* 青の薔薇 *












「榊先生って、薔薇が似合いますよね」


そんな言葉を、ぽそりと言ってみた、

音楽の授業後の休み時間。

少し離れた椅子から演奏を聴く私と、

優雅にピアノをする先生。


授業が終わったあとに先生の演奏を聴くのが日課になったのは、

いつからのことだったか、今じゃ覚えてないや。


「…そうか?」

「はい」


カタンと椅子から立ち上がる先生。

その凛とした態度が、私は好きなんだ。


「なんて言うか優美だし、それから…」

「棘があるところ、とかか?」

「まっさか」


先生が冗談でいったのか本気だったのかは分からないけど、

私はくすりと笑ってしまった。


「真っ赤な深紅の薔薇もいいけど、真っ白なのもいいな…」


バックに薔薇を背負ってる先生を想像してみた。

似合い過ぎだぁ、なんて思って笑ってしまった。

そうしたら、先生の一言。


「…青の薔薇など、どうだ?」

「え、青…?」


青い薔薇と重なっている先生を想像してみた。

うーん…。

絵になるといえばなるけど、色合い的にあんまり…。

それより、一つ気になることが。


「…先生」

「なんだ?」

「青い薔薇なんて、本当にあるんですか?」

「――」


先生は一瞬固まった。

もしかして、変なこと訊いちゃったかな…?

だって、いくら考えても私の記憶の中には

青い薔薇というものは存在しない。

薔薇といったら、赤とかピンクとか白とか、

せめて黄色とか…オレンジとか。


「…生物学上、有り得ないといわれてるんだ」

「え?」

「青い薔薇がだ」

「……」


先生は、カーテンを捲りながらそう言った。

棚引くカーテンの向こうには、

蒼い蒼い、果てしなく広い空が見える。


「それってつまり…青い薔薇はこの世に存在しないってことですか?」

「そう言われている。しかし、一人それを成功させた科学者が居るという」

「……」

「真実か否かは知らない。ただ、何十年もかけて完成させた、という話を耳にした。」


カーテンを下ろすと、先生はこっちを向いてきて言った。


「それだけのことだ」

「………」


私は、考えてしまった。


青い薔薇のこと。

有り得ないと言われている薔薇のこと。


実在したとしても、それは奇跡のようなもので。

この世の多くは皆、触れぬまま生涯を終えていく。


まるで小さな存在。

もしくはその、存在理由すらもあるのか。


分からない。

誰にも分かりはしないんだ。


「……先生は」

「ん?」

「やっぱり、薔薇が似合います」

「…そうか」


追いかけていく謎は、どこまでも深い。

澄んでいても、深さのあまりに果ては見えない。

そんなものだからこそ、美しいと思えてしまう。


『キーンコーンカーンコーン…』


「あ…」

「さあ、早く教室へ帰れ。次の授業が始まるだろう」

「…先生は、次の授業は空きですか?」

「そうだ」

「私もここに居ちゃダメですか?」


訊いた後は、一瞬の沈黙。


「…駄目だ。早く戻れ」

「はぁーい…」


仕方なしに、荷物を持って立ち上がる。

去り際に、もう一言。


「それじゃあ榊先生、有り難う御座いました」


先生は、何も言わずにただ小さく頷いた。

それを確認して、私は音楽室を後にした。

もう人が居なくなった後の廊下はしんとしていた。

そこをパタパタと駆け抜けて行く。


階段を昇りながら、考えた。

先生に聞いた事を。

そしてもう一度、先生と青い薔薇を重ねてみた。


廊下から見えた空は、どこまでも蒼かった。























是非一度見てみたいです、青い薔薇。


2003/04/15