……ん?
「………」
……んん!?
…マズイ。非常にまずい。
……教科書がない。
* 忘れ物 *
海堂は、今までにないピンチに立たされていた。
かれこれ一年以上、忘れ物などすることなく過ごしてきたというのに。
今日に限って何故か、忘れ物をしてしまったのだ。
「(……ヤベェな)」
焦りながらも、海堂は教室の前に貼ってある時間割表を見た。
問題の理科があるのは五時間目。時間は充分にある。
「(それまでに誰かに借りればいい…それだけのことだ。)」
そう思った彼だったが、直後に固まることになる。
「(…誰に?)」
そう。正直な話、彼には同じ学年に親しい友人と呼べるものがいなかった。
特にそのようなものを作ろうとも思わなかったし。
「(……くそっ)」
考えていると、チャイムが鳴り、皆自分の席散らばって言った。
そうして始まったショートホームルーム。
その間は、海堂は一人妙にそわついていた。
何しろ、こんなのは初めてのことだったから。
ホームルームが終わると、海堂は真っ先に廊下へ飛び出した。
しかし、廊下へ出てきたところで何も出来ず、
海堂はただただうろついていた。
とりあえず、足だけは隣のクラス、2−8へ向かっていた。
何故なら、借りられる宛があるとしたら、テニス部の連中だからだ。
同じ部活に入った者は、自然と関わり合う機会が増えてくる。
その分、親しいであろう、という計算。
2−8にはテニス部が多い、だからだ。
といって来たものの…やはり海堂は固まっている。
2−8にいるテニス部の顔ぶれを思い出していたのだ。
まず、荒井将史。
こいつのことは、根本的に嫌いだった。
何というか、肌が合わない。
対して偉くもないのにえばっている、というイメージがあった。
次に、林大介と池田雅也。
こいつらも、どう考えても話が合うタイプではない。
(そうでなかったら話すのか、といったらそうでもないが)
はっきりいって関わりたくない連中だった。
そして、桃城武。
こいつなんか、問題外。
同じレギュラーということもあって、話すことは結構あるが、
いつもケンカばかり。
そんなやつに頭を下げて物を借りるなど出来るであろうか?
「……ちっ」
大丈夫、まだ時間はある。
何とかなる…。
海堂は、自分にそう言い聞かせ、
結局何も出来ないまま教室へ帰った。
―――次の休み時間。
海堂は、自分の机から動くことなく固まっていた。
冷静に考えれば考えるほど…
自分が果たして人に物を借りることなどできるのかと。
もともとそういう柄ではない。
ましてや、人に話し掛け、頭を下げて借りるなど…。
有り得ねぇ。
そういう意味ではよっぽど先輩に借りたほうが気が楽だ。
しかし、他学年では教科書など借りられない。
「……けっ」
いっそのこと先生に忘れてしまったことを
伝えしまったほうがいいのかとも考えた。
しかし、それは成績に関わるであろう。
それに先生も何らかの処置は取ってくれるであろうが、
教科書の予備でも貸してくれれば良いが、
隣の人に見せてもらえ、といたらそれこそ性に会わない。
『キーンコーン…』
「……」
結局、この時間も何も出来ずに終わった。
この時間…というか、その次もそのまた次も何も出来ずにいた。
気付けば、昼休みになっていた。
とりあえず昼食を終えたはいいが…今後どうするのかと。
しかも理科といえば…移動である。
それまでに何とかしなければならない。
かといって、出来ることといえば何か……。
「……」
何も浮かばなかった。
どうすることも出来ず、とりあえずノートと筆箱を持ち、教室を出た。
教室を出てふと横を見ると、すぐ目に付く2−8の教室。
「(やはり、借りるといったらアイツしか…)」
一瞬、自分のライバルの顔が頭に浮かんだが、
直後にその考えを吹き消した。
「(何でこんな時にアイツの顔が浮かぶんだ!)」
顔を顰めた、その瞬間。
「何やってんだ、お前」
「!」
後ろから声を掛けられた。
その人物こそ、紛れもない桃城武本人だった。
購買部へ行ってきたのか、両手には大量のパンが抱えられている。
「てめぇには関係ねぇよ!」
「なにお前そんなに動揺してんだ」
そんなつもりはないのに、反発してしまう。
どうしても素直になれない。
そんな自分が、少し憎くなった。
視線のやり場がなくなり、海堂はただ桃城の持っているパンの辺りを見た。
すると、桃城はまたこんな事を言った。
「…やんねぇよ」
「いらねぇよ!」
「なんだよ、怒ることねぇだろ」
「……」
『キョウカショヲカシテクダサイ』
そのたった一言が、喉の奥から出てこない。
それさえ言ってしまえば、終わりなのに。
海堂が葛藤していると、桃城は海堂の持っているノートを見て、言った。
「お前…次移動じゃねぇの?行かなくていいのか?」
「うっせぇ…てめぇには関係ねーだろ」
「なんだそれ…」
しかし、ついつい反発してしまう。
どうしようもなく顔を背ける。
すると、桃城はもう一度、海堂の持ち物と顔を交互に見比べた。
そして、一言。
「は〜ん。そういうことね」
そう不敵な笑みを浮かべると、教室に入っていってしまった。
「(なんなんだ、一体!)」
もう、桃城の事なんて知らねぇ。
教科書も、もういい…。
そう思い、2−8の教室に背を向けた時。
「ほらよ」
「!?」
頭に本のような何かが当たった感触がし、
海堂は頭を押さえて後ろを振り返った。
立っていたのは、もちろん桃城。
そして手に持っているのは…。
「これ、いるんだろ」
「……」
そう、その叩かれた本こそが、
ずっと探し求めていた理科の教科書で。
それを、桃城が差し伸べてきた。
「ほれ」
「……」
「何ぼさっとしてんだ!いらねぇのか?」
「お、おう。悪ぃな…」
……。
予期せぬ事態が起こった。
まさか、向こうから貸してくれるとは思っていなかった。
「言っとくけど貸しだからな!」
「…借りは部活のとき試合で返す」
「おっ!てめぇ言ったな!?」
またつまらない意地の張り合い。
でも…。
桃城、感謝。
理科室へ向かう海堂の足取りは、軽かった。
とても気分が良かった。
―――授業終了後。
「(これ返さなきゃなんねんだよな…)」
………。
――返すときなんて言うんだ?アイツに礼を言えってか?それもなんていうか
プライドが許さねぇ、っつーか……。でもやっぱり貸してくれたわけだし、
だからと言って俺がアイツに礼を…有り得ねぇ。じゃあ、なんて言うんだ?
無言で渡すってのもおかしいだろ…。「助かったぜ?」…なんかシャクだ。
「もう借りねぇよ?」借りておきながら失礼だ…。「ありがとよ?」普通だ…。
でも絶対言えねぇ…。あ〜どうすれば……。
そんなしどろもどろと頭の中で考えていた海堂。
足は2−8に向かい、もうすぐ着こうという所まで来ている。
そのとき、何故教科書を裏返して見ようなどと思ったのか。
「……ん!?」
そこには、間違いなくくっきりと書かれていた。
『2年7組4番 海堂薫』
「……っ…桃城っ!!!」
「うおっ、なんだ!?」
2−8の教室に駆け込むと、そこでは優雅に
休み時間のひと時を過ごしている桃城の姿があった。
海堂は怒りが治まらず、教科書を桃城に見せ
我を忘れて大声で叫んだ。
「これはどういうことだてめえ!」
「えっ!?……あ、ぁあー!」
海堂が詰め寄ると、桃城は少し考えた後
何かを思い出したようで目を大きく見開いていた。
無論、海堂の怒りが治まることはなく
険悪な空気を漂わせ、桃城ににじり寄った。
「どういうことか説明してもらおうじゃねぇの…」
「あ、あはは?だからな、昨日オレ教科書忘れちまって、
やべ〜と思ってたらちょーどお前の机の上に
教科書が見えたから…つい…;」
「…っ……てめぇっ!」
「すぐに返すつもりだったんだよ!!」
…つまりこういうことである。
海堂が家に忘れたと思っていた理科の教科書は、
もともと昨日のうちに桃城の手に渡り、
一晩をロッカー内で過ごしていたのである。
そして、借りたつもりでいた海堂は、
実は返してもらっていただけのことだった…。
「ふっざけんなてめぇ!」
「だから悪かったって!!」
また、ケンカ。
何故いつもそうなのか。
それは分からない。けど、
それが妙に心地良かったりもするわけで…。
「…あっ!」
「どうした?」
「てことはオレ今日も教科書家だわ。
次6時間目理科だから、貸してv」
「………!」
治まりかけたのに、またケンカは始まる。
果たして、海堂は桃城に教科書を貸したのか否か…。
何だかんだいってラブイ彼らに万歳!
海桃チックになりがちな私の小説ですが、
常に桃海を目指してるんです!間違いなく!!
そこら辺の気持ちは、酌んでやってくださいね。(喜安さん風)
葛藤しまくってる薫ちゃんの姿を想像すると
可愛くって吹きそうです。
ああもう、受だなぁ。(待ちなさい)
ひょんなことから桃海小説でした。
2002/12/01