、
みるみる10連勝してしまい「黄金ペア健在ー!」と英二とハイタッチを交わした。

俺たちが負かしてしまった桃と海堂は、
「現レギュラーにも関わらず…油断している証拠だ」などと
現部長でもない手塚に罰走をさせられていた。

別コートでは不二と越前による「あの日の続き」や、
タカさん一人vs下級生二人、
などなど様々な催しが行われていたようだ。
(乾はずっとノートにペンを走らせていた…)


こんな時間がずっと続けば良いと思ったが、そうもいかない。
時は刻一刻と過ぎている。


「大石先輩!勝ち逃げずりーっスよ!」

「でも悪い、そろそろ行かないと」


太陽はもう真上を通り過ぎた。
リベンジに挑んでくる桃と海堂に3連勝を治めたところで俺は帰ることにした。


「またね大石!」

「たまには遊びに来てくださいねー!」


最後に集合写真を撮り、後輩と同級生たちに見送られ、
俺はテニスコートを後にする。


ここに居て良かった。
青春学園テニス部に。
ありがとう。





  **





思ってたより遅くなってしまったな。
、もう教室で待ってるかな。
帰っちゃったりしてないよな。


早足に階段を上り、廊下を抜け、
3年2組。
一年間通い続けた教室。

扉の隙間から、黒板付近に佇む後ろ姿が見えた。


「ごめん、お待たせ!」

「あー、大石!おそーい!」


笑って振り返るその姿。

気のせいか。
笑ってる?いつもみたいに?


『どうした、大丈夫か?』


喉まで出かかって、言えなかった。

揺れる瞳に、心を奪われて。


好きだ。
君が好きだ。


恋に落ちたあの時のような誰も居ない教室。違うのは、
黒板の落書き、
手元の卒業証書、
胸元の花、
髪が伸びた君。


胸が弾けた。

もう抑えられない。
君が好きなんだ。


一歩一歩近付く。
触れられるくらいの距離に。




「えー?」


初めて使ったその呼び名。
くすぐったそうに見上げてくるその両肩を、掴んだ。
表情が変わる。


「大石、突然どうし…」


言葉を無視して、顔を近づけていく。
…チュッ。


「……ふえ?」

「ごめん、びっくりした?」

「えええええ!?」


桃色に染まった頬を両手で覆うと同時に感嘆の声が上がった。
どちらかというと俺が驚かされることが多いけれど、
今日は俺が驚かすことができたみたいだ。

愛おしい。

君が。
好きだ。


「大石、い、今、キッ……!」

「秀一郎」

「ハイ!?」

「だから、大石じゃなくて、秀一郎」

「……あっ!そういえばさっきって!!!」


名前で呼ばれていたことにやっと気が回ったみたいだった。

どうだろう。
俺のことも名前で呼んでくれるだろうか。
待ち構えていると、普段からは想像できないくらいの小さな音量でそれは耳に届いた。


「……シュウイチロウ」


ボボボッ!
と音がしそうなくらい顔が一気に真っ赤になった。
あまりに可愛くって、愛しくて、俺は笑ってしまった。


「うー!」

「なんだ、噛むなよ?」


牙剥き出し、というような表情を向けてくるので笑って制すると、
黙って口を尖らせた。


むくれてしまったのをあやすようにその体を抱き寄せた。
抱き締めたのは初めてだったが、無意識の行動だった。

こんな自然に。
触れ合えるようになっていたのだ、俺たちは。


ああ…もしかしたら俺は、色々と意識しすぎていたのかもしれないなぁ。


感慨に浸る俺の胸の中から叫びが聞こえてくる。


「も〜〜〜何!めっちゃハズい!!」

「どうして。いいじゃないか」

「うわーーなんか意味わかんない!
 さっきまで卒業式であんなボロ泣きしてたのに!」


涙。
笑顔。
どれだけの感情が生まれただろう。
どれだけ共有できただろう。
本当はもっと共有したかった、なんてきっと贅沢だ。


だって、俺たちにはこれからがある。

だろう?


体を離して、また両肩を掴んだ。



「もう一回だけ、してもいい?」

「………もう一回だけね」



そう言って、結局、何回も何回も唇を重ねた。
黒板の【祝・卒業!】のラクガキの、
祝の文字が俺たちをも祝福してくれているように感じた。


キス?それだけ?なんて、
いつか俺も嘆くのだろうか。
あのときに色々しておけば良かった!って。

だけど今はこれで精一杯だし、
思い出としては十分すぎるほどだ。


君と一緒に過ごせて良かった。




「そろそろ帰ろうか」

「うん。帰ろ」



そのやり取りはいつも一緒に下校しているときのようで。
でも最後だ。

ありがとう、教室。




廊下に出るととても静かで、他には誰もいそうにない。


「もう校舎誰もいなそうだね」

「大分遅くなってしまったからな」

「誰のせいだよー!」


ぱーんち!と左頬に拳が入った。
ごめんって、とその手を剥がして、
そのままに指を絡ませた。
手元と、俺の顔を見比べたはニヤリと笑った。


「あれ、学校の中ではつながないんじゃなかったの?」

「いいだろ、もう卒業したんだから」

「それもそだね」



そうして、学校を後にした。


ありがとう、青春学園。
たくさんの思い出を。ありがとう。

そしてこれからも宜しくな、
今後も一つずつ思い出を増やしていこう。俺たちのペースで。
























仮タイトル『校内プレイを目指せ!』(笑)
章高おじさんのシーンを始めに思いついて書きたくなった笑
そしたら破天荒なタイプの主人公が欲しくなって
『初めての恋の風』の設定を引っ張ってきたという次第。
やっぱこの設定好きだなぁ。

ヘタレなようで、「一緒に帰ろう」とか「戻っておいで」とか、
柔らかな言葉遣いながら有無を言わさない感じ、最高に好き(ツボ)

「志村ー、後ろー!」的に「大石ー!左下ー!」はアナザーサイドで知ってくださいw

本編と関係ないんですけどこの後は秀って呼ぶようになるので
秀一郎と呼んだ最初で最後だったりする。


2019/09/21-2019/11/03