―――時は遡ること、3ヶ月前。 晴れて青春学園に入学した私は、入学式翌日の始業式、ある人に視線を奪われた。 「保健委員長の大石です」 爽やかに名乗ると、保健委員の役割と活動目標を話し始めた。すごくしっかりした人だな、と思った。それはこの人が特別しっかりしているのか、中学3年生ともなるとやはり小学校を卒業したての私たちとは違ってずっと大人なのか、なんてことを考えた。 それが、大石先輩が気になり出したきっかけ。 その後、テニス部の副部長だということも知った。委員長もやってて部活も副部長をやってるだなんて、すごいな。…といえば、テニス部の部長は生徒会長もやってる手塚先輩だっけ。 ただ、大石先輩の方が、優しそうで私は好きだな。なーんて。 自分とはまったく接点のない二人に対して勝手な想像を抱いてしまった。なんていうか、遠すぎて、本人には伝えることが絶対にないから、芸能人みたいに勝手な想像をしても許される存在みたいに思えちゃうっていうか。 そんなことを考えながら教室の窓の外を見ると、丁度大石先輩と手塚先輩が居た。体育の授業みたいだ。ノートを取る合間、先生の視線を盗んで何回か校庭に目を落とした。制服で壇上に登って話をする姿も素敵だけど、こうやって体操服に身を包んでグラウンドを走り回る姿も素敵だな。 こうやって一方的に見つめているのが、心地好い距離感。まさかこれ以上近づきたいだなんて思っていないし、恐れ多くて思えない。 …とかいいながら、本当は少し、気付きはじめてはいた。自分の気持ちに。他の人も大勢いるし、手塚先輩のことだって知ってるのに、どうしても大石先輩のことを目で追ってしまう。 それはなんでか…って。 でも、好き、とか。そんなことおこがましくて思えない。先輩みたいに文武両道で、周りからの信頼も厚いような人とは違って、私は引っ込み思案だし、友達もそんな多い方ではなくて…。休み時間に話せるような友達はいるけど、放課後も、部活に入っているわけでもなく、友達と遊ぶわけでもなく、図書室に入り浸ってるような、我ながら根暗タイプ…。 そう思っていた、ある日の放課後。 「(………えっ!?)」 思わず自分の目を疑った。 図書室、お気に入りの天体コーナーで本を物色している私のすぐ横に、大石先輩がやってきたのだ。心臓が一気に跳ね上がる。 どうして、大石先輩が、こんなところに。 星に興味があるのかな、何か調べ物かな、宿題に必要だったりするのかな…。 色々可能性は浮かぶけど、答えはわからない。だって私は、話しかけるようなことはしない。いつも通り、少しの距離を置いて、一方的に見つめるだけ。 これくらいがいいんだ。 これくらいの、距離感が。 そうも言っていられなくなったのが、その一週間後。 毎度の天体コーナーで、読んだことのない本を借りようと背表紙に指を掛けかけたとき…。 「あっ、すみません!」 「こちらこそ」 同じ本に同時に手を伸ばしてしまう、なんていうラブコメみたいな展開に見舞われ、図書室に似つかわしくない大きな声を出してしまった。焦って周囲を見渡したけど、放課後の図書室なんて空いたものだ。 良かった周りには迷惑を掛けてなさそうだ、と確認してから横のその相手の顔を見て、今度はさっきとは比べものにならないくらい大声を出しそうになった。 「(大石先輩〜!?!?)」 なんとか声には出さずに飲み込めたけど、本当に絶叫しそうなくらいに驚いた。どうして大石先輩、また。もしかして本当に星が好きなのかな…。 「これ、借りるのかい?」 「あ、いや!大石先輩が借りてください!」 焦りのあまり、どうぞどうぞと譲ってから気付いた…けど。 しまった! 思わず名前で呼んじゃった! 一方的に知ってるなんて気持ち悪かったかも…って後悔したけど、大石先輩はそんなこと気にも留めない感じで「いいのかい?」なんて言いながら困り顔をこちらに向けてくる。 委員長もやってるし副部長もやってる大石先輩のこと、一方的に知られてるような状況には慣れてるのかもしれない。 「あの…」 「……え?」 「もしかして、勘違いだったら悪いんだけど、この前もここに居なかったかい?」 大石先輩が私に声を掛けてくれるってだけで驚きだったのに、まさか私のことを認識してくれているだなんて! 今日は嬉しいことが多すぎて、バチが当たりそうだ。やっぱりさっきの本は、大石先輩に借りてもらうしかない。少しでも徳を積んでおかないと…。 「あ、はい。星が好きで…このへんの本は結構読んでます」 「そうなのか」 そんなやりとりをしながら大石先輩の手元を見たら、見覚えのあるタイトルの本を掴んでいて。 「それも、前に借りて読みました」 思わず、言ってしまった。 大石先輩を前に自己主張をするなんて、おこがましいにも程がある! そう思う自分も居るんだけど、大石先輩ももしかしたら同じ趣味を持っている…と気付いてしまったら、居ても立ってもいられなくなってしまった。自分でも浮き足立っているのがわかる。 余計なことを言わない方が良かったかも、なんて後悔している私をよそに、それを覆すかのような行動を先輩が取る。裏表紙の内側、図書カードを引っ張りだすと、どれ?と言いたい風に私に見せてきた。そんなに新しい本でもないのに、少し専門性の高いその本には6人分しか名前が書かれていなかった。 「あ、この…最後に借りてる、ってやつです…」 「さん、か」 私の名前を知ると、大石先輩は図書カードを元に戻しながら嬉しそうに笑った、ように見えた。 いや。 うぬぼれちゃいけない。 そういう風に見えてしまったのは私の色眼鏡で、都合の良い解釈で妄想で、大石先輩には別の言い分があるに違いない。 「俺はこれを借りるから、さんはこっちを借りなよ」 「えっ、悪いですよ…」 「どうせ2冊同時は読めないし。これが読み終わった頃にまた借りにくるよ」 なんて優しいの、大石先輩…。 徳を積まなきゃいけないのに…なんてことも考えていたけど、大石先輩がせっかく譲ってくれたのに借りなかったら、それこそバチが当たる。有り難く、借りさせてもらうことにした。 大石先輩と会話をした。 大石先輩も星が好きだった。 大石先輩が譲ってくれた本を今腕の中に掴んでいる。 今し方自分に起きた事象を信じられなさすぎて、全部妄想とか幻とか白昼夢とかそういうので、消えてなくなってしまったらってか実は始めから何も起きてなかったのでは、という思考を止められなくて、借りたその本は鞄にしまわずに抱き締めたまま家まで帰った。 本は勿論消えなかったし、さっき起きたことは、空想にしてはあまりに鮮明な記憶で、つまり、どうやらこれは現実だ。 「ただいまー」 「お帰りなさい」 とんとんと階段を上って、鞄だけ床に下ろして、ぼすんとベッドに仰向けに寝転んだ。 胸に抱いていたそれを手で掴んで腕を伸ばした。 『宇宙の誕生』。 「………」 表紙をめくって前説に目を通す。 胸が高鳴る。 星。光。素粒子。ガス。スペクトル線。相転移。 理科が苦手な生徒だったら発狂しそうな単語ばかりが並んだその本を、私は夢中で読んだ。 読んでいる間、何度も大石先輩のことを考えてしまった。 後で大石先輩もこの文章を読むんだ、と思ったら記述してあることの一つ一つがより特別なものに思えてきた。 宇宙の始まりは、たった一つの爆発から。 ビッグバン。 「ハァ…」 思わず大きなため息を着いて、本を抱き締める。 ドキドキ。興奮が冷めやらない。 私が星を好きな理由に、邪な物が加わってしまった気がする、けど、それ以上に幸せで仕方がない。 またお話できるかな……大石先輩。 ** 予期せずに短期間で2回も会ってしまっただけに期待は高まっていたけれど、その後はなかなか大石先輩と図書室で会えることはなかった。 これが当たり前だったんだ。 偶然、夢みたいなことが起こってしまっただけで、これが普通なんだから。 そう自分に言い聞かせて、でもどこかに期待を抱きながら今日も天体コーナーをうろつきながら本を開いては閉じる、を繰り返していると。 「(……あ)」 それは、この前大石先輩が借りていった本。 そっと棚から取り出して、パラパラとページを捲って、裏表紙まで捲りきる。 図書カードを引っ張り出す…と、そこには 『1-7 4/24 3-2 大石秀一郎 7/10』 二つ並んだ、私たちの名前。 嬉しくって、思わずニヤけてしまった。 なんか、そういう話あったな。気になる人の興味を引くために、先回りして本を借りて名前を認識してもらう、っていう。 私にはそんな高尚なテクニックも行動力も勇気もないけど、結果的に、私は大石先輩に認識してもらえて、同じ本を借りて、図書カードに名前を並べて連ねることも出来た。 この前まで、一方的に見るだけだったのに。 本当に、嬉しすぎてバチがあたりそうだ。 気になっている人と同じ趣味がある、もしかしたらまた会えるかもしれない、それだけで充分幸せだ。高望みはしない。 そう考えていた私の日常にまた更なる大きな変化が起きたのは、その週のある休み時間。 「(あれは…?)」 廊下のはるか遠く、平均身長160cm程度の1年生のこの廊下で、ぽこんと飛び出した背の高い頭、更に首を伸ばして教室の中を覗き込もうとしているのは…。 「(やっぱり、大石先輩だ!)」 ドキンと心臓が大きく高鳴った。 上級生がここの階にやってくることはそんなに多くなくて、それが大石先輩みたいな有名人とあって、なんとなく廊下がざわついた雰囲気になっている。 どうしたんだろう。 誰かに用事があるのかな? テニス部の人か、保健委員の人か…。 …っていうか、あれうちのクラスじゃん! いざ教室の前まで着いて、数メートル先、もう一つのドアの前には大石先輩がいる、という状況だけれど、向こうからしたらきっと私はその他大勢のうちの一人で…声を掛けるほどの知り合いという感じでもなく…。 そのまま教室に入ろうか、でも困ってるみたいだし声を掛けてあげた方がいいかな、どうしよう…と迷っていると。 「あ、さん!」 えっ。 「は、はい」 「会えて良かったよ。図書カードでクラスまではわかってたんだけど」 え。 え。え。 は? 「もし、さんさえ良かったらなんだけど」 元々注目を集めていた大石先輩、その先輩に話しかけられて私も今おそらくその渦中。 顔が熱いうまく声が出せない 何が起こっているのいったい何が 「今度一緒に星を見に行かないか?」 何が 起きているの 「は、はひ…」 裏返ったみたいな変な返事をしたところで、チャイムが鳴った。 「おっと時間だ。突然押しかけてごめんな。 また、待ち合わせ時間とか場所は連絡するな」 そう爽やかに告げて、大石先輩は早歩きでその場を退散していった。 私は、呆然。 すたすたと自席に着いて、突っ伏した。 何これ。 「ちゃん、大石先輩と知り合いなの?」 「星を見に行くってどういうこと!?」 友達に聞かれたところで、 隠してるとかそういうんじゃなくて、ほんとに、 「わたしもわかんない…」 それ以上は何も言えなかった。 その次は大好きな理科の授業。 でもまったく頭に入ってこなかった。 塩化水素。 水酸化ナトリウム。 溶液の濃度イコール溶質割る溶質足す溶媒。 ビッグバン。 ** 夢だったんじゃなかろうか、とまでも思ったけれども、後日、靴箱に几帳面そうな文字で書かれたメモ紙が一枚入っていた。 日付(夏休み中だ)、待ち合わせの場所と時間、行き先、その日はペルセウス座流星群が極大だということ、大石先輩のお母さんが車に乗せて星が見やすい場所まで連れていってくれるということ、夜遅くのことなので親御さんも良かったらご一緒に、無理でもうちの親が居るので大丈夫です、と。 細かい気配りに胸が温かくなった。 やっぱり、私、大石先輩のこと、好きだ。 おこがましいと思っていたけれど、もう想いは止められそうになかった。 感情自体は前から変わっていないけれど、これが「好き」ということなんだ、と認めてしまうと名前のついた感情は更に加速した気がした。 夜、手紙に添えてあった番号に電話をした。ダイアルをする指が震えて、コールを待っている間は心臓の音が自分の耳にまで響いていた。 『はい、大石です』と相変わらず爽やかな大石先輩の声が聞こえてきて、でも生身で話したときよりも深くて落ち着いた声に聞こえて、更に緊張してしまった。 何もうまいことは言えそうになくて、です星を見に行く件誘って頂いてありがとうございます是非宜しくお願いします、とだけ伝えた。 なんで誘ってくれたんだろうという疑問は残っているけれども、少なくとも向こうから誘ってくれたものであって、私が承諾することで大石先輩からは嬉しそうな声が聞こえてきて、何も、間違ったことはしてないよね?と自問自答を繰り返した。そうでもしていないと混乱で頭がおかしくなりそうだった。 お母さんに、相手の親御さんにもご挨拶をさせて、と言われていたので、私はお母さんに代わって、大石先輩も大石先輩のお母さんに代わってもらった。 この度はありがとうございますーなんて言いながら受話器に耳を当ててぺこぺこお辞儀をするお母さん、なんでお母さんっていっつもそうなんだろうって思うけど、もしかしてさっきまでの私もそうなったりしてたのかなーとか思った。必死すぎて憶えてない。 大石先輩と流星群観測、か。 晴れるといいな。 何着ていこうかな。 ……。 ドキドキが収まらない。 まだ一ヶ月あるのに、それまで私の心臓は持つだろうか。 学校は夏休みに入るから、大石先輩と顔を合わせる可能性は低いけど、もし会ってしまったらどんな顔をすれば良いんだろう。といっても普通にしていればいいんだろうけど、果たしてそれが今の私にできるだろうか。 なんの動揺もなさそうにスマートに誘ってくれた大石先輩は、私のこんな感情には気付いていないだろうし、大石先輩には下心みたいなものは全くないんだろうな、当然のことだけど。 ** 結局あの電話以降大石先輩と喋ることもないまま夏休みに入った。 部活にも入っていない私は日記以外の宿題は終わらせちゃったし、図書館に通って涼みながら本を読むのが日課というような日々を過ごしていた。 大石先輩は、毎日部活で忙しいんだろうなー…。 そして今日はいよいよペルセウス座流星群極大の日。 夏休みど真ん中のこの日、陽が沈んで少しマシにはなったものの、うだるような暑さの日だった。 確認の連絡とかも特になく、時間と場所間違ってないよね?とか、約束忘れちゃうなんてことないよね?とか、そもそも学校以外で大石先輩と会うとかどんな感じでいけばいいのか…とか考えながら待ち合わせ場所へ向かった。 お母さんが一緒でなかったら、逃げ出したくなってしまうくらいには緊張していた。 「さん!」 待ち合わせ場所付近に着くと、少し離れた位置からいつも通りの爽やかさで大石先輩が声を掛けてくれてホッとした。 大石先輩は水色のシャツにベージュのパンツを穿いていた。私服は初めて見たけど、カッコイイな。細身で背の高い先輩に似合ってる。 後ろに駐車されたバンの中から、大石先輩の母親らしい、これまたスラッとした綺麗な女性が出てきた。 「大石秀一郎の母です」 「です。今日は宜しくお願いします」 お母さんが頭を下げたので、私も合わせておじぎした。 「それじゃあ、早速行きましょうか」 大石先輩のお母さんに促されて、私たちは車に乗り込んだ。 「今日は本当にありがとうございます。すみません、車にまで乗せて頂いちゃって」 「いいんですよ。こちらこそ付き合って頂いてありがとうございますー!アンタの方から誘ったんでしょ?」 「そうだよ」 問われて、大石先輩は短く低めの声で答えた。 学校での気配りな先輩とは少し違うイメージ。 お母さんの前では、一人の男の子って感じなのかな。 「この子、妹いるでしょ。でも妹の方は全く星に興味を示さないもんだから、同じような趣味で盛り上がれて嬉しいのよ」 「そうなんですか」 大石先輩、妹いるんだ。 そもそもそれすら知らなかったや。 てことは、先輩はお兄ちゃんなんだ。すごく納得。 そんなことを考えて内心喜んでる私だけど、余計なことは言わなくていい、という感じかな、大石先輩は何も口には出さなかったけれど運転するお母さんの横顔を一瞥していた。 今日は新しい大石先輩をたくさん知れる。 楽しいな。 まさかこんなことになるだなんて、数ヶ月前の私には想像すらつかなかった。 一生手の届かない人だと思ってたのに。 約1時間、だいぶ街灯の少ない地域にやってきた。 車は少し山を登って、広場の駐車エリアに止められた。ここなんだ。 「お待たせしましたー」 「ありがとうございました!」 車の外に出ると、集合したときとは一変してヒンヤリした空気が感じられた。 夜も更けてきてるし、やっぱり山の上は気候が違うのかな。 「結構涼しいね。寒くないかい?」 「大丈夫です。ありがとうございます」 歩き始めてすぐ、ノースリーブのワンピースでやってきた私を先輩は気遣ってくれた。相変わらず優しくて、学校で会えるいつもの大石先輩だと思った。 そのまま歩いて行く先輩の横についた。後ろでは、母親同士が話に花を咲かせているのが聞こえる。 「ここ、街灯少ないだろ」 「はい」 「今時こんなに暗いところ珍しいよな。穴場なんだ。あと1分も歩いたら開けた場所に着くよ」 「そうなんですね」 毎年来てるのかな、もしかしたら他の流星群のときも? とか聞こうと思ったけど、それを言うと別の機会にまた誘ってくれと催促していることにならないか、とか余計に考えてしまって聞くことができなかった。 大石先輩の方から「さんはいつから星に興味あるんだい」と話題を振ってくれた。 「小学校6年のときの担任の先生が星に詳しい人で、学校の屋上で星空観察とかやったんです。そういえば、そのときも保護者同伴でした」 「中学生になっても変わらないな」 「アハハ、そうですね」 そんなことを話して笑いながら歩いていると、少し景色が変わった。 「ほら、着いたよ」 木に覆われた小道を抜けて、着いた広場。 一気に視界が開けた。 世界が星で一杯だった。 視界が全て星で一杯で、 空は広いのに、星、星、星しかない。 その世界に、隣に、 アナタが居る。 「(胸が一杯だ……)」 私はきっと、今夜のことを一生忘れない。 広場の真ん中あたりで、大石先輩は荷物を下ろすと物を取り出し始めた。 「このへんにシートを敷こうか」 「あ、すみません準備して頂いて!私何も…」 「気にしなくて大丈夫さ。誘ったのは俺の方だから」 大石先輩、優しすぎる…。 お言葉に甘えて、広げたシートに腰を掛けさせてもらう。 「ずっと上を見てると首が痛くなるから、横になると楽だよ」 「はい」 言われて、横になる… けど、何これ何この状況。 隣に横になってる大石先輩がいて、横を見れば、1メートルとない距離に大石先輩の顔がある。 無理むりムリムリ!!! 想像しただけで顔が熱くなってきて、まっすぐ上だけに視線を向けた。 少し離れた位置で親たちの会話が聞こえてるのがBGMみたい。 私たちは、一時言葉を止める。 深呼吸を繰り返す。 肺の中まで浄化された気になるくらい、空気が澄んでる。 星が綺麗。 流れるかな。 大石先輩が隣に居る。 夢みたい。 星が好きで良かった…。 1分ほどして。 「あっ!」 「流れたな」 「はい!結構長く流れましたね」 「お願いごとでもした方が良かったかな」 「フフッ」 大きく尾を引いて横に流れた星をきっかけに、私たちは会話を再開する。 願いが叶うならどんなことをお願いするか(大石先輩は天体望遠鏡がほしいらしい)、初めて見た流れ星はいつでどんなときだったか、好きな星座は何か、ペルセウスにまつわるギリシャ神話…。 話しながら、流れ星を見つける度に二人で感嘆の声を上げた。 その後も大石先輩は、私を退屈させないためなのか色々話をしてくれた。私は相槌打ったり笑ったりばっかりで何も面白い話は出来なかった。大石先輩は色々喋ってくれるのに、私はなんてつまらない人なんだろう…と思った。 大石先輩は先輩で、私よりずっとオトナで…というのもあると思うけど、そもそもの人柄だとも思う。相手を気遣って楽しませるような話なんてできない私はコドモだし、やっぱり根暗だ。 「(大石先輩にはずっと気を遣わせてしまってるみたいで申し訳ないけど…私は大石先輩の話をたくさん聞けて嬉しいな)」 そんなことを考えながら、その時を過ごした。 流れ星が一つ見えるたびに 「この時間がずっと続けばいい」 なんて思っていたけど、 いつか終わりは来る。 「今日はありがとうございました」 「こちらこそありがとうございました」 家付近に戻ってきて、車を降りて挨拶をする。そして解散になるかと思いきや、そのまま雑談を始める母親たち。 大石先輩は私の方を見て手招きをして、少し親たちから離れた。 「今日は来てくれてありがとう」 「こちらこそ、誘って頂けて良かったです」 「もしさんさえ良ければ…また行こう」 「はい。ぜひ!」 嬉しい。例え社交辞令でも、大石先輩の方からまた誘ってくれるなんて。 親たちの方を伺うけど、雑談が終わる気配がない。親同士も気が合うみたいだ。また今日みたいなことが本当に出来るんじゃないかって、期待してしまう。 次は、何の流星群? 流星群に限らず、日食月食星食、惑星の接近、天体ショーはいつだって目白押しだ。 胸を躍らせている私の傍ら、大石先輩は、真剣な表情で一点を見つめて居て。 ん? 「大石先輩、どうかしましたか?」 「えっ、あ、いや!今日は本当にありがとう」 「はい、また次の機会に」 丁度、お母さんに「ー、そろそろ行くわよー」と呼ばれたので、ぺこりと頭を下げて、その場を退散した。 胸のドキドキは、小走りしたから、だけじゃない。 「(大石先輩…)」 先輩の存在が、私の中でどんどん大きくなっていく。 先輩の中で、私は、どんな存在? ** そんな夢のような日から数週間。 新学期が始まって間もないある日のこと。 「さん」 私は大石先輩とは違う。突然知らない人から名前を呼ばれるような経験も少ないし、心当たりもない。 なんだか、嫌な予感がする。 「大石先輩と付き合ってるんですか? この前、夜に二人で一緒に居るのを見たって人が居るんだけど」 「え、付き合っていないです!この前は偶然…母親たちも一緒に居たし」 全部本当のことだった。 でも、そっか。見た人がいるんだ…。母親たちと少し離れて喋ってたあのタイミングかな。夜に二人で一緒に居たら、怪しく思うよね。 「…そっか。突然ごめんなさい」 私の顔をもう一度見ると、そう一言残して去っていった。 心臓がバクバクする。 もしかして、あの人も、大石先輩のこと…? 怖い……。 小学校のとき、私が学年の人気者を好きだという噂が流れしまった。その人を好きな子たちに、あんなブスの分際で、とか心無い言葉を浴びせられた。あまりに噂が広がりすぎて、毎日、すれ違うみんなに笑われているような気がした。 そのときの気持ちが、蘇る。ぶるっと身体が震えた。 私、調子に乗ってた。 少し大石先輩と仲良くなれたからって。 いいんだ私は、その他大勢で。 またあんな思いをするくらいなら、大石先輩を想うこの気持ちは、消した方がマシだ。 そう思ってたのに。 「あ、さん」 「…大石先輩」 放課後に寄った図書室の天体コーナー、そこで立ち読みをしていた大石先輩は、私の存在に気付くとパタンと本を閉じて本棚にしまった。 その行動は、まるで私を待ち伏せしていたみたいで。 「この前はありがとう」 「こちらこそ…」 どうしよう。 大石先輩との関わりは減らした方が良い、そう思っていた矢先だったのに。 向こうから、近付いてきてしまう。 一定の距離の内側まで入ってしまったら、ぶつかるまで引き合い続けてしまう。 万有引力。 「……良かったら、ちょっと話せないか」 目線を合わせず、口もまともに開こうとしない私を大石先輩は連れ出した。 周囲は常に確認して、 物音がする度に振り返って、 それが先生だと安心して、 女生徒だとなるべく死角になるように顔を逸らして…。 そうこうしているうちに裏庭に着いた。 良い天気だ。憎いくらいに。 また、天体観測のお誘いだろうか。 どうしよう、どうやって断ろう。 しかしわざわざどうしてこんなところまで…。 そう考えていると、大石先輩の口からはまさかの言葉が。 「さん、君のことが好きだ」 え。 「良かったら、俺と付き合ってくれませんか」 まさか… 大石先輩が、私のことを? なんで、なんでなんで? 「なん、で……」 「もちろん、星が好きっていう同じ趣味を持っているところも嬉しかったし」 確かに一緒にした流星群観測はすごく楽しかった。けど、私の何を知って好きとか付き合うとか…私は大石先輩に釣り合えるような人じゃないのに。 なのに。 「俺のつまらない話にも耳を傾けてくれるところとか」 「人を傷つけない柔らかな言葉選びをするところとか」 「笑ったときの表情と声がとびきり優しいところとか」 「そういう部分に惹かれ始めて…もっと一緒に居たいと思ったんだ」 どうして、私も気付いていないような私を、 出会って間もないアナタが知っているの? 「初めは、単純に同じ趣味を持つ人に会えたことが嬉しくて誘った、それだけだったんだ。でも…話をしているうちにこの気持ちが芽生えて、いつか伝えようって考えてた。あの時は親も近くに居たから言えなかったけど…」 大石先輩の言葉がどんどん降ってくる。 でも私は、それを受け止めきれない。 嬉しい無理大石先輩が私のこと怖いどうして無理いやだ怖いこわいコワイ 「好きなんだ、さん。俺と…」 「……ごめんなさいっ」 目をぎゅっとつむったまま振り返って、そのまま走って逃げてしまった。追いかけられたらすぐ追いつかれちゃうなって思ったけど、先輩は追って来なくて、私はそのまま家に辿り着いた。 玄関を開けた私は靴を脱ぐとまっすぐに自分の部屋に上がり、鞄を床に放り捨てるとベッドに倒れ込んだ。 そして、今に至る。 ぽたぽた、と涙が布団に落ちる。 私は、 好きな人からの告白を断ってしまったんだ。 私は自分のことを、守った。 ** 図書室に行かなくなって、2ヶ月以上の時が流れた。 放課後はすぐ帰るし、教室の中も移動教室も、なるべく友達のそばを離れないようにした。 大石先輩に会うことはなかった。意図的に会おうと思わなければ、本格的に関わることはないのだ。星が好きという共通点だけで、私たちって、こんなに細い繋がりしかなかったのだと思い知る。 寧ろ、あの女の人(どうやら先輩みたい)とは数回すれ違った。目が合うこともあるけど、だからどうということもないので、ほっとした。あの人も、別に私をイジメようと思っているとかじゃなくて、付き合ってるかどうかを単純に知りたかっただけ…という可能性も考えられるようになってきた。 でも変に思い出と結びついてしまって、暫くは星のことを考えると胸が苦しかった。 図書室に寄って本を物色して持ち帰って読む、その時間は、私の大切な時間だったのに…。ずっとサボってたピアノの練習をやたらするようになったからお母さんが驚いてた。最近はようやく胸の苦しさも治まってきたけど。 ………星 宇宙 ネビュラ スーパーノヴァ ミルキーウェイ アンドロメダ すばる 冬の大三角形 思いを馳せるだけで胸がドキドキした。良いドキドキだ。やっぱり私は星が好きなのだと思った。 そして、もうすぐ私の好きなふたご座流星群だと気付いた。ふたご座と言えばカストルとポルックス。カストルは連星だっけ、図書室にそんな本あったなと思い出した。 …久しぶりに、図書室に行ってみようか、という気になった。 そもそも大石先輩は元々そんなに図書室に来てたわけじゃないし。来たとしてもタイミングさえ被らなきゃいいわけだから。 大丈夫。 最後に図書室に行ってから、あの告白の日から、もう2ヶ月以上経ってる。 大丈夫だよね? そう思い立った翌日、実に2ヶ月以上ぶりに図書室に行ったら、 「やっと会えた」 まさかの、天体コーナーの前で待ち構えている先輩が。 「(嘘、でしょ。なんで)」 「久しぶりだよな、ここに来るの。」 その口ぶりから、大石先輩は頻繁に来てたんだろうな、ということは予想できた。 教室まで来ないのが、大石先輩らしいというか。注目を浴びるのを避けたんだろうけど…。確かにここは人も少ない。それは私にとって好都合なような、そうでないような。 逃げたい、けど、さすがにそれはマズいよね…。 きょろ、と大石先輩は周囲を見渡した。入り口付近には図書委員の人と閲覧コーナーに数名居たけど、図書室の奥の奥のこの天体コーナーには全然人はいない。 図書室だから当たり前はあるけれど、大石先輩はいつも以上に小声で話す。 「俺、避けられてるよな」 「……」 正直避けていた。なんと返事をしたら、いいものか。 悩んでいると、大石先輩の方から口を開いた。 「ごめん。突然だったもんな。驚いたと思う…さんの気持ちも考えないで、本当にごめん」 大石先輩は腰が90度以上に曲がるくらい深く頭を下げた。 そんな、大石先輩が謝ることはないのに。本当は…本当の本当は、私は、嬉しかったのに……。 ゆっくり顔を上げると、 「でも、どうしても諦められなくて…理由だけでも教えてほしくて」 と言った。 理由…。 ………。 私が喋り出さないのを察して、大石先輩は言葉を重ねる。 「言いづらいだろうし…強要はしたくないんだけど、聞かないと…俺がきっと諦められない」 「………」 「ごめん」 そう言って、頭は下げずに、瞼だけを伏せた。潜められた眉から、大石先輩が本当に申し訳なく思っているということが伝わってくる。それなのに、それでも聞き出さないと気が済まないくらい、私のことを好きでいてくれているなんて…。 どうして、大石先輩? どうしてどうして。 私はこんなにヒドイのに。 涙が溢れた。 そっと目を開けた大石先輩は、私の顔を見てぎょっとした。 ダメだ。 これ以上先輩に謝らせちゃいけない。 喋れ、私。 「ごめ、なさ…」 ポケットからハンカチを出した大石先輩が、それを渡してくることも出来ず、手が宙に浮いてる。 私もそれを受け取れない。 私もハンカチは持ってるけど。 ボロボロ溢れてくるそれは袖で拭った。 「私、は、大石先輩の、彼女になれる、自信、ない、です…」 そうよ私が大石先輩の彼女なのよ、って胸を張っていられるような存在になれれば良いのに。どうして私を、私はこんななのに、って、卑屈な思いばっかりが生まれてしまう。大石先輩の彼女になれたら嬉しいなって気持ちよりも、私なんかが彼女になったら、なんであんな子がって思う人が居るんだ、と思ったら怖くて。 本当は、好きなのに。 こんなにも、大石先輩のことが好きなのに。 嬉しかったのに。 星を見に行ったときのようなあの夢の時間をまた過ごすことが出来たら何よりも幸せなのに…。 「自信とか…そんなの、俺にもないよ」 大石先輩にも…? 勉強もできればスポーツもできてみんなのまとめ役、みんなのお手本のような人。そんな大石先輩にも、自信がないこととか、あるの? 「ただ」 私に気を遣っているだけじゃなくて、本当かもしれない。 そう思ったのは、大石先輩の声が震えていたから。 「また、君と星を見に行きたい」 大石先輩が、不安そうに笑う。 「それだけじゃあ、ダメかな?」 涙が溢れて、喉が詰まって、言葉が出ない。 ハンカチ、を、受け取らず、 手をそのまま握った。 大きく頷いた。 大石先輩は私の頭を抱き寄せた。 胸の中で、声を押し殺して更に泣いた。 好き。 大石先輩、好きです。 また話していこう、この涙の理由は。 ただ、また、一緒に星を見に行きたい。 その気持ちだけが、私たちを繋ぎ続ける唯一の絆だと思った。 |